the Half-Blood Prince
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『甘くてジューシーなライチの香り。ひと吹きすれば、彼もあなたを食べたくなること間違いなし!』
きらきら光る香水の瓶を眺めながら、ラインは首を傾げた。「食べたくなる」って、どういう意味だろう?まさか、恋人を頭からムシャムシャと齧るわけではないだろうし。ラインは机の上に置いてあるバースデーカードを読み返した。
────────────────────
ラインへ
16歳おめでとう!貴方にぴったりの香水を贈ります。デートの時につけてね。
トンクスより
────────────────────
今度、トンクスに会った時に「食べたくなる」の意味を聞いてみよう。きっと、彼女なら知っているだろう。ラインは瓶の蓋を開けて、香水を首に吹き付けた。とってもおいしそうな香りだ。それからラインは鏡の前に移動して、全身の最終チェックをした。うん、悪くない仕上がりだ。ラインは上機嫌になった。その場でくるりと回ると、お気に入りのワンピースの裾がふわりと揺れた。
「死喰い人どころか、ひとっ子1人いないな」
白い砂浜を歩きながら、ジョージが嬉しそうに言った。
「年間300日は山の中の城に閉じ込められてるんだ。たまには海もいいだろ?」
「うん。すっごくいい」
ラインはこれ以上ないほど浮かれていた。青い空にキラキラと光る海、そして隣には大好きな彼。これぞ、最高の誕生日デートだ。ラインははしゃいで砂浜を走り始めた。
「おいおい、全然前に進んでないぞ」
砂の上って、走りにくい。必死に足を動かすラインを見て、ジョージはゲラゲラ笑った。彼は見事な足さばきで砂浜を歩き、さっさと波打ち際にたどり着いて手を振ってみせた。ジョージに追い着こうとして、ラインはますます必死になった。
「わっ」
案の定、ラインは砂に足を取られて顔から突っ伏した。でも、砂の上だから全然痛くない。顔を上げると、ジョージがばつの悪そうな顔でこちらに手を差し出していた。
「ごめんよ。君の反応がかわいくて、つい意地悪したくなっちまうんだ」
「ううん。いいよ」
ラインはにっこりした。砂を食べて口の中がジャリジャリしている女をかわいいと言ってくれるのは、きっと世界中で彼だけだろう。
ジョージに手を引かれて、ラインは波打ち際にたどり着いた。サンダルを脱いで海に足をつけると、水はひんやりとしていた。心地よい清涼感が、足から全身に広がっていく。より一層の涼しさを求めて、ラインは海の中をぱしゃぱしゃと歩いた。
バシャッ
突然、二の腕に冷たい水しぶきがかかった。振り向くと、ジョージがニヤニヤしながらラインに水をかけていた。さっき謝ったことを、彼はすっかり忘れてしまったようだ。ラインはジョージの方にくるりと身体を向けて、水を蹴って反撃しようとした。しかし、片足立ちになった途端に視界がぐらりと傾いた。
「おっと」
水の中で片足立ちするのって、意外と難しい。ジョージが抱きとめてくれなかったら、今ごろワンピースがびしょ濡れになっていたことだろう。彼の腕に包まれて、ラインは安堵の息を吐き出した。顔を見上げて「ありがとう」と言ったけれど、その言葉がジョージに聞こえたかどうかは分からない。だって、彼がぜんぶ呑み込んでしまったから。
湿り気を帯びたワンピースのせいで、身体はひんやりとしているのに、唇が燃えるように熱い。ふいに潮風が頬を撫でたので、ラインはここが外だということを思い出した。でも、そんなこと、ジョージは全く気にしていないようだった。しばらくしてから、ラインはおもむろに目を開けた。互いの鼻息がかかりそうな距離に彼の顔がある。ラインは急に恥ずかしくなって、目をパチパチさせながら会話の糸口を探した。
「そういえば、今日は新しい香水をつけてみたの。この香り、ジョージは好き?」
「どれどれ」
ジョージが首に鼻を近づけて匂いを嗅いだので、ラインはクスクス笑った。
「うーん、いまいち香りが分からないな」
ジョージは嬉しそうにニヤニヤしながら、再びラインの首に鼻を近づけた。くすぐったかったけれど、ラインは首をすくめるのを我慢した。彼にしっかり判断してもらわないと、次回のデートの時にもこの香水をつけるかどうかを決められないからだ。
「さてはジニーのやつ、俺にコウモリ鼻くその呪いをかけたな」
わざとらしく悩ましげな顔をしたジョージが、ついに首に鼻をぴたりとくっつけたので、ラインは身をよじって笑い転げた。
「ライチの香りなの。『甘くてジューシーで、彼もあなたを食べたくなること間違いなし』って書いてあったのに」
すると突然、ジョージが一切の動きを止めた。不思議に思ったラインが見上げると、彼はラインの首筋をペロリと舐めた。
「わっ」
ラインは驚いて、海の中に尻もちをついた。ワンピースがびしょ濡れどころではない。腰から下が海に浸かっている。ワンピースの裾が海中をゆらゆらと漂っているのを、ラインはしばし呆然と見つめた。それから、ジョージの顔を見上げた。どちらからともなく、2人は声を上げて笑い始めた。
「いま乾かしてやるからな」
笑い過ぎて溢れた涙を拭いながら、ジョージは杖を取り出した。ラインは砂浜に転がっていた流木に腰かけて、両足を前に伸ばして待機した。
「ふふ、くすぐったい」
ジョージが杖から出す温風を足に浴びながら、ラインはけらけら笑った。こういう時、魔法ってすごく便利だ。もう、爪先からふくらはぎまで乾いている。ちょっと塩が残って肌がジャリジャリしているけれど、そんなことは問題ない。
「あー、こっちはかなり水を吸っちまってるな」
ワンピースから落ちた水滴が作った砂浜の染みを眺めながら、ジョージが言った。彼はおもむろにワンピースの裾をつかむと、まるでタオルを絞るようにワンピースをねじり上げた。突然太ももが丸出しになったので、ラインは声にならない悲鳴を上げた。
「こうでもしないと、乾く前に日が暮れちまうぞ。誰も見てないだろ」
ジョージが宥めるように言った。ラインが口をパクパクさせている間に、彼はワンピースの裾に杖を差し入れて、服の中に温風を送り始めた。なんだか彼の纏う空気が変わったように思えて、ラインは戸惑った。
「ねえ、ジョージ。もしかして、お腹が空いたの?」
ラインは単刀直入に聞いた。いつもと様子が違う人は、だいたい眠いか、お腹が空いているかのどっちかだ。ジョージは作業する手を止めて、顔を上げた。
「──そうさ」
夏の太陽が反射した、ギラギラした目でこちらを見つめながら、ジョージが言った。
「だから、我慢してるんだ。君のことを食っちまわないように」
ラインは感心した。すごい効果だ。家に帰ったら、香水のパッケージを見返してみよう。どういう成分が含まれているのか気になる。ラインはワンピースを絞ったり、裾をパタパタさせたりして、ジョージの作業に最大限の協力をした。空腹に耐えることって、本当に辛いもの。
「さあ、誕生日ケーキを受け取って家に帰ろう」
完璧に乾いたラインのワンピースを見つめながら、ぐったりした様子のジョージが言った。
「今年は君のために、アイスケーキをオーダーしたんだ」
ラインは歓声を上げてジョージに抱きついた。全部がアイスで作られたホールケーキなんて夢みたいだ。アイスケーキを食べれば、ジョージも元気を取り戻すに違いない。ジョージの腕に掴まって、ラインは意気揚々とフローリアン・フォーテスキューの店先に「姿あらわし」した。
「下劣な奴らめ!」
誰かの怒鳴り声が聞こえた。ジョージがラインの腕をぐいと引っ張って、店の中に押し込んだ。何が何だか分からないまま、ラインはアイスのショーケースの裏に押しつけられた。何かが壊れるような音や叫び声が聞こえる。
「待て!オリバンダーのじいさんを返せ!」
ラインはジョージの背中から顔を出して、アイスのショーケース越しに外の通りを覗いた。そして、息を呑んだ。黒いマントと銀色の仮面を身に着けた集団が、杖を振り回していたからだ。ラインは彼らの正体を知っていた。以前、日刊予言者新聞に載っていた写真を見たことがある。彼らは例のあの人の手下──死喰い人だ。
「あとは必要ない」
背筋が凍るような、残酷な女の声が言った。女はぐったりしたオリバンダーさんを抱え、彼の喉元に杖を突き付けている。それからすぐにバシッという音が聞こえて、女はオリバンダーさんと共に姿をくらました。
「ライン」
ジョージが耳元で囁いた。
「いいかい、俺が戻ってくるまで、ここに隠れているんだ。絶対に外に出るなよ」
ラインはジョージを見つめた。彼が何をしようとしているのか、理解したからだ。ラインが止める間もなく、ジョージは杖を握り締めて、店の外に飛び出して行った。
「おい、フレッド──いや、ジョージか?とにかく、引っ込んでいろ!」
背の高い死喰い人が放った呪文を盾の呪文で弾きながら、フォーテスキューさんが叫んだ。ジョージはそれを無視した。そして、もう1人の死喰い人の前に躍り出た。ラインの胃袋はひっくり返った。ジョージに対峙している背の低い死喰い人が、彼めがけて赤色の閃光を放ったからだ。ジョージは横っ飛びしてそれを避けた。四つ巴の戦いだった。ラインは居ても立っても居られず、アイスのショーケースを迂回して、じりじりと入り口の扉近くまで移動した。動くたびに、足の指のあいだに挟まっている塩がジャリジャリ言った。
「おい、さっさと始末しろ!虫けらどもに構っている暇はないぞ!」
背の低い死喰い人が、背の高い死喰い人に向けて喚いた。
「私たちだって暇じゃない!営業中だ!」
フォーテスキューさんが怒鳴った。背の高い死喰い人が放った呪文が彼の頭上すれすれを通過して、白い調理用の帽子を吹き飛ばしたので、ラインはあっと息を呑んだ。いつのまにか、背の高い死喰い人とフォーテスキューさんのペアは店の目の前まで移動してきていた。死喰い人はこちらに背中を向けて戦っている。今がチャンスであることに、ラインは気がついた。ラインは店の入り口の扉をわずかに開けて、隙間から杖を出した。そして、死喰い人の背中に狙いを定めた。
「エクス──」
その時、風が吹いた。窓から吹き込んだ風がラインの髪を揺らして、扉の隙間から外に通り抜けていった。背の高い死喰い人がピタリと動きを止めた。
「──甘い匂いがする」
「当たり前だろ。アイス屋だぞ」
フォーテスキューさんが言った。しかし、背の高い死喰い人はそれを無視した。そして、死喰い人はゆっくりとこちらを振り向いた。
「その子に触るな!」
ジョージが叫んだのと、背の高い死喰い人が店の扉を蹴破ったのが同時だった。抵抗する間もなく、ラインは外の通りに引きずり出された。死喰い人はラインの手から杖を取り上げると、腕を荒々しく引っ張って立ち上がらせた。そして、なぜか銀色の仮面を脱ぎ捨てた。ジョージの顔が恐怖に歪むのを、ラインは初めて見た。
「俺の方が栄養価が高い。その子は糖質ばかりだ。食ったら糖尿病まっしぐらだぞ」
どうしてジョージが自分の悪口を言ったのか、ラインはさっぱり理解できなかった。
「へえ──おもしろいじゃないか」
ラインを羽交い締めにしている死喰い人が、ぞっとするようなしゃがれ声で言った。ラインは懸命に首を回して、なんとか死喰い人の顔を見ようとした。茶色く汚れて尖った歯と両端の裂けた口が見えた。
「ああ……柔らかい……うまそうな肌だ……」
「そう急くなよ、グレイバック」
ジョージと戦っていた背の低い死喰い人がせせら笑った。グレイバックは黄ばんだ鋭い爪が生えた手でラインの腕を撫で回し、舌なめずりしている。ラインは鳥肌が立った。泥と汗の匂いに混ざって、グレイバックの口から、血の匂いがしたからだ。
「なあ、赤毛。お前のガールフレンド、どこから食ってやろうか?」
ラインは絶望した。やっぱり、「食べたくなる」ってそういう意味だったんだ。グレイバックから逃れようともがきながら、ラインは杖を振り上げるジョージの姿を目の端で捕らえた。
「おっと」
首にピリッとした痛みが走った。
「変なことするなよ。手が滑ったじゃないか」
グレイバックが冷酷な声で言った。自分の首から血がツーと垂れていくのを、ラインは感じ取った。ジョージはこちらに飛び出そうとした態勢のまま、石化呪文をかけられたようにその場で固まった。グレイバックがザラザラした舌で、ラインの首に垂れた血をベロリと舐めた。
「なんと……甘い……甘いぞ……今まで食った人間の中で1番だ……全身しゃぶりつくしてから食う価値がある……」
グレイバックは恍惚とした表情でラインを地面に転がした。
「おい、待て。この娘──」
背の低い死喰い人が何か言った。しかし、ラインはそれどころではなかった。グレイバックがワンピースの裾を捲り上げて、ラインの右足をむんずと掴んだからだ。ラインは身をよじった。こちらに突進しようとしているジョージを、フォーテスキューさんが押さえつけているのが見えた。なんとなく、ジョージの目には涙が光っているように見える。この光景が見納めであるならば、この世は案外悪くない。
「なんだ、こいつ!」
突然、グレイバックが吠えた。
「しょっぱいぞ!」
グレイバックは顔を歪めて、ラインの右足を口からべーっと出した。今度こそ、ラインはチャンスを逃さなかった。ラインは上体を起こし、無我夢中でグレイバックを蹴り上げた。
「いってえ!」
グレイバックが喚いた。運良く、ラインの蹴りが急所に当たったようだ。ラインは横に飛び退いた。空から大鍋が降ってくるのが見えたからだ。大鍋がグレイバックの頭に直撃するのと同時に、背の低い死喰い人が悲鳴を上げた。向かいの建物の窓から縫い針が矢のように飛び出して、背の低い死喰い人の背中に突き刺さった。それから、通り中にドラゴンの咆哮が響いた。振り向くと、花火のドラゴンがこちらに突進してくるのが見えた。ジョージに抱えられて、ラインは店の中に転がり込んだ。
「終わりだ!逃げろ!」
花火のドラゴンに呑み込まれながら、グレイバックが喚いた。バシッという音が鳴って、死喰い人たちは姿をくらました。なぜか、ドラゴン花火も一緒に姿をくらました。
「あいつら、向こうでもドラゴンに追いかけられてるぜ」
ラインの背中を優しくさすりながら、ジョージが言った。彼の腕の中で、ラインはしゃくりあげた。今になって、恐怖に駆られていた。
「すばらしい蹴りだったよ。ネクタイの色に恥じない勇敢さだったね」
フォーテスキューさんがにっこりした。ラインは泣きながら頷いて、ますますジョージの腕にしがみついた。彼の肩越しに、ダイアゴン横丁に店を構える魔法使いたちが、壊れた建物と道路の復旧作業をしているのが見えた。
「よく頑張ったお嬢ちゃんに、何でも好きなサンデーを作ってあげよう」
ラインの涙はぴたりと止まった。意気揚々とキッチンへ向かうフォーテスキューさんの背中を眺めながら、ラインは今日一日の出来事を振り返った。
「私……ブルーハワイとライチのサンデーが食べたいです。できたら、ほんの少し塩も振って欲しいです」
フォーテスキューさんは立ち止まった。それから、感心したような顔でこちらを振り向いた。
「お嬢ちゃん──なかなかいい舌を持っているじゃないか」
一流のパティシエの言葉を聞いて、ラインは震え上がった。トンクスの気持ちは嬉しいけれど、もう二度と、この香水はつけないようにしよう。
きらきら光る香水の瓶を眺めながら、ラインは首を傾げた。「食べたくなる」って、どういう意味だろう?まさか、恋人を頭からムシャムシャと齧るわけではないだろうし。ラインは机の上に置いてあるバースデーカードを読み返した。
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ラインへ
16歳おめでとう!貴方にぴったりの香水を贈ります。デートの時につけてね。
トンクスより
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今度、トンクスに会った時に「食べたくなる」の意味を聞いてみよう。きっと、彼女なら知っているだろう。ラインは瓶の蓋を開けて、香水を首に吹き付けた。とってもおいしそうな香りだ。それからラインは鏡の前に移動して、全身の最終チェックをした。うん、悪くない仕上がりだ。ラインは上機嫌になった。その場でくるりと回ると、お気に入りのワンピースの裾がふわりと揺れた。
「死喰い人どころか、ひとっ子1人いないな」
白い砂浜を歩きながら、ジョージが嬉しそうに言った。
「年間300日は山の中の城に閉じ込められてるんだ。たまには海もいいだろ?」
「うん。すっごくいい」
ラインはこれ以上ないほど浮かれていた。青い空にキラキラと光る海、そして隣には大好きな彼。これぞ、最高の誕生日デートだ。ラインははしゃいで砂浜を走り始めた。
「おいおい、全然前に進んでないぞ」
砂の上って、走りにくい。必死に足を動かすラインを見て、ジョージはゲラゲラ笑った。彼は見事な足さばきで砂浜を歩き、さっさと波打ち際にたどり着いて手を振ってみせた。ジョージに追い着こうとして、ラインはますます必死になった。
「わっ」
案の定、ラインは砂に足を取られて顔から突っ伏した。でも、砂の上だから全然痛くない。顔を上げると、ジョージがばつの悪そうな顔でこちらに手を差し出していた。
「ごめんよ。君の反応がかわいくて、つい意地悪したくなっちまうんだ」
「ううん。いいよ」
ラインはにっこりした。砂を食べて口の中がジャリジャリしている女をかわいいと言ってくれるのは、きっと世界中で彼だけだろう。
ジョージに手を引かれて、ラインは波打ち際にたどり着いた。サンダルを脱いで海に足をつけると、水はひんやりとしていた。心地よい清涼感が、足から全身に広がっていく。より一層の涼しさを求めて、ラインは海の中をぱしゃぱしゃと歩いた。
バシャッ
突然、二の腕に冷たい水しぶきがかかった。振り向くと、ジョージがニヤニヤしながらラインに水をかけていた。さっき謝ったことを、彼はすっかり忘れてしまったようだ。ラインはジョージの方にくるりと身体を向けて、水を蹴って反撃しようとした。しかし、片足立ちになった途端に視界がぐらりと傾いた。
「おっと」
水の中で片足立ちするのって、意外と難しい。ジョージが抱きとめてくれなかったら、今ごろワンピースがびしょ濡れになっていたことだろう。彼の腕に包まれて、ラインは安堵の息を吐き出した。顔を見上げて「ありがとう」と言ったけれど、その言葉がジョージに聞こえたかどうかは分からない。だって、彼がぜんぶ呑み込んでしまったから。
湿り気を帯びたワンピースのせいで、身体はひんやりとしているのに、唇が燃えるように熱い。ふいに潮風が頬を撫でたので、ラインはここが外だということを思い出した。でも、そんなこと、ジョージは全く気にしていないようだった。しばらくしてから、ラインはおもむろに目を開けた。互いの鼻息がかかりそうな距離に彼の顔がある。ラインは急に恥ずかしくなって、目をパチパチさせながら会話の糸口を探した。
「そういえば、今日は新しい香水をつけてみたの。この香り、ジョージは好き?」
「どれどれ」
ジョージが首に鼻を近づけて匂いを嗅いだので、ラインはクスクス笑った。
「うーん、いまいち香りが分からないな」
ジョージは嬉しそうにニヤニヤしながら、再びラインの首に鼻を近づけた。くすぐったかったけれど、ラインは首をすくめるのを我慢した。彼にしっかり判断してもらわないと、次回のデートの時にもこの香水をつけるかどうかを決められないからだ。
「さてはジニーのやつ、俺にコウモリ鼻くその呪いをかけたな」
わざとらしく悩ましげな顔をしたジョージが、ついに首に鼻をぴたりとくっつけたので、ラインは身をよじって笑い転げた。
「ライチの香りなの。『甘くてジューシーで、彼もあなたを食べたくなること間違いなし』って書いてあったのに」
すると突然、ジョージが一切の動きを止めた。不思議に思ったラインが見上げると、彼はラインの首筋をペロリと舐めた。
「わっ」
ラインは驚いて、海の中に尻もちをついた。ワンピースがびしょ濡れどころではない。腰から下が海に浸かっている。ワンピースの裾が海中をゆらゆらと漂っているのを、ラインはしばし呆然と見つめた。それから、ジョージの顔を見上げた。どちらからともなく、2人は声を上げて笑い始めた。
「いま乾かしてやるからな」
笑い過ぎて溢れた涙を拭いながら、ジョージは杖を取り出した。ラインは砂浜に転がっていた流木に腰かけて、両足を前に伸ばして待機した。
「ふふ、くすぐったい」
ジョージが杖から出す温風を足に浴びながら、ラインはけらけら笑った。こういう時、魔法ってすごく便利だ。もう、爪先からふくらはぎまで乾いている。ちょっと塩が残って肌がジャリジャリしているけれど、そんなことは問題ない。
「あー、こっちはかなり水を吸っちまってるな」
ワンピースから落ちた水滴が作った砂浜の染みを眺めながら、ジョージが言った。彼はおもむろにワンピースの裾をつかむと、まるでタオルを絞るようにワンピースをねじり上げた。突然太ももが丸出しになったので、ラインは声にならない悲鳴を上げた。
「こうでもしないと、乾く前に日が暮れちまうぞ。誰も見てないだろ」
ジョージが宥めるように言った。ラインが口をパクパクさせている間に、彼はワンピースの裾に杖を差し入れて、服の中に温風を送り始めた。なんだか彼の纏う空気が変わったように思えて、ラインは戸惑った。
「ねえ、ジョージ。もしかして、お腹が空いたの?」
ラインは単刀直入に聞いた。いつもと様子が違う人は、だいたい眠いか、お腹が空いているかのどっちかだ。ジョージは作業する手を止めて、顔を上げた。
「──そうさ」
夏の太陽が反射した、ギラギラした目でこちらを見つめながら、ジョージが言った。
「だから、我慢してるんだ。君のことを食っちまわないように」
ラインは感心した。すごい効果だ。家に帰ったら、香水のパッケージを見返してみよう。どういう成分が含まれているのか気になる。ラインはワンピースを絞ったり、裾をパタパタさせたりして、ジョージの作業に最大限の協力をした。空腹に耐えることって、本当に辛いもの。
「さあ、誕生日ケーキを受け取って家に帰ろう」
完璧に乾いたラインのワンピースを見つめながら、ぐったりした様子のジョージが言った。
「今年は君のために、アイスケーキをオーダーしたんだ」
ラインは歓声を上げてジョージに抱きついた。全部がアイスで作られたホールケーキなんて夢みたいだ。アイスケーキを食べれば、ジョージも元気を取り戻すに違いない。ジョージの腕に掴まって、ラインは意気揚々とフローリアン・フォーテスキューの店先に「姿あらわし」した。
「下劣な奴らめ!」
誰かの怒鳴り声が聞こえた。ジョージがラインの腕をぐいと引っ張って、店の中に押し込んだ。何が何だか分からないまま、ラインはアイスのショーケースの裏に押しつけられた。何かが壊れるような音や叫び声が聞こえる。
「待て!オリバンダーのじいさんを返せ!」
ラインはジョージの背中から顔を出して、アイスのショーケース越しに外の通りを覗いた。そして、息を呑んだ。黒いマントと銀色の仮面を身に着けた集団が、杖を振り回していたからだ。ラインは彼らの正体を知っていた。以前、日刊予言者新聞に載っていた写真を見たことがある。彼らは例のあの人の手下──死喰い人だ。
「あとは必要ない」
背筋が凍るような、残酷な女の声が言った。女はぐったりしたオリバンダーさんを抱え、彼の喉元に杖を突き付けている。それからすぐにバシッという音が聞こえて、女はオリバンダーさんと共に姿をくらました。
「ライン」
ジョージが耳元で囁いた。
「いいかい、俺が戻ってくるまで、ここに隠れているんだ。絶対に外に出るなよ」
ラインはジョージを見つめた。彼が何をしようとしているのか、理解したからだ。ラインが止める間もなく、ジョージは杖を握り締めて、店の外に飛び出して行った。
「おい、フレッド──いや、ジョージか?とにかく、引っ込んでいろ!」
背の高い死喰い人が放った呪文を盾の呪文で弾きながら、フォーテスキューさんが叫んだ。ジョージはそれを無視した。そして、もう1人の死喰い人の前に躍り出た。ラインの胃袋はひっくり返った。ジョージに対峙している背の低い死喰い人が、彼めがけて赤色の閃光を放ったからだ。ジョージは横っ飛びしてそれを避けた。四つ巴の戦いだった。ラインは居ても立っても居られず、アイスのショーケースを迂回して、じりじりと入り口の扉近くまで移動した。動くたびに、足の指のあいだに挟まっている塩がジャリジャリ言った。
「おい、さっさと始末しろ!虫けらどもに構っている暇はないぞ!」
背の低い死喰い人が、背の高い死喰い人に向けて喚いた。
「私たちだって暇じゃない!営業中だ!」
フォーテスキューさんが怒鳴った。背の高い死喰い人が放った呪文が彼の頭上すれすれを通過して、白い調理用の帽子を吹き飛ばしたので、ラインはあっと息を呑んだ。いつのまにか、背の高い死喰い人とフォーテスキューさんのペアは店の目の前まで移動してきていた。死喰い人はこちらに背中を向けて戦っている。今がチャンスであることに、ラインは気がついた。ラインは店の入り口の扉をわずかに開けて、隙間から杖を出した。そして、死喰い人の背中に狙いを定めた。
「エクス──」
その時、風が吹いた。窓から吹き込んだ風がラインの髪を揺らして、扉の隙間から外に通り抜けていった。背の高い死喰い人がピタリと動きを止めた。
「──甘い匂いがする」
「当たり前だろ。アイス屋だぞ」
フォーテスキューさんが言った。しかし、背の高い死喰い人はそれを無視した。そして、死喰い人はゆっくりとこちらを振り向いた。
「その子に触るな!」
ジョージが叫んだのと、背の高い死喰い人が店の扉を蹴破ったのが同時だった。抵抗する間もなく、ラインは外の通りに引きずり出された。死喰い人はラインの手から杖を取り上げると、腕を荒々しく引っ張って立ち上がらせた。そして、なぜか銀色の仮面を脱ぎ捨てた。ジョージの顔が恐怖に歪むのを、ラインは初めて見た。
「俺の方が栄養価が高い。その子は糖質ばかりだ。食ったら糖尿病まっしぐらだぞ」
どうしてジョージが自分の悪口を言ったのか、ラインはさっぱり理解できなかった。
「へえ──おもしろいじゃないか」
ラインを羽交い締めにしている死喰い人が、ぞっとするようなしゃがれ声で言った。ラインは懸命に首を回して、なんとか死喰い人の顔を見ようとした。茶色く汚れて尖った歯と両端の裂けた口が見えた。
「ああ……柔らかい……うまそうな肌だ……」
「そう急くなよ、グレイバック」
ジョージと戦っていた背の低い死喰い人がせせら笑った。グレイバックは黄ばんだ鋭い爪が生えた手でラインの腕を撫で回し、舌なめずりしている。ラインは鳥肌が立った。泥と汗の匂いに混ざって、グレイバックの口から、血の匂いがしたからだ。
「なあ、赤毛。お前のガールフレンド、どこから食ってやろうか?」
ラインは絶望した。やっぱり、「食べたくなる」ってそういう意味だったんだ。グレイバックから逃れようともがきながら、ラインは杖を振り上げるジョージの姿を目の端で捕らえた。
「おっと」
首にピリッとした痛みが走った。
「変なことするなよ。手が滑ったじゃないか」
グレイバックが冷酷な声で言った。自分の首から血がツーと垂れていくのを、ラインは感じ取った。ジョージはこちらに飛び出そうとした態勢のまま、石化呪文をかけられたようにその場で固まった。グレイバックがザラザラした舌で、ラインの首に垂れた血をベロリと舐めた。
「なんと……甘い……甘いぞ……今まで食った人間の中で1番だ……全身しゃぶりつくしてから食う価値がある……」
グレイバックは恍惚とした表情でラインを地面に転がした。
「おい、待て。この娘──」
背の低い死喰い人が何か言った。しかし、ラインはそれどころではなかった。グレイバックがワンピースの裾を捲り上げて、ラインの右足をむんずと掴んだからだ。ラインは身をよじった。こちらに突進しようとしているジョージを、フォーテスキューさんが押さえつけているのが見えた。なんとなく、ジョージの目には涙が光っているように見える。この光景が見納めであるならば、この世は案外悪くない。
「なんだ、こいつ!」
突然、グレイバックが吠えた。
「しょっぱいぞ!」
グレイバックは顔を歪めて、ラインの右足を口からべーっと出した。今度こそ、ラインはチャンスを逃さなかった。ラインは上体を起こし、無我夢中でグレイバックを蹴り上げた。
「いってえ!」
グレイバックが喚いた。運良く、ラインの蹴りが急所に当たったようだ。ラインは横に飛び退いた。空から大鍋が降ってくるのが見えたからだ。大鍋がグレイバックの頭に直撃するのと同時に、背の低い死喰い人が悲鳴を上げた。向かいの建物の窓から縫い針が矢のように飛び出して、背の低い死喰い人の背中に突き刺さった。それから、通り中にドラゴンの咆哮が響いた。振り向くと、花火のドラゴンがこちらに突進してくるのが見えた。ジョージに抱えられて、ラインは店の中に転がり込んだ。
「終わりだ!逃げろ!」
花火のドラゴンに呑み込まれながら、グレイバックが喚いた。バシッという音が鳴って、死喰い人たちは姿をくらました。なぜか、ドラゴン花火も一緒に姿をくらました。
「あいつら、向こうでもドラゴンに追いかけられてるぜ」
ラインの背中を優しくさすりながら、ジョージが言った。彼の腕の中で、ラインはしゃくりあげた。今になって、恐怖に駆られていた。
「すばらしい蹴りだったよ。ネクタイの色に恥じない勇敢さだったね」
フォーテスキューさんがにっこりした。ラインは泣きながら頷いて、ますますジョージの腕にしがみついた。彼の肩越しに、ダイアゴン横丁に店を構える魔法使いたちが、壊れた建物と道路の復旧作業をしているのが見えた。
「よく頑張ったお嬢ちゃんに、何でも好きなサンデーを作ってあげよう」
ラインの涙はぴたりと止まった。意気揚々とキッチンへ向かうフォーテスキューさんの背中を眺めながら、ラインは今日一日の出来事を振り返った。
「私……ブルーハワイとライチのサンデーが食べたいです。できたら、ほんの少し塩も振って欲しいです」
フォーテスキューさんは立ち止まった。それから、感心したような顔でこちらを振り向いた。
「お嬢ちゃん──なかなかいい舌を持っているじゃないか」
一流のパティシエの言葉を聞いて、ラインは震え上がった。トンクスの気持ちは嬉しいけれど、もう二度と、この香水はつけないようにしよう。