短編小説
「桜の木の下には死体が」
埋まっているわけがない。そんなことがありえてたまるか。
最初に言い出したのはなるほど明治の文豪かもしれないが、今や立派なミームと化してあちらこちらを回っている。
桜の木の下に死体など埋まっているわけがない。
埋まっていると信じられた方が世の中楽しく生きられる、そんなことはわかっている。
だが俺にはどうしても信じられない。あるわけがないと思ってしまう。
サンタはいないし、妖精はいないし、神も幽霊もいやしない。桜の木の下にも死体は埋まっていない。当然だ。そんなものは人々の空想なのだから。
幼い頃は信じていた。サンタはいるし、妖精もいるし、神も幽霊も存在していて桜の木の下には死体が埋まっていた。
無邪気な空想の産物を時に恐ろしく感じることはあれど、それは孤独から俺を守ってくれた。
長じるにつれ、空想のベールは色を失い、現実だけが残った。
絶望したとき、後悔したとき、疑問を抱いたとき、孤独なとき、何度も神に妖精に問いかけた。幽霊にさえも。俺はここにいる、ここにいて苦しんでいる、どうして何も言わないんだ、どうして誰も俺の存在に気付いてくれないんだ。
友はおらず、家族は遠く、誰にも本心をうち明けられず、疑問を抱いても提示できず、日々の雑事に精神を削られ疲労して、溜まり続ける業務に押し潰され、夜は襲い来る過去の記憶に後悔ばかり。
どうしてなんだ。どうして日々がこんなに重いんだ。神に、妖精に、幽霊に、問いかけ続けた。
一度も答えは返ってこなかった。神からも、妖精からも、幽霊からさえも。
俺はじわじわと理解していった。神、妖精、幽霊、その他もろもろ、およそ空想なんてものはこの世のどこにも存在しなくて、寒々とした現実の中で俺はただ一人きりなのだと。
そう。だから、桜の木の下にも死体は埋まっていない。
埋まっていると無邪気に信じている奴らを見るたび、途方もない嫉妬心に駆られる。俺は嘘でさえもそのロマンを信じることができないからだ。
俺と奴ら、生きる上で抱えている重さはきっと同程度のはずだ。なのに、俺は空想が信じられなくて、奴らは信じている。夢を見ている。空想の翼を持っている。
俺はどうして失ってしまったのだろう。
どうして俺は飛べないのだろう。
けれど夢の中でだけは俺も空が飛べて、それが唯一の救いだった。
眠っているときは現実から解放される。例え嫌な夢であっても、現実ではない。
ふわふわと眠り続ける中、ふと目を覚まして現実の冷たい刃に触れ、怯え、怒るとき、俺はぐるぐる唸って布団の中に潜り込む。
何度も信じようとして、信じられなくて、思考の最期に目を瞑る。
目を覚ました時ベッドの上の天窓から見える山桜は満開で、春風がその花弁を散らしている。
もし俺が死体なら、桜の木の下には死体が埋まっているのかもしれない。
けれど俺は土の中にいるわけではない。身体は生きているし、かろうじてまだ現実にその身を置いている。
想像の中でさえも理性が邪魔をして信じることができない。桜の木の下には死体が埋まっているのだ、そのはずなのだと何度繰り返したか。
ずっと食べずに過ごしでもすればその言葉を現実にできるのかもしれない。しかし、できたとしてもそれはほんの一瞬であり、永遠ではない。たった一瞬事象が成立したとしても、それが永久に通用する現実になるわけではない。
無駄なことはしたくなかった。
それに何より現実はお腹が空く。
現実。
俺は現実的な性格だから社会に出たらさぞ優秀に違いない。そう夢想したこともあった。だがその夢想でさえ現実の前では無力だった。
自分が役に立つ人間だということ。それだって空想だ。根拠のない思いこみ。俺はそれだって信じることができない。できなかったから今ここでこうしているのかもしれない。
だがもし俺が永遠に空想を信じられる人間であれば現実社会で認められていたのだろうかと考えてみてもそうは思えない。ありえない空想だと思ってしまう。
現実の前では俺は孤独な欠陥品で、俺の性質や内面がどういうものであったとしても俺はこうなる運命だったのだろうと思ってしまう。それが現実なのだと。
現実は無情で冷たい。現実の前では皆こうなってしまうものなのかと思っていたが、きちんと社会で認められている人々の多さを見るとどうも違うような気もする。だが、俺にはどうしても彼等と同じようにやれるとは思えない。
社会で認められている人々は現実を見ているのだと思っていた。だがそれだって本当は違っていて、彼等はほどほどに現実を見ているのだと思う。ほどほどに空想を信じている。空想と現実のレイヤーを行ったり来たりできるのだ。
俺にはそれができなかった。その結果、夢見がちな子供から、絶望しかない大人に成り果てて。
こうして桜の木の下でぐったりと眠っている。
だから、桜の木の下に死体が埋まっていることは空想。
桜の木の下にあるアパートの俺のベッドでは欠陥品である俺が寝たり起きたりしている。
これだけが逃れようもない現実だった。
(おわり)
埋まっているわけがない。そんなことがありえてたまるか。
最初に言い出したのはなるほど明治の文豪かもしれないが、今や立派なミームと化してあちらこちらを回っている。
桜の木の下に死体など埋まっているわけがない。
埋まっていると信じられた方が世の中楽しく生きられる、そんなことはわかっている。
だが俺にはどうしても信じられない。あるわけがないと思ってしまう。
サンタはいないし、妖精はいないし、神も幽霊もいやしない。桜の木の下にも死体は埋まっていない。当然だ。そんなものは人々の空想なのだから。
幼い頃は信じていた。サンタはいるし、妖精もいるし、神も幽霊も存在していて桜の木の下には死体が埋まっていた。
無邪気な空想の産物を時に恐ろしく感じることはあれど、それは孤独から俺を守ってくれた。
長じるにつれ、空想のベールは色を失い、現実だけが残った。
絶望したとき、後悔したとき、疑問を抱いたとき、孤独なとき、何度も神に妖精に問いかけた。幽霊にさえも。俺はここにいる、ここにいて苦しんでいる、どうして何も言わないんだ、どうして誰も俺の存在に気付いてくれないんだ。
友はおらず、家族は遠く、誰にも本心をうち明けられず、疑問を抱いても提示できず、日々の雑事に精神を削られ疲労して、溜まり続ける業務に押し潰され、夜は襲い来る過去の記憶に後悔ばかり。
どうしてなんだ。どうして日々がこんなに重いんだ。神に、妖精に、幽霊に、問いかけ続けた。
一度も答えは返ってこなかった。神からも、妖精からも、幽霊からさえも。
俺はじわじわと理解していった。神、妖精、幽霊、その他もろもろ、およそ空想なんてものはこの世のどこにも存在しなくて、寒々とした現実の中で俺はただ一人きりなのだと。
そう。だから、桜の木の下にも死体は埋まっていない。
埋まっていると無邪気に信じている奴らを見るたび、途方もない嫉妬心に駆られる。俺は嘘でさえもそのロマンを信じることができないからだ。
俺と奴ら、生きる上で抱えている重さはきっと同程度のはずだ。なのに、俺は空想が信じられなくて、奴らは信じている。夢を見ている。空想の翼を持っている。
俺はどうして失ってしまったのだろう。
どうして俺は飛べないのだろう。
けれど夢の中でだけは俺も空が飛べて、それが唯一の救いだった。
眠っているときは現実から解放される。例え嫌な夢であっても、現実ではない。
ふわふわと眠り続ける中、ふと目を覚まして現実の冷たい刃に触れ、怯え、怒るとき、俺はぐるぐる唸って布団の中に潜り込む。
何度も信じようとして、信じられなくて、思考の最期に目を瞑る。
目を覚ました時ベッドの上の天窓から見える山桜は満開で、春風がその花弁を散らしている。
もし俺が死体なら、桜の木の下には死体が埋まっているのかもしれない。
けれど俺は土の中にいるわけではない。身体は生きているし、かろうじてまだ現実にその身を置いている。
想像の中でさえも理性が邪魔をして信じることができない。桜の木の下には死体が埋まっているのだ、そのはずなのだと何度繰り返したか。
ずっと食べずに過ごしでもすればその言葉を現実にできるのかもしれない。しかし、できたとしてもそれはほんの一瞬であり、永遠ではない。たった一瞬事象が成立したとしても、それが永久に通用する現実になるわけではない。
無駄なことはしたくなかった。
それに何より現実はお腹が空く。
現実。
俺は現実的な性格だから社会に出たらさぞ優秀に違いない。そう夢想したこともあった。だがその夢想でさえ現実の前では無力だった。
自分が役に立つ人間だということ。それだって空想だ。根拠のない思いこみ。俺はそれだって信じることができない。できなかったから今ここでこうしているのかもしれない。
だがもし俺が永遠に空想を信じられる人間であれば現実社会で認められていたのだろうかと考えてみてもそうは思えない。ありえない空想だと思ってしまう。
現実の前では俺は孤独な欠陥品で、俺の性質や内面がどういうものであったとしても俺はこうなる運命だったのだろうと思ってしまう。それが現実なのだと。
現実は無情で冷たい。現実の前では皆こうなってしまうものなのかと思っていたが、きちんと社会で認められている人々の多さを見るとどうも違うような気もする。だが、俺にはどうしても彼等と同じようにやれるとは思えない。
社会で認められている人々は現実を見ているのだと思っていた。だがそれだって本当は違っていて、彼等はほどほどに現実を見ているのだと思う。ほどほどに空想を信じている。空想と現実のレイヤーを行ったり来たりできるのだ。
俺にはそれができなかった。その結果、夢見がちな子供から、絶望しかない大人に成り果てて。
こうして桜の木の下でぐったりと眠っている。
だから、桜の木の下に死体が埋まっていることは空想。
桜の木の下にあるアパートの俺のベッドでは欠陥品である俺が寝たり起きたりしている。
これだけが逃れようもない現実だった。
(おわり)
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