ロッカーを開けるとそこは
昼休み。所有者のいないロッカーの中に置かれていたマグカップには、湯気の立つココアが入っていた。
その脇に置かれた古風な封筒に、下手くそな字で『先輩へ』と書かれている。
そうか、もうそんな時期なんだな。
咄嗟にそう思う。
そんな時期なのかと思った自分。右手にロディバのラッピングされたチョコギフトアソートの箱を持っている自分。
このチョコギフトはこのロッカーに入れるためにわざわざ買った物だ。日曜日に街に出て。
今日がバレンタインということを意識していないと、そんな行動はしない。だが、ロッカーのココアを見たことで、今日がバレンタインということを改めて認識し直している自分もいた。
マグカップを取り、代わりに箱を放り込む。そして、ロッカーを閉める。
一年。
マグカップ片手に自分のデスクに戻り、座って両手でカップを持った。
一年と少し前の夏の日、後輩はあのロッカーから異世界に旅立っていった。
所有者のいなくなったロッカーは、しかし未だに異世界と何らかの方法で繋がっているようで、たまにこうして後輩からのメッセージやらバレンタインチョコやらが入っている。
後輩がまだこちらの世界にいたころ、俺と後輩はバレンタインチョコ(自分用)を交換し合っていた。我が社では義理チョコ文化が既に廃止されていたので、バレンタインにもらえるチョコは毎年後輩からの分だけだった。
後輩がいなくなった後のバレンタイン、今年は誰からももらえないんだなと思いながらなんとなくあのロッカーを開けたら後輩からのチョコが入っていて、これもまたなんとなく買っていた自分用チョコをロッカーに入れて、家に帰って食べた。
今年もロッカーにはチョコ……ココアだが、それが入っていて、あいつ案外律儀な性格だったんだなと思う自分と、少し期待しながら日曜に出かけてチョコを買った自分と。
ここ最近忙しくて、イベントごとについて考える暇もなかった。後輩がいなくなって増えた業務量は新しい後輩が入ってこないので一向に減ってくれない。
それでも、疲労感の残る身体を引きずってチョコだけは買いに行った。
なぜだかはわからない。ただなんとなく、そうした。
ココアに口をつける。
カカオの香り。異世界にもカカオはあるのか。
ほうっと息をついて、また飲む。
甘さは控えめで、ぐいぐい飲んでしまいそうになるのを我慢して少しずつ味わう。
マグカップの中身がなくなったのは、昼休みが終わるころだった。
チャイムが鳴る。
カップをビニール袋に入れて鞄に押し込み、俺は仕事に戻った。
◆
深夜。残業を終えて帰り着いた寮の食堂で、夕食を食べながら一人封筒を開ける。
『先輩へ。元気ですか? 俺は元気です。今年は宮廷料理人に教わってココアを作ってみました。先輩に届くまで温かいままでいるよう魔法もかけたので、きっとおいしく飲めたんじゃないかと思います。俺は今年もいっぱいチョコをもらいました。いいでしょ。先輩は今年もまたチョコをもらえてなさそうですね。心のこもった俺からのバレンタインを飲んで感謝してください』
相変わらずでやってるみたいだな。
便せんをしまおうとして、裏に何やら書き付けてあるのに気付く。
『P.S. 先輩、俺がいないからって頑張りすぎて倒れないでくださいね。たまには手紙、送ってください。待ってます』
「……は、」
息が漏れる。じわりと込み上げる何らかの感情。
それをわかろうとしてもわからなくて、しばらくじっと便せんを見詰めていた。
夜寝る前に、マグカップをきれいに洗って洗い籠に干す。
これで紅茶を飲んだら、きっと身体が暖まる。
封筒と便せんをクリアファイルにしまって、俺はベッドに潜り込んだ。
夢を見た。
誰かと一緒に空をどこまでも駆ける夢。
どこまでもどこまでも、空は青く、隣の誰かはずっと一緒で、満たされた気持ちで飛んでいた。
(おわり)