短編小説

「君は祈りたまえ」
「祈っても終わりが見えないんですよ、いくら祈ったって生活は楽にならない、お金がもらえるわけでもない」
「それでも今の状況は祈るしかあるまい? 他に何ができる?」
「祈ること以外に僕の救いはないんですか!?」
「……それこそ、蟹に選ばれるくらいであろう」
「蟹に……」
「そうだ」
「どうやって?」
「人通りの多い街角に蟹は立つという」
「探せと?」
「他に方法があるかね?」
「……」



 夕方に家を出、一番人通りの多い街の街角に来た。
 何かの宣言が明けたとかで、普段人通りの多い街の人通りはますます多い。
 僕は人混みが嫌いなのでこんな街には滅多に来ないのだが、蟹を探すためなら仕方がない。ノイズキャンセリングイヤホンをつけ、サングラスをかけて、マスクは人混み対策というよりも時節柄しないといけないので特に準備のうちには入らないができる限りの準備はして、これなら夜まで粘れると思う、たぶん。
 だが一見したところ蟹はいない。おそらく、色々な街角を探さねばいけないのだろう。
 街角って何気なく使ってる言葉だけど、そもそも街角って何だ?
 スマホを出し、検索する。
 どうやら街の曲がり角という意味の他に街中という意味もあるらしい。僕は曲がり角の方に来てしまっていたが、たぶん蟹がいるのは街中の方だろう。
 人が多い方に向かわなきゃいけないのか……すごく嫌だけど、仕方ない。
 僕は渋々街の中心部に足を向けた。
 赤いビル、青いビル、映画館。ここまで来れば立派に街角だろう。
 さあ蟹よ、いつでも来い。



 街中に立ち続けるのは難しい。人が当たってくるし、そもそも迷惑になる。僕は早々に気力が保たなくなって、ビルの横にあるオブジェの脇のコンクリートの塀まで退散してしまった。
「蟹……いないな……」
 本当はもっと街を巡らなければいけないのだろうか。しかし、蟹にさらわれる者はある日突然いなくなるという。僕のように苦労して探し回っているのは少数派なのではなかろうか? そんなことはないか?
 わからない。
「ヘイボーイ」
「あなたは」
「通りすがりのお助けお兄さんだ。蟹を探しているのだろう」
「いやあなた神父様でしょ」
「違う。お助けお兄さんだ」
「いや……」
「お助けお兄さん」
「わかりましたよ……お兄さん」
「それでいい」
「それで、お兄さんはなぜここに?」
「君が心配でこっそり着いてき……ンンッ、違う、ショッピングをしようと街中を歩いていたところ困っている少年を見つけたので声をかけたのだ」
「僕、少年って年でもないですよ」
「困っている青年を見つけたので声をかけたのだ」
「いや言い直さなくても」
「とにかく!」
「あ、すいません」
「蟹を探しているのだろう? 私も一緒に探してあげよう」
「初対面の人にえらく優しいお兄さんですね」
「お助けお兄さんは初対面の人でも喜んで助ける」
「……神父だから、じゃないんだ……」
「何か言ったか?」
「いえ……はい、じゃあよろしくお願いします」
「私に出会ったからには大船に乗った気持ちで来ると良い。私は蟹には詳しいのだ」
「そうなんですか」
「そうだ。蟹にとても詳しい」
「さすがしん……じゃなくてお助けお兄さん」
「ははは」
 お助けお兄さんの先導で、僕たちは街角を歩いて回った。アニメショップの前やカフェが立ち並ぶ通り、古書店街に服飾店街。色々、色々回ったけれど、蟹は見つからない。
「なんか全然見つかりませんね……」
「諦めるな、蟹はそう簡単に見つかるものではないのだ」
「そうなんですか?」
「そうだ!」
「神父様は蟹探したことあるんですか?」
「お助けお兄さんだ」
「お助けお兄さんは蟹探したことあるんですか?」
「随分昔にな」
「あるんだ……」
「あちこちの街角を歩いて回ったが、見つからなかった」
「見つからなかったんだ……」
「それから紆余曲折あって神父になった」
「神父になった!? やっぱり神父様じゃないですか!」
「間違えた、お助けお兄さんになった」
「お助けお兄さんって職業!?」
「そうだ」
「そうなんだ……」
 いやそうじゃないだろとツッコミたかったが、不毛なやり取りを繰り返しそうだったのでやめる。
「しん……お助けお兄さんほどの人が探しても見つからないんなら蟹って相当……難易度ハードなんじゃ……」
「なんいどはーどとは?」
「あ、ゲームとかで難しさの段階を難易度って言うんですけど……ハードっていうのはそれの難しい段階のことで……つまり、蟹を見つけるのはとても難しいんじゃないかってことです」
「なるほどな。確かに、難しいかもしれない」
「はい」
「だがお助けお兄さんは君が蟹を見つけるまで……どこまでもお助けをするのだ」
「えっ」
「するったらする」
「あー、ありがとうございます……」
 本気で言ってるこの人? 神父様は厳格な人だと思ってたけど、案外何かこう……変人……じゃなくて、面倒見のいい人なのか? いや、今は神父様じゃなくてお助けお兄さんだけど……
「お助けお兄さんだぞ」
「わかってますって」
「ほら、次行くぞ」
 そこで僕のお腹が鳴った。
「う、すみません」
「ラーメンを奢ってやろう」
「え、いいんですか聖職者なのに」
「お助けお兄さんは君のことを助けるのだ」
「え……」
「そこの角のラーメン屋、結構気に入っていてな」
「そうなんですか?」
「休みの日によく食べに来るのだ」
「へえ……しん、お助けお兄さんがラーメンなんて意外だな……」
「お助けお兄さんはラーメンが好き、覚えておくと良い」
「あー、はい」
「それで君はどのラーメンが良いのだ?」
「えっ」
「食券式なのだ、ここは」
「あー、先に買うんですね」
「そうだ。私のおすすめはこのねぎだく半玉しょうゆだ」
「あ、じゃあそれで」
「承知」
 お助けお兄さんは券売機で食券を二枚買い、昨今の世相を反映してか開け放たれたドアから中に入った。
「いらっしゃいま……あら、神父様」
「お助けお兄さんだ」
「……?」
「二名」
「はいはい」
 差し出されたトレーに食券を置くお助けお兄さん。
「奥どうぞ~」
 お助けお兄さんは奥のテーブル席の入り口側に座ると、君はソファに座るといい、と言った。
「あ、はい、ありがとうございます」
 テーブル席の中央にはプラスチック製のついたてのようなものがあり、仕切られている。
 ここ、本当に座っていいのかな?
「座りたまえ。疫病対策でこういう措置がとられているのだ」
「そうなんですね、じゃあ遠慮なく」
「お助けお兄さんは優しい、覚えておくと良い」
「はい……」
 しかし地味に神父様がこんな優しいとは思っていなかった。いつも判で押したかのようなお説教しかしてもらえなくて、それでも僕なんかに構ってくれる人は神父様しかいないから僕は毎日教会に通って……
「……」
「神父様?」
「お助けお兄さんだと言っているだろう」
「お助けお兄さん」
「何だ」
「いや……ラーメン屋だし、本とか読まないのかなって……」
「この通り、テープで棚がバツされているだろう。疫病対策だ」
「ああ……」
 最近は教会とスーパーしか行っていなかったからそういう情報には疎い。というか、ニュースを見ていなかったからよくわからない。そもそもうちにはテレビがない。こうして蟹を探しに街に出て初めて、そういう世相になったんだなという実感がわいたくらいだ。それでも外に出ると閑散とした商店街などが目に入るから、嫌でも世情がわかってしまう。
「なんか……世界、終わるんですかね」
「どうだろうな」
「世界が終わっても終わらなくても僕はもう……終わりですけどね……」
「……」
 いつもなら、そういうことを言ってはいけないと諭されるのにそれがない。
「お金もないし、身体もよくないし……そもそも眠気がひどくて一日の大半寝てるし、起きてる時間より寝てる時間の方が長い……こんな僕がこれ以上生きていけるかって言ったら……ノーなんですよ……」
「ふむ」
「ふむ?」
「だがそれが一生続くとして、君が死んでも良いという法はない」
「……だからって、生きてていいとも限らない」
「ふむ」
「必要とされてないんですよ、世の中から。消えた方がいいんですよ僕なんて。いつも言ってる……言われる、お前はいない方がいいんだって。神父様もそう思うでしょう」
「お助けお兄さんだ」
「……」
「それにしても、君は一旦家を出た方が良い。お助けお兄さんは君が蟹を見つけるまで家を貸してやろう」
「えっ」
「代金はいらん」
「えっ」
「その代わり、一週間に一度は蟹探しに出るぞ。山とか海とか、あと、昨今の情勢を鑑み電脳世界とかも行く」
「電脳世界って何ですか」
「若者もすなる『ねとげ』というものを私も初めてみようと思ってな」
「ネットゲーム!?」
「何を驚くことがある」
「イメージに合わない!」
「君はお助けお兄さんにどんな幻想を抱いていたんだ」
「いやお助けお兄さんじゃなくてしん……いえ、その」
「お助けお兄さんは現代のことも知らないと務まらぬ職業だぞ」
「職業なんですか」
「まあボランティアのようなものだな」
「ええ……なんか、こういうこといつもしてるんですか?」
「いつもとは?」
「お助けお兄さんを」
「いや今日がはじめ……ンンッ、いつもしているぞ! 勿論だとも!」
「あー……はい」
「私を信じたまえ!」
「はいはい」
「へいお待ち、ねぎだく半玉しょうゆ二人前ね」
 どん、とラーメンが置かれる。店員さんは顔に何かプラスチックのガードのようなものをしていた。
「これはフェイスシールドと言って、疫病対策に用いられている。よく考えたものだな」
「あ、そうなんですか。へえ……」
「さ、食べたまえ」
「ありがとうございます、いただきます」
 箸で麺を持ち上げ、ふうふうと吹いて、口に運ぶ。
 おいしい。
「おいしいだろう」
 こくこくと頷く僕。
「ここのラーメンはおいしいのだ」
 神父様は食べないのだろうか。
「お助けお兄さんだ。無論、私も食べる」
 箸を割り、丼に手を付けるお助けお兄さん。
 僕たちはしばらく無言でラーメンを食べていた。
「それで、君は……どうして蟹を探そうと思ったんだね」
「えっ神父様が蟹しかないって言ったからでしょう」
「それはひどい神父だな。蟹の世界は何もかも全てを失った者が向かう最後の世界だというのに」
「そうなんですか……」
 僕も事前に調べはしたけど、そこまでとは思っていなかった。
「蟹にさらわれる、と言うだろう。それは本当に、突然さらわれるかのようにいなくなる、人間界から消えてしまうからそう言うのだ。蟹にさらわれた人間は生きているのか死んでいるのか、本当は死んでいるのかもしれないなどという説もあるが、さらわれた人間との接触を果たした例が数例あるために、死んでいる者もいるかもしれないが生きている者もいるというのが今の有力な説らしい」
 お助けお兄さんが水を飲む。
「なんか……あやふやですね」
「概念だからな」
「概念なんですか」
「そうだ」
「お助けお兄さんはやけに蟹に詳しいですね?」
「それは蟹がっこ……ンンッ、昔色々あってな。詳しくなったのだ」
 蟹学校?
「蟹学校って何ですか?」
「君、蟹学校を知っているのかね」
 いやあんたが自分で言ったんでしょうが。
「蟹学校のことは秘密になっているのだ。残念ながら君に教えることはできんな」
 いやあんたが自分で……
「時が来ればまた教えることもあるかもしれないが……今回の場合がどう換算されるのか……」
 なにやらぶつぶつと呟き始めてしまったお助けお兄さんを尻目に僕はラーメンのスープを飲んだ。



「見つかりませんでしたね、蟹……」
「まあまた次があるだろう。気を落とさぬことだ」
「この方角、教会じゃないですか?」
「君の家は教会の方角だろうに」
「お助けお兄さんは初対面なのに僕の家を知ってるんですか?」
「お助けお兄さんは何でも知っている。だから蟹にも詳しい」
「あ、はい……」
 それからお助けお兄さんは僕の家族と話をし、僕は今日はお助けお兄さんの家に泊まって明日以降引っ越し作業をすることになった。
 なんか神父様ならとか神父としてとかそういう単語が飛び交っていたのは……隠すつもりないんじゃないかあの人。
「ここが私の家だ」
「いや教会でしょ」
「見方によっては教会かもしれないが、教会はお助けお兄さんの家でもあるのだ」
「えーと……」
「そうなのだ」
「はい」
「君はこの家のメンテナンスを手伝ってもいいし手伝わなくてもいい」
「いやしますよそのくらい、居候になるんだし」
「手伝わなくてもいいのだが」
「いや……なんかそういうのしてみたかったですし」
 お助けお兄さんはいや……としてとかいいのかそれはとかぶつぶつと呟いていたが、ややあって、わかった、と言った。
「共同作業ということで」
「はい、よろしくお願いします」
 その日は夜遅いからということで寝て、次の日に引っ越し作業をして、メンテナンスとやらを教わり、なんやかんやで新生活が始まろうと、
「お兄さん」
「なんだ」
「お兄さんはどうして僕にこんなに優しくしてくれるんですか?」
「……お助けお兄さんだからだよ」
「それ以上は教えてくれないんですね」
「……」
「僕が人間だからですか?」
「蟹を勧めてしまったのは神父の責任だからな。お助けお兄さんとしてそういうのはよくないと思った」
「……」
「神父はわるいがお助けお兄さんは助けたい人を助けるのだ。それが本能だろうが何だろうが、手が伸ばしてそれが届くのなら、助けたいと思った」
「……まあ、今はそれで納得しといてあげますよ……お兄さん」
「ああ」
 それ以上を引き出すのは僕になるのだろうか、お兄さんの方になるのだろうか。わからないけれど、その日の月はこれまで見たどんな月よりも大きく見えたということは追記しておく。
53/190ページ
    スキ