短編小説

「赤はあかん、白にしろ。くやしかったら、池にいけ」
「ひ、ひどいや。どうしてそんなこと言うの」
 時は運動会の前日であった。赤組のヒロシは、自分にかけられた理由のない罵詈雑言に、くやしさで身を震わせた。
「ケンくんは白組だから、赤組に勝ってほしくないから、そんなこと言うんでしょ」
 白組のケンはにやりと笑い、グラウンドの土を運動靴で蹴った。
「はん、言い返す言葉もないんか。そんなやから、赤はあかんねや」
「そんなことないよ、ええと、白はうしろ」
「あほか。運動会の日は、赤組が右側、白組左側にならぶんや。そんなことも知らへんのかよ」
「ケンくんなんか、最悪だっ」
 ヒロシはケンに背中を向けて、校舎に向かってダッシュした。後ろから、なあもう帰る時間やろと呼び止める声が聞こえたが、ヒロシはそれを無視した。
 体育館裏で、ヒロシはランドセルを放り出した。地面に座り込み、三角座りでため息をつく。
「明日は絶対赤が勝たなあかんのになあ」
 目の前40センチ先には、学校周りをぐるりと囲っている溝。高い壁がそこに影をつくっている。ヒロシはぼうっとコンクリートの壁を見つめた。
 ヒロシは唇を一文字にして、眉を寄せた。ヒロシの複雑な心中とは何の関係もなく、さわやかな風が、体育館側に生えている木々の葉っぱを揺らす。風に吹かれて、放り出したランドセルがかさりと音をたてた。
「そうだ」
 ヒロシはぱっと立ち上がった。そして、すばやく溝をのぞきこむ。
「出てこいざりが、って、うわ、汚い」
 溝の中にたまった水には膜が張っていて、虹色に光っていた。
「なにこれ。ごま油かな」
「その通り」
「うわっ」
 突然耳元で聞こえた声に驚いて、ヒロシはぱっと横を見た。すぐ横に、白衣の人物が立っていた。
「きみは勘のいい子ですね。その通り、これはごま油です」
「ごま油なんですか」
「このごま油は回転怪獣バネゴンの開発途中に漏れだしたものです」
「あなた、そんなこと僕にしゃべっちゃっていいんですか」
 ヒロシが丁寧にきくと、白衣の人物はにっこり笑った。
「きみがこれを内緒にしていてくれれば、当組織はきみのためになにかをしてあげましょう」
 なにかってなに、とヒロシがきいたときにはもう白衣の人物はいなくなっていて、人物がいた場所には落ち葉が舞っているだけだった。

 運動会当日。開会式の間、参加者は当たり前のように私語をする。
「今日も晴れてよかったなあ」
「ほんまやな……」
 楽しそうな表情のヒロシとは対照的に、白組の列に並んでいるケンは浮かない顔をしている。
「ん、どうしたんケンくん」
「なんか今日ケンくん暗いで、どうしたん」
 口々に心配されたケンは、自分を悩ませていた疑問を口にした。
「なんで、白が後ろの列なんや」
 その年の運動会は白組が四年ぶりに敗北、赤組は四年ぶりの優勝旗を手にした。

 運動会終了後、空っぽになった校庭を後にして、ヒロシは体育館裏の溝に行ってみた。
「ざりがに」
 溝の中にたまった水はいつものようににごっていたが、ごま油の虹色はどこにも見あたらない。赤いざりがにだけが一匹、ゆうゆうと泳いでいた。

  [完]
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