短編小説

「え、行かない?」
 そう聞き返す友人Fの顔は、心底意外そうであった。
「まあお金もないし……」
「お金ないならみんなで出すぜ? そのくらいは。忘年会なんてみんな来るんだし、絶対楽しいし、行こうよ」
「いや……実はちょっとその日は予定もあって……」
「そうなの? 予定があるなら仕方ないか。何、彼女?」
「違うよ。いないから」
「怪しいな~。まあ、うまくいくようみんなで祈っててやるよ。Uに彼女疑惑。大きなネタになりそうだ……!」
 愉快そうに笑いながら、Fは離れていった。
 俺はこっそりため息をついた。
 お金にそう困っているわけでもないし、何より忘年会の日に予定などなかった。なんとなく、行くのが億劫だっただけだ。
 気心が知れた、というほどではないが、忘年会に行くメンバー、俺が属する文芸部のメンバーの顔は全員知っているし、苦手な奴がいるわけでもない。ただ何となく、行くのが嫌だった。
 大勢が集まる場というだけで尻込みしてしまうのだ。
 三人くらいで話すならまだいい。集団となると、皆、人が変わってしまう。
 何かを馬鹿にしてみたり、いない人の悪口を言ったり、創作についてのこだわりを徒党を組んで話し合い、反対の立場の人を否定してみたり。
 少人数で話しているときは皆温厚で、相手を傷つけるようなことはしないのに、何人か集まった瞬間に変わってしまう。
 そういった雰囲気が苦手で避け始めてから、部活動終了後に皆で食堂に行く流れからも、その後誰かの家に飲み会と称してなだれ込む流れからも、俺はいつの間にか外れてしまった。
 忘年会くらいは、と思っていたのに、臆してしまってこのざまだ。
 でもまあ、嫌なら休んでもいいか。無理に行くことはない。
 その時はそう思っていた。

◆◆◆

 忘年会当日。
「なあU、本当に行かないのか? もう予定は終わったんだろ?」
「え?」
「ヒウィッターで今日の予定は終了、とか言ってたじゃないか。日中に終わる予定ってことは彼女じゃなかったのか。残念だな!」
 しまった。うっかりしていた。公開SNSに己の予定など書きこんでしまった自分に腹が立つ。
「それでどうなんだ? 行くのか? 疲れてるかもしれないが、行ったら全部吹っ飛ぶぜ!」
「ええと……」
「ま、行こうぜ。会費は俺がおごってやるから。行ったら絶対楽しいし、お前の好きなフライドポテトもいっぱい食べられるぜ?」
「フライドポテト……」
 行ったら絶対楽しい……そうかもしれない。集団で皆が変わってしまうことは怖いが、最近行っていないし、いつもそうだとは限らない。今日は忘年会なのだ。何かを否定するような嫌な話題で盛り上がるような場ではない。
 そして、俺はポテトが好きだった。
「そうだな、行くよ」
「決まりだな! じゃ、出発だ! 正門前に集合ってことになってるんだ、一緒に行こうぜ」
「おう」
 行くと決めると、不思議と気分が上向きになった。
 俺とFは連れ立って集合場所に向かった。



「U! 久しぶりだな!」
 正門前には他のメンバーと一緒に、同期部員のGもいた。
 Gは本活動自体にはあまり来ず、部活後の食堂や飲み会にだけ来る部員だ。そのため、俺が部の本活動のみに出席するようになってからはしばらく会っていなかった。
「最近食堂とかあまり来てないが、勉強忙しいのか? お前の学部、実習がキツいって聞くし。レポートいっぱいあるんだろ?」
「ああ、まあ……そこそこ」
「スゲーな、よくやるぜ。いやあ、毎日遊んでる俺とは出来が違いますな」
「ハハ……」
 俺は笑って誤魔化した。実習は毎週あったが他にもっときつい学部はあるし、俺個人としてもそこまで重くは感じていなかった。ほぼ毎授業ごとに課されるレポートや課題もだいたい授業中に終わるか、終わらずとも、友人らとわからない箇所を教え合いながら取り組めば数時間で終わるものだった。卑下されてまで持ち上げられるような大変さではない。
 そんなことをわざわざ説明すると、Gに引かれそうで怖かった。だから、笑って流したのだ。
 居酒屋に向かう道中、Fも交えたGとの話は盛り上がっていったが、俺の心の中には先ほど飲み込んだ説明がもやもや溜まったままだった。



「みなさん、今年はお疲れさまでした。よく書き、よく読み、よく批評した。色々気付くところのあった人も多いと思います。お互いの作品の問題点を指摘し合うことが品評会の目的なのはみなさんわかっていると思います。楽しいのはわかりますが、食堂だけでなく、本活動にもきちんと参加するように。……堅いことは抜きにして、この調子で春の原稿もじゃんじゃん提出してください。もちろん締め切りは忘れずに! それでは、乾杯!」
 乾杯、と一同。
 部長挨拶が終わり、忘年会が始まった。
「別にいいよな、食堂と飲み会だけでも。正直、品評会って堅苦しいんだよな~」
「それはありますね」
 Gの言葉に後輩Sが賛同してみせる。
「誤字脱字や文法間違いの指摘をしてくれるのはいいんですけど、そんなことばっかり気にしてちゃ何も書けませんよ」
「だよな~! 自由に書いてこその芸術って感じする!」
 言いながら、Gはビールを飲み干した。
「どうぞ、先輩」
 後輩Sがすかさず次のビールをグラスに注いだ。
「おっ気が利くな。できればかわいい女の子に注いでもらった方が嬉しいけどな」
「ひどいですよ先輩、僕じゃ不満なんですか」
「できればだよできれば。お前もそう思うだろ、U?」
「え? いや、ええと……」
 不意打ちで話題を振られ、俺はうろたえた。
 そんなことは考えたこともなかったので、どう答えればいいのかわからなかった。
 かわいい女の子に注いでもらった方が嬉しい? そもそも俺はビールを飲まないし、飲まないのだから女の子に注いでもらおうが男の子に注いでもらおうが同じだ。特に嬉しくもないし、手も付けない。
 しかし、そんなことを言えば場の空気を壊してしまうだろう。
 何と答えたらいいものか迷い、俺は黙り込む。
 と、
「硬派なUには高度な話題でしたかね~。Fはどうだ?」
「俺はもちろんだよ、かわいいは正義」
「だよな~! 話がわかる! 今夜は飲もうぜ!」
 GはFと勝手に盛り上がり、乾杯し出した。
「U先輩、気を落とさずに。僕は先輩の味方ですよ」
 後輩Sは小声で囁くと、料理を小皿に取り分け始めた。
 俺は勝手に大皿からフライドポテトを取って口に入れた。
 皆、色々適当なことを言う。いちいち考えていては言葉が間に合わない。俺も何か適当なことを言った方がいいのだろうか。しかし、適当なことというものはどういう風にすれば言えるものなのだろう?
 もぐもぐとポテトを咀嚼する。形にならぬ思考がぐるぐると回る。俺はもう一本ポテトを取る。くわえる。押し込む。咀嚼する。
「せーんぱいっ」
「うおっ」
 いきなり肩を叩かれ、びっくりしてくぐもった声が出た。
 恐る恐る横を向くと、後輩のJがいた。
「Jさんだったか」
「Jちゃんでいいですよ~、堅いですね先輩は。どうしたんですか? なんだか上の空ですけど」
「ああ……何でもないよ。ちょっと考え事をね」
「え~何ですか? 聞かせてください」
「いや……」
 俺は言葉を濁す。
「どうすれば適当な話ができるのかわからない」なんて、忘年会で言うような話ではない。
「適当な」という表現もよくない。他の部員たちのことを馬鹿にしているように思われてしまうかもしれない。そんな風に思われては、今後の俺の立場が危うい。
「他人に言えないような話なんですか~? エロいこととか!」
「違うよ……えーと、その、……右横ずれ断層と左横ずれ断層って考えてるとどっちがどっちがわからなくなるよなって考えてたんだ」
「は?」
「あ、授業の話だよ!」
「こんな時にまで授業の話ですか? 先輩ってほんと、真面目ですね~」
 苦笑された。呆れられただろうか。何か言わなければいけないと思いすぎて、脳のすぐにアクセスできるところにあったらしき疑問を口に出してしまった。
「なんでそんなに勉強が好きなんですか?」
 笑っていた彼女がふと、意外な質問をした。
「え?」
「いや、勉強好きなのすごいと思って。普通できませんよ、こんな時にまで勉強のこと考えるなんて。先輩はすごいです」
「ああ……」
「これからも頑張ってくださいね!」
「ありが……」
「おっJちゃんじゃん」
 Fと話していたGが後輩Jに気付いたようで、片手を上げて手招きした。
「そんなとこで話してないでこっち来なよ~。Uは堅物なんだからJちゃんはもったいないよ」
「G先輩ひどーい。友達じゃないんですか?」
 笑いながら後輩Jが言う。
「友達だから心配して言ってるんじゃないか。U、お前はもっと女の子に興味を持った方がいいぞ」
 Gは一瞬真顔になってそう言った。
「ああ、まあ、そのうち……」
「そのうち、じゃない。俺たちは健全な男なんだぞ。もっと興味を示さないと、勘違いされるだろ」
「勘違い?」
「まさか、お前本当に男に興味があるのか?」
「ないけど……」
「けど?」
「男だろうが女だろうが、どうでもいいんだよ」
「両方興味があるってことか?」
「違うよ……両方興味がないんだ」
「ああわかった。お前は女を知らないだけだな。知らないからそんなことが言えるんだ。勉強ばっかしてないで、俺みたいにもっと遊ぶべきだよ。そうだ、今度一緒に駅前行こうぜ。俺が遊びを教えてやるよ」
「いや、いいよ……」
「遠慮するなよ! お前このままじゃ絶対駄目になるぜ」
 完全に絡み酒だ。Gは悪い奴ではないのだが、酒を飲むと人に絡む癖があり、それが大変面倒なのだ。
「ほら、携帯出せ。予定入れとけよ」
「いいってば」
「つべこべ言うなよ」
「だから……」
「おい、G」
 それまで黙っていたFが声を上げた。
「やめろよ。Uが嫌がってるだろ」
「そうなのか?」
 Gはきょとんとしてこちらを見る。
「嫌がってはないよ、ただ特にそこには行きたくないってだけで……」
「それを嫌がってるって言うんだよ。ほら、G、俺が相手してやるから。梅酒もあるぞ」
「梅酒、私も飲みたーい。F先輩、注いでくれますか?」
「いいよ、こっちにおいで。おい、G」
「わかったよ」
 Gはしぶしぶ引き下がった。
 ……助かった。
 俺は再びポテトに手を伸ばす。
「ない」
 ポテトはもう数本しか残っていなかった。
 仕方ない、別のテーブルからもらってくるか。



「つまんない小説ってほんとつまんないよな~」
「わかる、芥川賞はクソ」
「もっとエンタメ要素がないと現代社会じゃウケないよな~みんな疲れてるんだし」
「そうそう!」
 盛り上がる人々の隣で、小皿にポテトを盛る。
 このテーブルは料理が結構余っていた。ポテトも山盛りになっている。
 こんなに余っているのだから、少しくらいもらってもいいだろう。
 そう考えて、俺はトングでポテトを盛っていた。
 人々は話に夢中で俺に気付かない。盛れるだけ盛って、俺はそっと場を離れた。
 隅っこの壁にもたれてポテトを口に入れる。
 この店のポテトは少々しょっぱかったが、よく揚がっていていて食感がいい。そこがグッドポイントだな。くわえたポテトをゆらゆらさせながら俺はそう思った。
 壁際の俺に気付く者は今のところいない。
 先ほど寄ったテーブルも、元いたテーブルも大いに盛り上がっていた。時折、わはは、と笑う声がする。
「おいしいなあ……」
 一気に食べたくなる気持ちを我慢して、一本ずつ口に入れる。
 全部食べてしまうと、また取りにいかなければならない。取りにいくには、人の中に入らなければいけない。それが億劫なので、今あるものを大事に食べるのだ。



 ポテトが湿気り始めたころ、部長が終わりの挨拶を始めた。
 最後のポテトを口にくわえながらそれを聞く。始まる時の挨拶は頭に入ったのに、終わりの挨拶は全く頭に入ってこない。アルコールの類は一切飲んでいないのに、どうしてだろう。
「……では、解散!」
 部長がぱん、と手を叩き、部員たちがぱらぱらと立ち上がり始める。
 ポケットに入れていた未開封のおしぼりを出して指を拭き、俺も立ち上がった。
 二次会の相談をする皆の横からお皿をそっとテーブルに置き、コートを羽織る。
 帰ろうとして、そうだ、挨拶を忘れてはいけないと思った。
「……お疲れ」
 ぼそりと言うと、外に出る。誰からも返事はなかった。

 冷えた外気が俺を迎える。街灯に照らされた道路をうっすらと白いものが覆っている。
「あ……」
 雪が、積もっていた。
 見上げると、空からもちらほらと降ってきている。
 雪片は強い風にあおられ、右へ左へ舞いながら地面に落ちる。

 折り畳み傘を出すのが面倒で、俺はコートのポケットに手を突っ込んで歩きながら帰った。



 それから俺は二日間ほど寝込んでしまった。
 誰が悪いわけでもない、俺が悪いのだ。行かないと決めていたのを直前で翻した俺が一番馬鹿だった。
 適当な話ができない。世の「普通」がわからない。そういうところが俺にはあるのかもしれない。
 甘えているだけかもしれない。
 努力が足りないだけで、もっと頑張れば「普通」になれるのかもしれない。
 わからない。
 頑張れば「普通」になれるかどうか、それすらわからない。
 頑張っても「普通」になれないんだったら、ただの頑張り損じゃないか。
 いや、しかし、俺はこれまで充分周囲に馴染む努力をしてきたのではなかったか?
 そうかもしれない。
 違うかもしれない。
 俺の努力は世間じゃ努力とは言わないのかもしれない。
 ということはやはり、努力が足りないのかもしれない。
 わからない。

 そんなことをぐるぐる考えながら、眠ったり夢を見たりまた眠ったり。
 締め切りが近い課題があるのに、ちっとも進められなかった。
 散々だ。
 俺は布団に深く潜った。



 永遠に続くかのような夢の中で、俺はポテトを食べていた。
 塩加減も揚げ具合も絶妙で、まさに理想のポテトであった。
 最後の一本を口に入れようとした瞬間、俺の目は覚めてしまった。
「ポテト……」
 布団の中は、薄暗い闇だった。



(おわり)
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