短編小説

「本買った」
「何の本?」
「果物ナイフたちのローラン戦記(下)」
「へえ、下巻なのか」
「一巻で完結すると勘違いして買ったら下巻だった」
「それは悲しいな……上巻ならまだよかったものを……」
「そうなんだよ……せっかく買ったのに読まないのもどうかと思って無理矢理読もうとしたんだけど全く内容がわからなくて、かと言って上巻まで買うお金はないから詰みだよ……」
「今度の誕生日に上巻プレゼントするか?」
「いや、そこまで好きな本じゃないからいい。誕生日が勿体ない」
「好きな本じゃないならなんで買ったんだ……」
「話題になってたから……」
「悲しいな……」
「悲しい……」
 そんな会話をしながらの休憩時間、足元をサササと通り過ぎる蟹たちにはもう慣れた。
 蟹が世界に現れるようになってから数年、蟹に選ばれて人が消えるという現象が社会問題になったりもしたが、蟹社会の蟹会社の羽振りがよくて経済が上向きになると文句を言う人もいなくなってなんとなく社会は回っている。
 蟹作家が書いた本なんかも出回るようになって、友人が買った本がそれなのかどうかはわからないけど賞を取ったりもしている。
 SNSで、作家になりたきゃ選ばれろみたいなことを言ったアカウントが炎上したりもしていたけどそのアカウントは蟹に選ばれていたわけじゃなくてさらに炎上したりもした。
 何が何だかわからないがまあ面白いとは思う。選ばれたいわけじゃないけど。
「はー、月に行きたい」
「そりゃまたなんでだ」
「本の中で果物ナイフが月に行って戦うんだけど、そのシーンがまた、上巻の伏線回収か何か知らないけど全くわからなくてね。僕も実際月に行けばわかるんじゃないかと」
「いやわからないだろさすがに」
「そうかな?」
「そうだよ……」
「月には蟹がいるって言うけど、果物ナイフたちが行った月には蟹がいなかった」
「もしかして蟹反対派の書いた本なんじゃないかそれ」
「そうかもしれないけどさぁ、作家の思想傾向がどうとかいちいち気にして本買わないよ」
「俺は気にするけどなぁ」
「方向性の違いだね。まあ今の時代も蟹反対派には一定の支持層がいるし、そりゃまあって感じだけどさ」
「蟹ハンターがいなくなった今、反対派の人たちは気持ちのはけ口をなくしたしな。蟹反対派の書いた本はそういうニーズを満たすんだろうな」
「うーん、そうだね」
「面白くなさそうだな」
「だってさぁ、僕は面白い本が読めればそれでいいんだよ。思想がどうとか社会がどうとかさ……所詮物語、作り事でしかないのに」
「それ言う相手によっては喧嘩になるぞ」
「君だから言うんだよ」
「む、そうか……」
 下を向くと相変わらず蟹たちがサササと歩いている。
「踏みそうだな……」
「踏んでもすり抜けるから大丈夫」
「踏んだことあるのか」
「いっぱいいすぎて避けられなくてね……でも不幸なことにならなくてよかったよ」
「お前が選ばれるとか俺は嫌だからな」
「僕も嫌だよ」
「む、そうか……」
 そんな感じで俺たちの日常は回っているのだ。
41/190ページ
    スキ