短編小説

 蟹はどこから来てどこへ行くのか。
 よく知られているようで実は知られていないそれ。
 蟹は永遠。そんな言葉もある。
 選ばれた人間がいなくなるとそのパートナーの蟹もいなくなるというのは常識である。
 だがそのいなくなった蟹がどこへ行ったのかということについては諸説ある。
 選ばれた人間と同じところへ行くという説もあれば、蟹転生をして違う蟹になるという説もある。はたまた蟹は概念なので魂などなく、消失というのはすなわち概念としての死なのだ、という説まである。
 蟹の死生感は知らない。死の概念があるのかどうかも知らない。蟹についてはわからないことが多すぎる。そもそも選ばれていない我々が外側から蟹を考察しようとしても限界がある。
 テレ学会を終え窓の外を見ると桜が咲いていた。
 今年は選ばれる人間が増えるかもしれないし、増えないかもしれない。蟹に選ばれるのは大切なもののない、世を捨てる者だけだ。大切なもののある人間は社会に未練がある、選ばれない。
 私は……どうなのだろう。研究者として選ばれてみたくはあるが、私には家族も研究仲間もいるし、何より対象に近づきすぎると冷静な分析ができなくなるのでそのときが来ても遠慮してしまうかもしれない。
 まあ、来てみないとわからないのだが。
 はらはらと散る桜を見ながら私はんーと伸びをした。

(4月拍手『蟹はどこへ行くのか』)
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