即興小説まとめ(全37作品)

 山の夜は暗い。虫の声と木々の揺れる音だけが外界の情報を伝えてくる。
 八月半ばの蒸し暑い夜、俺は網戸の脇で日記を書いていた。窓の外は真っ暗で、俺の今泊まっている建物だけが煌々と明かりを灯している。
 白いノートのページにはまだ日付しか書かれていない。何から書こうか、俺は今日あったことを頭の中で思い返す。
 昼間は暑かった。快晴で雲一つなく、あまりに暑いものだから早々に退散したのだった。退散した室内は山奥ながらクーラーがきいて快適で、文明のありがたさなんてことを感じたりもした。
 それから一日中クーラーに当たっていたが、さすがに当たりすぎだと感じたので夜には消して、網戸だけにしていた。
 俺はペンを持ち直し、ノートに文字を書こうとして目を疑った。
 日付しか書いていなかったはずのノートに、文字が書かれているように見えたのだ。目を凝らすと、その文字は微かに動いていた。透き通った羽根。黒く細長い体。羽アリだった。小さい羽アリたちのなかに、体が大きい羽アリも混じっている。雌だろう。殺してしまうのはなんとなく嫌だったので、俺はノートを持ち上げて軽く振った。羽アリたちはぱらぱらと落ちていった。
 顔を上げると、網戸にも羽アリたちがびっしりとついていた。俺はため息をついて窓を閉め、箒を取りに階下に下りることにした。
 俺が日記に手を付けられたのは、結局日付が回ってからだった。
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