短編小説
落下したような気がして目が覚めた。
辺りは真っ暗、たぶんまだ夜だ。
気候も春めいてきて、夜が明けるのも早くなってきた。こんなに暗いということは、何時くらいだ? 夜中の3時とか?
時計を見ようと手を伸ばしても、暗くて場所がわからない。
仕方ないから枕元にあるであろうスマホを探して手をうろうろ。固いものに当たったのでそれを掴む。
ぱち、という音がして、あたりが明るくなった。
おかしいな。スマホにリモコン機能なんてつけてなかったはずだけど。それよりも眩しくて何も見えない。
「おめでとうございます。あなたは……」
何も見えない中で声が聞こえる。100人目の当選者に選ばれました、とか?
「違います」
じゃあ何ですか?
「春の嘘の夢を見る権利が与えられました」
「春の嘘の夢?」
視界は白いまま。全く目が慣れない。
「夢ならいつも見てるので、結構です」
「まあそうおっしゃらず。春の嘘の夢は快適ですよ。どんな夢でも叶います。お望みであれば、あなたを傷つける者など何もない、不安も不信も全てと無縁の世界でも」
「それで、その後はどうなるんですか?」
「いつでも好きに目覚められますよ」
「現実の僕の身体はどうなるんですか?」
「夢を見ている間は時間が経たないので、そのままです」
うーん。
「いい契約でしょう?」
「そんな『いい契約』になんで僕が?」
「あなたがたぬきだからですよ」
「僕はたぬきなんかじゃありません、失礼な。れっきとした人間ですよ」
「誤魔化さなくても結構です。私たちには全てがわかっているのです」
「全てがわかってるなら僕の好きな食べ物とかもわかるんですか」
「蟹でしょう」
「あ、はいその通りです」
「それで、あなたはたぬき」
「はい……」
僕は俯いた。と言っても視界が真っ白な中でそれをやっているので、本当に俯けているのかどうかは微妙だ。
「確かにたぬきですけど、それが何か」
「全国たぬき協会がしているキャンペーン、春の嘘の夢。それを当社が代行しているのです。本番では人間を選ぶ予定だったのですが、テストとして、まずは人間社会で生きているたぬきから、ということになりまして」
「迷惑な話だ」
「なぜです? 夢のようなキャンペーンですよ。光栄にこそ思えど、迷惑なんてとんでもない」
「わけがわからない企画を突然やって突然やめるのがたぬきの悪い癖ですよ。どうせこんな企画だってすぐ終わってしまうに決まってる。そんなものに付き合わされるこっちの身にもなってくださいよ」
「私たちはたぬきではないので、そういった苦情はお受けできかねます」
「はあ……で、春の嘘の夢って何なんですか」
「春の嘘の夢は春の嘘の夢ですよ。あなたが望む限り、あなたが望む夢を見ることができるのです」
「なんか嘘くさいな……」
「嘘かどうかは実際に体験してみてからどうぞ。それっ」
「あっ待ってまだ話は」
◆
落下したような気がして、目が覚めた。
辺りは草原。そよぐ風。
「望む夢って何だよ……」
見渡す限り地平線で、目立つ物といえば僕が寝ているベッドくらい。
「そもそもこんなところで何をするっていうんだ」
とりあえずベッドからおりて、地面に立つ。
地に足がついた瞬間、靴をはいている状態になった。
はこうとしなくてもはけるなんて、夢は便利だなあ。
見ると服もパジャマから私服に変わっていた。
背広じゃないことに安心する。
満員電車が嫌すぎて、出勤日じゃない日でも背広を見ると満員電車のことを思い出してしまうようになってからどれくらい経っただろう。そんなに経っていない気もするし、もう随分経ったような気もする。
世間は大変なことになっているのに僕の会社は相も変わらず出勤せよの一点張りで、色々な動物、近頃はとらなんかまでかかっているというのにたぬきがかからない保証はない。テレワークにしてくれよ、本当に。
まあ会社には勿論僕がたぬきだということは言っていないのだけれど。言ったら変な目で見られるに決まっているからな。普通のたぬきはわざわざたぬきなんですとは言わない。化かしてるんだから。
まあそんなことはいい。
このだだっ広い草原、たぶん夢の中、でこれからどう行動するかなんだけど。
ちょっと散歩でもしてみるか。
そう思って、歩き始める。
地面の感触はリアルで、まあ僕は山出身のたぬきなので草原なんてこれまで行ったことはないんだけど、草原ってこんな感じかなみたいな想像とは一致する踏み心地ではあった。
歩いて歩いて歩いて歩く。
草原。心地いい風。そろそろ足が疲れてきそうなところだが、全くそういった兆候は見られない。
どうしてかって夢の中だからなんだろうな、たぶん。
そうしているうちに、正面に大きな木が見えてきた。
「木だ……」
「木だね」
僕は立ち止まる。今返答したのは誰だ?
「君がなかなか来てくれないから僕は待ちくたびれてしまったよ」
「君は」
「僕は■■■。忘れてしまったの?」
「ああ……」
そもそも君に会いたくて、僕は里を出たのだった。
◆
終わりだね。
何が?
君の旅は。
終わりだな。
そうだろ。
■■は終わる。
◆
落下したような気がして、目が覚めた。
辺りは草原。
「終わりだね」
辺りは真っ暗、たぶんまだ夜だ。
気候も春めいてきて、夜が明けるのも早くなってきた。こんなに暗いということは、何時くらいだ? 夜中の3時とか?
時計を見ようと手を伸ばしても、暗くて場所がわからない。
仕方ないから枕元にあるであろうスマホを探して手をうろうろ。固いものに当たったのでそれを掴む。
ぱち、という音がして、あたりが明るくなった。
おかしいな。スマホにリモコン機能なんてつけてなかったはずだけど。それよりも眩しくて何も見えない。
「おめでとうございます。あなたは……」
何も見えない中で声が聞こえる。100人目の当選者に選ばれました、とか?
「違います」
じゃあ何ですか?
「春の嘘の夢を見る権利が与えられました」
「春の嘘の夢?」
視界は白いまま。全く目が慣れない。
「夢ならいつも見てるので、結構です」
「まあそうおっしゃらず。春の嘘の夢は快適ですよ。どんな夢でも叶います。お望みであれば、あなたを傷つける者など何もない、不安も不信も全てと無縁の世界でも」
「それで、その後はどうなるんですか?」
「いつでも好きに目覚められますよ」
「現実の僕の身体はどうなるんですか?」
「夢を見ている間は時間が経たないので、そのままです」
うーん。
「いい契約でしょう?」
「そんな『いい契約』になんで僕が?」
「あなたがたぬきだからですよ」
「僕はたぬきなんかじゃありません、失礼な。れっきとした人間ですよ」
「誤魔化さなくても結構です。私たちには全てがわかっているのです」
「全てがわかってるなら僕の好きな食べ物とかもわかるんですか」
「蟹でしょう」
「あ、はいその通りです」
「それで、あなたはたぬき」
「はい……」
僕は俯いた。と言っても視界が真っ白な中でそれをやっているので、本当に俯けているのかどうかは微妙だ。
「確かにたぬきですけど、それが何か」
「全国たぬき協会がしているキャンペーン、春の嘘の夢。それを当社が代行しているのです。本番では人間を選ぶ予定だったのですが、テストとして、まずは人間社会で生きているたぬきから、ということになりまして」
「迷惑な話だ」
「なぜです? 夢のようなキャンペーンですよ。光栄にこそ思えど、迷惑なんてとんでもない」
「わけがわからない企画を突然やって突然やめるのがたぬきの悪い癖ですよ。どうせこんな企画だってすぐ終わってしまうに決まってる。そんなものに付き合わされるこっちの身にもなってくださいよ」
「私たちはたぬきではないので、そういった苦情はお受けできかねます」
「はあ……で、春の嘘の夢って何なんですか」
「春の嘘の夢は春の嘘の夢ですよ。あなたが望む限り、あなたが望む夢を見ることができるのです」
「なんか嘘くさいな……」
「嘘かどうかは実際に体験してみてからどうぞ。それっ」
「あっ待ってまだ話は」
◆
落下したような気がして、目が覚めた。
辺りは草原。そよぐ風。
「望む夢って何だよ……」
見渡す限り地平線で、目立つ物といえば僕が寝ているベッドくらい。
「そもそもこんなところで何をするっていうんだ」
とりあえずベッドからおりて、地面に立つ。
地に足がついた瞬間、靴をはいている状態になった。
はこうとしなくてもはけるなんて、夢は便利だなあ。
見ると服もパジャマから私服に変わっていた。
背広じゃないことに安心する。
満員電車が嫌すぎて、出勤日じゃない日でも背広を見ると満員電車のことを思い出してしまうようになってからどれくらい経っただろう。そんなに経っていない気もするし、もう随分経ったような気もする。
世間は大変なことになっているのに僕の会社は相も変わらず出勤せよの一点張りで、色々な動物、近頃はとらなんかまでかかっているというのにたぬきがかからない保証はない。テレワークにしてくれよ、本当に。
まあ会社には勿論僕がたぬきだということは言っていないのだけれど。言ったら変な目で見られるに決まっているからな。普通のたぬきはわざわざたぬきなんですとは言わない。化かしてるんだから。
まあそんなことはいい。
このだだっ広い草原、たぶん夢の中、でこれからどう行動するかなんだけど。
ちょっと散歩でもしてみるか。
そう思って、歩き始める。
地面の感触はリアルで、まあ僕は山出身のたぬきなので草原なんてこれまで行ったことはないんだけど、草原ってこんな感じかなみたいな想像とは一致する踏み心地ではあった。
歩いて歩いて歩いて歩く。
草原。心地いい風。そろそろ足が疲れてきそうなところだが、全くそういった兆候は見られない。
どうしてかって夢の中だからなんだろうな、たぶん。
そうしているうちに、正面に大きな木が見えてきた。
「木だ……」
「木だね」
僕は立ち止まる。今返答したのは誰だ?
「君がなかなか来てくれないから僕は待ちくたびれてしまったよ」
「君は」
「僕は■■■。忘れてしまったの?」
「ああ……」
そもそも君に会いたくて、僕は里を出たのだった。
◆
終わりだね。
何が?
君の旅は。
終わりだな。
そうだろ。
■■は終わる。
◆
落下したような気がして、目が覚めた。
辺りは草原。
「終わりだね」
56/190ページ