the Order of the Phoenix
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『 ♪ ウィーズリーこそ我が王者 いつでもクアッフルを見逃しだ』
センスのないメロディーが遠音に響いている。今日もまた、グリフィンドール・クィディッチチームの練習に野暮な観客が湧いているのだろう。ラインは赤毛の友人を思い、気の毒な気持ちになった。彼は先月、新しいキーパーとしてチームに選出されたばかりだ。精神状態が技術に直結する彼を動揺させるために、スリザリンチームが考え出した作戦が、試合中にこの歌を大合唱することだった。皆に注目されると、彼は途端にゴールを守れなくなってしまう。ミスが続けば、彼はどんどん自信を失っていく。結局、前回の試合でロンは一度もゴールを守ることができなかった。ラインは試合終了のホイッスルが鳴った瞬間を思い出して、深いため息をついた。なんだか……鼻くそ味の百味ビーンズと酸っぱいペロペロ酸キャンディだけで胃が満たされているような気分だ。こういう時は、甘いものを食べて中和するに限る。今日は早めに夕食を食べに行こう。ラインは立ち上がり、机に散らばっている教科書を片付け始めた。
ちなみに、ラインのため息の主な原因──それは、ロンが一度もゴールを守れなかったことではない。彼の兄、ジョージが理不尽な罰則を受けたことが原因だ。前回の試合の後、なんとジョージはマルフォイをこてんぱんに殴り付けた。マルフォイが彼の両親の悪口を言ったからである。しかし、アンブリッジ先生はジョージ(と巻き添えを喰らったフレッド)だけに罰則を与えた。彼からクィディッチを取り上げるという最悪の形で。彼だけが悪いわけではないのに。あの救いようのないガマガエルめ……
ラインはカバンの中に教科書を放り込み、窓を閉めようと立ち上がった。すると、見慣れない色が目に飛び込んできた。古い教室の寂れた色彩に似合わない、鮮やかな緑と黄色のスニーカーだった。飛び出た杭にぶら下がり、窓の外でゆらゆらと揺れている。ラインはそのスニーカーの持ち主に思い当たる人物がいた。ルーナ・ラブグッドだ。彼女はこの間、スニーカーを探していると言っていた。それがどうして、こんなところにあるんだろう?この教室はラインに与えられた自習室だ。北塔の上階にあるため利便性が悪く、他の生徒はほとんど寄り付かない。ラインは首を傾げながら、杖を取り出した。
「アクシオ!スニーカーよ、来い!」
スニーカーがグンとこちらに引き寄せられた。しかし、靴ひもが杭に引っかかっている。スニーカーはブルブルと震えながら、自由になろうと必死にもがいているように見える。これ以上の負荷をかけたら、靴ひもが千切れてしまいそうだ。ラインは窓に近寄って、スニーカーに手を伸ばした。届かない。でも、もう少しで届きそうだ。ラインはよいしょと背伸びをして、窓枠に膝をかけた。外に身体を乗り出すと、冷たい風が吹きつけた。その瞬間、ラインはここが地上より遥かに高い場所であることを思い出した。誰か背の高い人か、呼び寄せ呪文の得意な人を呼んで来るべきだろうか?うーん。でも、ここで諦めてしまうのはちょっと悔しい。ラインは絶対に下を向かないように注意しながら、スニーカーに向けて手を伸ばした。あと10センチ──あと5センチ──よし、掴んだ──
ガクッ
突然、視界がひっくり返った。膝が窓枠から滑り落ちて、ラインは窓の外に転がり出た。叫び声を上げる間もなく、腰骨に鈍い痛みを感じた。奇跡的に、さほど落差のないどこかに着地したようだ。ラインは飛び上がる心臓を押さえながら、状況を理解しようと辺りを見回した。たぶん──自分は今、下の階の窓のひさしの上に乗っかっている。
信じられないほど間抜けだし、信じられないほど幸運だ。ラインは衝撃で動きが鈍っている脳みそで懸命に考えた。どうすればいい?運動神経に自信のある人なら、ひょいと壁を登って窓へ戻れるかもしれない。でも、自分には無理だ。一か八か、自分に浮遊呪文をかけてみようか?いや、止めた方がいい。魔力が制御できず、天高く昇ってしまう可能性がある。じゃあ、呼び寄せ呪文で箒を呼び寄せてみる?うーん。この不安定な足場で箒をキャッチできる気がしない。そうだ──ラインは閃いた。ダンブルドア軍団の連絡手段、偽ガリオン金貨だ。金貨には変幻自在呪文がかけられていて、誰かが金貨に刻んである文字を変更すると、全員の金貨の文字がそれに倣って変化する。上手くいけば、誰かにメッセージを伝えられるかもしれない。ラインはポケットを慎重に探り、杖と金貨を取り出した。
限られた文字数でこの状況を伝えるには、どう書いたらいいのだろう?とりあえず、場所と緊急性を伝えたい。「キタトウ タスケテ」と書こう。ラインは杖で金貨を軽く叩いた。
「キ……タ……」
あれ?ところどころ文字が読めない。もう一度やってみよう。
「キャ……タベ……」
あれ?また失敗した。もっと集中しないと。よし、もう一度。
「キャラメル タベタイ」
これは、深層心理?この状況で?ラインは混乱し、己の食い意地を猛烈に恥じた。
「ライン、ねえ、ここにいるの?」
しばらくすると、教室の扉が開く音とともに聞き慣れた声が聞こえてきた。
「どうして、金貨に悪戯なんてしたの?」
「ハーマイオニー!」
ラインは声を張り上げた。良かった──彼女なら、気付いてくれると信じていた。
「ここよ、窓の外!」
パタパタと足音がした。頭上にある窓からハーマイオニーが顔を出して、ぎょっとしたように目を見張った。
「貴方……どうして、そんなところにいるの?」
「落ちたの。これを取ろうとして」
ラインはルーナのスニーカーを掲げた。ハーマイオニーは半分呆れたような顔をして、窓から杖を突き出した。
「アクシオ!スニーカーよ、来い!」
スニーカーがラインの手を離れて、ハーマイオニーの手の中へ吸い込まれていった。
「何か貴方を引き上げるための道具を持って来るわ。それに、人も呼んで来ないと──」
「ライン、ここにいるのかい?」
別の足音が聞こえてきた。彼は面白そうに笑っている。
「君の仕業だろ?何だよ、キャラメル食べたいって──」
教室の扉が開く音とともに、笑い声は消えた。
「ハーマイオニー、どうした?」
「ラインが窓の外に落ちたの」
頭上の窓からジョージの顔が現れて、すぐに中へ引っ込んだ。そのまま見上げていると、彼がローブを脱ぎ捨てて、シャツの袖を捲っている姿がちらりと見えた。
「2人では無理よ。誰か呼んで来ないと──」
バタバタと足音がして、教室の扉が閉まる音が聞こえた。きっと、ハーマイオニーが人を呼びに行ってくれたのだろう。良かった──今後は衝動的な行動を改めて、周りに迷惑をかけないように気をつけよう。安心してふーっと息を吐き出すと、それはたちまち白いもやに変わった。その瞬間、ラインは再び思い出した。自分のいる場所が、地上より遥かに高い場所だということを。
「ライン、大丈夫か?」
「うん」
嘘だった。内臓の全てが冷たい風に晒されたような気分だった。今頼れるものは、幅が30センチの足場とわずかな壁の凹凸だけだ。ラインは壁の凹凸を掴み、足を肩幅に開いて身体を安定させようとした。見下ろすと、クィディッチ競技場を飛ぶ選手たちが豆粒のような大きさに見える。一度怖さを感じると、それを振り払うのは難しかった。頭の中が嫌な想像で満たされる。膝が小刻みに震え始めた。手汗もひどい。どうしよう。助けが来るまで、しっかりと立っていられないかもしれない──
突然、何かがラインの腰にぐいと触れた。心臓が一拍飛ばすくらい驚いたのに、ラインは悲鳴を上げることが出来なかった。恐怖のあまり、喉が締まっていたからだ。
「──こんな景色、久しぶりに見たぜ」
耳元で声が聞こえる。
「俺に掴まって、目を閉じてろよ」
ラインを抱き寄せて、ジョージが優しく言った。ラインはしばらく呆然とした後、ようやく状況を理解した。彼は自分を支えるために、わざわざこんな危険な場所まで降りてきてくれたのだ。
「ジョージ……あの……離さないでね」
間違えた。どう考えても、ありがとうと言うべきだった。
「それじゃ、こうしといてくれ」
彼はニヤリと笑ってラインの両手を取り、自身の腰に回した。なるほど──これは安心感がある。なんだか、大木に抱きつくコアラの気持ちが分かった気がする。
「いい眺めだ」
ジョージは満足そうにこちらを見下ろして、にっこりした。その笑顔を見て、ラインは切ない気持ちになった。彼からクィディッチを取り上げるなんて、本当に残酷だ。こんなに高いところが好きなのに……
ラインは彼の好意に甘えて、目を閉じることにした。何も見えなければ、怖くないからだ。彼にくっついていれば、空気の冷たさも感じない。真っ暗な世界で、ジョージの心臓の音だけが聞こえる。規則正しいリズムと落ち着く香りに包まれて、ラインは平常心を取り戻しつつあった。
「あーっ」
突然、ジョージが呻き声をあげた。
「ロンのやつ……ありゃ、死刑もんだぜ」
ジョージが何を見たのか、ラインは目を瞑っていても分かった。またもや、センスのないメロディーが聞こえてきたからだ。
『 ♪ ウィーズリーこそ我が王者 万に一つも守れない』
ラインはおそるおそる目を開けて、クィディッチ競技場を見下ろした。ゴールの上に赤色の人影がポツンと佇んでいる。彼はひどくうなだれているように見えた。こんな状況でも練習を続けようとしているのだから、ロンは立派だと思う。自分だったらとっくに箒なんて乗り捨てて、ふかふかのベッドに潜り込んでいるだろう。どうか、その不屈の精神を称えて、天が彼の味方をしてくれますように──
その時だった。突如、足場の感覚が消失した。何が起きたのか分からない。気が付いた時には、身体が空中でぶらぶらと揺れていた。ジョージが必死の形相で、ラインの右手を掴んでいる。自分が先程まで立っていた場所を見上げて、ラインは理解した。窓のひさしは人間が乗るものではない。2人分の重さに耐え切れず、半分が崩れ落ちている。このままの重量をかけ続ければ、いずれもう半分──今ジョージが乗っている部分も崩れ落ちてしまうだろう。そうなったら、彼はどうなる?ラインの頭は急にまともになった。人様に迷惑はかけられない。
「ジョージ、今までありがとう。もう手を離して」
自身の選択を誇らしく思いながら、ラインはきっぱりと言った。しかし、ジョージはそれを完璧に無視した。
「急いで、ハリー!」
ハーマイオニーの声が聞こえてきた。
「ラインが落ちてしまうわ!」
バタバタと足音がして、窓からロープが垂れてきた。良かった。これでジョージは助かるだろう。安心すると、身体の力がふっと抜けた。
「ライン──駄目だ!」
全てがスローモーションに見えた。ラインの右手はするりとジョージの手から抜け落ちた。階段を踏み外した時に胃がすっと引っ張られる、あの感覚を一生分まとめて味わっているようだった。ジョージが叫びながら身を乗り出し、こちらに手を伸ばした。しかし、その手は空を虚しく掻いた。ラインは悟った。自分の人生はここまでだ。最後に好きな人の笑顔を見ることが出来て幸せだった。友達には恵まれたし、美味しいものも沢山食べたし、なかなか良い人生だった。ラインは来たるべき瞬間に備えて目を閉じようとした。しかし、視界の端に映る赤色が気になった。クィディッチ競技場からこちらに向けて飛んでくる。スローモーションの世界で、それは彗星のような速さだった。風を切り裂く音が聞こえる。ラインが赤色の輪郭を捉える前に、それは目標に到達した。
「君ってさあ……毎月死にかけないと、気が済まないタイプなの?」
箒の上でラインを抱えながら、ロンが言った。微動だにしないラインを見つめて、彼は心配そうに眉をひそめた。
「……ロン!」
石になったままのラインの頭上から、震える声が降ってきた。
「貴方、本当に──立派なことを成し遂げたわ」
目に涙をいっぱい溜めたハーマイオニーを見上げて、ロンが目をぱちぱちさせた。
「ほらね──僕、いつも君に言ってるだろ?」
今度はハリーが頭上で喋っている。
「君はできる奴なんだ。なぜかって?本当に大切な時──君は絶対に取り落とさないからだ」
それを聞くと、ロンの背筋がしゃんとした。
「このまま、空の旅でもしようか?」
ラインは瞬時に人間に戻り、ぶんぶんと首を振った。ロンはニヤッと笑い、ゆっくりと下降を始めた。彼はご機嫌に鼻歌を歌っている。なんだか聞き覚えのある、センスのないメロディーだった。
センスのないメロディーが遠音に響いている。今日もまた、グリフィンドール・クィディッチチームの練習に野暮な観客が湧いているのだろう。ラインは赤毛の友人を思い、気の毒な気持ちになった。彼は先月、新しいキーパーとしてチームに選出されたばかりだ。精神状態が技術に直結する彼を動揺させるために、スリザリンチームが考え出した作戦が、試合中にこの歌を大合唱することだった。皆に注目されると、彼は途端にゴールを守れなくなってしまう。ミスが続けば、彼はどんどん自信を失っていく。結局、前回の試合でロンは一度もゴールを守ることができなかった。ラインは試合終了のホイッスルが鳴った瞬間を思い出して、深いため息をついた。なんだか……鼻くそ味の百味ビーンズと酸っぱいペロペロ酸キャンディだけで胃が満たされているような気分だ。こういう時は、甘いものを食べて中和するに限る。今日は早めに夕食を食べに行こう。ラインは立ち上がり、机に散らばっている教科書を片付け始めた。
ちなみに、ラインのため息の主な原因──それは、ロンが一度もゴールを守れなかったことではない。彼の兄、ジョージが理不尽な罰則を受けたことが原因だ。前回の試合の後、なんとジョージはマルフォイをこてんぱんに殴り付けた。マルフォイが彼の両親の悪口を言ったからである。しかし、アンブリッジ先生はジョージ(と巻き添えを喰らったフレッド)だけに罰則を与えた。彼からクィディッチを取り上げるという最悪の形で。彼だけが悪いわけではないのに。あの救いようのないガマガエルめ……
ラインはカバンの中に教科書を放り込み、窓を閉めようと立ち上がった。すると、見慣れない色が目に飛び込んできた。古い教室の寂れた色彩に似合わない、鮮やかな緑と黄色のスニーカーだった。飛び出た杭にぶら下がり、窓の外でゆらゆらと揺れている。ラインはそのスニーカーの持ち主に思い当たる人物がいた。ルーナ・ラブグッドだ。彼女はこの間、スニーカーを探していると言っていた。それがどうして、こんなところにあるんだろう?この教室はラインに与えられた自習室だ。北塔の上階にあるため利便性が悪く、他の生徒はほとんど寄り付かない。ラインは首を傾げながら、杖を取り出した。
「アクシオ!スニーカーよ、来い!」
スニーカーがグンとこちらに引き寄せられた。しかし、靴ひもが杭に引っかかっている。スニーカーはブルブルと震えながら、自由になろうと必死にもがいているように見える。これ以上の負荷をかけたら、靴ひもが千切れてしまいそうだ。ラインは窓に近寄って、スニーカーに手を伸ばした。届かない。でも、もう少しで届きそうだ。ラインはよいしょと背伸びをして、窓枠に膝をかけた。外に身体を乗り出すと、冷たい風が吹きつけた。その瞬間、ラインはここが地上より遥かに高い場所であることを思い出した。誰か背の高い人か、呼び寄せ呪文の得意な人を呼んで来るべきだろうか?うーん。でも、ここで諦めてしまうのはちょっと悔しい。ラインは絶対に下を向かないように注意しながら、スニーカーに向けて手を伸ばした。あと10センチ──あと5センチ──よし、掴んだ──
ガクッ
突然、視界がひっくり返った。膝が窓枠から滑り落ちて、ラインは窓の外に転がり出た。叫び声を上げる間もなく、腰骨に鈍い痛みを感じた。奇跡的に、さほど落差のないどこかに着地したようだ。ラインは飛び上がる心臓を押さえながら、状況を理解しようと辺りを見回した。たぶん──自分は今、下の階の窓のひさしの上に乗っかっている。
信じられないほど間抜けだし、信じられないほど幸運だ。ラインは衝撃で動きが鈍っている脳みそで懸命に考えた。どうすればいい?運動神経に自信のある人なら、ひょいと壁を登って窓へ戻れるかもしれない。でも、自分には無理だ。一か八か、自分に浮遊呪文をかけてみようか?いや、止めた方がいい。魔力が制御できず、天高く昇ってしまう可能性がある。じゃあ、呼び寄せ呪文で箒を呼び寄せてみる?うーん。この不安定な足場で箒をキャッチできる気がしない。そうだ──ラインは閃いた。ダンブルドア軍団の連絡手段、偽ガリオン金貨だ。金貨には変幻自在呪文がかけられていて、誰かが金貨に刻んである文字を変更すると、全員の金貨の文字がそれに倣って変化する。上手くいけば、誰かにメッセージを伝えられるかもしれない。ラインはポケットを慎重に探り、杖と金貨を取り出した。
限られた文字数でこの状況を伝えるには、どう書いたらいいのだろう?とりあえず、場所と緊急性を伝えたい。「キタトウ タスケテ」と書こう。ラインは杖で金貨を軽く叩いた。
「キ……タ……」
あれ?ところどころ文字が読めない。もう一度やってみよう。
「キャ……タベ……」
あれ?また失敗した。もっと集中しないと。よし、もう一度。
「キャラメル タベタイ」
これは、深層心理?この状況で?ラインは混乱し、己の食い意地を猛烈に恥じた。
「ライン、ねえ、ここにいるの?」
しばらくすると、教室の扉が開く音とともに聞き慣れた声が聞こえてきた。
「どうして、金貨に悪戯なんてしたの?」
「ハーマイオニー!」
ラインは声を張り上げた。良かった──彼女なら、気付いてくれると信じていた。
「ここよ、窓の外!」
パタパタと足音がした。頭上にある窓からハーマイオニーが顔を出して、ぎょっとしたように目を見張った。
「貴方……どうして、そんなところにいるの?」
「落ちたの。これを取ろうとして」
ラインはルーナのスニーカーを掲げた。ハーマイオニーは半分呆れたような顔をして、窓から杖を突き出した。
「アクシオ!スニーカーよ、来い!」
スニーカーがラインの手を離れて、ハーマイオニーの手の中へ吸い込まれていった。
「何か貴方を引き上げるための道具を持って来るわ。それに、人も呼んで来ないと──」
「ライン、ここにいるのかい?」
別の足音が聞こえてきた。彼は面白そうに笑っている。
「君の仕業だろ?何だよ、キャラメル食べたいって──」
教室の扉が開く音とともに、笑い声は消えた。
「ハーマイオニー、どうした?」
「ラインが窓の外に落ちたの」
頭上の窓からジョージの顔が現れて、すぐに中へ引っ込んだ。そのまま見上げていると、彼がローブを脱ぎ捨てて、シャツの袖を捲っている姿がちらりと見えた。
「2人では無理よ。誰か呼んで来ないと──」
バタバタと足音がして、教室の扉が閉まる音が聞こえた。きっと、ハーマイオニーが人を呼びに行ってくれたのだろう。良かった──今後は衝動的な行動を改めて、周りに迷惑をかけないように気をつけよう。安心してふーっと息を吐き出すと、それはたちまち白いもやに変わった。その瞬間、ラインは再び思い出した。自分のいる場所が、地上より遥かに高い場所だということを。
「ライン、大丈夫か?」
「うん」
嘘だった。内臓の全てが冷たい風に晒されたような気分だった。今頼れるものは、幅が30センチの足場とわずかな壁の凹凸だけだ。ラインは壁の凹凸を掴み、足を肩幅に開いて身体を安定させようとした。見下ろすと、クィディッチ競技場を飛ぶ選手たちが豆粒のような大きさに見える。一度怖さを感じると、それを振り払うのは難しかった。頭の中が嫌な想像で満たされる。膝が小刻みに震え始めた。手汗もひどい。どうしよう。助けが来るまで、しっかりと立っていられないかもしれない──
突然、何かがラインの腰にぐいと触れた。心臓が一拍飛ばすくらい驚いたのに、ラインは悲鳴を上げることが出来なかった。恐怖のあまり、喉が締まっていたからだ。
「──こんな景色、久しぶりに見たぜ」
耳元で声が聞こえる。
「俺に掴まって、目を閉じてろよ」
ラインを抱き寄せて、ジョージが優しく言った。ラインはしばらく呆然とした後、ようやく状況を理解した。彼は自分を支えるために、わざわざこんな危険な場所まで降りてきてくれたのだ。
「ジョージ……あの……離さないでね」
間違えた。どう考えても、ありがとうと言うべきだった。
「それじゃ、こうしといてくれ」
彼はニヤリと笑ってラインの両手を取り、自身の腰に回した。なるほど──これは安心感がある。なんだか、大木に抱きつくコアラの気持ちが分かった気がする。
「いい眺めだ」
ジョージは満足そうにこちらを見下ろして、にっこりした。その笑顔を見て、ラインは切ない気持ちになった。彼からクィディッチを取り上げるなんて、本当に残酷だ。こんなに高いところが好きなのに……
ラインは彼の好意に甘えて、目を閉じることにした。何も見えなければ、怖くないからだ。彼にくっついていれば、空気の冷たさも感じない。真っ暗な世界で、ジョージの心臓の音だけが聞こえる。規則正しいリズムと落ち着く香りに包まれて、ラインは平常心を取り戻しつつあった。
「あーっ」
突然、ジョージが呻き声をあげた。
「ロンのやつ……ありゃ、死刑もんだぜ」
ジョージが何を見たのか、ラインは目を瞑っていても分かった。またもや、センスのないメロディーが聞こえてきたからだ。
『 ♪ ウィーズリーこそ我が王者 万に一つも守れない』
ラインはおそるおそる目を開けて、クィディッチ競技場を見下ろした。ゴールの上に赤色の人影がポツンと佇んでいる。彼はひどくうなだれているように見えた。こんな状況でも練習を続けようとしているのだから、ロンは立派だと思う。自分だったらとっくに箒なんて乗り捨てて、ふかふかのベッドに潜り込んでいるだろう。どうか、その不屈の精神を称えて、天が彼の味方をしてくれますように──
その時だった。突如、足場の感覚が消失した。何が起きたのか分からない。気が付いた時には、身体が空中でぶらぶらと揺れていた。ジョージが必死の形相で、ラインの右手を掴んでいる。自分が先程まで立っていた場所を見上げて、ラインは理解した。窓のひさしは人間が乗るものではない。2人分の重さに耐え切れず、半分が崩れ落ちている。このままの重量をかけ続ければ、いずれもう半分──今ジョージが乗っている部分も崩れ落ちてしまうだろう。そうなったら、彼はどうなる?ラインの頭は急にまともになった。人様に迷惑はかけられない。
「ジョージ、今までありがとう。もう手を離して」
自身の選択を誇らしく思いながら、ラインはきっぱりと言った。しかし、ジョージはそれを完璧に無視した。
「急いで、ハリー!」
ハーマイオニーの声が聞こえてきた。
「ラインが落ちてしまうわ!」
バタバタと足音がして、窓からロープが垂れてきた。良かった。これでジョージは助かるだろう。安心すると、身体の力がふっと抜けた。
「ライン──駄目だ!」
全てがスローモーションに見えた。ラインの右手はするりとジョージの手から抜け落ちた。階段を踏み外した時に胃がすっと引っ張られる、あの感覚を一生分まとめて味わっているようだった。ジョージが叫びながら身を乗り出し、こちらに手を伸ばした。しかし、その手は空を虚しく掻いた。ラインは悟った。自分の人生はここまでだ。最後に好きな人の笑顔を見ることが出来て幸せだった。友達には恵まれたし、美味しいものも沢山食べたし、なかなか良い人生だった。ラインは来たるべき瞬間に備えて目を閉じようとした。しかし、視界の端に映る赤色が気になった。クィディッチ競技場からこちらに向けて飛んでくる。スローモーションの世界で、それは彗星のような速さだった。風を切り裂く音が聞こえる。ラインが赤色の輪郭を捉える前に、それは目標に到達した。
「君ってさあ……毎月死にかけないと、気が済まないタイプなの?」
箒の上でラインを抱えながら、ロンが言った。微動だにしないラインを見つめて、彼は心配そうに眉をひそめた。
「……ロン!」
石になったままのラインの頭上から、震える声が降ってきた。
「貴方、本当に──立派なことを成し遂げたわ」
目に涙をいっぱい溜めたハーマイオニーを見上げて、ロンが目をぱちぱちさせた。
「ほらね──僕、いつも君に言ってるだろ?」
今度はハリーが頭上で喋っている。
「君はできる奴なんだ。なぜかって?本当に大切な時──君は絶対に取り落とさないからだ」
それを聞くと、ロンの背筋がしゃんとした。
「このまま、空の旅でもしようか?」
ラインは瞬時に人間に戻り、ぶんぶんと首を振った。ロンはニヤッと笑い、ゆっくりと下降を始めた。彼はご機嫌に鼻歌を歌っている。なんだか聞き覚えのある、センスのないメロディーだった。