短編小説


 忍者が好き、なのだと思う。
 確信はない。どうして好きなのか、それもわからない。ただ忍者という概念に執着があるのであろうことはわかる。
 子供のころ、忍者に憧れた経験は大半の人にあるだろう。かっこいい装束、手裏剣、身のこなしに忍術。それらを夢中になって覚えて実践しようとする……そんな子供時代。
 長じるにつれ俺はそれらを忘れていき、実践の方も人目を気にしてしなくなり、今となっては薄ぼんやりとした憧れが残るだけ。
 積極的に調べるでもない、歴史小説を読むでもない、忍者、その言葉を聞くと現れるぼうっとした憧憬を持てあましてため息をひとつ、行き場のない感情を抑え込んで俯く。それだけ。
 感情が揺れるのは好きじゃない。溢れたそれらをどう扱えばいいのかわからなくなるから。
 感情が溢れても、いいことは特にない。なかった。
 責められる。仲間はずれにされる。陰口を叩かれる、叱られる。いっそ感情などない方がいいと思ったことが何度あったかわからない。
 俺は感情がすぐ表に出るタイプで、そういうところも周囲からの非好意的な反応を助長していた。それで困っていたからこそ、感情が表に出ない忍者に憧れたのかもしれない。今となってはわからないが。
 忍者。忍者が好きだ。好きなのだと思う。
 ぼんやりとした憧れは突然何かをきっかけとしてやってきて俺を襲って去って行く。拒否権はない。対処法もない。黙ってじっと耐えるだけ。
 忍者。忍者など、好きでなければいいのに。
 幼い頃の憧れなんて消えてなくなってくれればよかった。
 憧れが靴底に貼り付いたガムのように俺の中に残るから、いつもこうやって息を吐く。
 記憶は濁流だ。避けられない天災だ。
 いっそ忍者がやってきて俺を過去から救い出してくれればよかった。
 忍者が好きなのか?
 彼はやってこない。
 俺の生活に忍者は訪れず、ただ毎日が過ぎてゆく。
 そう。たぶん……好きなのだろう。
 忍者が。
 俺は。
 この先もずっと。


(おわり)
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