短編小説
「しょっぱい」
「どうした」
「このポテチ思ったよりしょっぱい」
「馬鹿だな、まだそんな身体に悪いもの食べてるのか」
「食感が好きなんだよ」
「ほどほどにしろよ」
「わかってる」
「ところで今日は何の日か知ってるか?」
「え?」
何の日だったかな、と考えようとして、ぐらりと世界が歪む。
意識が浮上して、
ああ。夢だったんだ。
◆
薄暗い部屋で目を開ける。もう夕方だ。今日は大事な何かがある日だったのに、僕は起きられなくて行けなかった。
外では激しい雨が降っていてアパートの天窓をばたばたと叩き、強風が建物を唸らせている。
こんな日に外に出ようと思う方が間違いだ。まあ、こんな日でもどんな日でも晴れていようが雨だろうが、僕が外に出ようと思うことなんかないんだけど。
もう一度目を閉じようとして、とてもお腹が空いていることに気付く。そういえば、ここ二日ほど何も食べていない。ポテチを食べる夢なんか見たのはそのせいか。
僕はごそごそと起き上がり、何か食べるものはないかと冷蔵庫を覗く。
そこは呆れるほど空っぽで、かろうじていつ買ったのかわからない牛乳寒天が2つ残っていた。
賞味期限を見ると、まだ半月ほどある。意外に長かった。色々入っているからだろうか。まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。
寒天を2つとも取って、テーブルの上に転がっていたプラスチックスプーンを開封する。
自然環境に悪いから、このプラスチックスプーンもいずれ付かなくなるのだろう。木のスプーンとかになるのかな。
木といえばアイスクリーム用の平たいスプーン。あの感触が僕はどうにも駄目で、口に入れると鳥肌が立ってしまう。コンビニで付いてくるスプーンがあんな感じのスプーンになってしまったらすごく困るけど、でも、困るだけでどうすることもできないから、僕はたぶんスーパーとかで別にプラスチックスプーンを買って使うことになるんだと思う。
それさえ売らなくなってしまったら、いったいどうすればいいんだろうか。
……そんなこと、今考えても仕方がないか。
凝結してきている容器の蓋を開けて、牛乳寒天を口に入れる。
甘い。牛乳の味がする。そこまでおいしいというわけでもないが空腹は最高のスパイス、それなりにおいしくは感じる。
僕はがつがつとそれを食べた。
そういえば、なんでこんなものを買ったんだっけ。
この前の買い出しのときにコンビニで全面売り出ししていたから、一応デザートにもなるし健康にも良さそうだし買うかと思って買ったんだった。
というか牛乳寒天ってそこまでメジャーなスイーツでもないような気がするんだけど、どうなんだろうな。何があってそんなに推していたんだか、わからない。
思考が回っている間に牛乳寒天は二つともなくなった。
ひとまずお腹がいっぱいにはなった。
でも、特に何かする気力があるわけでもない。
目が暇で、ずっとつけていないテレビを眺める。
今日は大事な何かがあるから、きっとテレビでもそれをやっているんだろう。
自分で自分を追い込む趣味はないから、見るつもりはないけど。
テレビなんかうるさいだけで何の役にも立たないのに、──が押しつけてきたせいでずっとうちで埃を被っている。
──?
わからない。頭が痛い。
僕は頭を振って、別のことを考えようとする。
大事な何かの日、いつも家族で出かけていた。
あの頃は幸せだったのだろうか。
大事な何かの場所で、働いていた人が僕は苦手だった。
苦しい、思い出したくない。
大事な何かの日、いつも僕は外に出ることができない。
重たい罪悪感。
どうして外に出られなくなったんだっけ。
考えたくもない。そもそも、特に理由らしい理由もない。
僕はため息を吐く。牛乳寒天の空容器とスプーンをゴミ箱に突っ込んで、もう寝ることにした。だって夜だし。
◆
「よう」
「あれ」
「今日が何の日か思い出したか?」
おかしいな。夢の続きなんか見てるのか。どうしたものかな。困ってしまう。
「今日」
「そうだ」
「ええと……」
「困った奴だな。まあ今日はまだまだあるから、日が沈むまでには思い出せよ」
「え、あ、うん……」
──は僕の部屋のドアを閉めると、去って行った。
日なんかもう沈んだと思っていたけど。
カーテンを開けて外を確認してみると、まだ日が高い。まあ夢だしな。
僕は立ち上がると、ドアを開けて廊下に出た。
もっと暗いと思っていたけど、意外に明るい。日当たりの良い家なのだろうか。
ぺたぺたと廊下を歩いた先に、大きめのドアがあった。
それを開ける。
「あれ、来たのか。ポテチはもういいのか?」
「あ、うん……」
そこはリビングのようで、──がポットを持ってどうやらお茶の用意をしているようだった。
「ティータイムにしようと思ってな。お前も飲むか?」
「うん……」
牛乳寒天を食べてお腹がいっぱいになったはずなのにティータイムをする夢を見るなんて、まだお腹が空いているんだろうか。
──がてきぱきと茶葉を準備し、お菓子を出し、一連の流れで紅茶をいれる。
「相変わらず、うまいね」
「そうだろう」
──が嬉しそうに頷く。
相変わらず?
僕は眉を寄せる。
「この前読んだ本に紅茶のいれ方が書いてあったんだがな、だいたい知っていることばかりだった」
「そうなんだ」
「そのとき、俺のやってることは間違ってなかったんだなと思って少し安心したよ」
「へえ、それは……」
「やっぱりお茶はおいしいのが一番だしな」
「うん……」
親しげに話しかけてくるが、この人はいったい誰だったかな。
──。知っているはずなのに。
「おーい、大丈夫か」
「……」
「すごい顔してたぞ。根を詰めすぎなんじゃないか」
「いや……こんなの全然頑張ってるうちに入らないし。もっと頑張らないといけないんだ」
「そうは言うがな。常に頑張ってると疲れるぞ。たまには休まなければ」
「でも、頑張らないと僕はみんなに着いていけないから……」
「そうなのか?」
「そうだよ、ずっとそうだった……」
それで疲れてこんなことになってしまったんだっけ。どうだったっけ。特に理由なんてないと思っていたけど。やけに親切なこの人は誰なんだろう。
──。いなくなってしまった。
「茶が入ったぞ。ミルク入れるか?」
「あ、お願い」
「ほいほい」
──は冷蔵庫から牛乳を出して、僕の分と思しきカップにそれを注いだ。
「ほら」
差し出されたそれを受け取り、椅子に座って口を付ける。
──。本当にそんな人がいたのかな。
「おいしいね」
「そうだろう」
相手もストレートのそれに口をつけて、満足そうに頷いた。
ぼんやりと、紅茶の味で、何かが形成されてゆく。
──、確かその名は……
「思い出したか?」
「今日が何の日か……」
ぐにゃりと世界が歪む。
落ちる意識の狭間で、手を振る君の顔を見た。
◆
真夜中。雨はまだ降り続いている。僕は起き上がって電気を点けた。
そこにテレビなんかない。あったと思っていた場所には長いこと使っていない教科書類が積み上がっている。
──。もういなくなった君。
小さい頃に作り出したその存在が、ある日ふっといなくなった日。もう大丈夫、一人で生きていけると思ったその日。
残念なことにそれはまやかしで、こんなところまで落ちた僕は一人でこんなことになっている。
「──」
口に出しても君が現実になることも戻ってくることもなく、空腹がぐるぐると渦巻いている。
牛乳寒天程度ではすぐにお腹が空くに決まっていた。
「はあ……」
僕はため息をつき、食べ物を買いにコンビニに出かけることにした。
吹き付ける雨は夏なのに冷たくて、違和感だらけの感情が消えずにずっと痛んでいた。
(おわり)
「どうした」
「このポテチ思ったよりしょっぱい」
「馬鹿だな、まだそんな身体に悪いもの食べてるのか」
「食感が好きなんだよ」
「ほどほどにしろよ」
「わかってる」
「ところで今日は何の日か知ってるか?」
「え?」
何の日だったかな、と考えようとして、ぐらりと世界が歪む。
意識が浮上して、
ああ。夢だったんだ。
◆
薄暗い部屋で目を開ける。もう夕方だ。今日は大事な何かがある日だったのに、僕は起きられなくて行けなかった。
外では激しい雨が降っていてアパートの天窓をばたばたと叩き、強風が建物を唸らせている。
こんな日に外に出ようと思う方が間違いだ。まあ、こんな日でもどんな日でも晴れていようが雨だろうが、僕が外に出ようと思うことなんかないんだけど。
もう一度目を閉じようとして、とてもお腹が空いていることに気付く。そういえば、ここ二日ほど何も食べていない。ポテチを食べる夢なんか見たのはそのせいか。
僕はごそごそと起き上がり、何か食べるものはないかと冷蔵庫を覗く。
そこは呆れるほど空っぽで、かろうじていつ買ったのかわからない牛乳寒天が2つ残っていた。
賞味期限を見ると、まだ半月ほどある。意外に長かった。色々入っているからだろうか。まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。
寒天を2つとも取って、テーブルの上に転がっていたプラスチックスプーンを開封する。
自然環境に悪いから、このプラスチックスプーンもいずれ付かなくなるのだろう。木のスプーンとかになるのかな。
木といえばアイスクリーム用の平たいスプーン。あの感触が僕はどうにも駄目で、口に入れると鳥肌が立ってしまう。コンビニで付いてくるスプーンがあんな感じのスプーンになってしまったらすごく困るけど、でも、困るだけでどうすることもできないから、僕はたぶんスーパーとかで別にプラスチックスプーンを買って使うことになるんだと思う。
それさえ売らなくなってしまったら、いったいどうすればいいんだろうか。
……そんなこと、今考えても仕方がないか。
凝結してきている容器の蓋を開けて、牛乳寒天を口に入れる。
甘い。牛乳の味がする。そこまでおいしいというわけでもないが空腹は最高のスパイス、それなりにおいしくは感じる。
僕はがつがつとそれを食べた。
そういえば、なんでこんなものを買ったんだっけ。
この前の買い出しのときにコンビニで全面売り出ししていたから、一応デザートにもなるし健康にも良さそうだし買うかと思って買ったんだった。
というか牛乳寒天ってそこまでメジャーなスイーツでもないような気がするんだけど、どうなんだろうな。何があってそんなに推していたんだか、わからない。
思考が回っている間に牛乳寒天は二つともなくなった。
ひとまずお腹がいっぱいにはなった。
でも、特に何かする気力があるわけでもない。
目が暇で、ずっとつけていないテレビを眺める。
今日は大事な何かがあるから、きっとテレビでもそれをやっているんだろう。
自分で自分を追い込む趣味はないから、見るつもりはないけど。
テレビなんかうるさいだけで何の役にも立たないのに、──が押しつけてきたせいでずっとうちで埃を被っている。
──?
わからない。頭が痛い。
僕は頭を振って、別のことを考えようとする。
大事な何かの日、いつも家族で出かけていた。
あの頃は幸せだったのだろうか。
大事な何かの場所で、働いていた人が僕は苦手だった。
苦しい、思い出したくない。
大事な何かの日、いつも僕は外に出ることができない。
重たい罪悪感。
どうして外に出られなくなったんだっけ。
考えたくもない。そもそも、特に理由らしい理由もない。
僕はため息を吐く。牛乳寒天の空容器とスプーンをゴミ箱に突っ込んで、もう寝ることにした。だって夜だし。
◆
「よう」
「あれ」
「今日が何の日か思い出したか?」
おかしいな。夢の続きなんか見てるのか。どうしたものかな。困ってしまう。
「今日」
「そうだ」
「ええと……」
「困った奴だな。まあ今日はまだまだあるから、日が沈むまでには思い出せよ」
「え、あ、うん……」
──は僕の部屋のドアを閉めると、去って行った。
日なんかもう沈んだと思っていたけど。
カーテンを開けて外を確認してみると、まだ日が高い。まあ夢だしな。
僕は立ち上がると、ドアを開けて廊下に出た。
もっと暗いと思っていたけど、意外に明るい。日当たりの良い家なのだろうか。
ぺたぺたと廊下を歩いた先に、大きめのドアがあった。
それを開ける。
「あれ、来たのか。ポテチはもういいのか?」
「あ、うん……」
そこはリビングのようで、──がポットを持ってどうやらお茶の用意をしているようだった。
「ティータイムにしようと思ってな。お前も飲むか?」
「うん……」
牛乳寒天を食べてお腹がいっぱいになったはずなのにティータイムをする夢を見るなんて、まだお腹が空いているんだろうか。
──がてきぱきと茶葉を準備し、お菓子を出し、一連の流れで紅茶をいれる。
「相変わらず、うまいね」
「そうだろう」
──が嬉しそうに頷く。
相変わらず?
僕は眉を寄せる。
「この前読んだ本に紅茶のいれ方が書いてあったんだがな、だいたい知っていることばかりだった」
「そうなんだ」
「そのとき、俺のやってることは間違ってなかったんだなと思って少し安心したよ」
「へえ、それは……」
「やっぱりお茶はおいしいのが一番だしな」
「うん……」
親しげに話しかけてくるが、この人はいったい誰だったかな。
──。知っているはずなのに。
「おーい、大丈夫か」
「……」
「すごい顔してたぞ。根を詰めすぎなんじゃないか」
「いや……こんなの全然頑張ってるうちに入らないし。もっと頑張らないといけないんだ」
「そうは言うがな。常に頑張ってると疲れるぞ。たまには休まなければ」
「でも、頑張らないと僕はみんなに着いていけないから……」
「そうなのか?」
「そうだよ、ずっとそうだった……」
それで疲れてこんなことになってしまったんだっけ。どうだったっけ。特に理由なんてないと思っていたけど。やけに親切なこの人は誰なんだろう。
──。いなくなってしまった。
「茶が入ったぞ。ミルク入れるか?」
「あ、お願い」
「ほいほい」
──は冷蔵庫から牛乳を出して、僕の分と思しきカップにそれを注いだ。
「ほら」
差し出されたそれを受け取り、椅子に座って口を付ける。
──。本当にそんな人がいたのかな。
「おいしいね」
「そうだろう」
相手もストレートのそれに口をつけて、満足そうに頷いた。
ぼんやりと、紅茶の味で、何かが形成されてゆく。
──、確かその名は……
「思い出したか?」
「今日が何の日か……」
ぐにゃりと世界が歪む。
落ちる意識の狭間で、手を振る君の顔を見た。
◆
真夜中。雨はまだ降り続いている。僕は起き上がって電気を点けた。
そこにテレビなんかない。あったと思っていた場所には長いこと使っていない教科書類が積み上がっている。
──。もういなくなった君。
小さい頃に作り出したその存在が、ある日ふっといなくなった日。もう大丈夫、一人で生きていけると思ったその日。
残念なことにそれはまやかしで、こんなところまで落ちた僕は一人でこんなことになっている。
「──」
口に出しても君が現実になることも戻ってくることもなく、空腹がぐるぐると渦巻いている。
牛乳寒天程度ではすぐにお腹が空くに決まっていた。
「はあ……」
僕はため息をつき、食べ物を買いにコンビニに出かけることにした。
吹き付ける雨は夏なのに冷たくて、違和感だらけの感情が消えずにずっと痛んでいた。
(おわり)
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