短編小説

 本を読んでしまう。息継ぎをするように、とある作家の作品を。
 どうして彼の作品に惹かれてしまうのだろうか。それを考えたくて、こうして日記の筆を取った。
 彼は自らの外見にコンプレックスがある。それはわかっている。
 自らの外見について、整っているとも地味であるとも醜いとも言い残していない。俺は自分が好きではない、と、そういった言い回しが作品の随所に出てくるだけ。鏡をやけに恐れる描写が頻出するだけ。
 外見にコンプレックスがあった、というのは通説ではあるが、彼が直接的にそう言った記録はなく、文中から推測されたことでしかない。
 私自身、彼のファンでも専門家でもないから詳しいことはわからない。せいぜい著書を数冊読んだくらいだ。しかし、そんな輩ですら知っているほど彼の外見コンプレックスは有名だった。
 何が原因かはわからない。もしかすると生前外見をひどくけなされたことがあったのかもしれないし、単に自分嫌いの延長線上かもしれない。
 個人的には後者の説を推す。
 私も自分が嫌いなので、彼の激しい自分嫌いには共感するところがあった。それで彼の作品を数冊読んでしまったのであるが。
 心を抉ってくるような作品群ではある。明るい気分のときに読んでしまうとどん底に落とされる。だが、自分のことを嫌いになったことが一度もないような人間が読んでもわけのわからぬ物語でしかないようなものでもあった。
 彼が生前死後通じてもせいぜい中堅どころとしか評価されないのもそのせいなのかもしれない。
 話を戻そう。
 彼の外見の話だ。
 彼は自作品から登場人物の外見描写を徹底的に省く人間であった。同時代の一般的な作品では描かれているような外見描写がすこんと抜けているのだ。
 読者の想像に任せたいだとかそういう理念信念があったなどという話は聞かない。ただただ、抜けている。それが故意であったのか無意識であったのか私は知らないが、故意であったという説が有力ではある。
 外見。彼が外見記録を残していないのは、後世の人々にとって幸いだったかもしれない。整った顔でも地味な顔でも醜い顔でも好きに想像できるからだ。どんな顔でも外見コンプレックスになる理由はある。
 彼のことを考える。
 とっくのとうに死んでしまった人間について、なぜ私はこれほど考えているのだろうか。
 彼がどんな人生を歩んでそのような作品を生み出したのかを知りたいと思っているからだ。
 どんな人生を送ればこのように鬱々とした作品を、自分嫌いの人間に響くような作品を書けるのか、なぜ私が彼の作品に強く惹かれるのか知りたいと思っているからだ。
 彼の話がしたい。だが、彼の作品を数冊しか読んでいない私にはこれ以上語れることがない。このままではまた無為にずるずると数冊読んでしまいそうだ。
 彼の作品が好きな理由が欲しいが、わからない。共感しているだけだとは思いたくない。共感以外の理由が欲しい。そんなことを考えていると彼の本を読むのがつらくなるのに、まだ読んでしまう。惹かれてしまう。読みたくないというのに私が息をできるのは彼の本を読んでいるときだけで、いつの間にかそれ以外のどんな作品も受け付けなくなってしまった。
 理由が欲しい。彼の作品しか読めなくなった理由が欲しい。だがおかしなことに、自分の心さえ私は推測することしかできない。とっくに死んでしまった彼のことと同列に並べることしかできない。
 自分の心はわけのわからぬ海のようだ。
 私は諦め、本に手を伸ばす。
 今日もまた、思考の波から浮上して息継ぎするように、彼の作品を読んでしまう。
 答えは出なかった。
 明日もきっとわからないままなのだろう。


(おわり)
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