短編小説
「それ、プロモーションだよね。本当は全然反省なんかしてないんでしょう」
その言葉に私はざらりとした感触を覚えながら反論を試みた。
「そんなことは……」
「嘘だね。だってほんとに反省してたら態度に出るでしょう。口では謝ってるけど、平然としてるんだもん。ね」
友人は畳みかけてくる。
「そうかもしれない……」
ぼんやりとそう呟く。
私には「反省」という感情がわからない。後悔することと反省することの違いが、「反省しろ」と言われたときに周囲が何を求めているのかがわからない。
「すまないとは思ってるんだけどなあ」
後悔はしている。しかし昔、反省しなければならないことについて何でも激しく後悔してみせていたら周囲に嫌われたことがあったので、それ以来、後悔してもなるべく表に出さないようにしてきた。
「嘘」
それを嘘だと言われるのは何というか、困る。
「嘘じゃないよ」
「言葉じゃなくて、態度で見せたら?」
「ああ……ごめんね」
謝ったものの、友人は私を無視して行ってしまった。
ではここで、何が友人を怒らせたのか振り返ろう。
と思ったのだが、何が友人を怒らせたのか、それもわからないのだ。
私が日頃から頑張る頑張ると言って実際頑張れていないのがよくなかったのだろうか。授業を突然休んだり、挨拶を忘れたり、レポートの締め切りにギリギリ間に合わなかったりする……「だらしない」ところが。
「はあ……」
夜早く寝ても、朝起きられない。締め切りが重なると、どれか一つに集中してしまって間に合わない。もっと頑張らなければと思っているし、自ら周囲に言ってもいるのだが、失敗してしまう。
失敗が続くと諦めた気持ちになって、ずるずる失敗を重ねてしまう。
そういうところが、たぶん彼女を怒らせているのだろう。
突然口をきいてくれなくなったことも何度かあって、そのたびに謝って関係修復に努めている。
私がいけないのだ。もっと頑張らなければいけないのだ。
そのためには、友人に許してもらうところから始めなければ。
首からかけていた携帯音楽プレーヤーが、ざりざりと音を立てる。
こんな音を出すことは今までなかった。このプレーヤーは高校に入った時から毎日使ってきたもので、荒い扱いもしていたし、もう寿命かな。
などと考えていると、
がすり、と。
何か弾力のあるものを踏んだ感触がした。
「何……?」
おそるおそる下を向くと、落ちていたのは人だった。
「うわっごめんなさい」
慌てて足をどける。反応はない。
うつ伏せで倒れているその人は大柄で、背中にコウモリの羽根、頭に角のような装飾、そして肌が硬質だった。
今は春だ。ハロウィンではない。
「あの……」
肩の辺りをつついてみる。温かい。生きてはいるようだ。
「あの!」
私はその人の身体を揺さぶった。
「ううん」
反応があった。
「気がつかれましたか?」
「ここは……俺は……」
ゆっくりと身を起こしたその人の顔は、竜だった。つまり、この人は竜人だ。
普段の私であれば、こんなファンタジックな存在が現実にいたんだなどと思いテンションが上がると予想できるのだが、今回は何かが違った。
「君が助けてくれたのかい? ありがとう」
その人の体表のうろこ、羽根、角はひどくくすんだ様子なのだが瞳だけが変にうるんでおり、どことなく粗末に扱われた犬を思わせる。それがなぜか、私を妙に苛立たせた。
「いえ……」
竜人はヒトではない。ヒトの中に入れば避けられ、怖がられる存在だろう。そんな風にいつも苦労してきたであろう存在のことを、悪く思ってはいけない。なにより、初対面の人を見た目で判断するなんて恥ずべきことだ。そう思って、苛立ちを振り払おうとする。
「実は、人間に擬態できなくなってさ。仲間に迷惑がかかるからって集落を追い出されたんだよ」
「へえ……」
「どこにも行くあてはないし、昼間は身を隠して夜移動してたんだけど、食料が尽きちゃってさ」
「そうなんですか……」
「困ってるんだよ。せめて泊まるところさえあれば落ち着いて行く場所を探せるのだけどね」
「それは困りましたね」
「泊まるところさえ見つかればなあ……お腹も空いた……」
「ええ、大変ですね……」
竜人は私をまじまじと見た。
「君、変わってるね」
「変わってませんよ。普通だと思います」
「絶対変わってるって」
「どうしてそう思うんですか?」
悪いところがあるなら直さなければ、と思って訊く。
「うーん、わからないけどそうだよね」
「……へえ」
変わっていると言われることは多いが、皆、はっきりした理由は教えてくれない。竜人であってもそれは同じなのか、と少し落胆した。
「泊まるところが欲しいんだよ」
そう言っている人を放置するわけにもいかないし、人外の姿をしている以上、下手なところに出すわけにはいかない。とりあえずは……
「行くところがないんですよね?」
「ないよ」
「それじゃ、うちに泊めてあげます。ネット環境はあるんで、それでどこか行くところを探したらどうですか」
「いいのかい? 君は優しいな」
「はあ、それはどうも」
優しさから出た申し出ではない。踏んでしまって怪我をさせているかもしれないし、こうして話しているところを誰かに見られて通報されたりする前になんとかせねば、という保身からの申し出だ。
まあ、そのことはいい。
「人気のない道を選んで行くので、着いてきてください」
「そんな道を知ってるの? すごいね」
「まあ、数年住んでるんで……」
「でも一人で通ったりしちゃ駄目だよ。女の子一人じゃ危ないからね」
「ああ……」
「約束してね」
「はあ、まあ」
私は曖昧に言葉を濁した。こんな私の心配をしてくれるなんていい人だなあと思おうとしたのだが、なぜか変にもやもやした気分になった。
いい人のことをこんな風に思っている私は嫌な奴だと思った。
アパートに着くまでは双方とも無言だった。
「着きました、ここです」
鍵を開けながら言う。
「お邪魔しま……」
竜人が固まるのと同時に、散らかった室内が目に入った。
「ああ散らかってますよね。すみません。今片付けますんで」
「いや、お腹が空いてて……」
「フォローしてもらわなくてもいいですよ。でもお腹が空いてるなら何か作りますね、適当に座ってください」
私は靴を脱いで上がり、竜人もその後を着いてきた。
散らばっている教科書を隅にどけ、座るスペースを作る。
「どうぞ」
「ありがとう」
「いえ」
食料は何が残っていただろうか。私は冷蔵庫を開けたが、バターと味噌しか残っていなかった。
冷凍庫に切った野菜がいくつかあったはずなのでそれを使おうと思って冷凍庫を開けると、うどんがあった。野菜は小松菜とネギとあとしめじでも入れればいいか。
「よし」
と私は呟く。
「何?」
「よしって言っただけです。気合を入れようと思って」
そう答えると、竜人は笑った。
「やっぱり変わってるね、君」
「はあ……」
私は再びもやもやした気持ちになった。プラスであれマイナスであれ、評価してもらっているのだから光栄に思わなければいけないのに。
暗い気持ちのままお湯を沸かす。火から離れると沸きっ放しのを放置してしまうことが多いので、コンロの前に立ったままだ。
お湯が沸く。無言で野菜と麺を投入する。再沸騰。調味料を入れる。簡単調理だ。うどんはすぐに出来上がった。
「できました……あ、丼が足りない」
「そうなの?」
「まあ、スープ皿に入れればいいか……もちろんあなたの方に丼で出しますので」
「いいの? ありがとう」
「ええ……」
客人をもてなすのは当然だ。ましてや、可哀想な目に遭った人には優しくしてあげなければ。私は丼にうどんをよそって出した。
「おいしい」
「そうですか」
私もうどんを一口食べた。
「ほんとだ、おいしいですね」
おいしいのは当然で、私好みの味付けだからだ。
竜人の方を見ると、笑いをかみ殺しているかのような顔をしていた。
何がおかしいのか質問しようとして、やめる。笑うということは、確かに何かがおかしいのだろう。私は自分でおかしいところが何なのか察するべきで、訊いたりしたらもっとおかしい人だと思われてしまうから黙っておこうと思った。
慣れないスープ皿でのうどんは大いに食べにくかった。
夜。
「見つかったよ」
という声で集中が途切れる。
何の話だろうか。おそらく受け入れ先の話だろう。竜人は私のPCを使って受け入れ先を探していたからだ。
「見つかったんですか?」
課題のプリントから顔を上げて、私は聞き返す。
「うん。他の地域の集落が受け入れてくれるって。明日の朝迎えに来る」
「それはよかったですね」
「よかったよ……もう駄目かと思った」
「ええ。何時に来るんですか?」
「8時」
「私が家を出る時間と同じですね。じゃあ、明日は一緒に家の前で待ちましょう」
「いいのかい?」
「ええ。明日も早いですし、お客様用の布団があるので敷きますね」
そう言って、私はプリントを鞄にしまい、クローゼットから布団を出して敷いた。
「私は寝ます」
「俺も寝るね」
「はい」
読書灯だけ残して、電気を消す。寝る支度は済ませていたので、私はそのまま布団に入り、イヤホンを耳に入れた。竜人もごそごそ布団に入り込む。
しばらく経った後、
「なんで擬態できなくなったのか、わからないんだよね」
竜人が問わず語りに話し出した。私はイヤホンを片耳だけ外す。
「よくわからないけど気分が塞ぐ日が続いて、気が付いたら擬態できなくなってた。焦ったよ。物資が届く日だったから……物資は母が応対して、その間俺は物置に隠れてた」
「そんなことが」
「それでしばらく外に出ずに家に籠る生活が続いたんだけど、周りが耐えられなくなってね。擬態もできぬ竜人など生きる資格なしなんて言われちゃって。集落の決議で追い出されたよ。あっちも少しは気が咎めたのか、最低限の物だけ持たされはしたけど」
「大変でしたね……」
「君はいいよね。人間だから、擬態せず楽に生きられて」
「まあ……」
いいのだろうか。
いいと言われているのだから、そうなのだろう。
そう思おうとしたのだが、
「普通じゃないんです……」
気付くとそう言っていた。
「どうしたの?」
と竜人。ここで黙っても相手を気にさせるだろうし、説明するよりほかはない。
「昔から、変な奴だ、ってよく言われるんです。自分でも、周囲と噛み合わなかったり、だらしないところがあるのはわかってます。それでずっと普通の人間になりたいって努力はしてきましたけど、どうにもうまくいかない。やることなすこと裏目に出るんです……」
「ふうん」
「どうすればいいんでしょうね」
「俺からしたら、贅沢な悩みだね」
「ああ……」
「君は充分『普通の人間』だよね? ヒトだよ。それだけでまっとうに、区別されず生きられる資格を持ってるわけだ。仲間から同じ人間だと認められてるんだから、変な奴だって言われたくらいで音を上げてちゃいけないよ」
「すみません……」
「いっそのこと、俺と結婚する? それで、俺たちの眷属になる? 君も竜人になってしまえば俺たちの仲間だし、人間から変だとか何とか言われても悩まずにすむよ。だって存在自体が変だからね。変で当然」
「……」
携帯音楽プレーヤーがノイズをたてている。
暗がりで竜人の顔は見えない。
「……結構です」
「へえ、どうして?」
「たぶん、それでも変だとは言われますからね」
「言われないよ。約束する」
「はあ……」
信用できません、と言いたかったが、そんなことを言うと気を悪くさせるかもしれないので飲み込む。
竜人からは出会った時に変だと言われたし、うどんを食べているときもそんな感じだった。なんとなくだが、竜人と人間は共通する価値観を持っているように思える。それなら、もし私が竜人になっても私は「変な奴」だと言われるだろう。何も変わりはしない。
「ははは、そんな目をしないでよ。冗談だって」
竜人はおかしそうに笑った。
「まあ、そうですよね。出会ったばかりの私に結婚を切り出すなんてありえないですからね」
竜人は笑って何も答えなかった。
その後は特に会話もなく眠りに落ち、気付くと朝になっていた。
別の集落からの迎えのライトバンが来て、運転手の竜人が簡単な挨拶と説明をした。私に同胞を保護してくれた礼を言って、運転手は車に乗り込んだ。私が泊めた竜人も続いて乗り込む。
助手席の窓から、泊めた竜人が私に挨拶した。
「泊めてくれてありがとう」
「いいえ」
「結婚の件、俺はちょっと本気だったよ」
「へえ……」
「元気で」
窓が閉まり、車が発進する。
本気だったからといって、何が変わるわけでもない。彼は何のつもりで言い残したのか。私へのフォローのつもりだったのか。何にせよ、無駄なことだ。
忘れよう。
大学に向けて歩き出しながら、私はそう思った。
◆
日が替わっても、友人からの無視は相変わらずだった。
「おはよう」
無言。
「昨日はごめん」
無言。
「これからはもっと頑張るから」
「……いつもそればっかりだよね」
「え……」
友人は席を立ち、移動してしまう。
間髪入れず教授が入ってきて、授業が始まる。
無視されるのは珍しいことではない。友人は一度機嫌を悪くするとなかなか許してくれないのだ。根気よく謝っていれば、いつか許してもらえるはずだ。私が「変な奴」でも友人はあの竜人のように笑うことなく付き合ってくれた。今後もきっと付き合い続けてくれるはずだ。
そう自分に言い聞かせるのだが、気持ちが落ち着かない。結果、授業の内容は全く頭に入ってこなかった。
昼。
いつもは友人と昼食を食べに行くのだが、今日は相手が怒っているので無理だ。一人で食べよう。そう思いながら食堂に向かっていると、
「よう」
同期の男子が声をかけてきた。
「元気?」
「ああ、まあ……」
「一人なんだろ? ランチ一緒にどう?」
「うん……」
私は頷いた。正直あまり気が進まなかったが、断って空気を悪くするのも嫌だった。
食堂では釜玉うどんを注文し、同期はラーメンを頼んだ。
込み合ったテーブルで、課題の話とか同期の噂話などを聞く。
どうにも自分から発言する気になれず、次第に気まずい沈黙が落ちた。
私が食べ終わって汁をちびちび飲みだした頃、
「お前、あいつと喧嘩したんだって?」
突然同期がそう訊いてきた。
「私は喧嘩してるつもりじゃないんだけど……」
「あいつ、お前にはもう飽きたって言ってたぜ。どんだけ怒らせたんだよ」
「……」
それはもう怒っているというレベルではない。友人には、付き合う友達を定期的に替えているという噂がある。つまり友人は私に飽きてしまって、私と仲良くする期が終わったということだろう。
「ま、いつもみたいに謝って許してもらえよな。あいつ学科の女王だし、怒らせたままじゃまずいだろ」
「ああうん……」
じゃあな、と言って同期は去っていった。
私は友人と付き合い続けることを諦めた。
次の日から、同期たちの態度が少し変わった。どことなくよそよそしくなったのだ。挨拶しても無視されることが多く、会話には沈黙が増え、私の方も気まずくなるのであまり皆に話しかけなくなった。
必然的に、私は孤立していった。
大学に出かけても、誰とも一言も喋らない日が増えた。
よくわからない、もやもやした気持ちだけが溜まってゆく。グループで討論しろと言われたとき、実験しろと言われたとき、実習のとき、お情けのように班に入れてもらって活動する。得た情報を共有することはなく、共有されることもない。まるで存在自体が許されていないかのようだ。
朝はいっそう起きにくくなり、締め切りに遅れることもますます増えた。生活の全てが堕落してゆく。何もかもが駄目になったような気分になる。
移動時間に携帯音楽プレーヤーで音楽を聴くときだけが、わずかに私がまだ人間であることを自覚できる時間だった。
音楽を聴きながら、私は考える。
だらしない奴は嫌われる。「変な奴」は排斥される。それはヒトも竜人も同じだろう。これまでどうやっても「普通」になることはできなかった。20年やっても変われなかったのだから、これからどう頑張っても無理だろう。
「だらしなくて変」なことはきっと私が生まれ持った性質で、それを変えることはできないのだ。私は生まれながらに嫌われ排斥されるべき「だらしなくて変な奴」で、邪魔者で、迷惑な存在で、存在自体が穢れなのだ。
これ以上、周囲に迷惑をかけてはいけない。穢れは禊がなければ。
私はこの辺りで一番大きな松の木を見上げた。
よさそうな枝だ。
覚悟を決めたとき、
携帯音楽プレーヤーに繋いだイヤホンからザ、という音。音楽が止まる。
こんなときに壊れなくても。私がしぶしぶイヤホンを外そうとしたとき、
『待てよ』
声が聴こえた。
待てよだと?
私は周囲を見回す。誰もいない。
『俺だよ、携帯音楽プレーヤー』
何だって?
『竜人がいる世界なんだから、プレーヤーが喋ったっておかしくないだろ』
確かにそうだ。今になって喋り出す理由がわからないけれども。
『エネルギーが溜まったんだよ。ギリギリのタイミングだったが、顕現できた』
それで、私にどうしろと?
『まあ、早まるなってことだ』
「……今さら」
思わず、声が出た。
「今さらすぎるよ。私はもう決めたんだよ。これ以上辛い日々を過ごすのはたくさんだ。辛いんだよ、だらしないと思われたり変な奴とか言われて仲間はずれにされるのは。もう嫌なの。うんざりなの。早く楽になりたいの」
口から出る言葉に拒否感を感じる。こんな俗っぽいことを考えていたんじゃない。私はただ、自分がこの世にいらない存在だと思って、迷惑をかけたくないと思って、その一心で存在の抹消を願ってここに来たはずだ。
「私は……」
私は途方に暮れた。
『辛かったんだろ』
とプレーヤーが言う。
「違う……竜人に比べたら私は恵まれているから……」
これも、考えていた言葉ではない。あの竜人に言われたことを、私は存外気にしていたのだろうか。
『いいんだよ、辛くたって。それはお前だけの感情で、お前だけが独占していればいい。お前が認められないなら、俺が認めておく。それでどうだ』
「……」
否定の言葉が出てこない。
「うん……」
気付くとそう言っていた。
『決まりだな』
こんなのは私ではない。でも、どこか胸のつかえが取れたような気がして、悲しさを「思い出した」ような気になった。
私は辛いと言ってもいいのだろうか。生きていてもいいのだろうか。
『いいんだよ』
プレーヤーはあっさりと肯定した。
「そっか……」
『ああ』
私自身の置かれた状況は一つも変わらない。けれどもその時は少しだけ春の陽が目に沁みた。
それから、私の生活に遠慮のない「友人」が一人増えたのだった。
つつじの季節になっていた。
(おわり)
その言葉に私はざらりとした感触を覚えながら反論を試みた。
「そんなことは……」
「嘘だね。だってほんとに反省してたら態度に出るでしょう。口では謝ってるけど、平然としてるんだもん。ね」
友人は畳みかけてくる。
「そうかもしれない……」
ぼんやりとそう呟く。
私には「反省」という感情がわからない。後悔することと反省することの違いが、「反省しろ」と言われたときに周囲が何を求めているのかがわからない。
「すまないとは思ってるんだけどなあ」
後悔はしている。しかし昔、反省しなければならないことについて何でも激しく後悔してみせていたら周囲に嫌われたことがあったので、それ以来、後悔してもなるべく表に出さないようにしてきた。
「嘘」
それを嘘だと言われるのは何というか、困る。
「嘘じゃないよ」
「言葉じゃなくて、態度で見せたら?」
「ああ……ごめんね」
謝ったものの、友人は私を無視して行ってしまった。
ではここで、何が友人を怒らせたのか振り返ろう。
と思ったのだが、何が友人を怒らせたのか、それもわからないのだ。
私が日頃から頑張る頑張ると言って実際頑張れていないのがよくなかったのだろうか。授業を突然休んだり、挨拶を忘れたり、レポートの締め切りにギリギリ間に合わなかったりする……「だらしない」ところが。
「はあ……」
夜早く寝ても、朝起きられない。締め切りが重なると、どれか一つに集中してしまって間に合わない。もっと頑張らなければと思っているし、自ら周囲に言ってもいるのだが、失敗してしまう。
失敗が続くと諦めた気持ちになって、ずるずる失敗を重ねてしまう。
そういうところが、たぶん彼女を怒らせているのだろう。
突然口をきいてくれなくなったことも何度かあって、そのたびに謝って関係修復に努めている。
私がいけないのだ。もっと頑張らなければいけないのだ。
そのためには、友人に許してもらうところから始めなければ。
首からかけていた携帯音楽プレーヤーが、ざりざりと音を立てる。
こんな音を出すことは今までなかった。このプレーヤーは高校に入った時から毎日使ってきたもので、荒い扱いもしていたし、もう寿命かな。
などと考えていると、
がすり、と。
何か弾力のあるものを踏んだ感触がした。
「何……?」
おそるおそる下を向くと、落ちていたのは人だった。
「うわっごめんなさい」
慌てて足をどける。反応はない。
うつ伏せで倒れているその人は大柄で、背中にコウモリの羽根、頭に角のような装飾、そして肌が硬質だった。
今は春だ。ハロウィンではない。
「あの……」
肩の辺りをつついてみる。温かい。生きてはいるようだ。
「あの!」
私はその人の身体を揺さぶった。
「ううん」
反応があった。
「気がつかれましたか?」
「ここは……俺は……」
ゆっくりと身を起こしたその人の顔は、竜だった。つまり、この人は竜人だ。
普段の私であれば、こんなファンタジックな存在が現実にいたんだなどと思いテンションが上がると予想できるのだが、今回は何かが違った。
「君が助けてくれたのかい? ありがとう」
その人の体表のうろこ、羽根、角はひどくくすんだ様子なのだが瞳だけが変にうるんでおり、どことなく粗末に扱われた犬を思わせる。それがなぜか、私を妙に苛立たせた。
「いえ……」
竜人はヒトではない。ヒトの中に入れば避けられ、怖がられる存在だろう。そんな風にいつも苦労してきたであろう存在のことを、悪く思ってはいけない。なにより、初対面の人を見た目で判断するなんて恥ずべきことだ。そう思って、苛立ちを振り払おうとする。
「実は、人間に擬態できなくなってさ。仲間に迷惑がかかるからって集落を追い出されたんだよ」
「へえ……」
「どこにも行くあてはないし、昼間は身を隠して夜移動してたんだけど、食料が尽きちゃってさ」
「そうなんですか……」
「困ってるんだよ。せめて泊まるところさえあれば落ち着いて行く場所を探せるのだけどね」
「それは困りましたね」
「泊まるところさえ見つかればなあ……お腹も空いた……」
「ええ、大変ですね……」
竜人は私をまじまじと見た。
「君、変わってるね」
「変わってませんよ。普通だと思います」
「絶対変わってるって」
「どうしてそう思うんですか?」
悪いところがあるなら直さなければ、と思って訊く。
「うーん、わからないけどそうだよね」
「……へえ」
変わっていると言われることは多いが、皆、はっきりした理由は教えてくれない。竜人であってもそれは同じなのか、と少し落胆した。
「泊まるところが欲しいんだよ」
そう言っている人を放置するわけにもいかないし、人外の姿をしている以上、下手なところに出すわけにはいかない。とりあえずは……
「行くところがないんですよね?」
「ないよ」
「それじゃ、うちに泊めてあげます。ネット環境はあるんで、それでどこか行くところを探したらどうですか」
「いいのかい? 君は優しいな」
「はあ、それはどうも」
優しさから出た申し出ではない。踏んでしまって怪我をさせているかもしれないし、こうして話しているところを誰かに見られて通報されたりする前になんとかせねば、という保身からの申し出だ。
まあ、そのことはいい。
「人気のない道を選んで行くので、着いてきてください」
「そんな道を知ってるの? すごいね」
「まあ、数年住んでるんで……」
「でも一人で通ったりしちゃ駄目だよ。女の子一人じゃ危ないからね」
「ああ……」
「約束してね」
「はあ、まあ」
私は曖昧に言葉を濁した。こんな私の心配をしてくれるなんていい人だなあと思おうとしたのだが、なぜか変にもやもやした気分になった。
いい人のことをこんな風に思っている私は嫌な奴だと思った。
アパートに着くまでは双方とも無言だった。
「着きました、ここです」
鍵を開けながら言う。
「お邪魔しま……」
竜人が固まるのと同時に、散らかった室内が目に入った。
「ああ散らかってますよね。すみません。今片付けますんで」
「いや、お腹が空いてて……」
「フォローしてもらわなくてもいいですよ。でもお腹が空いてるなら何か作りますね、適当に座ってください」
私は靴を脱いで上がり、竜人もその後を着いてきた。
散らばっている教科書を隅にどけ、座るスペースを作る。
「どうぞ」
「ありがとう」
「いえ」
食料は何が残っていただろうか。私は冷蔵庫を開けたが、バターと味噌しか残っていなかった。
冷凍庫に切った野菜がいくつかあったはずなのでそれを使おうと思って冷凍庫を開けると、うどんがあった。野菜は小松菜とネギとあとしめじでも入れればいいか。
「よし」
と私は呟く。
「何?」
「よしって言っただけです。気合を入れようと思って」
そう答えると、竜人は笑った。
「やっぱり変わってるね、君」
「はあ……」
私は再びもやもやした気持ちになった。プラスであれマイナスであれ、評価してもらっているのだから光栄に思わなければいけないのに。
暗い気持ちのままお湯を沸かす。火から離れると沸きっ放しのを放置してしまうことが多いので、コンロの前に立ったままだ。
お湯が沸く。無言で野菜と麺を投入する。再沸騰。調味料を入れる。簡単調理だ。うどんはすぐに出来上がった。
「できました……あ、丼が足りない」
「そうなの?」
「まあ、スープ皿に入れればいいか……もちろんあなたの方に丼で出しますので」
「いいの? ありがとう」
「ええ……」
客人をもてなすのは当然だ。ましてや、可哀想な目に遭った人には優しくしてあげなければ。私は丼にうどんをよそって出した。
「おいしい」
「そうですか」
私もうどんを一口食べた。
「ほんとだ、おいしいですね」
おいしいのは当然で、私好みの味付けだからだ。
竜人の方を見ると、笑いをかみ殺しているかのような顔をしていた。
何がおかしいのか質問しようとして、やめる。笑うということは、確かに何かがおかしいのだろう。私は自分でおかしいところが何なのか察するべきで、訊いたりしたらもっとおかしい人だと思われてしまうから黙っておこうと思った。
慣れないスープ皿でのうどんは大いに食べにくかった。
夜。
「見つかったよ」
という声で集中が途切れる。
何の話だろうか。おそらく受け入れ先の話だろう。竜人は私のPCを使って受け入れ先を探していたからだ。
「見つかったんですか?」
課題のプリントから顔を上げて、私は聞き返す。
「うん。他の地域の集落が受け入れてくれるって。明日の朝迎えに来る」
「それはよかったですね」
「よかったよ……もう駄目かと思った」
「ええ。何時に来るんですか?」
「8時」
「私が家を出る時間と同じですね。じゃあ、明日は一緒に家の前で待ちましょう」
「いいのかい?」
「ええ。明日も早いですし、お客様用の布団があるので敷きますね」
そう言って、私はプリントを鞄にしまい、クローゼットから布団を出して敷いた。
「私は寝ます」
「俺も寝るね」
「はい」
読書灯だけ残して、電気を消す。寝る支度は済ませていたので、私はそのまま布団に入り、イヤホンを耳に入れた。竜人もごそごそ布団に入り込む。
しばらく経った後、
「なんで擬態できなくなったのか、わからないんだよね」
竜人が問わず語りに話し出した。私はイヤホンを片耳だけ外す。
「よくわからないけど気分が塞ぐ日が続いて、気が付いたら擬態できなくなってた。焦ったよ。物資が届く日だったから……物資は母が応対して、その間俺は物置に隠れてた」
「そんなことが」
「それでしばらく外に出ずに家に籠る生活が続いたんだけど、周りが耐えられなくなってね。擬態もできぬ竜人など生きる資格なしなんて言われちゃって。集落の決議で追い出されたよ。あっちも少しは気が咎めたのか、最低限の物だけ持たされはしたけど」
「大変でしたね……」
「君はいいよね。人間だから、擬態せず楽に生きられて」
「まあ……」
いいのだろうか。
いいと言われているのだから、そうなのだろう。
そう思おうとしたのだが、
「普通じゃないんです……」
気付くとそう言っていた。
「どうしたの?」
と竜人。ここで黙っても相手を気にさせるだろうし、説明するよりほかはない。
「昔から、変な奴だ、ってよく言われるんです。自分でも、周囲と噛み合わなかったり、だらしないところがあるのはわかってます。それでずっと普通の人間になりたいって努力はしてきましたけど、どうにもうまくいかない。やることなすこと裏目に出るんです……」
「ふうん」
「どうすればいいんでしょうね」
「俺からしたら、贅沢な悩みだね」
「ああ……」
「君は充分『普通の人間』だよね? ヒトだよ。それだけでまっとうに、区別されず生きられる資格を持ってるわけだ。仲間から同じ人間だと認められてるんだから、変な奴だって言われたくらいで音を上げてちゃいけないよ」
「すみません……」
「いっそのこと、俺と結婚する? それで、俺たちの眷属になる? 君も竜人になってしまえば俺たちの仲間だし、人間から変だとか何とか言われても悩まずにすむよ。だって存在自体が変だからね。変で当然」
「……」
携帯音楽プレーヤーがノイズをたてている。
暗がりで竜人の顔は見えない。
「……結構です」
「へえ、どうして?」
「たぶん、それでも変だとは言われますからね」
「言われないよ。約束する」
「はあ……」
信用できません、と言いたかったが、そんなことを言うと気を悪くさせるかもしれないので飲み込む。
竜人からは出会った時に変だと言われたし、うどんを食べているときもそんな感じだった。なんとなくだが、竜人と人間は共通する価値観を持っているように思える。それなら、もし私が竜人になっても私は「変な奴」だと言われるだろう。何も変わりはしない。
「ははは、そんな目をしないでよ。冗談だって」
竜人はおかしそうに笑った。
「まあ、そうですよね。出会ったばかりの私に結婚を切り出すなんてありえないですからね」
竜人は笑って何も答えなかった。
その後は特に会話もなく眠りに落ち、気付くと朝になっていた。
別の集落からの迎えのライトバンが来て、運転手の竜人が簡単な挨拶と説明をした。私に同胞を保護してくれた礼を言って、運転手は車に乗り込んだ。私が泊めた竜人も続いて乗り込む。
助手席の窓から、泊めた竜人が私に挨拶した。
「泊めてくれてありがとう」
「いいえ」
「結婚の件、俺はちょっと本気だったよ」
「へえ……」
「元気で」
窓が閉まり、車が発進する。
本気だったからといって、何が変わるわけでもない。彼は何のつもりで言い残したのか。私へのフォローのつもりだったのか。何にせよ、無駄なことだ。
忘れよう。
大学に向けて歩き出しながら、私はそう思った。
◆
日が替わっても、友人からの無視は相変わらずだった。
「おはよう」
無言。
「昨日はごめん」
無言。
「これからはもっと頑張るから」
「……いつもそればっかりだよね」
「え……」
友人は席を立ち、移動してしまう。
間髪入れず教授が入ってきて、授業が始まる。
無視されるのは珍しいことではない。友人は一度機嫌を悪くするとなかなか許してくれないのだ。根気よく謝っていれば、いつか許してもらえるはずだ。私が「変な奴」でも友人はあの竜人のように笑うことなく付き合ってくれた。今後もきっと付き合い続けてくれるはずだ。
そう自分に言い聞かせるのだが、気持ちが落ち着かない。結果、授業の内容は全く頭に入ってこなかった。
昼。
いつもは友人と昼食を食べに行くのだが、今日は相手が怒っているので無理だ。一人で食べよう。そう思いながら食堂に向かっていると、
「よう」
同期の男子が声をかけてきた。
「元気?」
「ああ、まあ……」
「一人なんだろ? ランチ一緒にどう?」
「うん……」
私は頷いた。正直あまり気が進まなかったが、断って空気を悪くするのも嫌だった。
食堂では釜玉うどんを注文し、同期はラーメンを頼んだ。
込み合ったテーブルで、課題の話とか同期の噂話などを聞く。
どうにも自分から発言する気になれず、次第に気まずい沈黙が落ちた。
私が食べ終わって汁をちびちび飲みだした頃、
「お前、あいつと喧嘩したんだって?」
突然同期がそう訊いてきた。
「私は喧嘩してるつもりじゃないんだけど……」
「あいつ、お前にはもう飽きたって言ってたぜ。どんだけ怒らせたんだよ」
「……」
それはもう怒っているというレベルではない。友人には、付き合う友達を定期的に替えているという噂がある。つまり友人は私に飽きてしまって、私と仲良くする期が終わったということだろう。
「ま、いつもみたいに謝って許してもらえよな。あいつ学科の女王だし、怒らせたままじゃまずいだろ」
「ああうん……」
じゃあな、と言って同期は去っていった。
私は友人と付き合い続けることを諦めた。
次の日から、同期たちの態度が少し変わった。どことなくよそよそしくなったのだ。挨拶しても無視されることが多く、会話には沈黙が増え、私の方も気まずくなるのであまり皆に話しかけなくなった。
必然的に、私は孤立していった。
大学に出かけても、誰とも一言も喋らない日が増えた。
よくわからない、もやもやした気持ちだけが溜まってゆく。グループで討論しろと言われたとき、実験しろと言われたとき、実習のとき、お情けのように班に入れてもらって活動する。得た情報を共有することはなく、共有されることもない。まるで存在自体が許されていないかのようだ。
朝はいっそう起きにくくなり、締め切りに遅れることもますます増えた。生活の全てが堕落してゆく。何もかもが駄目になったような気分になる。
移動時間に携帯音楽プレーヤーで音楽を聴くときだけが、わずかに私がまだ人間であることを自覚できる時間だった。
音楽を聴きながら、私は考える。
だらしない奴は嫌われる。「変な奴」は排斥される。それはヒトも竜人も同じだろう。これまでどうやっても「普通」になることはできなかった。20年やっても変われなかったのだから、これからどう頑張っても無理だろう。
「だらしなくて変」なことはきっと私が生まれ持った性質で、それを変えることはできないのだ。私は生まれながらに嫌われ排斥されるべき「だらしなくて変な奴」で、邪魔者で、迷惑な存在で、存在自体が穢れなのだ。
これ以上、周囲に迷惑をかけてはいけない。穢れは禊がなければ。
私はこの辺りで一番大きな松の木を見上げた。
よさそうな枝だ。
覚悟を決めたとき、
携帯音楽プレーヤーに繋いだイヤホンからザ、という音。音楽が止まる。
こんなときに壊れなくても。私がしぶしぶイヤホンを外そうとしたとき、
『待てよ』
声が聴こえた。
待てよだと?
私は周囲を見回す。誰もいない。
『俺だよ、携帯音楽プレーヤー』
何だって?
『竜人がいる世界なんだから、プレーヤーが喋ったっておかしくないだろ』
確かにそうだ。今になって喋り出す理由がわからないけれども。
『エネルギーが溜まったんだよ。ギリギリのタイミングだったが、顕現できた』
それで、私にどうしろと?
『まあ、早まるなってことだ』
「……今さら」
思わず、声が出た。
「今さらすぎるよ。私はもう決めたんだよ。これ以上辛い日々を過ごすのはたくさんだ。辛いんだよ、だらしないと思われたり変な奴とか言われて仲間はずれにされるのは。もう嫌なの。うんざりなの。早く楽になりたいの」
口から出る言葉に拒否感を感じる。こんな俗っぽいことを考えていたんじゃない。私はただ、自分がこの世にいらない存在だと思って、迷惑をかけたくないと思って、その一心で存在の抹消を願ってここに来たはずだ。
「私は……」
私は途方に暮れた。
『辛かったんだろ』
とプレーヤーが言う。
「違う……竜人に比べたら私は恵まれているから……」
これも、考えていた言葉ではない。あの竜人に言われたことを、私は存外気にしていたのだろうか。
『いいんだよ、辛くたって。それはお前だけの感情で、お前だけが独占していればいい。お前が認められないなら、俺が認めておく。それでどうだ』
「……」
否定の言葉が出てこない。
「うん……」
気付くとそう言っていた。
『決まりだな』
こんなのは私ではない。でも、どこか胸のつかえが取れたような気がして、悲しさを「思い出した」ような気になった。
私は辛いと言ってもいいのだろうか。生きていてもいいのだろうか。
『いいんだよ』
プレーヤーはあっさりと肯定した。
「そっか……」
『ああ』
私自身の置かれた状況は一つも変わらない。けれどもその時は少しだけ春の陽が目に沁みた。
それから、私の生活に遠慮のない「友人」が一人増えたのだった。
つつじの季節になっていた。
(おわり)
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