短編小説
「嘘だろ……」
俺はそう呟く。
昼休み。目の前で同僚がいなくなった。
昼はいつも部内のチームで食堂に行くのだが、今日は組合の会議があった。チームメンバーが食堂に向かう中、俺と同僚は会議に出席した。
俺と同僚以外の会議出席メンバーは会議後に会議室で昼食をとり、俺たちは自席に戻った。
俺がおにぎりをかじり、同僚がカップラーメンにお湯を入れて待っているときにそれは起こった。
「勇者様!」
突然床に開いた穴から、僧侶の格好をした女の子が飛び出してきたのだ。
俺は固まった。同僚は椅子から立ち上がった。
「私たちを助けてください、選ばれし勇者様」
女の子が同僚をじっと見つめる。
「俺? ……やった。いいよ」
「おい……」
俺はおにぎりを机の上に置く。
女の子は目を輝かせ、同僚の両手を取った。
「きっと承諾してくださると思っていました。でも、いいのですか?」
「いいに決まってるじゃん。毎日毎日つらいことばかりでさ、どこか遠いところに行きてえ、解放されてえってずっと思ってたよ。俺がいなくなっても悲しむ人はいない……誰も俺を認めてくれねえこんな世界とはソッコーでおさらばだ。ささ、行こうぜ」
「……はい!」
女の子が何やら唱えると、床の穴が急速に広がって同僚と女の子を飲み込み、それからあっという間に塞がった。
「嘘だろ……」
最近ずっと、仕事しているときも俺とサシで飲んでいるときも死んだ魚のような目をしていた同僚が、嘘のように生き生きした顔をしていた。あんな顔を見たのは入社式以来かもしれない。
「 」
同僚の名を呼ぶ。確かに発音したはずなのに、俺の口はぱくぱくと声にならぬ音を形作っただけだった。
俺がいなくなっても悲しむ人はいない、だと。
「ふざけるなよ……」
大学入学時から馬が合い、一緒に課題をしたり、実習に行ったり、気になる奴の話をしたり、地獄のレポートを乗り越えたり、泣いたり笑ったりしながら俺たちはここまで来た。
戦友だと思っていた。大事な友人だと。そんな奴がいなくなったら、悲しいに決まっている。そう言ってやりたかった。
「 」
必死で口を動かすが、声にならない。
おかしい。あいつはなんて名前だったっけ。
「ただいまー、組合お疲れさま!」
「あ……お疲れさまです」
上司だ。
「ごめんねー、一人で行かせちゃって。私も管理職になっちゃったからねえ。ほんとはチームから二人くらい出席してもらいたいところなんだけど、決まりは決まりだから」
「一人で……」
「ん? この机の上のカップ麺は君の?」
上司がカップ麺を指しながら聞く。
「いえ……」
俺は首を横に振った。
「おかしいな。君のじゃなければ誰かが勝手に?」
「それは」
『 』の。
わからなかった。このカップ麺は誰のものだ。この机は誰のものだ。大切なことだったはずなのに、思い出せない。
「ま、君の席のものなんだから、君が片付けてね。休み時間あと10分あるから、食べてもいいし捨ててもいいし」
「はい……」
「なんか元気ないね。大丈夫?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
「じゃ、頑張って」
上司が席に戻る。
俺はカップ麺に目を戻した。
こんなところに勝手に置いていくなんて、迷惑な人もいたものだ。ここは俺の席、俺の席……俺の席なのに。
少しだけ、めまいがした。
カップ麺を持ち上げる。
容器はすっかり冷め、麺は伸びきっていた。
俺は給湯室に行き、それを捨てた。
深夜、家に帰ってから、あの持ち主のわからないカップ麺を捨てたことを少しだけ後悔した。
その後悔はしばらくの間、ふとした時に浮かんできて俺を苛んだが、カップ麺のことで悩んでいます、なんてとても上司に言えるわけがない。
俺はため息をついて、何か言いかけながら隣の席を見て、そこも自分の席だったことを思い出して静かに口を閉じた。
放置された机の上には書類が積み上がり、埃を被っていた。
(おわり)
俺はそう呟く。
昼休み。目の前で同僚がいなくなった。
昼はいつも部内のチームで食堂に行くのだが、今日は組合の会議があった。チームメンバーが食堂に向かう中、俺と同僚は会議に出席した。
俺と同僚以外の会議出席メンバーは会議後に会議室で昼食をとり、俺たちは自席に戻った。
俺がおにぎりをかじり、同僚がカップラーメンにお湯を入れて待っているときにそれは起こった。
「勇者様!」
突然床に開いた穴から、僧侶の格好をした女の子が飛び出してきたのだ。
俺は固まった。同僚は椅子から立ち上がった。
「私たちを助けてください、選ばれし勇者様」
女の子が同僚をじっと見つめる。
「俺? ……やった。いいよ」
「おい……」
俺はおにぎりを机の上に置く。
女の子は目を輝かせ、同僚の両手を取った。
「きっと承諾してくださると思っていました。でも、いいのですか?」
「いいに決まってるじゃん。毎日毎日つらいことばかりでさ、どこか遠いところに行きてえ、解放されてえってずっと思ってたよ。俺がいなくなっても悲しむ人はいない……誰も俺を認めてくれねえこんな世界とはソッコーでおさらばだ。ささ、行こうぜ」
「……はい!」
女の子が何やら唱えると、床の穴が急速に広がって同僚と女の子を飲み込み、それからあっという間に塞がった。
「嘘だろ……」
最近ずっと、仕事しているときも俺とサシで飲んでいるときも死んだ魚のような目をしていた同僚が、嘘のように生き生きした顔をしていた。あんな顔を見たのは入社式以来かもしれない。
「 」
同僚の名を呼ぶ。確かに発音したはずなのに、俺の口はぱくぱくと声にならぬ音を形作っただけだった。
俺がいなくなっても悲しむ人はいない、だと。
「ふざけるなよ……」
大学入学時から馬が合い、一緒に課題をしたり、実習に行ったり、気になる奴の話をしたり、地獄のレポートを乗り越えたり、泣いたり笑ったりしながら俺たちはここまで来た。
戦友だと思っていた。大事な友人だと。そんな奴がいなくなったら、悲しいに決まっている。そう言ってやりたかった。
「 」
必死で口を動かすが、声にならない。
おかしい。あいつはなんて名前だったっけ。
「ただいまー、組合お疲れさま!」
「あ……お疲れさまです」
上司だ。
「ごめんねー、一人で行かせちゃって。私も管理職になっちゃったからねえ。ほんとはチームから二人くらい出席してもらいたいところなんだけど、決まりは決まりだから」
「一人で……」
「ん? この机の上のカップ麺は君の?」
上司がカップ麺を指しながら聞く。
「いえ……」
俺は首を横に振った。
「おかしいな。君のじゃなければ誰かが勝手に?」
「それは」
『 』の。
わからなかった。このカップ麺は誰のものだ。この机は誰のものだ。大切なことだったはずなのに、思い出せない。
「ま、君の席のものなんだから、君が片付けてね。休み時間あと10分あるから、食べてもいいし捨ててもいいし」
「はい……」
「なんか元気ないね。大丈夫?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
「じゃ、頑張って」
上司が席に戻る。
俺はカップ麺に目を戻した。
こんなところに勝手に置いていくなんて、迷惑な人もいたものだ。ここは俺の席、俺の席……俺の席なのに。
少しだけ、めまいがした。
カップ麺を持ち上げる。
容器はすっかり冷め、麺は伸びきっていた。
俺は給湯室に行き、それを捨てた。
深夜、家に帰ってから、あの持ち主のわからないカップ麺を捨てたことを少しだけ後悔した。
その後悔はしばらくの間、ふとした時に浮かんできて俺を苛んだが、カップ麺のことで悩んでいます、なんてとても上司に言えるわけがない。
俺はため息をついて、何か言いかけながら隣の席を見て、そこも自分の席だったことを思い出して静かに口を閉じた。
放置された机の上には書類が積み上がり、埃を被っていた。
(おわり)
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