短編小説
個だったものは大きな全の中でたゆたい、同じ夢を見る。
宇宙は果てがなく、僕たちはどこまでも自由に旅をしていた。
皆といれば危険がない。皆といれば安心だ。
同じものを見て、同じことを感じて、同じ夢を見ながら僕たちは仲間探しの旅を続ける。
あるとき、僕たちは161番目の銀河の片隅にある一つの星を訪れた。
いつものように、僕たちの仲間に入る個を探しに。
疲れきっている個を探し、癒して引き入れる。
この星は有望で、一人また一人と新たな個が全になった。
会社員、書店員、通信士に軍人に、他にもたくさん。
お腹がいっぱいになった僕たちは、旅立つ前にある丘陵に寄った。
長く伸びる身体でとぐろを巻いて、ひと眠り。
意識が落ちかけたとき、
「――」
認識できない名で呼ばれる。
一瞬の戸惑いで、他の全は眠りに落ちたが、『僕』だけ表層に取り残され出てきてしまった。
「――だろ?」
呼ばれているが、認識できない。だが、なんとなく、どこか懐かしいような感情を覚える。
『君は』
「ミゼルだよ。覚えてないか? 毎日一緒に音楽聴いて遊んだろ」
音楽。
「こういう」
ミゼルと名乗った男は、手に持っていた楽器で音楽を演奏し始めた。
それはポップで流れるようなアップテンポの音楽だった。
きし、と思考がきしむ。
『僕』
ふわふわとしていた頭の中に、ひとつ、またひとつと浮かび上がってくる「記憶」。
音楽が好きだった。
この星に住んでいた。
作った歌を二人で歌って、楽器を演奏して、音楽家になれるといいねなんて語り合って。
『……ミゼル』
「元気してたか?」
『僕が見えるの?』
「音楽家は感受性が豊かなんでね」
『見える?』
「見えるさ」
『音楽家になった?』
「ああ」
『そう』
沈黙が落ちる。
不思議と眠気は襲ってこない。数十年ぶりに、思考が冴えていた。
「元気だったか?」
『うん』
「お前が行方不明になったって聞いてさ。後悔したよ、もっと連絡取ってればよかったって」
『うん』
「触っていいか?」
『……うん』
ミゼルが僕たちの頭部に手を伸ばす。触れるかと思ったその手は、僕たちの身体をすり抜けた。
「……やっぱり駄目か」
空振りになった手を握り込んで、ミゼルは呟く。
「俺はお前を見捨てたんだもんなあ」
『見捨てた? 違う』
「ん?」
『ミゼルは、生きてたから』
「生きてたのはお前もだろ」
『僕は』
僕はもう、
『……』
脇に置いていた楽器を持ち上げ、つまびくミゼル。
「お前がいなくなった後、たくさん曲を作ったよ」
じゃらん、と弦を弾く。
「聴いてくれるか」
僕は頷いた。
そして曲が始まる。
アップテンポからスローテンポに、またアップテンポになったかと思えば子守歌のように優しく。それは聴覚器官によく馴染み、しっくりくるような音列だった。
聴きながら僕はまどろむ。久しぶりの個の夢を見ながら。
昔のことを思い出す。
二人で語り合った日々、懐かしい学舎、進路が分かれた春、一人働き続けて疲れてしまった冬、全になった寒い夜。
忘れたと思っていた記憶。それは確実に「僕」だった。ぱちりぱちりと記憶のピースがはまってゆく。
空が白み始めた頃、曲は終わった。
拍手を送りたかったが、生憎叩くための手がない。だから、
『すごいね』
とだけ言った。
「すごいだろ。俺は偉大な音楽家だからな……だが」
お腹が暖かくなってくる。眠っていた全が目を覚ましつつあるのだ。
「お前がいないと……」
意識が遠のいてゆく。僕はまた全になろうとしている。
大きい身体が伸びをする。頭がミゼルを通り越して、遠くの方に伸びてゆく。
尻尾まで伸びきって、上体をもたげる。
宙に昇る準備。電源が入る。
演奏が聴こえる。
『僕』は意識を地上に向けた。
ミゼルが楽器を弾いている。懐かしい旋律。何度も聞いた覚えのある。
この曲は。
意識が覚醒する。蘇った記憶たちが行きたくないと駄々をこねる。
身体が宙に昇る瞬間、ぐい、と後ろに引っ張られた。
どすりと着地する僕。視界には宙に昇ってゆく全。
「痛っ」
「第一声がそれか」
「ミゼル? わ」
温かな布が僕にかけられて、驚く。僕はそこからもぞもぞと顔を出す。
「ああ……」
全の尻尾が空の彼方に消える。
「今なら引き留められると思った。俺の音楽には力があるからな」
「……そっか」
僕は頷く。
「お前も生きてるんだ。いや、俺がお前に生きてほしかった。エゴだな、これは」
「……」
「別に去ってくれても構わない。お前がそうしたいなら」
「……」
ミゼルの肩に、手を置く。
「いいよ」
ミゼルは黙っている。その身体は、震えていたから。
「一緒に生きよう」
僕は言った。
「言うと思った、わかってたぜ、俺とお前は親友だからな」
「ふふ」
僕は笑う。
「ミゼルはかわいいね」
「どこがだよ。おい、笑うんじゃない」
全になる者もいれば、個になる者もいる。
それは未来。
朝焼けが僕らを照らしていた。
(おわり)
宇宙は果てがなく、僕たちはどこまでも自由に旅をしていた。
皆といれば危険がない。皆といれば安心だ。
同じものを見て、同じことを感じて、同じ夢を見ながら僕たちは仲間探しの旅を続ける。
あるとき、僕たちは161番目の銀河の片隅にある一つの星を訪れた。
いつものように、僕たちの仲間に入る個を探しに。
疲れきっている個を探し、癒して引き入れる。
この星は有望で、一人また一人と新たな個が全になった。
会社員、書店員、通信士に軍人に、他にもたくさん。
お腹がいっぱいになった僕たちは、旅立つ前にある丘陵に寄った。
長く伸びる身体でとぐろを巻いて、ひと眠り。
意識が落ちかけたとき、
「――」
認識できない名で呼ばれる。
一瞬の戸惑いで、他の全は眠りに落ちたが、『僕』だけ表層に取り残され出てきてしまった。
「――だろ?」
呼ばれているが、認識できない。だが、なんとなく、どこか懐かしいような感情を覚える。
『君は』
「ミゼルだよ。覚えてないか? 毎日一緒に音楽聴いて遊んだろ」
音楽。
「こういう」
ミゼルと名乗った男は、手に持っていた楽器で音楽を演奏し始めた。
それはポップで流れるようなアップテンポの音楽だった。
きし、と思考がきしむ。
『僕』
ふわふわとしていた頭の中に、ひとつ、またひとつと浮かび上がってくる「記憶」。
音楽が好きだった。
この星に住んでいた。
作った歌を二人で歌って、楽器を演奏して、音楽家になれるといいねなんて語り合って。
『……ミゼル』
「元気してたか?」
『僕が見えるの?』
「音楽家は感受性が豊かなんでね」
『見える?』
「見えるさ」
『音楽家になった?』
「ああ」
『そう』
沈黙が落ちる。
不思議と眠気は襲ってこない。数十年ぶりに、思考が冴えていた。
「元気だったか?」
『うん』
「お前が行方不明になったって聞いてさ。後悔したよ、もっと連絡取ってればよかったって」
『うん』
「触っていいか?」
『……うん』
ミゼルが僕たちの頭部に手を伸ばす。触れるかと思ったその手は、僕たちの身体をすり抜けた。
「……やっぱり駄目か」
空振りになった手を握り込んで、ミゼルは呟く。
「俺はお前を見捨てたんだもんなあ」
『見捨てた? 違う』
「ん?」
『ミゼルは、生きてたから』
「生きてたのはお前もだろ」
『僕は』
僕はもう、
『……』
脇に置いていた楽器を持ち上げ、つまびくミゼル。
「お前がいなくなった後、たくさん曲を作ったよ」
じゃらん、と弦を弾く。
「聴いてくれるか」
僕は頷いた。
そして曲が始まる。
アップテンポからスローテンポに、またアップテンポになったかと思えば子守歌のように優しく。それは聴覚器官によく馴染み、しっくりくるような音列だった。
聴きながら僕はまどろむ。久しぶりの個の夢を見ながら。
昔のことを思い出す。
二人で語り合った日々、懐かしい学舎、進路が分かれた春、一人働き続けて疲れてしまった冬、全になった寒い夜。
忘れたと思っていた記憶。それは確実に「僕」だった。ぱちりぱちりと記憶のピースがはまってゆく。
空が白み始めた頃、曲は終わった。
拍手を送りたかったが、生憎叩くための手がない。だから、
『すごいね』
とだけ言った。
「すごいだろ。俺は偉大な音楽家だからな……だが」
お腹が暖かくなってくる。眠っていた全が目を覚ましつつあるのだ。
「お前がいないと……」
意識が遠のいてゆく。僕はまた全になろうとしている。
大きい身体が伸びをする。頭がミゼルを通り越して、遠くの方に伸びてゆく。
尻尾まで伸びきって、上体をもたげる。
宙に昇る準備。電源が入る。
演奏が聴こえる。
『僕』は意識を地上に向けた。
ミゼルが楽器を弾いている。懐かしい旋律。何度も聞いた覚えのある。
この曲は。
意識が覚醒する。蘇った記憶たちが行きたくないと駄々をこねる。
身体が宙に昇る瞬間、ぐい、と後ろに引っ張られた。
どすりと着地する僕。視界には宙に昇ってゆく全。
「痛っ」
「第一声がそれか」
「ミゼル? わ」
温かな布が僕にかけられて、驚く。僕はそこからもぞもぞと顔を出す。
「ああ……」
全の尻尾が空の彼方に消える。
「今なら引き留められると思った。俺の音楽には力があるからな」
「……そっか」
僕は頷く。
「お前も生きてるんだ。いや、俺がお前に生きてほしかった。エゴだな、これは」
「……」
「別に去ってくれても構わない。お前がそうしたいなら」
「……」
ミゼルの肩に、手を置く。
「いいよ」
ミゼルは黙っている。その身体は、震えていたから。
「一緒に生きよう」
僕は言った。
「言うと思った、わかってたぜ、俺とお前は親友だからな」
「ふふ」
僕は笑う。
「ミゼルはかわいいね」
「どこがだよ。おい、笑うんじゃない」
全になる者もいれば、個になる者もいる。
それは未来。
朝焼けが僕らを照らしていた。
(おわり)
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