短編小説
「元気か?」
「元気です」
と答える。たまたま出会った同学年のFの態度は珍しく朗らかで、これから学食へ行かないかと誘われた。
これまでFから誘われるなんてことは一度もなかったのに、どういう風の吹き回しだろうか。
「なぜ一緒に学食へ?」
「どうしたもこうしたもないよ。友達だろ。で、行くのか? 行かないのか?」
「特別講義があるんですよ。すみませんけど」
僕は口早に言って、廊下を曲がった。
「なんで敬語なんだ? おい待てって」
そう言いながら、Fも廊下を曲がって着いてきた。
昼休みということもあり、旧館に続く廊下には全く人気がない。
急がなければ間に合わない。僕は歩くスピードを上げた。
Fは首を捻りながらううむ、と言う。
「付き合いが悪いのは……アブダクションされたせいか?」
僕は思わず立ち止まった。
「何ですかそれ?」
「ほらこの前俺と歩いてるときUFOが来ただろ。それにお前が吸い込まれて……」
ふん、と鼻で笑ってみせる。
「何を馬鹿なことを」
「誤魔化すなよ。俺はちゃんと見て……うわっ」
突如、Fの姿が消失した。ように見えた。
僕は慌てた。
「F? どこに行ったんです?」
辺りを見渡すとG-2講義室の扉が僅かに開いていて、そこからハエトリソウの補虫機構めいたものがのぞいていた。
補虫機構めいたものは閉じていて、中に何か入っている感じがした。僕は直感した。Fだ。
「ちょっと、やめてください」
『誰にも見られていなかったと言ったのでは? この地球人は処理対象に入る』
補虫機構の背後から声がする。僕の上司の声だった。
異星調査委員会・地球部門。
僕はそこの調査員をやっている。地球人ではない、ということだ。
補虫機構はがっちりと閉じている。早く解放してもらわなければ、Fが窒息してしまうかもしれない。
「記憶処理なら僕にもできます」
上司に一歩近づく。
「だから、乱暴な真似はやめてください」
はて? と上司が言った。
『君は命令できるような立場だったか?』
「いえ……」
後ずさりそうになったが、こらえる。なんとか反論しなければ。
「でも僕が潜入文化調査をやめてしまったら、あなたたちは困るでしょう?」
『君は思い違いをしているようだな』
上司は自分から伸びているツタを振ってみせる。
「思い違い?」
『そうだ。我々が君と君の妹を使っているのはひとえに経費削減のためでしかない。時間さえかければ人員などいくらでも補充できるのだから』
「しかし……」
『君達の親が犯した逃亡罪は重罪、それを就役で軽くしてやっているのだ。本来はいつ処分されてもおかしくはない……それとも今ここで処分されたいか?』
過去の、しかも重い問題を持ち出されてしまった。その上僕の処分にまで話が行くとは。どうすればいいんだ。頭がくらくらしてきた。
双方とも何も喋らないが、僕が劣勢であることは明らかだ。
永遠に続くかと思われた重い沈黙は、補虫機構の中からした声によって破られた。
「まあ待てよ」
Fの声だった。がっちりと閉じた補虫機構の中は呼吸もしづらいだろうに、その声には張りがあった。
『ほう、意外に耐久性があるな。サンプルとして持ち帰ることも検討せねば』
「俺じゃ役に立たないぜ。それに持ち帰ったりしたら国際問題だ」
『何を馬鹿な。地球政府は我々の存在を感知していない。従って、問題になりようがない』
「いやいや。よく見てくれよ」
補虫機構の隙間から、紫色の粘液が漏れ出す。
僕は状況が理解できず、上司とどろどろの粘液を交互に眺めた。そうこうしている間にも粘液はどろどろと出続け、一つにまとまって人型になった。
上司が人型を睨みつけながら口を開く。
『貴様……ミジー星人だな』
「当たり。俺もそろそろ擬態に自信持っていい頃かな」
ミジー星人……聞いたことがある。なんでもスライム状の身体を持ち、見た目を自由自在に操れるとか。彼らも地球の調査に乗り出していたのか。確かミジー星は僕の母星とも正式な交流があったはずだ。
『貴様らと事を構えるつもりはない。手荒な手段を取ったのは故意ではなかった』
抑揚のない声で上司が言い、補虫機構が講義室にゆっくりと引き戻される。
「わかってるよ。地球人だと思ってたんだろ」
Fが右手と思わしき部位をぺたぺたと振った。
『わかってくれるなら何よりだ。友情に感謝する。……では、失礼』
補虫機構は完全に室内に引き込まれ、講義室の扉が閉まった。
鍵のかかる音がする。
ふう、とFが息らしきものを吐いた。ぷよっとした人型の表面が波打ち、Fの姿はあっという間に地球人の姿へと戻る。
「……あれは本部に報告すると思いますよ」
「いいんだよ。そんなことより、さっさとしないと特別講義に遅れるぞ」
「いやそれはですね……」
僕は言いよどむ。
「ああ、俺を守るための方便だったとかか?」
「いやそういうわけでは……いやそういう理由もあるんですが、一番は定期報告を控えてたからですね……」
そこの部屋で報告する予定だったんです、と言って僕はG-2講義室を指さす。
「上司はたぶん今対応中なので聞こえてないと思いますが、一応場所を変えましょう」
「おう。じゃあ食堂でも行くか」
「それだと他の人に聞かれないですか?」
「情報偽装するから大丈夫だよ。というか、お前はできないのか、情報偽装。お前のとこの奴はできたと思ってたが」
「それが僕……」
言いかけて、言うか言わぬか迷った。が、言いかけておいて途中でやめるのも失礼だと思い、続ける。
「それが僕、生まれてからずっと地球人として育てられたんです。自分が異星人だって知らされたのは最近になってからなんですよ。その上、知らされてすぐにこの任務に就いたもので、本星で教育とかも受けてないんです。一応これだけは重要ということで記憶処理だけはでできるんですけどね……つまり、僕はほぼ地球人にできることしかできないんです」
行きましょう、と促す。Fはそれに応じ、僕たちは並んで歩きだした。
「地球人にできることしかできないのに調査員を任されてるのか? 不便じゃないか? いくら経費削減のためとはいえ、お前のところの事情はよくわからんな」
Fは自分の頭の後ろで手を組んだ。
「育成する時間が惜しい、と言われましたね。地球調査計画を早急に進めたい勢力がいるらしいんですよ」
「ふうん……」
しばらく宙を見つめていたFだったが、
「まあ、」
ぱん、と手を叩いてこちらを向く。
「積もる話は食堂で聞かせてもらうとするか。晴れて正体も明かし合ったことだしな」
機嫌よさそうに言葉を続けるF。
「地球人じゃない者同士、仲良くしようぜ」
言いながら、こちらに手を差し出してきた。
僕は戸惑った。
「えーとつまり、Fもその、ミジー星の調査員ってことでいいんですよね」
「ああ」
「それで、性格もそっちの明るい方が素なんですか?」
「そうだ」
手を差し出したまま、F。
「地球人じゃない者同士だからな、素を出しても問題ないと判断した」
「それにしたって性格が変わりすぎじゃないですかね……」
以前のFはどちらかというと無口で、常に敬語だったし、控えめで自己主張をするような性格ではなかった。それがこの、なんだろう……コミュニケーション得意ですみたいなFは。
「人には多面性がある。お前の見てた俺だけが俺なわけじゃないさ……お前は敬語が素なのか?」
「いえ……学友の性格が変わって戸惑っているというか……僕も敬語の方が楽というか……」
僕はFと少しだけ握手し、すぐに手を引っ込めた。
「……まあ、そのうち慣れるだろ」
Fも手をなおす。
「そうだ、昼食食ったらカフェ行こうぜ。ベリーベリーパフェおごってやるから」
「いいですね、行こうかな……」
「そうでなくっちゃ」
外に通じる扉を開けると、むわっとした外気が僕たちを迎えた。
「暑いな。俺もアイスクリームサンデー食べるよ」
「アイスクリームサンデー」
普段、僕とFは二人でカフェに行って課題をすることが多かった。その際、Fはいつもアイスクリームサンデーを頼んでいた。
そんなところは前のFのままなんだな、と僕は思った。
「おごり合いとかはしませんからね」
それを聞いたFは愉快そうに笑った。
「敬語でも遠慮とかはないのな、お前」
「まあ……Fですからねやっぱり」
「ハハ……」
Fはひとしきり笑ったあと、ありがとなと言った。
「いえ。僕の方こそ……ありがたい」
僕はもごもご呟いた。
「お前が礼を言う必要はないだろー」
「まあ助けてもらったので。あの時僕を処分する方向になってもおかしくはなかったですから」
「あそこから出なきゃならなかったからな。出どきだったんだよ」
お礼を真っすぐには受け取ってくれない辺りも以前の控えめなFらしいなと思った。じゃあやっぱり完全に変わってしまったわけではないのか。
「ふふ」
「笑うなよ」
「Fも笑ってたじゃないか」
「あ、敬語……」
Fが目を丸くする。
ヒグラシが鳴いていた。
「元気です」
と答える。たまたま出会った同学年のFの態度は珍しく朗らかで、これから学食へ行かないかと誘われた。
これまでFから誘われるなんてことは一度もなかったのに、どういう風の吹き回しだろうか。
「なぜ一緒に学食へ?」
「どうしたもこうしたもないよ。友達だろ。で、行くのか? 行かないのか?」
「特別講義があるんですよ。すみませんけど」
僕は口早に言って、廊下を曲がった。
「なんで敬語なんだ? おい待てって」
そう言いながら、Fも廊下を曲がって着いてきた。
昼休みということもあり、旧館に続く廊下には全く人気がない。
急がなければ間に合わない。僕は歩くスピードを上げた。
Fは首を捻りながらううむ、と言う。
「付き合いが悪いのは……アブダクションされたせいか?」
僕は思わず立ち止まった。
「何ですかそれ?」
「ほらこの前俺と歩いてるときUFOが来ただろ。それにお前が吸い込まれて……」
ふん、と鼻で笑ってみせる。
「何を馬鹿なことを」
「誤魔化すなよ。俺はちゃんと見て……うわっ」
突如、Fの姿が消失した。ように見えた。
僕は慌てた。
「F? どこに行ったんです?」
辺りを見渡すとG-2講義室の扉が僅かに開いていて、そこからハエトリソウの補虫機構めいたものがのぞいていた。
補虫機構めいたものは閉じていて、中に何か入っている感じがした。僕は直感した。Fだ。
「ちょっと、やめてください」
『誰にも見られていなかったと言ったのでは? この地球人は処理対象に入る』
補虫機構の背後から声がする。僕の上司の声だった。
異星調査委員会・地球部門。
僕はそこの調査員をやっている。地球人ではない、ということだ。
補虫機構はがっちりと閉じている。早く解放してもらわなければ、Fが窒息してしまうかもしれない。
「記憶処理なら僕にもできます」
上司に一歩近づく。
「だから、乱暴な真似はやめてください」
はて? と上司が言った。
『君は命令できるような立場だったか?』
「いえ……」
後ずさりそうになったが、こらえる。なんとか反論しなければ。
「でも僕が潜入文化調査をやめてしまったら、あなたたちは困るでしょう?」
『君は思い違いをしているようだな』
上司は自分から伸びているツタを振ってみせる。
「思い違い?」
『そうだ。我々が君と君の妹を使っているのはひとえに経費削減のためでしかない。時間さえかければ人員などいくらでも補充できるのだから』
「しかし……」
『君達の親が犯した逃亡罪は重罪、それを就役で軽くしてやっているのだ。本来はいつ処分されてもおかしくはない……それとも今ここで処分されたいか?』
過去の、しかも重い問題を持ち出されてしまった。その上僕の処分にまで話が行くとは。どうすればいいんだ。頭がくらくらしてきた。
双方とも何も喋らないが、僕が劣勢であることは明らかだ。
永遠に続くかと思われた重い沈黙は、補虫機構の中からした声によって破られた。
「まあ待てよ」
Fの声だった。がっちりと閉じた補虫機構の中は呼吸もしづらいだろうに、その声には張りがあった。
『ほう、意外に耐久性があるな。サンプルとして持ち帰ることも検討せねば』
「俺じゃ役に立たないぜ。それに持ち帰ったりしたら国際問題だ」
『何を馬鹿な。地球政府は我々の存在を感知していない。従って、問題になりようがない』
「いやいや。よく見てくれよ」
補虫機構の隙間から、紫色の粘液が漏れ出す。
僕は状況が理解できず、上司とどろどろの粘液を交互に眺めた。そうこうしている間にも粘液はどろどろと出続け、一つにまとまって人型になった。
上司が人型を睨みつけながら口を開く。
『貴様……ミジー星人だな』
「当たり。俺もそろそろ擬態に自信持っていい頃かな」
ミジー星人……聞いたことがある。なんでもスライム状の身体を持ち、見た目を自由自在に操れるとか。彼らも地球の調査に乗り出していたのか。確かミジー星は僕の母星とも正式な交流があったはずだ。
『貴様らと事を構えるつもりはない。手荒な手段を取ったのは故意ではなかった』
抑揚のない声で上司が言い、補虫機構が講義室にゆっくりと引き戻される。
「わかってるよ。地球人だと思ってたんだろ」
Fが右手と思わしき部位をぺたぺたと振った。
『わかってくれるなら何よりだ。友情に感謝する。……では、失礼』
補虫機構は完全に室内に引き込まれ、講義室の扉が閉まった。
鍵のかかる音がする。
ふう、とFが息らしきものを吐いた。ぷよっとした人型の表面が波打ち、Fの姿はあっという間に地球人の姿へと戻る。
「……あれは本部に報告すると思いますよ」
「いいんだよ。そんなことより、さっさとしないと特別講義に遅れるぞ」
「いやそれはですね……」
僕は言いよどむ。
「ああ、俺を守るための方便だったとかか?」
「いやそういうわけでは……いやそういう理由もあるんですが、一番は定期報告を控えてたからですね……」
そこの部屋で報告する予定だったんです、と言って僕はG-2講義室を指さす。
「上司はたぶん今対応中なので聞こえてないと思いますが、一応場所を変えましょう」
「おう。じゃあ食堂でも行くか」
「それだと他の人に聞かれないですか?」
「情報偽装するから大丈夫だよ。というか、お前はできないのか、情報偽装。お前のとこの奴はできたと思ってたが」
「それが僕……」
言いかけて、言うか言わぬか迷った。が、言いかけておいて途中でやめるのも失礼だと思い、続ける。
「それが僕、生まれてからずっと地球人として育てられたんです。自分が異星人だって知らされたのは最近になってからなんですよ。その上、知らされてすぐにこの任務に就いたもので、本星で教育とかも受けてないんです。一応これだけは重要ということで記憶処理だけはでできるんですけどね……つまり、僕はほぼ地球人にできることしかできないんです」
行きましょう、と促す。Fはそれに応じ、僕たちは並んで歩きだした。
「地球人にできることしかできないのに調査員を任されてるのか? 不便じゃないか? いくら経費削減のためとはいえ、お前のところの事情はよくわからんな」
Fは自分の頭の後ろで手を組んだ。
「育成する時間が惜しい、と言われましたね。地球調査計画を早急に進めたい勢力がいるらしいんですよ」
「ふうん……」
しばらく宙を見つめていたFだったが、
「まあ、」
ぱん、と手を叩いてこちらを向く。
「積もる話は食堂で聞かせてもらうとするか。晴れて正体も明かし合ったことだしな」
機嫌よさそうに言葉を続けるF。
「地球人じゃない者同士、仲良くしようぜ」
言いながら、こちらに手を差し出してきた。
僕は戸惑った。
「えーとつまり、Fもその、ミジー星の調査員ってことでいいんですよね」
「ああ」
「それで、性格もそっちの明るい方が素なんですか?」
「そうだ」
手を差し出したまま、F。
「地球人じゃない者同士だからな、素を出しても問題ないと判断した」
「それにしたって性格が変わりすぎじゃないですかね……」
以前のFはどちらかというと無口で、常に敬語だったし、控えめで自己主張をするような性格ではなかった。それがこの、なんだろう……コミュニケーション得意ですみたいなFは。
「人には多面性がある。お前の見てた俺だけが俺なわけじゃないさ……お前は敬語が素なのか?」
「いえ……学友の性格が変わって戸惑っているというか……僕も敬語の方が楽というか……」
僕はFと少しだけ握手し、すぐに手を引っ込めた。
「……まあ、そのうち慣れるだろ」
Fも手をなおす。
「そうだ、昼食食ったらカフェ行こうぜ。ベリーベリーパフェおごってやるから」
「いいですね、行こうかな……」
「そうでなくっちゃ」
外に通じる扉を開けると、むわっとした外気が僕たちを迎えた。
「暑いな。俺もアイスクリームサンデー食べるよ」
「アイスクリームサンデー」
普段、僕とFは二人でカフェに行って課題をすることが多かった。その際、Fはいつもアイスクリームサンデーを頼んでいた。
そんなところは前のFのままなんだな、と僕は思った。
「おごり合いとかはしませんからね」
それを聞いたFは愉快そうに笑った。
「敬語でも遠慮とかはないのな、お前」
「まあ……Fですからねやっぱり」
「ハハ……」
Fはひとしきり笑ったあと、ありがとなと言った。
「いえ。僕の方こそ……ありがたい」
僕はもごもご呟いた。
「お前が礼を言う必要はないだろー」
「まあ助けてもらったので。あの時僕を処分する方向になってもおかしくはなかったですから」
「あそこから出なきゃならなかったからな。出どきだったんだよ」
お礼を真っすぐには受け取ってくれない辺りも以前の控えめなFらしいなと思った。じゃあやっぱり完全に変わってしまったわけではないのか。
「ふふ」
「笑うなよ」
「Fも笑ってたじゃないか」
「あ、敬語……」
Fが目を丸くする。
ヒグラシが鳴いていた。
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