短編小説

 「わかった」人がいるらしい。
 そんな噂が流れてきたのは思い立ってかけた電話の裏の喋り声。
『「わかった」奴がいる。由々しき事態だ。我々の中からそのような者が出てしまったことは大変な不名誉。なぜって我々は永久に――』
『■■さーん、聞こえてますか?』
「あっはいはい、聞こえてます。すみません」
『その書類に必要事項入れてもらって名前書いてはんこ押して投函するだけなんで。簡単なんで、よろしくお願いしますよ』
「はい、すみません」
『じゃ、失礼します』
「はい、失礼します」
 ふうとため息。
 机の上には広げっぱなしの書類。書きかけて挫折して電話をしたのだ。
 正直、電話の内容は頭に入ってこなかった。裏で聞こえた噂に気を取られてしまったのだ。
 「わかった」人がいる。それも我々の中から。
 それがどうした、という気持ちと、羨ましい、という気持ちが混在する。
 俺も「わかる」ことができたら。そうしたら、こんな書類だって書かなくてよくなるのだ。毎日毎日■■に怯えることもなくなるのだ。「わかれ」ば。「わかり」さえすれば。
 本当にそうなのかどうかはわからない。ただ「わかる」ことに希望をかけているだけなのかもしれない。
 「わかった」者は不名誉とされ、我々の間では誹られる。それは羨ましいからだ。
 皆、本心では「わかり」たいと思っているのだ。口に出さずとも周知の事実である。そうなりたいのになれないから誹るのだ。
 「わかれ」ばいなくなってしまう。「わかり」得だ。「わかる」か「わかれない」かでは圧倒的に「わかった」者の方が有利であるし、生きていく上でも楽である。
 そうに決まっている、と皆は思っている。のだと思う。俺もそうだ。
 闇商売のわかりビジネスに手を出してる奴らだって本当に「わかって」るわけじゃないし、我々は皆何もわからぬまま生きているのだ。表の世界に行った者以外は。
 観測できぬ者については知覚のしようがない。どんなに知りたくても「わかった」後のことを知ることはできない。
 わかりビジネス。わかり本。違法とされるそれらがビジネスとして成り立っているのも我々が「わかる」ことに憧れているからだ。
 隠しきれないけれど隠したつもりで我々は生きている。
 それが永遠に続く。なぜなら望まれているから。

 そろそろちゃんと書類を書かなければ。
 放り出したペンを手に取ると、俺は椅子を引いた。


(おわり)
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