短編小説
君がいなくなったのは随分前のことだった。僕に優しくするだけ優しくして、突然いなくなってしまった。前触れも何もなく、ふつりと消えて、それっきり。
君も大概つらかったのかもしれない。抱え込んで悩むタイプの人だったから。それを察せなかった僕は悪くて、そして何より、君がいなくなったことよりも、君の優しさを失ってこれからどうして生きていこう、と思ってしまったことの方がショックだった。
断罪を求めている。それも自分じゃどうにもならない。落ちて、落ちて、落ちるところまで落ちきってもまだ足りない。落ちれば落ちるほど他者に迷惑をかけるだけ。足りない、こんなものでは足りるはずがない。
残された道は一つしかないのだろうか。しかしそれすら自分勝手と断罪される種にしかならないのならそれをする意味はない、だが僕は疲れてしまった。いくら足掻いても贖罪にならないのならそろそろやめてもいい頃なんじゃないか?
良い方向に向かうことが、いなくなった君への手向けだと思って頑張った時期、それが最近。停滞をやめ、未来とやらを信じてみようとして、諦めていた努力に手をつけてみたりして。そんなことをしたって何にもならないとわかっていたはずなのに。
状況は何も変わらず、状態は悪くなるばかり。減り続ける貯蓄に怯えながらのっぺりとした荒野で破滅を待つのみ。
本当の終わりに近付くと虚無すら虚無でなくなり、虚がとれて真の無になるのだろうか。
どうせそれも、人によるとか言われるんだろうな。
暗くなった窓からは咲きかけの桜が見える。
世間の騒乱も知らず、桜は変わらずに咲く。諸行無常と言った昔の人はこんな気持ちだったのだろうか。
ため息。本当にため息をつく元気は残っていないから、心の中でため息をつくだけ。
何にも救いがなくなってしまった。何をしても苦しいだけ。好きだった本も、音楽も、何もかも楽しめなくなってしまった。荒涼とした無感動、何もかもを押し潰す抑圧。
視界を塞ぎ、口を塞ぎ、ごうごうと風の音が、工事の音が、ヒトの声が、エンジンの音が、タイヤの音が、聴覚を破壊せんとばかりに鳴り響く。もうやめてくれ。世界は音に溢れすぎている。これが断罪と言うならば、幼い頃から絶えず続いてきたそれは何に対する断罪だった? それとも生まれたことが罪などと馬鹿らしいことを言う気なのか?
そうは言っても理由などどこにもない。最初に言った君に対する贖罪だって、無理矢理理由にしているだけ。自分がどうしようもない状況にいることに正当性をつけようとして、必死で信仰しているんだ。
本当は何もない。無だ。きっと人間の本質は無なんだ。
そうやって悟ったふりをしてみたって何にもならない。
無から生まれて無しか生まずに無に還る、ペシミスティック。
ペシミストは馬鹿にされる、僕も馬鹿にされる。だけどずっと馬鹿にされてきた僕だから、ペシミストとして馬鹿にされるんなら、これまでわからなかった「馬鹿にされる理由」がちゃんとできたってことなんだからそれはいいことなんじゃないか?
わからない。何もわからない。こうやってぐるぐる思考を回しているのはいずれやってくる破滅を直視しないため。思考で現実を誤魔化して、見ないようにしている。
それだって救いがない。そうやって何もかも見ないようにして、君の心も見ないように、見えなかったから、こんなことになったのだろうか。
また僕は理由を探している。理由なんてないってさっき言ったばっかりなのに、わかってないんだ。わかってるふりをしてるだけ。
こんな状態になっても僕は、この状況を理不尽だと、本当はもっと苦しまずに生きられたはずなんて甘い希望を信じて不満を抱いてぐるぐると思考を回して馬鹿みたいだ。いっそ本当に何もかも諦められたら楽になれるのに、それができない。
信じて頑張っていればいつかどうにかなってくれるかもという希望が揺らいだせいでこんなことになっている。希望を信仰しきれていれば何も考えずに車輪を回し続けられたのに肝心なところで信仰が足りない。
君がいた頃は君のことを信じていさえすればよかった。君は僕に信仰させてくれるための甘い言葉をたくさん言って、優しくしてくれた。優しさに飢えていた僕は喜んで君を信仰して、それから、それが負担になって君がいなくなったのかどうかは知らない。単に僕に飽きただけなのかもしれないし。最初から嫌いだったのならここまで優しくはしなかっただろうと思うのだけれども実際のところはわからない。僕は君ではないのだし。
君と出会わなかった方が幸せだったのだろうか。そうは思わない。最初の最初の最初から何もかもが狂っていたのだと思う。
それなら僕が幸せになれる道はどこにあったのだろう。はじめからなかったのか。
わからない。もしもを考えたって何にもならないが、迫り来る終焉から目を逸らすためにはもしもでもしかしでも考えなければ思考が埋まらない。だから回しているんだ、さっきも言った通り。
何一つまとまらない。何一つ起こらない日常で苦しみながら生きて、終焉を待つしかないのか。このまま。
死刑台への階段は自動で動くが桜はまだ散らない。
あるいはずっと咲かないのかも。
それなら好都合だ。永遠に今が続くなら、終わりも訪れない。そうだ、そうしよう。ずっと今を生きる、ずっとずっと。
それでも僕は信仰が足りず、明日は必ず来てしまうのだ。
(おわり)
君も大概つらかったのかもしれない。抱え込んで悩むタイプの人だったから。それを察せなかった僕は悪くて、そして何より、君がいなくなったことよりも、君の優しさを失ってこれからどうして生きていこう、と思ってしまったことの方がショックだった。
断罪を求めている。それも自分じゃどうにもならない。落ちて、落ちて、落ちるところまで落ちきってもまだ足りない。落ちれば落ちるほど他者に迷惑をかけるだけ。足りない、こんなものでは足りるはずがない。
残された道は一つしかないのだろうか。しかしそれすら自分勝手と断罪される種にしかならないのならそれをする意味はない、だが僕は疲れてしまった。いくら足掻いても贖罪にならないのならそろそろやめてもいい頃なんじゃないか?
良い方向に向かうことが、いなくなった君への手向けだと思って頑張った時期、それが最近。停滞をやめ、未来とやらを信じてみようとして、諦めていた努力に手をつけてみたりして。そんなことをしたって何にもならないとわかっていたはずなのに。
状況は何も変わらず、状態は悪くなるばかり。減り続ける貯蓄に怯えながらのっぺりとした荒野で破滅を待つのみ。
本当の終わりに近付くと虚無すら虚無でなくなり、虚がとれて真の無になるのだろうか。
どうせそれも、人によるとか言われるんだろうな。
暗くなった窓からは咲きかけの桜が見える。
世間の騒乱も知らず、桜は変わらずに咲く。諸行無常と言った昔の人はこんな気持ちだったのだろうか。
ため息。本当にため息をつく元気は残っていないから、心の中でため息をつくだけ。
何にも救いがなくなってしまった。何をしても苦しいだけ。好きだった本も、音楽も、何もかも楽しめなくなってしまった。荒涼とした無感動、何もかもを押し潰す抑圧。
視界を塞ぎ、口を塞ぎ、ごうごうと風の音が、工事の音が、ヒトの声が、エンジンの音が、タイヤの音が、聴覚を破壊せんとばかりに鳴り響く。もうやめてくれ。世界は音に溢れすぎている。これが断罪と言うならば、幼い頃から絶えず続いてきたそれは何に対する断罪だった? それとも生まれたことが罪などと馬鹿らしいことを言う気なのか?
そうは言っても理由などどこにもない。最初に言った君に対する贖罪だって、無理矢理理由にしているだけ。自分がどうしようもない状況にいることに正当性をつけようとして、必死で信仰しているんだ。
本当は何もない。無だ。きっと人間の本質は無なんだ。
そうやって悟ったふりをしてみたって何にもならない。
無から生まれて無しか生まずに無に還る、ペシミスティック。
ペシミストは馬鹿にされる、僕も馬鹿にされる。だけどずっと馬鹿にされてきた僕だから、ペシミストとして馬鹿にされるんなら、これまでわからなかった「馬鹿にされる理由」がちゃんとできたってことなんだからそれはいいことなんじゃないか?
わからない。何もわからない。こうやってぐるぐる思考を回しているのはいずれやってくる破滅を直視しないため。思考で現実を誤魔化して、見ないようにしている。
それだって救いがない。そうやって何もかも見ないようにして、君の心も見ないように、見えなかったから、こんなことになったのだろうか。
また僕は理由を探している。理由なんてないってさっき言ったばっかりなのに、わかってないんだ。わかってるふりをしてるだけ。
こんな状態になっても僕は、この状況を理不尽だと、本当はもっと苦しまずに生きられたはずなんて甘い希望を信じて不満を抱いてぐるぐると思考を回して馬鹿みたいだ。いっそ本当に何もかも諦められたら楽になれるのに、それができない。
信じて頑張っていればいつかどうにかなってくれるかもという希望が揺らいだせいでこんなことになっている。希望を信仰しきれていれば何も考えずに車輪を回し続けられたのに肝心なところで信仰が足りない。
君がいた頃は君のことを信じていさえすればよかった。君は僕に信仰させてくれるための甘い言葉をたくさん言って、優しくしてくれた。優しさに飢えていた僕は喜んで君を信仰して、それから、それが負担になって君がいなくなったのかどうかは知らない。単に僕に飽きただけなのかもしれないし。最初から嫌いだったのならここまで優しくはしなかっただろうと思うのだけれども実際のところはわからない。僕は君ではないのだし。
君と出会わなかった方が幸せだったのだろうか。そうは思わない。最初の最初の最初から何もかもが狂っていたのだと思う。
それなら僕が幸せになれる道はどこにあったのだろう。はじめからなかったのか。
わからない。もしもを考えたって何にもならないが、迫り来る終焉から目を逸らすためにはもしもでもしかしでも考えなければ思考が埋まらない。だから回しているんだ、さっきも言った通り。
何一つまとまらない。何一つ起こらない日常で苦しみながら生きて、終焉を待つしかないのか。このまま。
死刑台への階段は自動で動くが桜はまだ散らない。
あるいはずっと咲かないのかも。
それなら好都合だ。永遠に今が続くなら、終わりも訪れない。そうだ、そうしよう。ずっと今を生きる、ずっとずっと。
それでも僕は信仰が足りず、明日は必ず来てしまうのだ。
(おわり)
60/190ページ