短編小説

 うなされて、目が醒めた。
『四時ですか、五時ですか?』
 そんな声が、耳の奥に残っている。
『四時ですか、五時ですか?』
21時。起きるには遅く、寝るには早すぎる時刻だ。俺は風邪をこじらせ、貴重な土日を全て睡眠に費やしていた。今は日曜日。体調はそこそこまで回復し、この分だと月曜から普段通りの生活に戻れそうだ。
 この時間だと、明日の準備をしているうちに寝る時間になるだろう。何か食べて、薬を飲んで、明日の準備をしたら寝ることにしよう。
 風邪にはおじやだろうと信じ込んでいる俺は、冷蔵庫に残っていた白米を鍋につっこみ昆布やらみりんやらを入れてぐつぐつ煮始めた。
 ぼんやりと明日のことなどを考える。現場見学に行く、と言っていたな。汚れてもいいような、普段の調査着のようなもので来い、とも。
 俺は車を持っていないので、現場までは人の車に乗せてもらうことになる。昼食後、現場を見て、帰還する。予定時刻は
『四時ですか? 五時ですか?』
「うおっ」
 俺は鍋をひっくり返しそうになった。危ない。持ち手から手を離し、そろりと辺りを見渡す。見渡す、と言ってもここは一人暮らしの部屋のキッチンだ。狭いそこには俺と調理器具以外、なにもない。
 幻聴。夢のあの言葉だ。目覚める前に言われたということは覚えている。低い声で、囁くように。その言葉だけが印象に残っていて、肝心の夢自体についてはほとんど覚えていなかった。何かを失くす前に間に合わなければいけないと急いでいたことだけは覚えている。
「四時か五時か、か……」
 明日の帰還予定時刻は16時だ。熱にうなされる中、そんなにも現場見学のことが気になっていたのだろうか。夢に見るほどに?
 鍋に目を戻すと、おじやが沸騰していた。火を止め、といておいた玉子を混ぜ入れる。
「これでよし、と」
器を出してきて、お玉でおじやをよそった。
 明日からは普段通りの日々だ。
『本当に?』
 重ねるように残響が響いた。それに気づかぬふりをして、俺はおじやを食いきった。


  (おわり)
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