短編小説

「忍者!」
 彼は跳躍する。
「俺は! 忍者が! 好きなんだァァァ!」
 手裏剣を投擲!
 手裏剣は鉄筋コンクリートのビルの壁にスタタタと刺さる。迷惑! 建造物損壊!
「忍者が好きでどうしようもないんだよ! どうしようもなかったけど、忍者が好きだったら忍者になればいいって! 俺はそう思った! だからそれしかないんだ!」
 彼は空中でジャンプし、再び手裏剣を投擲する。
 ビルの屋上に刺さる手裏剣。危ない! 人がいたらどうするつもりだ!
「忍者になるしかない! 俺の人生は忍者になるしかないんだ!」
 叫び続ける彼を不審に思ったのか、ビルの窓から消防士が顔を出す。
「君! 危ないぞ!」
「危なくなんかない! 俺は忍者なんだ! 忍者はどんな状況にでも対応できる!」
 彼はまた空中でジャンプし、今度はフック付きロープを投げる。
 ガキン、とロープは窓に引っかかる。
「ちょっと! 忍者になってはいけない!」
 消防士はなおも叫ぶが、忍者が窓に引っかかったロープを引っ張ると窓は強制的に閉まった。
 彼は空中ジャンプを繰り返すとこの辺で一番高いビルの屋上に着地し、ヤンキー座りをした。
「忍者は何事にも対応できる。忍者は素晴らしい」
 膝の間に垂らされた両手が不安定に揺れている。ぴしっと支えておくだけの筋力がないのだ。
「忍者になれば全てのことが解決される。忍者が好きという気持ちが大事だ。しかし待て、忍者になった俺が忍者が好きではいけないのではないか?」
 彼は片手を頬に当てた。
「忍者が好きだ。好きなのだと思っていた。しかし今や俺は忍者。好きなどという甘えた気持ちは許され……」
 おもむろに跳躍する彼。
「それでも! 忍者が! 好きなんだよォォォーーーーッ! 忍者が忍者を好きで何が悪い! 忍者が好きな忍者だって一人くらいはいただろ! いいじゃん忍者! かっこいいじゃん! 胸がいっぱいになって何も言えなくなって涙が出るくらい忍者っていいじゃん! でも今や俺は忍者なんだからそんな好きに悩まされることなんかない忍者なんだから! 俺は! 忍者だァァァァッ!」
 ビルからビルに飛び移り、飛び移れない距離のところは空中ジャンプを繰り返して距離を稼ぎ、彼は遠くへと去って行った。その方角に見えているのは山。そう、忍者の里として有名なあの山である。
「忍者ァーーーーーーッ!」
 彼の声はビルの間で反響し、山にぶつかりこだました。
 彼が忍者になったということをその場にいた者は知っている。だが、忍者になる前の彼が何者であったかということを知る者は、誰もいないのであった。
 それは彼が何ということもない自己抑圧的な人間だったから。
 だが彼は今や忍者。そのようなことからも解放されていると聞いた。
 きっと今や立派な忍者として修行を欠かさずどこかの城に忍び込んだりしているのだろう。

 エイプリルフールにノイヴァンシュタイン城の絵葉書が届いた。裏返すと、「忍者」という署名がしてあった。
 彼の字かどうかはわからない。何ということもない自己抑圧的な人間の字のことなど私は覚えていないし、第一忍者などになった以上、字の癖なども変わってしまうことだろう。
 絵葉書に書かれた空は青く抜けるようで、遠く「忍者ァァァ!」という声が聴こえたような気がした。


(エイプリルフールは明日)
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