短編小説
ふと立ち止まる。
靴の裏に、べたべたしたものがついている。
足を上げて見てみると、紙でできたシールのようだ。
白くて円形の小さなシール。
どこでつけてしまったのだろう。こんなものがついていては、歩きにくいことこの上ない。
僕はシールを靴底からぺりりと剥がし、丸めてポケットに入れた。
そしてまた足を踏み出す。
ぺたり。
何かがひっつく感触。無視して歩みを進めると、またぺたり。
足を上げようとして、道の先が目に入った。
たくさんの白いシールがぺらぺらと道に落ちている。まるでそこに用意されているかのように。
避けて歩くのは難しそうだった。
「これは情」
すぐ側から声が聞こえた。
見回すと、俺の右斜め後方に白いワンピースを着た一人の少女。
周囲にはたくさんのシールがくしゃくしゃになって積み上がっている。
「まとわりついて気持ち悪いでしょう?」
「いや……」
俺は言葉を濁す。
「情はまとわりつくもの。普通に歩いていたらどんどんくっついて、身体が重くなる。じゃあ、どうすればいいと思う?」
いきなりそう訊かれても、わからない。シールがことさら靴にくっついてくるのは邪魔だとは思うが、くっついたままでも歩くことはできるし、家に帰ってからまとめて剥がせば簡単で楽なんじゃないかと思うけれど。
「教えてあげようか?」
そう言って一枚、シールを剥がして脇に置く。
「教えてもらってもな。君はそうしてゴミの山を積み上げてるし」
「ふふ、素直じゃないね。教えてあげる。孤独になれば、情を避けられるんだよ」
「孤独」
「そう、孤独」
「孤独は嫌いだ」
孤独は嫌いだ。一人になると自分の存在を強く感じてしまう。それはノイズだ。生きていく上で邪魔なもの。こんなシールよりもずっと邪魔なものだ。
「情だってさ、ないよりあった方がいいと思う。邪魔になるときがあっても、そのときはそのとき。困ってから対処すればいいじゃないか。どうして君はそんなに情を嫌うんだ」
「嫌いなんじゃない、煩わしいだけ」
「煩わしい?」
意味深な言い回しはやめてほしい。
「情自体に特別な感情はないよ。ただ、貼り付いてきて邪魔だから。邪魔なものは最初から避けて歩きたいでしょう」
「それでそうやってゴミを積み上げるのか?」
「仕方ないよ、寄ってくるんだから」
「ああ」
俺は納得する。
「君は嫌になってしまったんだな」
「嫌いじゃないって言ってるのに」
「嫌いと嫌は違う。嫌いは感情だけど、嫌っていうのは拒むことだ」
少女は黙った。
「それなら避けていればいい。何も自ら絡まりに行く必要なんてないし。俺は情が必要だから普通に歩くけど」
「情なんて。ろくなものじゃないのに。あなたも早く気付いたらいいのに。孤独になれば楽になれるのに」
孤独。
「孤独は嫌いだ」
孤独はもうたくさんなんだ。
「そう。じゃあ、後悔したらいいわ」
それっきり、少女はゴミを積み上げる作業に戻る。シールが寄ってくるのを煩わしそうに丸めて捨てる作業。
俺は前に向き直り、また歩き始めた。
ぺたりぺたりとくっつくシールたち。
足がだんだん重くなってゆく。
本当のところは適度に立ち止まってシールを剥がした方がいいんじゃないか、と思い始めた。だが、剥がしたものを道に捨てずにしまいこんでも重さはそのままだ。
情が必要だから、などと。情を嫌がる相手によくもあんなことが言えたものだ。だいいち、彼女には立ち止まっていても情が寄ってきていた。歩かないと情に行き当たらない俺とは境遇が違う。
だが、俺はどうすればよかった? あそこで同情してみせるのも違っただろう。彼女は同情を求めていなかった。ただ自分なりの処世術を教えてくれようとしただけ。多少唐突ではあったが。
そういえば、名前も聞いていなかった。
俺は立ち止まり、振り返る。
先に行きすぎてしまったのか、彼女はもう見えない。
貼り付いていく重たい情を処理し続けるのと、砂漠の砂嵐のような孤独のノイズに耐えるのと、どちらがましなのだろう。
点々と、シールが落ちている。
家にはまだ着きそうにない。
(おわり)
靴の裏に、べたべたしたものがついている。
足を上げて見てみると、紙でできたシールのようだ。
白くて円形の小さなシール。
どこでつけてしまったのだろう。こんなものがついていては、歩きにくいことこの上ない。
僕はシールを靴底からぺりりと剥がし、丸めてポケットに入れた。
そしてまた足を踏み出す。
ぺたり。
何かがひっつく感触。無視して歩みを進めると、またぺたり。
足を上げようとして、道の先が目に入った。
たくさんの白いシールがぺらぺらと道に落ちている。まるでそこに用意されているかのように。
避けて歩くのは難しそうだった。
「これは情」
すぐ側から声が聞こえた。
見回すと、俺の右斜め後方に白いワンピースを着た一人の少女。
周囲にはたくさんのシールがくしゃくしゃになって積み上がっている。
「まとわりついて気持ち悪いでしょう?」
「いや……」
俺は言葉を濁す。
「情はまとわりつくもの。普通に歩いていたらどんどんくっついて、身体が重くなる。じゃあ、どうすればいいと思う?」
いきなりそう訊かれても、わからない。シールがことさら靴にくっついてくるのは邪魔だとは思うが、くっついたままでも歩くことはできるし、家に帰ってからまとめて剥がせば簡単で楽なんじゃないかと思うけれど。
「教えてあげようか?」
そう言って一枚、シールを剥がして脇に置く。
「教えてもらってもな。君はそうしてゴミの山を積み上げてるし」
「ふふ、素直じゃないね。教えてあげる。孤独になれば、情を避けられるんだよ」
「孤独」
「そう、孤独」
「孤独は嫌いだ」
孤独は嫌いだ。一人になると自分の存在を強く感じてしまう。それはノイズだ。生きていく上で邪魔なもの。こんなシールよりもずっと邪魔なものだ。
「情だってさ、ないよりあった方がいいと思う。邪魔になるときがあっても、そのときはそのとき。困ってから対処すればいいじゃないか。どうして君はそんなに情を嫌うんだ」
「嫌いなんじゃない、煩わしいだけ」
「煩わしい?」
意味深な言い回しはやめてほしい。
「情自体に特別な感情はないよ。ただ、貼り付いてきて邪魔だから。邪魔なものは最初から避けて歩きたいでしょう」
「それでそうやってゴミを積み上げるのか?」
「仕方ないよ、寄ってくるんだから」
「ああ」
俺は納得する。
「君は嫌になってしまったんだな」
「嫌いじゃないって言ってるのに」
「嫌いと嫌は違う。嫌いは感情だけど、嫌っていうのは拒むことだ」
少女は黙った。
「それなら避けていればいい。何も自ら絡まりに行く必要なんてないし。俺は情が必要だから普通に歩くけど」
「情なんて。ろくなものじゃないのに。あなたも早く気付いたらいいのに。孤独になれば楽になれるのに」
孤独。
「孤独は嫌いだ」
孤独はもうたくさんなんだ。
「そう。じゃあ、後悔したらいいわ」
それっきり、少女はゴミを積み上げる作業に戻る。シールが寄ってくるのを煩わしそうに丸めて捨てる作業。
俺は前に向き直り、また歩き始めた。
ぺたりぺたりとくっつくシールたち。
足がだんだん重くなってゆく。
本当のところは適度に立ち止まってシールを剥がした方がいいんじゃないか、と思い始めた。だが、剥がしたものを道に捨てずにしまいこんでも重さはそのままだ。
情が必要だから、などと。情を嫌がる相手によくもあんなことが言えたものだ。だいいち、彼女には立ち止まっていても情が寄ってきていた。歩かないと情に行き当たらない俺とは境遇が違う。
だが、俺はどうすればよかった? あそこで同情してみせるのも違っただろう。彼女は同情を求めていなかった。ただ自分なりの処世術を教えてくれようとしただけ。多少唐突ではあったが。
そういえば、名前も聞いていなかった。
俺は立ち止まり、振り返る。
先に行きすぎてしまったのか、彼女はもう見えない。
貼り付いていく重たい情を処理し続けるのと、砂漠の砂嵐のような孤独のノイズに耐えるのと、どちらがましなのだろう。
点々と、シールが落ちている。
家にはまだ着きそうにない。
(おわり)
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