短編小説

 七夕は終わった。
 そう、世間では。
 だが俺の部屋ではベランダでひらひらひらひら、蝶が、蝶が。
 終わった七夕の祭りをやっている。
 蝶が祭りを解するのははわからない。どういう意図でやっているのかもわからない。そもそも蝶に意図などというものが存在するのか?
 舞う蝶の軌跡が笹と短冊に見える俺も相当きているのかもだなんて、自分の正気など疑いたくない。だが蝶は舞っている。
 舞い続ける。
 どこから来たのか。蝶が卵を産めるような植物はないはず、隣人の育てている草木にでもついていたのだろうか。いや……? 俺に隣人などいただろうか。
 とまで考えて、記憶が欠落していることに気付く。
 俺は今日何をする予定だったっけ。
 昨日は何をしていたっけ。
 小さい頃のこと。学生時代。思い出せない。思い出せない。
 わかっているのは俺が俺であることと、ここ最近ずっと部屋に籠っていることだ。
 そうだ、確か感染症が流行って、部屋に籠ることが推奨されて、それから。
 それから?
 宣言は解除されたんじゃなかったか。
 何の?
 今日は蝶が舞います。
 聞いたはずのないそのニュース。
 今日はところにより、蝶と蝶と蝶が舞うでしょう。舞蝶確率は90%。蝶に気を付けてください。蝶は■■です。手を触れないよう、ご注意ください。今日はところにより……
 ぐるぐると回っている。そんなニュースを俺は聞いたか?
 俺の部屋にテレビはない。では、ラジオ? ラジオなど聞く習慣もない。では……
 蝶がそれを流したのか?
 蝶に気を付けてください。
 蝶に。
 気を付けるったって、どうやって?
 ベランダに通じる窓は閉め切られ、カーテンが引かれている。
 そうだ。
 カーテンが引かれているのにどうして、ベランダにいるはずの蝶が見えるんだ?
 舞っている。舞っている。
 七夕は終わったはずなのに、蝶が舞っている。
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