the Deathly Hallows
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ラインは壁の時計を見上げた。スポンジ生地が焼き上がるまで、あと5分だ。ラインはボウルに入った生クリームを泡立て始めた。そして、ため息をついた。本当なら、ハリーたち3人にも、自分が作ったクリスマスケーキを食べてもらえるはずだったのに。ビルとフラーの結婚式の日、友人たちは忽然と姿を消してしまった。今ごろ、彼らはどこにいるんだろう?
「うっ……やめろ……」
ラインは顔を上げた。オーブンの中から、声が聞こえた気がしたからだ。ラインは生クリームの入ったボウルを机の上に置いて、オーブンに歩み寄った。オーブンを覗いて、ラインは目を丸くした。もうすぐ焼き上がりの時間だというのに、スポンジ生地がほとんど生の状態だったからだ。
「バターにまみれるなど……この上ない屈辱……」
今度ははっきりと声が聞こえた。ラインはスポンジ生地をまじまじと見つめた。最近、こういった不思議なことがよく起きる。一昨日、シーツを洗濯をしていた時にも、水の中から声が聞こえた。その時は「俺様の魂を……洗濯するな……」とか言っていた気がする。ラインは杖を取り出した。騎士団のクリスマスパーティーが始まるまで、あと3時間しかない。とりあえず、スポンジ生地を焼き上げてしまいたい。
「170度!」
ラインはオーブンに向けて杖を振った。オーブンの中で魔法の火が燃え始めた。ラインは再び生クリームに取りかかった。それからしばらくして、ラインは手を止めた。シューシューという奇妙な音が聞こえたからだ。ラインはオーブンを開けた。そして、首を傾げた。そこにあったのは、依然として生焼けのスポンジ生地だった。
「お嬢さまは、オーブンの温度をもっと上げなければなりません」
食用ガエルのような声が言った。ラインは振り向いた。いつのまにか、屋敷しもべ妖精のクリーチャーが背後に立っていた。グリモールド・プレイスに住み始めてもう半年になるけれど、クリーチャーに話しかけられたのはこれが初めてだ。
「わ──わかった」
ラインは頷いた。そして、杖を振った。
「200度!」
オーブンの中で魔法の火が燃え上がった。ラインとクリーチャーは並んでオーブンを見つめた。しかし、すぐに例のシューシューという音が聞こえ始めた。
「もっと温度を上げて!火が消えてしまいます!」
クリーチャーがオーブンを睨みつけた。ラインは慌てて杖を振った。
「300度!」
オーブンの中で、魔法の火が大きく燃え上がった。しかし、それに対抗するかのように、シューシューという音も大きくなった。
「最大限に温度を上げて!邪悪な呪いさえも破壊する火力に!」
クリーチャーは血走った目を見開いて、声を張り上げた。ラインはポケットからキャンディーを取り出して、口の中に放り込んだ。そして、全神経をオーブンに集中させた。
「1000度!」
オーブンの中が真っ赤な炎で埋め尽くされた。周囲との温度差で、オーブンは低い唸り声を上げている。炎を睨みながら、ラインは気がついた。何か強い力が、自分の作り出した炎を消そうとしている。集中力を切らした途端にその力に負けてしまうだろうと、ラインは分かっていた。ラインは必死に耐えた。
「マーリンの末裔よ、戦え──戦え!レギュラス様のために!」
クリーチャーが叫んだ。そして、細長い指をオーブンに向けた。しもべ妖精の加勢によって、炎は勢いを取り戻した。ラインは最後の力を振り絞った。
バリン!
衝撃音とともに、長々しい叫び声が聞こえた。オーブンのガラス窓が割れて、破片がそこらじゅうに飛び散った。ラインは手で頭を守りながらスポンジ生地を見た。そして、炭になったスポンジ生地の中に、何か金色のものが見えることに気がついた。クリーチャーがわっと泣き出した。
「ライン、大丈夫か?大きな音が聞こえたが──」
キッチンの入り口から、シリウスが顔を出した。シリウスはキッチンの惨状を見て、目を見開いた。それから、オーブンの前に突っ伏しているクリーチャーに鋭い視線を向けた。
「クリーチャー、立て。おまえが何をしたのか説明しろ」
シリウスはクリーチャーに詰め寄った。ご主人様の姿を見ると、クリーチャーはあえぎながらよろよろと立ち上がった。そして、しゃがれ声で弁明を始めた。
「クリーチャーめは、レギュラス様のご命令を果たすために、マーリンの末裔の魔力をお借りいたしました」
「──レギュラス?」
シリウスは訝しげな顔をした。
「おまえ、ついに幻覚が見えるようになったのか?」
「幻覚ではございません」
クリーチャーは今度はしっかりとした口調で言った。
「クリーチャーは今から18年前、レギュラス坊ちゃまに、このロケットを破壊せよと命じられました」
クリーチャーは炭になったスポンジ生地の中から金のロケットを取り出した。そして、それを頭の上に堂々と掲げた。ラインは金のロケットが真っ二つに割れているのを見た。シリウスはクリーチャーからロケットを受け取り、杖で叩いて調べた。
「深い闇の魔術が使用された形跡がある。こんなに禍々しいものは、これまで見たことがない」
シリウスは眉をひそめた。
「クリーチャー、これは何だ?おまえはどうやって、これを手に入れた?」
「クリーチャーは、ご主人様の一つめのご質問にお答えすることが出来ません。なぜならば、このロケットが何なのか、クリーチャーは知らないからです」
クリーチャーは豚の鼻を床に押しつけて、深々と頭を下げた。
「しかしクリーチャーは、このロケットをどうやって手に入れたのか、ご主人様にご説明することが出来ます。クリーチャーは、このロケットを、レ──レギュラス坊ちゃまから託されました」
クリーチャーの目に涙がどっと溢れた。クリーチャーは全身を震わせながら話し始めた──レギュラス坊ちゃまが、闇の帝王に仕えていたこと。ある時、彼が闇の帝王に立ち向かう覚悟を決めたこと。自分がレギュラス坊ちゃまを海辺の洞窟へ連れて行ったこと。レギュラス坊ちゃまが、自らの命の引き換えにこのロケットを手に入れたこと。クリーチャーが話し進めるにつれて、シリウスの眉間に刻まれた皺は深くなった。そのうち彼の拳が小刻みに震え始めたので、ラインはハラハラした。
「嘘をつくな」
クリーチャーが話し終えると、シリウスが低く唸った。しかし、彼の灰色の瞳が激しく動揺していることに、ラインは気がついた。
「ご主人様は、クリーチャーめが嘘をついていないことをご存知でいらっしゃいます」
クリーチャーはボロボロと涙をこぼした。壊れた金のロケットと、しもべ妖精を交互に睨みつけながら、シリウスは何か言おうと口を開いた。しかし、結局なにも言えずに、彼はキッチンを出て行った。ラインはティッシュを取って、クリーチャーに渡してあげた。思う存分に泣いたあと、クリーチャーはティッシュで鼻をかんだ。
「お嬢さまに何とお礼を申し上げたらいいのか、クリーチャーめには分かりません」
クリーチャーはラインに向かって深々と頭を下げた。
「おかげさまで、クリーチャーはレギュラス様のご命令を果たすことが出来ました」
「そっか。役に立ててよかった」
ラインはにっこりした。久しぶりに喋ったので、声がカスカスだった。
「ところで、レギュラス坊ちゃまって誰?」
ラインはクリーチャーに聞いた。ラインは状況をいまいち掴めていなかった。しかし、自分が誰のために、スポンジ生地を台無しにしたのか知りたかった。
「ここに写っているのが──」
静かな声が言った。ラインは目の前に差し出された古いボロボロの写真を見た。
「レギュラスだ」
いつのまにか、シリウスがキッチンに戻ってきていた。シリウスは写真の中の男の子を指差した。5歳くらいに見える。ラインが写真を覗き込むと、男の子は照れたように笑った。
「それで、こっちが私だ」
シリウスは男の子の隣に立っている少年を指差した。その少年がシリウスだと、ラインはすぐに分かった。今よりも高慢で退屈そうな表情をしているが、見間違えようのないハンサムだった。
「2人とも、とってもかわいい」
ラインはにっこりした。シリウスは照れくさそうに笑った。その顔を見て、ラインは気が付いた。
「あれ、もしかして──」
「ああ、そうだ。レギュラスは私の弟だ」
写真の中のあどけない英雄を見つめて、シリウスが言った。その声の中に、誇りが流れているのを、ラインは確かに聞き取った。
────
ラインは大急ぎでバターと卵、その他もろもろの材料をボウルに入れてかき混ぜた。それから、それをスポンジ生地用の丸い焼き型に流してオーブンに突っ込んだ。本日2回目の作業だったので、スムーズに進んだ。壁の時計を見上げて、ラインはほっと息をついた。クリスマスパーティーが始まるまで、あと2時間ある。なんとか、ケーキを完成させられそうだ。
「どれどれ」
ラインはパッと振り向いた。大好きな声が聞こえたからだ。案の定、キッチンの入り口にジョージが立っていた。
「俺の可愛い奥さんは、そろそろケーキを完成させたかな?」
「ジョージ、おかえり!」
ラインは恋人に飛びついた。
「どこに行ってたの?」
「バイヤーのおやじのところさ。3度目の下見にね。今回はでかい買い物だからな」
「ふうん」
ラインはジョージのセーターに顔を埋めた。それから、彼の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。ビルとフラーの結婚式で死喰い人に襲われて以降、ジョージが玄関の外へ一歩踏み出すだけで、ラインは彼の身を危ぶんでいた。
「実はね、ケーキがまだ焼けていないの。あとね、私もまだ奥さんにしてもらっていないよ」
ラインは恋人にプレッシャーをかけた。ジョージはおかしそうに笑った。
「それにしても、ケーキを焼くことに関して、君の予定が狂うなんて珍しいな」
「うん。張り切りすぎて焦げちゃったの」
ラインは先ほどの戦いを思い出して苦笑いした。それから、杖を取り出してオーブンを突っついた。魔法の火が弱火になった。それを見て、ジョージは感慨深そうな顔をした。
「君が成人したっていうのは、なんだか不思議な気分だな」
「どうして?」
「出会った頃の泣きべそばかりかいてた君を、俺はどうしたって忘れられないんだ」
ジョージは遠い目をしてみせた。ラインはふてくされた。
「あの時は14歳だったもの。もう17歳だから、泣きべそなんてかかないよ」
「さあ、どうだか」
ジョージは嬉しそうにニヤニヤした。それから、ラインの肩を抱いて言った。
「そう言えば、『あの子』はなかなか美人だったな」
「それって、誰のこと?」
ラインはすぐさま泣きべそをかいた。
「ほら、フラーのいとこの『ハリエット』さ。あの子は丸い眼鏡がよく似合ってたし、前髪から覗く額には稲妻型の傷が──」
ラインはビルとフラーの結婚式に参列していた「ハリエット」の姿を思い出した。ジョージの言うとおり、彼女は美人だった。ハイヒールをぐらぐらさせながら歩く姿さえ、庇護欲をくすぐった。ラインは突然、不安になった。もしかしたら、ジョージは自分を捨てて彼女の元へ行ってしまうのでは?いや、実はジョージはハリーのことを──
「冗談に決まってるだろ」
ジョージに額をパチンと弾かれて、ラインは正気を取り戻した。
「泣きべそかいてる君を、もう一度見たかっただけさ」
ジョージはニヤニヤしながらラインの顔を覗き込んだ。ラインはますますふてくされた。
「ジョージには味見させてあげない」
考えうる限り最も厳しい罰を、ラインは恋人に言い渡した。ラインは生クリームの入ったボウルを自分の前に引き寄せて、スプーンですくって味見した。しかし、欲張りすぎて、唇の端に生クリームがくっついた。
「俺はこっちでいい」
ラインは肩をピクリと震わせた。ラインの唇の端にくっついた生クリームを、ジョージが舐めとったからだ。ラインの抗議の声は、ジョージが丸ごと呑み込んでしまった。生クリーム味のキスだった。しばらくしてから、ラインは目を開けた。世界で一番優しい目が、こちらを見つめていた。
「耳、治ってよかったね」
ラインは優しい気持ちを取り戻して、にっこりした。それから、ジョージの左耳をそっと撫でた。ジョージの肩がピクリと震えた。次の瞬間、ジョージの眼差しは優しさをかなぐり捨てた。
「君が成人するまで、俺はよく耐えた。味見くらいさせてくれよ」
ジョージは再び、ラインの顎を捕まえた。今度のキスは甘くなかった。ラインは生クリーム側になった。食べられるって、こんな感じかとラインは思った。ゴツゴツした手が、ラインのブラウスの裾をスカートから引っ張り出そうとした。わき腹がくすぐったかったので、ラインはジョージの背中をペチペチ叩いた。ジョージはしぶしぶ、ラインを食べる手を止めた。
「ジョージ、ポケットに花火を入れたままじゃ危ないよ」
ラインは照れ隠しに小言を言った。ジョージはばつの悪そうな顔をした。その時だった。
コンコン
何か硬いものが、窓を叩く音がした。ラインは振り向いた。窓枠に薄汚れたふくろうが止まっているのが見えた。ジョージが杖を取り出して、窓に近づいた。ラインは首を伸ばしてふくろうを観察した。よく見ると、足に小さなビーズのバッグが括り付けられている。ラインははっと息を呑んだ。
「ハーマイオニーのバッグだ」
ラインは窓に駆け寄った。羽根は雨風で汚れて茶色に染まり、いたるところに小枝が刺さっているけれど、見間違えようのない聡明な眼差しだった。
「──ヘドウィグ!」
ラインは叫んだ。ジョージが窓を開けた。ヘドウィグはテーブルの上に舞い降りて、ビーズバッグの括り付けられた脚をピンと突き出した。ラインがバッグを解いてやると、ヘドウィグはラインの頭を羽根でバシバシと叩いて食糧庫へ追いやった。
「ヘドウィグ、どうしたの?」
「そのバッグに食べ物を入れろってことだ」
ヘドウィグの代わりにジョージが答えた。ラインは棚からシーチキンの缶詰めを取り出して、ビーズバッグの中に入れた。本来の底面よりもはるかに下の方から、コトンという音がした。ハーマイオニーのバッグには、見事な検知不可能拡大呪文がかけられていることをラインは思い出した。ヘドウィグに突っつかれるままに、ラインは大量の缶詰めとパン、それにドライフルーツをビーズバッグに詰め込んだ。
「弟たちは無事かい?」
ジョージが聞くと、ヘドウィグは「ホー」と元気よく鳴いて返事をした。ラインはオーブンからスポンジ生地を取り出して、大急ぎで生クリームを塗りたくった。そして、最後にいちごを乗せた。
「これも持って行って」
ラインは完成したクリスマスケーキを紙箱に入れて、ビーズバッグの空きスペースに押し込んだ。ヘドウィグは満足そうに嘴を鳴らして、窓から飛び去った。ラインは得意顔でジョージを見た。しかし、ジョージは壁の時計を見上げて苦笑いした。
「それで、俺たちのクリスマスケーキはどうするんだ?」
ラインは真っ青になった。それから、助けを求めて屋敷しもべ妖精の名前を叫んだ。
「うっ……やめろ……」
ラインは顔を上げた。オーブンの中から、声が聞こえた気がしたからだ。ラインは生クリームの入ったボウルを机の上に置いて、オーブンに歩み寄った。オーブンを覗いて、ラインは目を丸くした。もうすぐ焼き上がりの時間だというのに、スポンジ生地がほとんど生の状態だったからだ。
「バターにまみれるなど……この上ない屈辱……」
今度ははっきりと声が聞こえた。ラインはスポンジ生地をまじまじと見つめた。最近、こういった不思議なことがよく起きる。一昨日、シーツを洗濯をしていた時にも、水の中から声が聞こえた。その時は「俺様の魂を……洗濯するな……」とか言っていた気がする。ラインは杖を取り出した。騎士団のクリスマスパーティーが始まるまで、あと3時間しかない。とりあえず、スポンジ生地を焼き上げてしまいたい。
「170度!」
ラインはオーブンに向けて杖を振った。オーブンの中で魔法の火が燃え始めた。ラインは再び生クリームに取りかかった。それからしばらくして、ラインは手を止めた。シューシューという奇妙な音が聞こえたからだ。ラインはオーブンを開けた。そして、首を傾げた。そこにあったのは、依然として生焼けのスポンジ生地だった。
「お嬢さまは、オーブンの温度をもっと上げなければなりません」
食用ガエルのような声が言った。ラインは振り向いた。いつのまにか、屋敷しもべ妖精のクリーチャーが背後に立っていた。グリモールド・プレイスに住み始めてもう半年になるけれど、クリーチャーに話しかけられたのはこれが初めてだ。
「わ──わかった」
ラインは頷いた。そして、杖を振った。
「200度!」
オーブンの中で魔法の火が燃え上がった。ラインとクリーチャーは並んでオーブンを見つめた。しかし、すぐに例のシューシューという音が聞こえ始めた。
「もっと温度を上げて!火が消えてしまいます!」
クリーチャーがオーブンを睨みつけた。ラインは慌てて杖を振った。
「300度!」
オーブンの中で、魔法の火が大きく燃え上がった。しかし、それに対抗するかのように、シューシューという音も大きくなった。
「最大限に温度を上げて!邪悪な呪いさえも破壊する火力に!」
クリーチャーは血走った目を見開いて、声を張り上げた。ラインはポケットからキャンディーを取り出して、口の中に放り込んだ。そして、全神経をオーブンに集中させた。
「1000度!」
オーブンの中が真っ赤な炎で埋め尽くされた。周囲との温度差で、オーブンは低い唸り声を上げている。炎を睨みながら、ラインは気がついた。何か強い力が、自分の作り出した炎を消そうとしている。集中力を切らした途端にその力に負けてしまうだろうと、ラインは分かっていた。ラインは必死に耐えた。
「マーリンの末裔よ、戦え──戦え!レギュラス様のために!」
クリーチャーが叫んだ。そして、細長い指をオーブンに向けた。しもべ妖精の加勢によって、炎は勢いを取り戻した。ラインは最後の力を振り絞った。
バリン!
衝撃音とともに、長々しい叫び声が聞こえた。オーブンのガラス窓が割れて、破片がそこらじゅうに飛び散った。ラインは手で頭を守りながらスポンジ生地を見た。そして、炭になったスポンジ生地の中に、何か金色のものが見えることに気がついた。クリーチャーがわっと泣き出した。
「ライン、大丈夫か?大きな音が聞こえたが──」
キッチンの入り口から、シリウスが顔を出した。シリウスはキッチンの惨状を見て、目を見開いた。それから、オーブンの前に突っ伏しているクリーチャーに鋭い視線を向けた。
「クリーチャー、立て。おまえが何をしたのか説明しろ」
シリウスはクリーチャーに詰め寄った。ご主人様の姿を見ると、クリーチャーはあえぎながらよろよろと立ち上がった。そして、しゃがれ声で弁明を始めた。
「クリーチャーめは、レギュラス様のご命令を果たすために、マーリンの末裔の魔力をお借りいたしました」
「──レギュラス?」
シリウスは訝しげな顔をした。
「おまえ、ついに幻覚が見えるようになったのか?」
「幻覚ではございません」
クリーチャーは今度はしっかりとした口調で言った。
「クリーチャーは今から18年前、レギュラス坊ちゃまに、このロケットを破壊せよと命じられました」
クリーチャーは炭になったスポンジ生地の中から金のロケットを取り出した。そして、それを頭の上に堂々と掲げた。ラインは金のロケットが真っ二つに割れているのを見た。シリウスはクリーチャーからロケットを受け取り、杖で叩いて調べた。
「深い闇の魔術が使用された形跡がある。こんなに禍々しいものは、これまで見たことがない」
シリウスは眉をひそめた。
「クリーチャー、これは何だ?おまえはどうやって、これを手に入れた?」
「クリーチャーは、ご主人様の一つめのご質問にお答えすることが出来ません。なぜならば、このロケットが何なのか、クリーチャーは知らないからです」
クリーチャーは豚の鼻を床に押しつけて、深々と頭を下げた。
「しかしクリーチャーは、このロケットをどうやって手に入れたのか、ご主人様にご説明することが出来ます。クリーチャーは、このロケットを、レ──レギュラス坊ちゃまから託されました」
クリーチャーの目に涙がどっと溢れた。クリーチャーは全身を震わせながら話し始めた──レギュラス坊ちゃまが、闇の帝王に仕えていたこと。ある時、彼が闇の帝王に立ち向かう覚悟を決めたこと。自分がレギュラス坊ちゃまを海辺の洞窟へ連れて行ったこと。レギュラス坊ちゃまが、自らの命の引き換えにこのロケットを手に入れたこと。クリーチャーが話し進めるにつれて、シリウスの眉間に刻まれた皺は深くなった。そのうち彼の拳が小刻みに震え始めたので、ラインはハラハラした。
「嘘をつくな」
クリーチャーが話し終えると、シリウスが低く唸った。しかし、彼の灰色の瞳が激しく動揺していることに、ラインは気がついた。
「ご主人様は、クリーチャーめが嘘をついていないことをご存知でいらっしゃいます」
クリーチャーはボロボロと涙をこぼした。壊れた金のロケットと、しもべ妖精を交互に睨みつけながら、シリウスは何か言おうと口を開いた。しかし、結局なにも言えずに、彼はキッチンを出て行った。ラインはティッシュを取って、クリーチャーに渡してあげた。思う存分に泣いたあと、クリーチャーはティッシュで鼻をかんだ。
「お嬢さまに何とお礼を申し上げたらいいのか、クリーチャーめには分かりません」
クリーチャーはラインに向かって深々と頭を下げた。
「おかげさまで、クリーチャーはレギュラス様のご命令を果たすことが出来ました」
「そっか。役に立ててよかった」
ラインはにっこりした。久しぶりに喋ったので、声がカスカスだった。
「ところで、レギュラス坊ちゃまって誰?」
ラインはクリーチャーに聞いた。ラインは状況をいまいち掴めていなかった。しかし、自分が誰のために、スポンジ生地を台無しにしたのか知りたかった。
「ここに写っているのが──」
静かな声が言った。ラインは目の前に差し出された古いボロボロの写真を見た。
「レギュラスだ」
いつのまにか、シリウスがキッチンに戻ってきていた。シリウスは写真の中の男の子を指差した。5歳くらいに見える。ラインが写真を覗き込むと、男の子は照れたように笑った。
「それで、こっちが私だ」
シリウスは男の子の隣に立っている少年を指差した。その少年がシリウスだと、ラインはすぐに分かった。今よりも高慢で退屈そうな表情をしているが、見間違えようのないハンサムだった。
「2人とも、とってもかわいい」
ラインはにっこりした。シリウスは照れくさそうに笑った。その顔を見て、ラインは気が付いた。
「あれ、もしかして──」
「ああ、そうだ。レギュラスは私の弟だ」
写真の中のあどけない英雄を見つめて、シリウスが言った。その声の中に、誇りが流れているのを、ラインは確かに聞き取った。
────
ラインは大急ぎでバターと卵、その他もろもろの材料をボウルに入れてかき混ぜた。それから、それをスポンジ生地用の丸い焼き型に流してオーブンに突っ込んだ。本日2回目の作業だったので、スムーズに進んだ。壁の時計を見上げて、ラインはほっと息をついた。クリスマスパーティーが始まるまで、あと2時間ある。なんとか、ケーキを完成させられそうだ。
「どれどれ」
ラインはパッと振り向いた。大好きな声が聞こえたからだ。案の定、キッチンの入り口にジョージが立っていた。
「俺の可愛い奥さんは、そろそろケーキを完成させたかな?」
「ジョージ、おかえり!」
ラインは恋人に飛びついた。
「どこに行ってたの?」
「バイヤーのおやじのところさ。3度目の下見にね。今回はでかい買い物だからな」
「ふうん」
ラインはジョージのセーターに顔を埋めた。それから、彼の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。ビルとフラーの結婚式で死喰い人に襲われて以降、ジョージが玄関の外へ一歩踏み出すだけで、ラインは彼の身を危ぶんでいた。
「実はね、ケーキがまだ焼けていないの。あとね、私もまだ奥さんにしてもらっていないよ」
ラインは恋人にプレッシャーをかけた。ジョージはおかしそうに笑った。
「それにしても、ケーキを焼くことに関して、君の予定が狂うなんて珍しいな」
「うん。張り切りすぎて焦げちゃったの」
ラインは先ほどの戦いを思い出して苦笑いした。それから、杖を取り出してオーブンを突っついた。魔法の火が弱火になった。それを見て、ジョージは感慨深そうな顔をした。
「君が成人したっていうのは、なんだか不思議な気分だな」
「どうして?」
「出会った頃の泣きべそばかりかいてた君を、俺はどうしたって忘れられないんだ」
ジョージは遠い目をしてみせた。ラインはふてくされた。
「あの時は14歳だったもの。もう17歳だから、泣きべそなんてかかないよ」
「さあ、どうだか」
ジョージは嬉しそうにニヤニヤした。それから、ラインの肩を抱いて言った。
「そう言えば、『あの子』はなかなか美人だったな」
「それって、誰のこと?」
ラインはすぐさま泣きべそをかいた。
「ほら、フラーのいとこの『ハリエット』さ。あの子は丸い眼鏡がよく似合ってたし、前髪から覗く額には稲妻型の傷が──」
ラインはビルとフラーの結婚式に参列していた「ハリエット」の姿を思い出した。ジョージの言うとおり、彼女は美人だった。ハイヒールをぐらぐらさせながら歩く姿さえ、庇護欲をくすぐった。ラインは突然、不安になった。もしかしたら、ジョージは自分を捨てて彼女の元へ行ってしまうのでは?いや、実はジョージはハリーのことを──
「冗談に決まってるだろ」
ジョージに額をパチンと弾かれて、ラインは正気を取り戻した。
「泣きべそかいてる君を、もう一度見たかっただけさ」
ジョージはニヤニヤしながらラインの顔を覗き込んだ。ラインはますますふてくされた。
「ジョージには味見させてあげない」
考えうる限り最も厳しい罰を、ラインは恋人に言い渡した。ラインは生クリームの入ったボウルを自分の前に引き寄せて、スプーンですくって味見した。しかし、欲張りすぎて、唇の端に生クリームがくっついた。
「俺はこっちでいい」
ラインは肩をピクリと震わせた。ラインの唇の端にくっついた生クリームを、ジョージが舐めとったからだ。ラインの抗議の声は、ジョージが丸ごと呑み込んでしまった。生クリーム味のキスだった。しばらくしてから、ラインは目を開けた。世界で一番優しい目が、こちらを見つめていた。
「耳、治ってよかったね」
ラインは優しい気持ちを取り戻して、にっこりした。それから、ジョージの左耳をそっと撫でた。ジョージの肩がピクリと震えた。次の瞬間、ジョージの眼差しは優しさをかなぐり捨てた。
「君が成人するまで、俺はよく耐えた。味見くらいさせてくれよ」
ジョージは再び、ラインの顎を捕まえた。今度のキスは甘くなかった。ラインは生クリーム側になった。食べられるって、こんな感じかとラインは思った。ゴツゴツした手が、ラインのブラウスの裾をスカートから引っ張り出そうとした。わき腹がくすぐったかったので、ラインはジョージの背中をペチペチ叩いた。ジョージはしぶしぶ、ラインを食べる手を止めた。
「ジョージ、ポケットに花火を入れたままじゃ危ないよ」
ラインは照れ隠しに小言を言った。ジョージはばつの悪そうな顔をした。その時だった。
コンコン
何か硬いものが、窓を叩く音がした。ラインは振り向いた。窓枠に薄汚れたふくろうが止まっているのが見えた。ジョージが杖を取り出して、窓に近づいた。ラインは首を伸ばしてふくろうを観察した。よく見ると、足に小さなビーズのバッグが括り付けられている。ラインははっと息を呑んだ。
「ハーマイオニーのバッグだ」
ラインは窓に駆け寄った。羽根は雨風で汚れて茶色に染まり、いたるところに小枝が刺さっているけれど、見間違えようのない聡明な眼差しだった。
「──ヘドウィグ!」
ラインは叫んだ。ジョージが窓を開けた。ヘドウィグはテーブルの上に舞い降りて、ビーズバッグの括り付けられた脚をピンと突き出した。ラインがバッグを解いてやると、ヘドウィグはラインの頭を羽根でバシバシと叩いて食糧庫へ追いやった。
「ヘドウィグ、どうしたの?」
「そのバッグに食べ物を入れろってことだ」
ヘドウィグの代わりにジョージが答えた。ラインは棚からシーチキンの缶詰めを取り出して、ビーズバッグの中に入れた。本来の底面よりもはるかに下の方から、コトンという音がした。ハーマイオニーのバッグには、見事な検知不可能拡大呪文がかけられていることをラインは思い出した。ヘドウィグに突っつかれるままに、ラインは大量の缶詰めとパン、それにドライフルーツをビーズバッグに詰め込んだ。
「弟たちは無事かい?」
ジョージが聞くと、ヘドウィグは「ホー」と元気よく鳴いて返事をした。ラインはオーブンからスポンジ生地を取り出して、大急ぎで生クリームを塗りたくった。そして、最後にいちごを乗せた。
「これも持って行って」
ラインは完成したクリスマスケーキを紙箱に入れて、ビーズバッグの空きスペースに押し込んだ。ヘドウィグは満足そうに嘴を鳴らして、窓から飛び去った。ラインは得意顔でジョージを見た。しかし、ジョージは壁の時計を見上げて苦笑いした。
「それで、俺たちのクリスマスケーキはどうするんだ?」
ラインは真っ青になった。それから、助けを求めて屋敷しもべ妖精の名前を叫んだ。