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「いらっしゃいませ!」
フローリアン・フォーテスキューのアイスクリームパーラーに明るい声が響いた。しかし、次の瞬間、店員は驚いて目をまんまるにした。あまりにも場違いなプラチナ・ブロンドが、扉を開けて店の中に入ってきたからだ。
「このアイスケーキをホールで」
ドラコ・マルフォイはショーケースを一瞥すると、店で最も高級な商品──マーリンのお値段2度見アイスケーキ──を指差して言った。
「お買い上げありがとうございます。オプションでケーキの上に花火もつけられますが、いかがですか?」
ラインはレジの横に置いてある派手なパッケージを手に取り、マルフォイに見せた。裏面の説明書きにはこう書いてある。
────────────────────
フローリアン・フォーテスキュー ×ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ
待望のコラボ商品が登場。ろうそくに点火すると花火が噴き出し、空中にお好きな文字を描きます。
□使用方法
1.アイスケーキの中央にろうそくをしっかりと刺し込み、固定してください。
2.ろうそくに点火後、最低3歩後退してください。
□注意事項
壁や天井の焦げ跡について、当店では一切の責任を負いかねます。
────────────────────
「いいアイデアだ。これもつけてくれ」
マルフォイがさらりと言った。ラインはびっくり仰天した。そして、店員の立場をすっかり忘れてマルフォイに質問した。
「このアイスケーキ、誰に渡すの?」
「知り合いの女性だ。アイスならば、体調が優れない日にも喉を通るかと思って──」
マルフォイはめずらしく語尾を濁した。その瞬間、ラインの脳みそは人生で最大の洞察力を発揮した。
「どのような文字をお書きいたしましょうか?」
「『貴方が元気になりますように』で頼む」
「かしこまりました」
ラインは杖を振り、花火に「I love you」の文字を記憶させた。恋のキューピッドになるか、店の存続を危うくさせる大ばか店員になるかは一か八かだけれど、彼には幸せになって欲しいもの。
「なんだか、雰囲気が変わったね」
アイスケーキを入れた紙箱を手渡しながら、ラインはマルフォイをまじまじと見た。マルフォイはちょっとおもしろそうな顔になり、ラインに向かって首を傾げてみせた。
「そうか。どのあたりが変わったように思う?」
「うーん」
ラインは真剣に考えた。そして、すぐに結論を出した。
「あっ。髪型が変わったんだ。伸びたね」
驚くことにマルフォイは声を上げて笑った。彼はラインに片手を挙げて挨拶してから、扉に向かって歩き始めた。しかし彼は途中で立ち止まり、静かにラインを振り向いた。
「お前、今日は何時に上がる?」
「あと10分で上がるよ」
「テラスに座っている、あの黒髪の女──」
マルフォイはレジの前まで戻ってくると、ラインの耳元に顔を寄せて囁いた。
「──お前のことを監視している」
「ああ、あの人ね。朝からずっとテラスにいるの。何回か話しかけられたよ。『私のことを知っていますか?』って」
「いかにも怪しいやつじゃないか。お前はもっと、警戒心を持て」
つい先日まで自分が死喰い人だったことを棚に上げて、マルフォイはラインを叱りつけた。
「あの人は大丈夫だよ。フォーテスキューさんの知り合いみたいだったし、チョコナッツパフェを7回もおかわりしてくれたもの」
ラインはあっけらかんと言った。経験上、甘い物が好きな人に悪い人はいない。
「相変わらずボケっとしているな」
マルフォイはイライラと言い、テラスを顎でしゃくってみせた。
「見てみろ。あの女、間違いなくこちらに敵意を向けている」
ラインは首を伸ばした。そして、窓ガラス越しに外のテラスを見て、ラインは驚いた。例の女性が、チョコナッツパフェにスプーンを突っ込んでかき混ぜながら、まるで長年の宿敵を見るような目でマルフォイを見ていたからだ。
──
「やけに大荷物だな」
従業員用の裏口から店の外の通りに出ると、マルフォイの呆れたような声が飛んできた。
「うん。実はね──」
ラインは渾身のドヤ顔をマルフォイと通りすがりの人々に披露した。
「今日から、ジョージと2人暮らしを始めるの!」
「そうか。よかったな」
ラインは目をぱちぱちさせた。マルフォイが人の気持ちに寄り添うような発言をしたからだ。マルフォイはラインの手から大荷物を受け取り、周囲を警戒しつつ歩き始めた。
「新居はここから近いのか?」
「うん。次の通りを左に曲がったらすぐだよ」
「へえ。ウィーズリーのやつ、なかなかやるじゃないか。このあたりは地価が高いはずだ」
「えへへ。ジョージがね、『私が通勤に姿あらわしを使わなくても済むように』って──」
ラインは惚気話を一時中断した。マルフォイが「しっ」と言って、ラインを後ろに押しやったからだ。
「どうしたの?」
ラインはヒソヒソ声で聞いた。
「視線を感じた。間違いなく、悪意のある視線だった」
マルフォイは通りのあちらこちらに素早く杖を向けながら言った。
「そう?私は特に何も感じなかったけど」
「お前はいつもそうだろう。たとえバジリスクに睨まれたって、お前は特に何も感じないはずだ」
「それはさすがに石になるよ」
ラインが指摘した瞬間、何か小さくて白いものが2人の足元を横切った。マルフォイは「ひっ」と言ってすくみ上がり、ラインの腕にしがみついた。ラインはきょろきょろとあたりを見回した。
「どうも。妻がお世話になったようで」
地の底を這うような声が聞こえた。マルフォイが掴んでいたラインの腕をパッと離した。ラインは振り向いた。そこに、最愛の夫が立っていた。ラインはジョージに飛びつこうとしたが、ジョージはそれどころではないようだった。ジョージはマルフォイの前までつかつかと進み出て、敵の目をギロリと睨みつけた。そして、マルフォイの手からラインの荷物を奪い取った。
「いえ、当然のことをしただけです。夜道を女性1人で歩かせるわけにはいきませんので」
マルフォイはジョージの杖腕から目を離さず、やけに礼儀正しく言った。
「頼もしい友人を持って、妻は幸運ですな」
「光栄です。なにせ、奥様と私は『一夜を共にした仲』ですので──」
マルフォイが言い終える前に、ジョージの手が動いた。ジョージの杖の先から数匹の白イタチがわっと飛び出して、マルフォイにじゃれついた。マルフォイは必死に白イタチを払いのけようとした。ラインは白イタチが何匹いるか数えた。しかし4匹めを数えたところで、マルフォイがその場で回転し、姿くらましするのが見えた。
「趣味が悪いぞ、ウィーズリー!」
「送ってくれてありがとう!またね」
ラインはマルフォイの残像に向かって手を振った。
──
「ねえ、ジョージ。今日ね──」
猛スピードで食器洗いをしているジョージの背中に向かって、ラインは上機嫌に話しかけた。
「『今後の頑張り次第では、そのうち君に店をくれてやってもいい』って、フォーテスキューさんが言ってくれたの」
「そりゃあすごいな。経営者にとって、その台詞は重みがあるぞ」
ジョージは振り向いてラインににっこりと笑いかけたが、食器洗いをする手は止めなかった。
「うん。ますますやる気がわいてきちゃった」
ラインは夕飯の残りをタッパーに移し替えながら、幸せを噛み締めた。憧れのフローリアン・フォーテスキューに雇ってもらえたことも、いまジョージと一緒に夕食の後片付けをしていることも、すべてが信じられないくらい幸せだった。
「さてと」
全ての皿をピカピカに拭き終えたジョージが、やけにはっきりと言った。
「俺はそろそろシャワーを浴びてくるぜ」
「うん。もうそんな時間だね。ああ、そういえば──」
夢見心地のラインは適当な相槌を打った。
「さっきマルフォイが言ってた『一夜を共にする』って、どういう意味?」
「それは文脈によるな」
ジョージはバスタオルとパジャマを手に持ち、風呂場に片足を突っ込みながら言った。
「じゃ、俺はシャワーを浴びてくるぜ」
ラインが返事をする前に、ジョージの姿は風呂場に消えていた。ラインはリビングを見回した。ラインがのろのろしている間に、ジョージが夕食の後片付けを全て済ませてしまっていた。あとでお礼を言わないと。
「ボディソープがはちみつの香りだったね!」
ラインは髪の毛をタオルで拭きながら、のんびりとリビングに戻った。ジョージは机の上にかがみ込み、熱心に爪の手入れをしていた。
「ああ、昨日買っておいたんだ。デザートは甘いほうがいいだろ?」
ジョージは机から顔を上げて、意味ありげにニヤッとした。
「そのとおりだね!あと、夕飯の後片付けをしてくれてありがとう」
ラインはお礼を言うことをギリギリ忘れなかった。
「どういたしまして。さあ、髪を乾かしてあげよう」
ジョージは杖から温風を出して、ラインの髪を乾かし始めた。ときどき温風が首すじをくすぐるので、ラインは身をよじってケラケラ笑った。そのたびに、ジョージはラインをじっと見つめた。
「くすぐったいよ、ジョージ」
ジョージの杖の位置はだんだんと下がり、今や温風はラインのわき腹をくすぐっていた。ラインはジョージに飛びついて仕返しをしようとした。しかし、ジョージはいともたやすくラインを捕まえて、腕の中に閉じ込めた。
「まだ濡れてるけど、もう我慢できない。早く寝室へ行こう」
「うん。いいよ」
ラインはにっこりした。気持ちが前のめりになっているジョージのことをかわいいと思った。寝室へ入ると、ジョージは待ちきれないとばかりにラインを抱き寄せた。
「あ、ちょっと待ってね」
ラインはジョージの腕の中からするりと抜け出し、杖を取り出して「ノックス、消えよ!」と唱えた。寝室は真っ暗になった。
「よし、これで準備万端!ジョージの好きなタイミングで始めていいよ!とっても楽しみだね!」
ラインは元気よく言った。ジョージは一瞬驚いたように固まってから、ベッドに突っ伏して大笑いした。
「いったい、君はこれから何をするつもりなんだ?」
「花火じゃないの?」
ラインは首を捻った。
「今夜はジョージが『ウィーズリーの暴れバンバン花火』を打ち上げる予定だって聞いたよ」
「信じられないほど下品なガセネタだな」
ジョージは呆れた顔で言った。
「まったく。フレッドってば、毎週のように私のことを騙して──」
ラインはフレッドに対する文句を最後まで言うことが出来なかった。突然、大きな手に口を塞がれたからだ。
「ベッドの上で、他の男の名前を呼ばないでくれよ」
ジョージが真剣な顔で言った。ベッドの上でフレッドの名前を呼んではいけない理由が分からなかったので、ラインはモゴモゴと文句を言った。
「まあいいさ。すぐに俺のことしか考えられないようにしてやるさ」
それからのことは、あまり覚えていない。気が付いた時には全身が火照り、身体の奥がビリビリと痺れていて、ジョージが満足そうにこちらを見下ろしていた。
「君はどこもかしこも分かりやすいな」
ラインはジョージの言葉を聞いていなかった。ただ、彼の目尻のしわをぼーっと見つめていた。月明かりに照らされて、ジョージの大きな影がゆっくりと覆い被さってきた時、ラインは途端に緊張し始めた。
「心配いらないさ。優しくするよ」
ラインを安心させるように、ジョージはラインの頭を撫でた。
「もし、痛かったら言ってくれ。声が出せなければ、手でも挙げておくれよ」
ラインはくすくす笑った。なんだか、歯医者さんの台詞みたいだと思ったからだ。たぶん、ハーマイオニーにしか伝わらないだろうけれど。
──
「もう、すっかり春だね」
ピンク色の花々を咲かせている街路樹を見上げて、ラインは上機嫌に言った。しかし、ジョージは心配そうにラインの足元を見つめていた。
「いつも以上にフラフラしてるな。もしかして、どこかが痛むかい?」
「ううん、どこも痛くないよ。美味しい朝ごはんをたっぷり食べたから、元気いっぱい」
ラインはにっこりした。自分が千鳥足で出勤しているのは、あまりの幸せに酔っぱらっているせいだと分かっていた。
「それにしても、ジョージがあんなに料理上手だなんて知らなかった」
「ああ、あのパンケーキには『ちょっとしたスパイス』が効いてるからな。それに──」
ジョージはこれでもかというほどニヤニヤしながら言った。
「──俺は器用だから、大抵のことは上手くできるぜ。君も知ってのとおり」
ラインは赤面した。
「おはようございます。昨日ぶりですね」
ラインは声にならない悲鳴を上げて、ジョージの腕にしがみついた。目の前の街路樹の陰から、髪の長い女性がぬっと現れたからだ。昨日テラスに居座っていた女性だった。
「おいおい。それで変装しているつもりだとしたら、闇祓い局はちょっと平和ボケしすぎだぜ」
ジョージはラインを抱き寄せて、ケラケラ笑った。
「うん。やっぱり、24時間が限界かな。だんだん目も見えなくなってきた」
女性はそう呟くと、ポケットから眼鏡を取り出してかけた。次の瞬間、女性の背がぐんぐんと伸び始めた。ラインは固唾を呑んで変身を見守った。長い黒髪が頭に吸い込まれるように短くなったあと、額に決定的な稲妻模様が浮かび上がった。
「ハリー!」
ラインはびっくり仰天した。
「どうして、また女装なんかしてるの?」
「闇祓い局の研修中なんだ。隠密行動のね」
ハリー・ポッターは誇らしげな顔で説明した。
「自分をよく知るターゲットに接近して、24時間のあいだ正体を見抜かれなければ、合格点を貰える」
「もしかして──」
ラインはようやくピンときた。
「あなたのターゲットって、私?」
「そのとおりだよ。おかげで合格点を貰えそうだ。まだレベルTだけど──」
「レベルTってなに?」
ラインは自分の悪口に目敏いというやっかいな能力を発揮した。ジョージは大笑いした。
「違うんだ。僕じゃない。ムーディが決めたんだ。僕は決して、君の洞察力がトロールレベルだなんて思っていないよ」
しどろもどろになりながら言い訳するハリーを、ラインはさらに問い詰めた。
「トロールはケーキを焼けないでしょ?私はおいしいアイスケーキを作れるもの」
「まあまあ」
笑いすぎて溢れた涙をぬぐいながら、ジョージは妻の肩を優しく抱いて言った。
「仮に君の洞察力がトロールレベルだったとしても、俺にとっちゃ、それさえも魅力的だぜ」
ラインの怒りは瞬時に鎮まった。思いやりのある夫に、ラインはメロメロになった。
「ジョージ、大好き。明日は私がパンケーキを焼いてあげるね。『ちょっとしたスパイス』もたっぷりと入れてあげる」
「そりゃあ楽しみだな。君は世界一の奥さんだ」
ジョージの顔が近づいてきたので、ラインは目を閉じた。夫のキスを受け入れるのに夢中になって、ラインは目の前に友人がいることも、ここがダイアゴン横丁のど真ん中であることもすっかり忘れてしまった。当然のごとく、ハリーがぶつくさ言った言葉は、ラインの耳を右から左へと通り過ぎていった。
「まったくさ。こっちは24時間働きづめだっていうのに。そもそも『ちょっとしたスパイス』とかいうのは、いったいなんなんだい?」
フローリアン・フォーテスキューのアイスクリームパーラーに明るい声が響いた。しかし、次の瞬間、店員は驚いて目をまんまるにした。あまりにも場違いなプラチナ・ブロンドが、扉を開けて店の中に入ってきたからだ。
「このアイスケーキをホールで」
ドラコ・マルフォイはショーケースを一瞥すると、店で最も高級な商品──マーリンのお値段2度見アイスケーキ──を指差して言った。
「お買い上げありがとうございます。オプションでケーキの上に花火もつけられますが、いかがですか?」
ラインはレジの横に置いてある派手なパッケージを手に取り、マルフォイに見せた。裏面の説明書きにはこう書いてある。
────────────────────
フローリアン・フォーテスキュー ×ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ
待望のコラボ商品が登場。ろうそくに点火すると花火が噴き出し、空中にお好きな文字を描きます。
□使用方法
1.アイスケーキの中央にろうそくをしっかりと刺し込み、固定してください。
2.ろうそくに点火後、最低3歩後退してください。
□注意事項
壁や天井の焦げ跡について、当店では一切の責任を負いかねます。
────────────────────
「いいアイデアだ。これもつけてくれ」
マルフォイがさらりと言った。ラインはびっくり仰天した。そして、店員の立場をすっかり忘れてマルフォイに質問した。
「このアイスケーキ、誰に渡すの?」
「知り合いの女性だ。アイスならば、体調が優れない日にも喉を通るかと思って──」
マルフォイはめずらしく語尾を濁した。その瞬間、ラインの脳みそは人生で最大の洞察力を発揮した。
「どのような文字をお書きいたしましょうか?」
「『貴方が元気になりますように』で頼む」
「かしこまりました」
ラインは杖を振り、花火に「I love you」の文字を記憶させた。恋のキューピッドになるか、店の存続を危うくさせる大ばか店員になるかは一か八かだけれど、彼には幸せになって欲しいもの。
「なんだか、雰囲気が変わったね」
アイスケーキを入れた紙箱を手渡しながら、ラインはマルフォイをまじまじと見た。マルフォイはちょっとおもしろそうな顔になり、ラインに向かって首を傾げてみせた。
「そうか。どのあたりが変わったように思う?」
「うーん」
ラインは真剣に考えた。そして、すぐに結論を出した。
「あっ。髪型が変わったんだ。伸びたね」
驚くことにマルフォイは声を上げて笑った。彼はラインに片手を挙げて挨拶してから、扉に向かって歩き始めた。しかし彼は途中で立ち止まり、静かにラインを振り向いた。
「お前、今日は何時に上がる?」
「あと10分で上がるよ」
「テラスに座っている、あの黒髪の女──」
マルフォイはレジの前まで戻ってくると、ラインの耳元に顔を寄せて囁いた。
「──お前のことを監視している」
「ああ、あの人ね。朝からずっとテラスにいるの。何回か話しかけられたよ。『私のことを知っていますか?』って」
「いかにも怪しいやつじゃないか。お前はもっと、警戒心を持て」
つい先日まで自分が死喰い人だったことを棚に上げて、マルフォイはラインを叱りつけた。
「あの人は大丈夫だよ。フォーテスキューさんの知り合いみたいだったし、チョコナッツパフェを7回もおかわりしてくれたもの」
ラインはあっけらかんと言った。経験上、甘い物が好きな人に悪い人はいない。
「相変わらずボケっとしているな」
マルフォイはイライラと言い、テラスを顎でしゃくってみせた。
「見てみろ。あの女、間違いなくこちらに敵意を向けている」
ラインは首を伸ばした。そして、窓ガラス越しに外のテラスを見て、ラインは驚いた。例の女性が、チョコナッツパフェにスプーンを突っ込んでかき混ぜながら、まるで長年の宿敵を見るような目でマルフォイを見ていたからだ。
──
「やけに大荷物だな」
従業員用の裏口から店の外の通りに出ると、マルフォイの呆れたような声が飛んできた。
「うん。実はね──」
ラインは渾身のドヤ顔をマルフォイと通りすがりの人々に披露した。
「今日から、ジョージと2人暮らしを始めるの!」
「そうか。よかったな」
ラインは目をぱちぱちさせた。マルフォイが人の気持ちに寄り添うような発言をしたからだ。マルフォイはラインの手から大荷物を受け取り、周囲を警戒しつつ歩き始めた。
「新居はここから近いのか?」
「うん。次の通りを左に曲がったらすぐだよ」
「へえ。ウィーズリーのやつ、なかなかやるじゃないか。このあたりは地価が高いはずだ」
「えへへ。ジョージがね、『私が通勤に姿あらわしを使わなくても済むように』って──」
ラインは惚気話を一時中断した。マルフォイが「しっ」と言って、ラインを後ろに押しやったからだ。
「どうしたの?」
ラインはヒソヒソ声で聞いた。
「視線を感じた。間違いなく、悪意のある視線だった」
マルフォイは通りのあちらこちらに素早く杖を向けながら言った。
「そう?私は特に何も感じなかったけど」
「お前はいつもそうだろう。たとえバジリスクに睨まれたって、お前は特に何も感じないはずだ」
「それはさすがに石になるよ」
ラインが指摘した瞬間、何か小さくて白いものが2人の足元を横切った。マルフォイは「ひっ」と言ってすくみ上がり、ラインの腕にしがみついた。ラインはきょろきょろとあたりを見回した。
「どうも。妻がお世話になったようで」
地の底を這うような声が聞こえた。マルフォイが掴んでいたラインの腕をパッと離した。ラインは振り向いた。そこに、最愛の夫が立っていた。ラインはジョージに飛びつこうとしたが、ジョージはそれどころではないようだった。ジョージはマルフォイの前までつかつかと進み出て、敵の目をギロリと睨みつけた。そして、マルフォイの手からラインの荷物を奪い取った。
「いえ、当然のことをしただけです。夜道を女性1人で歩かせるわけにはいきませんので」
マルフォイはジョージの杖腕から目を離さず、やけに礼儀正しく言った。
「頼もしい友人を持って、妻は幸運ですな」
「光栄です。なにせ、奥様と私は『一夜を共にした仲』ですので──」
マルフォイが言い終える前に、ジョージの手が動いた。ジョージの杖の先から数匹の白イタチがわっと飛び出して、マルフォイにじゃれついた。マルフォイは必死に白イタチを払いのけようとした。ラインは白イタチが何匹いるか数えた。しかし4匹めを数えたところで、マルフォイがその場で回転し、姿くらましするのが見えた。
「趣味が悪いぞ、ウィーズリー!」
「送ってくれてありがとう!またね」
ラインはマルフォイの残像に向かって手を振った。
──
「ねえ、ジョージ。今日ね──」
猛スピードで食器洗いをしているジョージの背中に向かって、ラインは上機嫌に話しかけた。
「『今後の頑張り次第では、そのうち君に店をくれてやってもいい』って、フォーテスキューさんが言ってくれたの」
「そりゃあすごいな。経営者にとって、その台詞は重みがあるぞ」
ジョージは振り向いてラインににっこりと笑いかけたが、食器洗いをする手は止めなかった。
「うん。ますますやる気がわいてきちゃった」
ラインは夕飯の残りをタッパーに移し替えながら、幸せを噛み締めた。憧れのフローリアン・フォーテスキューに雇ってもらえたことも、いまジョージと一緒に夕食の後片付けをしていることも、すべてが信じられないくらい幸せだった。
「さてと」
全ての皿をピカピカに拭き終えたジョージが、やけにはっきりと言った。
「俺はそろそろシャワーを浴びてくるぜ」
「うん。もうそんな時間だね。ああ、そういえば──」
夢見心地のラインは適当な相槌を打った。
「さっきマルフォイが言ってた『一夜を共にする』って、どういう意味?」
「それは文脈によるな」
ジョージはバスタオルとパジャマを手に持ち、風呂場に片足を突っ込みながら言った。
「じゃ、俺はシャワーを浴びてくるぜ」
ラインが返事をする前に、ジョージの姿は風呂場に消えていた。ラインはリビングを見回した。ラインがのろのろしている間に、ジョージが夕食の後片付けを全て済ませてしまっていた。あとでお礼を言わないと。
「ボディソープがはちみつの香りだったね!」
ラインは髪の毛をタオルで拭きながら、のんびりとリビングに戻った。ジョージは机の上にかがみ込み、熱心に爪の手入れをしていた。
「ああ、昨日買っておいたんだ。デザートは甘いほうがいいだろ?」
ジョージは机から顔を上げて、意味ありげにニヤッとした。
「そのとおりだね!あと、夕飯の後片付けをしてくれてありがとう」
ラインはお礼を言うことをギリギリ忘れなかった。
「どういたしまして。さあ、髪を乾かしてあげよう」
ジョージは杖から温風を出して、ラインの髪を乾かし始めた。ときどき温風が首すじをくすぐるので、ラインは身をよじってケラケラ笑った。そのたびに、ジョージはラインをじっと見つめた。
「くすぐったいよ、ジョージ」
ジョージの杖の位置はだんだんと下がり、今や温風はラインのわき腹をくすぐっていた。ラインはジョージに飛びついて仕返しをしようとした。しかし、ジョージはいともたやすくラインを捕まえて、腕の中に閉じ込めた。
「まだ濡れてるけど、もう我慢できない。早く寝室へ行こう」
「うん。いいよ」
ラインはにっこりした。気持ちが前のめりになっているジョージのことをかわいいと思った。寝室へ入ると、ジョージは待ちきれないとばかりにラインを抱き寄せた。
「あ、ちょっと待ってね」
ラインはジョージの腕の中からするりと抜け出し、杖を取り出して「ノックス、消えよ!」と唱えた。寝室は真っ暗になった。
「よし、これで準備万端!ジョージの好きなタイミングで始めていいよ!とっても楽しみだね!」
ラインは元気よく言った。ジョージは一瞬驚いたように固まってから、ベッドに突っ伏して大笑いした。
「いったい、君はこれから何をするつもりなんだ?」
「花火じゃないの?」
ラインは首を捻った。
「今夜はジョージが『ウィーズリーの暴れバンバン花火』を打ち上げる予定だって聞いたよ」
「信じられないほど下品なガセネタだな」
ジョージは呆れた顔で言った。
「まったく。フレッドってば、毎週のように私のことを騙して──」
ラインはフレッドに対する文句を最後まで言うことが出来なかった。突然、大きな手に口を塞がれたからだ。
「ベッドの上で、他の男の名前を呼ばないでくれよ」
ジョージが真剣な顔で言った。ベッドの上でフレッドの名前を呼んではいけない理由が分からなかったので、ラインはモゴモゴと文句を言った。
「まあいいさ。すぐに俺のことしか考えられないようにしてやるさ」
それからのことは、あまり覚えていない。気が付いた時には全身が火照り、身体の奥がビリビリと痺れていて、ジョージが満足そうにこちらを見下ろしていた。
「君はどこもかしこも分かりやすいな」
ラインはジョージの言葉を聞いていなかった。ただ、彼の目尻のしわをぼーっと見つめていた。月明かりに照らされて、ジョージの大きな影がゆっくりと覆い被さってきた時、ラインは途端に緊張し始めた。
「心配いらないさ。優しくするよ」
ラインを安心させるように、ジョージはラインの頭を撫でた。
「もし、痛かったら言ってくれ。声が出せなければ、手でも挙げておくれよ」
ラインはくすくす笑った。なんだか、歯医者さんの台詞みたいだと思ったからだ。たぶん、ハーマイオニーにしか伝わらないだろうけれど。
──
「もう、すっかり春だね」
ピンク色の花々を咲かせている街路樹を見上げて、ラインは上機嫌に言った。しかし、ジョージは心配そうにラインの足元を見つめていた。
「いつも以上にフラフラしてるな。もしかして、どこかが痛むかい?」
「ううん、どこも痛くないよ。美味しい朝ごはんをたっぷり食べたから、元気いっぱい」
ラインはにっこりした。自分が千鳥足で出勤しているのは、あまりの幸せに酔っぱらっているせいだと分かっていた。
「それにしても、ジョージがあんなに料理上手だなんて知らなかった」
「ああ、あのパンケーキには『ちょっとしたスパイス』が効いてるからな。それに──」
ジョージはこれでもかというほどニヤニヤしながら言った。
「──俺は器用だから、大抵のことは上手くできるぜ。君も知ってのとおり」
ラインは赤面した。
「おはようございます。昨日ぶりですね」
ラインは声にならない悲鳴を上げて、ジョージの腕にしがみついた。目の前の街路樹の陰から、髪の長い女性がぬっと現れたからだ。昨日テラスに居座っていた女性だった。
「おいおい。それで変装しているつもりだとしたら、闇祓い局はちょっと平和ボケしすぎだぜ」
ジョージはラインを抱き寄せて、ケラケラ笑った。
「うん。やっぱり、24時間が限界かな。だんだん目も見えなくなってきた」
女性はそう呟くと、ポケットから眼鏡を取り出してかけた。次の瞬間、女性の背がぐんぐんと伸び始めた。ラインは固唾を呑んで変身を見守った。長い黒髪が頭に吸い込まれるように短くなったあと、額に決定的な稲妻模様が浮かび上がった。
「ハリー!」
ラインはびっくり仰天した。
「どうして、また女装なんかしてるの?」
「闇祓い局の研修中なんだ。隠密行動のね」
ハリー・ポッターは誇らしげな顔で説明した。
「自分をよく知るターゲットに接近して、24時間のあいだ正体を見抜かれなければ、合格点を貰える」
「もしかして──」
ラインはようやくピンときた。
「あなたのターゲットって、私?」
「そのとおりだよ。おかげで合格点を貰えそうだ。まだレベルTだけど──」
「レベルTってなに?」
ラインは自分の悪口に目敏いというやっかいな能力を発揮した。ジョージは大笑いした。
「違うんだ。僕じゃない。ムーディが決めたんだ。僕は決して、君の洞察力がトロールレベルだなんて思っていないよ」
しどろもどろになりながら言い訳するハリーを、ラインはさらに問い詰めた。
「トロールはケーキを焼けないでしょ?私はおいしいアイスケーキを作れるもの」
「まあまあ」
笑いすぎて溢れた涙をぬぐいながら、ジョージは妻の肩を優しく抱いて言った。
「仮に君の洞察力がトロールレベルだったとしても、俺にとっちゃ、それさえも魅力的だぜ」
ラインの怒りは瞬時に鎮まった。思いやりのある夫に、ラインはメロメロになった。
「ジョージ、大好き。明日は私がパンケーキを焼いてあげるね。『ちょっとしたスパイス』もたっぷりと入れてあげる」
「そりゃあ楽しみだな。君は世界一の奥さんだ」
ジョージの顔が近づいてきたので、ラインは目を閉じた。夫のキスを受け入れるのに夢中になって、ラインは目の前に友人がいることも、ここがダイアゴン横丁のど真ん中であることもすっかり忘れてしまった。当然のごとく、ハリーがぶつくさ言った言葉は、ラインの耳を右から左へと通り過ぎていった。
「まったくさ。こっちは24時間働きづめだっていうのに。そもそも『ちょっとしたスパイス』とかいうのは、いったいなんなんだい?」
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