the Order of the Phoenix

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主人公の名前

「さて、以前にお話しした通り、今日からは自己顕示欲を抑えるためのお勉強をしましょう」
「はい、アンブリッジ先生」

ラインは覇気のない返事をした。しつこい花柄のテーブルクロスを掛けた机に陣取り、それにすっかり溶け込む柄のローブを着たアンブリッジ先生をなるべく視界に入れないようにしながら。どうせ今日の個人授業も45分間ずっと、教科書を書き写すだけだろう……ラインはさっさと鞄を開けて、自分の羽根ペンと羊皮紙を取り出した。

「あら、今日はこっちを使うのよ。ちょっと特別な、わたくしの羽根ペンを」

アンブリッジ先生はピンク色の羽根ペンをラインに差し出した。ふわふわした羽根に似合わない、ナイフのように鋭いペン先がついている。正直なところ、昨年の偽ムーディ先生の個人授業の方がよほど為になる授業だったと思う。闇の魔術の専門家だった彼は、闇の魔術に対する防衛術についても熟知していた。なにより彼の授業ではこんな悪趣味な羽根ペンではなく、杖を使っていた。

「では、今から言うことを、そっくりそのまま書き取ってちょうだいね」
「はい、アンブリッジ先生」
『私は悲劇のヒロインではありません』

ラインは顔を上げて、今日初めて、まともにアンブリッジ先生の顔を見た。下瞼が弛んだガマガエルの目が、はっきりとした悪意をこちらに向けている。

「──何回書けば良いですか?」

ラインは努めて冷静な声を出すようにした。動揺してはいけない。傷付いた顔など見せてはいけない。喜ばせてなんかやるものか。

「貴方の"心"にしっかりと刻み込まれるまでですよ」

ラインは返事をせずに、悪趣味な羽根ペンを取り上げて──もう一度、机の上に置いた。カバンの中からインク瓶を取り出す必要があることに気が付いたからだ。

「ああ、インクは要らないのよ」

アンブリッジ先生の口元にニタリとした笑みが広がった。今まで見た中で、1番おぞましい人間の顔だと思った。3秒以上見つめたら、間違いなく呪われてしまうだろう。

『私は悲劇のヒロインではありません』

羊皮紙にペン先を滑らせ始めた瞬間、ラインの身体には異変が起きた。ラインはパッと顔を上げて、アンブリッジ先生を見た。先程と同じ、おぞましい笑いが顔に広がっている。

「あら、どうかしたの?」
「……いいえ」

ラインは再び羽根ペンの先を羊皮紙につけて書き、歯を食いしばった。焼けるような痛みに耐えるためだ。ラインはすぐに気が付いた。羊皮紙に赤く光る文字を浮き上がらせているのが、インクではなく自分の血だということ。そして、羊皮紙に書いた文字が──自分の左胸、ちょうど心臓の真上あたりの皮膚に刻み込まれているということに。



45分間の拷問が終わり、アンブリッジ先生の部屋から暗い廊下に出た時、ラインには手の感覚が無かった。足の感覚もほとんど無い。まるでふわふわとした柔らかい床に立っているようだった。ヨロヨロと廊下を進み、角を曲がり、アンブリッジ先生の部屋の扉が見えなくなった瞬間、ラインは駆け出そうとした。しかし、45分間硬直していた身体が言うことを聞くはずもなく、足が絡れ、ラインは顔から地面に突っ込んだ。石畳の冷たさが、残っていた気力を全て搾り取ってしまったようだった。ラインは床に突っ伏したまま、石畳に涙の染みが広がっていくのをぼーっと眺めた。



「こんばんは」

それからどのくらいの時間が経ったのか分からない。ふいに歌うような声が聞こえてきた。ラインはのろのろと顔を上げた。澄んだ瞳がこちらをじっと見ている。

「あんた、ライン・マーリンだ」

濁り色のブロンドの髪をふわふわさせながら、女の子がこちらに手を差し出した。

「ナーグルとスニーカーを見なかった?」
「……ナーグル?」
「うん。ああ、でも、ここにはヤドリギが無いか」

女の子はぼんやりと宙を見つめて頷いた。飄々とした態度に意表を突かれて、ラインの涙はぴたりと止まった。彼女に鼻水だらけの顔を見られても、ラインは気にならなかった。他に気になることが沢山あったからだ。彼女の耳にぶら下がっているのが本物の蕪かどうかを考えながら、ラインは差し出された手を取って立ち上がった。

「……スニーカーって、どんな色?」
「緑と黄色だよ」
「うーん……見てないなぁ」
「そっか」

女の子はそう言うと、ローブの右のポケットをゴソゴソと探り出した。まず人参の下半分が出てきて、それから羽根が生えた眼鏡が出てきた。女の子はそれらを大事そうに左のポケットへ仕舞い込んでから、もう一度右のポケットを探った。

「これ、あんたにあげる」

女の子は右のポケットから小さなガラス瓶を取り出して、ラインへ差し出した。どろりとした黄色の液体がたっぷり入っている。

「そこに塗るといいよ」

ラインの左胸を指差して、女の子がにっこりした。どうして、傷のことが分かったんだろう?ラインが呆気に取られているうちに、女の子は廊下の向こうへスキップして行ってしまった。

女の子がくれた黄色の液体はよく効いた。傷に塗ると、痛みがスーッと消えた。10分もすれば、傷はほとんど目立たなくなった。文字の部分に微かに赤みは残っているけれど、皮膚が元通りの滑らかさに戻ったので、ラインはほっとした。次に会ったら、あの子にお礼を言わないと……




お礼を言う機会は、案外早く──次の日の放課後に訪れた。部屋の中心に立って演説をするハーマイオニーの肩越しに、ラインはふわふわと揺れる濁り色のブロンドを見つけた。今日はコルクの栓をいくつも繋げたネックレスを身に付けている。

「あの授業は誰が見ても『闇の魔術に対する防衛術』とは言えません。今こそ、私たちは立ち上がるべきです。単なる理論ではなく、本物の呪文を自主的に学び──」

ダンブルドア軍団、記念すべき第1回目の会合には30人程の生徒が集まっていた。昨日の女の子もその内の1人だ。ラインが手を振ると、女の子はにっこりした。

「まず最初にやるべきなのは、エクスペリアームス、武器よ去れ──そう、武装解除術だ」

今度はハリーが皆の中心に立ち、話し始めた。ほとんどの生徒が真剣に彼の話を聞いている。しかし、何人かの生徒は、いまだに疑心暗鬼の眼差しを彼に向けていた。

「6月にこの呪文が僕の命を救った。僕はやつに対して──ヴォルデモートに対して、この呪文を使った」

ハリーは堂々としていた。彼が話し終えた時、彼に対して疑いの目を向ける生徒はもういなかった。指導者として、彼がガマガエルより優秀なことは明白だった。

「それじゃあ、2人ずつ組になって練習しよう」

ハリーの呼びかけにより、生徒達がさっと立ち上がった。

ライン、俺と組むかい?そしたら、ちょうどいいだろ」

ジョージが言った。ラインが頷くと、ハーマイオニーはあからさまにほっとした顔でロンに向き直った。なんとも薄情な親友である。

「エクスペリアームス!」 

皆が呪文を唱え始めた。部屋中がわんわんと鳴った。ラインは集中しようとした──呪文を唱えて、ジョージの手に握られている杖を吹き飛ばすんだ。頭の中に成功のイメージを思い描く。ジョージの杖……ジョージ……目の前にジョージが立っている。こちらをじっと見ている。集中している時の自分って、どんな顔をしているんだろう?きっと、不細工に違いない。それに、さっき食べたヌガーが歯にくっついている気がする。鏡で確認しておけば良かった……

その時、ジョージの腕が微かに動いた。

「エクスペリアームス!」

ラインは条件反射で杖を振った。しかし、集中していなかった。呪文は明後日の方向へ飛んでいき、ジョージの後ろにある本棚に当たった。本棚は天井まで吹き飛び、轟音を立てて真っ二つに割れた。間一髪、ジョージは横に飛び退いて本棚の直撃を避けた。

「──わお、刺激的だぜ!」

ラインが謝る間もなく、ジョージは体勢を立て直し、さっと杖を構えた。ラインも慌てて杖を構えた。

「エクスペリアームス!」

2人は同時に呪文を唱えた。驚いたことに、ラインは成功の手応えを感じた。ジョージの杖が彼の手を離れて、火花をまき散らしながら飛んでいった。ジョージの放った呪文は柔らかい風となり、ラインのローブの袖を揺らしただけだった。

「いいぞ!上手いな、ライン

ジョージはくるくると宙を舞う杖をキャッチして、満足そうににっこりした。

「ウィーズリー」

誰かがジョージに呼びかけた。見回すと、セドリックがこちらに歩いてくるのが見えた。つい先ほどまで、彼は部屋の中央でクリービー兄弟を相手取り、武装解除術のスマートなお手本を披露していた。

「ペアを代わってくれないか?」
「なんでだ?」
「手加減していたら、彼女のためにならないからだ」

セドリックがきっぱりと言った。ジョージが一瞬、罰の悪そうな顔をしたのを見て、ラインは真実を悟った。

「手加減なんてしてないさ。ただ、怪我させないように──」
「今しっかりと練習しておかないと、いざという時、怪我どころじゃ済まなくなる」

ジョージが不服そうにセドリックを睨んだ。しかし、セドリックは怯まなかった。

「僕は身をもって知っているんだ。彼女の敵がどんな奴らなのか」
「おい、代わって貰えよ。嫌われ役を引き受けてくれるって言ってるんだ」

いつのまにか近くに来ていたフレッドが、ジョージの肩をポンと叩いた。

「お前の出番はまた来るさ。その時は思う存分、優しく教えてやれよ。手取り足取り……寒くないように、毛布もしっかり……」

フレッドが言い切る前に、ジョージが杖を振り上げた。馬鹿笑いしているリー・ジョーダンとともに、フレッドは部屋の隅へビュンと飛んでいった。自身をギロリと睨み付けながら、しぶしぶ去っていくジョージを見て、セドリックが苦笑いした。

「さあ──僕は今から、君を全力で打ち負かそうとする。君の敵だ。彼みたいに優しくしてあげられないからね」

ラインは感謝を込めて頷いた。それがセドリックの優しさだと分かっていた。

「3つ数えたら、互いに相手の杖を取り上げよう。いいね?」
「分かった」

ラインは杖を構えて、セドリックの杖に狙いを定めた。

「1──2──3──」
「エクス──」

呪文を唱え終わらないうちに、ラインの視界はひっくり返った。内臓に浮遊感を感じた後、背中が硬い床を滑り、全身を壁に打ち付けた。息が止まるほどの衝撃だった。

ライン!」

ハーマイオニーが驚きの声を上げて、駆け寄ってくるのが見える。

「手を貸さないで」

セドリックが鋭く言った。

ライン、自分で立ち上がるんだ。誰も君を助けてあげられないよ。君が戦うしかない」

少し離れた床に転がっている杖を見て、ラインは偽ムーディに捕まった日のことを思い出した。きっと、セドリックはあの日からずっと、ラインのために考えてくれていたのだ。

ラインはよろよろと立ち上がり、杖を拾い上げた。そして再び、床にうずくまった。反射神経で敵わないのなら──別の方法で戦うしかない。

「──ライン?」

セドリックの声に不安の色が混ざった。

「……大丈夫かい?ごめん──」
「エクスペリアームス!」

ラインはすっくと立ち上がり、杖を振った。セドリックの杖が手を離れ、くるくると宙を舞って天井にぶつかり火花を散らせた。

「なるほど──してやられた」

セドリックが声を上げて笑った。

「よし、もう一度やってみよう」

セドリックは杖を拾い、再びラインに向き合った。彼の手がピクリと動いた瞬間、ラインは床に伏せた。セドリックの放った呪文はラインの頭上を通過して背後の本棚にぶつかり、本棚から本を数冊飛び出させた。しめしめと思った瞬間、視界が大きな陰に覆われた。顔を上げると、目の前にセドリックの顔が現れた。

「わっ」

セドリックはラインの両手を難なく捕まえて、ぐいと壁に押し付けた。たったそれだけのことで、ラインは完全に身動きが取れなくなった。

「僕はこのまま、君の首を絞めることも出来るよ。君は女の子だから、接近戦に持ち込まれたら危ないんだ。その時点で勝ち目がなくなってしまう」

なるほど、これは確かに危ない。呪文の上手い下手ではなく、それ以前の問題だ。そういえばこの前、ジョージも似たようなことを言っていた気がする。

「……ジェントルマンじゃないってこと?」
「え?……ああ、うん、そうだね。君にこんなことする奴はジェントルマンじゃないよ」
「じゃあ、お前もだ。ベタベタ触るな」

噛みつくような声が聞こえた。首を伸ばすと、ジョージがこちらを睨み付けているのが見えた。いったい、彼はどうしてしまったんだろう?なんだか、今日は虫の居所が悪いみたいだ……セドリックはまたもや苦笑いしながら、ラインを解放した。

「あのね、もう、あんた達だけだよ」

突然、のんびりとした声が聞こえてきた。

「みんな、守護霊の練習を始めてるもン」

銀色の野うさぎの形をした守護霊が自分の周りをピョンピョン跳び回るのを眺めながら、女の子が楽しそうに言った。

「君、もう有体の守護霊を出せるのか?すごいな。僕はまだ、練習中なんだ」

セドリックは驚いたように言うと、部屋の中央の広い空間に移動して、真剣な様子で杖を振り始めた。


──守護霊の呪文は非常に高度な防御呪文で、強い幸福な思い出を糧に、その効果を発揮する──

ラインは頭の中で暗唱した。ちょうど昨晩の個人授業で、守護霊の呪文についてのページを書き取りしたばかりだ。たまにはガマガエルの授業も役に立つではないか。

ラインは自身の最も幸福な思い出をたどり始めた。直近だと、つい先ほどジョージがペアを組もうと誘ってくれたことかもしれない。もちろん、お昼にピスタチオのアイスを食べた記憶も捨てがたいけれど……アイスと言えば、誕生日にジョージが家までプレゼントを届けに来てくれたこともあった。ジョージとの想い出なら、クリスマスのダンスパーティーも素敵だったし……パーティーのために、ハーマイオニーとドレスを買いに行ったのも楽しかった。思い返すと、幸福な思い出の中にはいつも大切な人の姿がある。ラインは熱心に練習に取り組む友人達の姿を見回しながら、杖を構えた。

「エクスペクト・パトローナム!」

呪文を唱えた瞬間、目が眩むような銀色の光が杖先から噴き出して、部屋中を駆け巡った。ラインは目を凝らして、何の動物なのか見ようとした。小さな三角形の耳が2つ、頭の上についている。猫だろうか──?いや、猫にしては尻尾がフサフサし過ぎている気がする。



「おい、見ろよ……立ち上がったぜ」 

ロンがラインの守護霊を指差して、笑い始めた。ラインの守護霊は今や短い二本足で立ち上がり、両手を上げてバンザイしている。なんだか、威嚇のポーズをとっているみたいだ。迫力は皆無だけれど……

「私、小さい頃にロンドン動物園で見たことがあるわ」

ラインの守護霊をしげしげと見つめながら、ハーマイオニーが言った。

「貴方の守護霊、たぶん──レッサーパンダよ」

ハーマイオニーも堪え切れず、笑い始めた。しかし、ラインは気にならなかった。他に気になることがあったからだ。

「レッサーパンダって、ガマガエルを食べる?」
「食べるよ。雑食だもン」

淡い色の澄んだ瞳が、ラインを見つめてにっこりした。その瞬間、ラインの頭の中に勝利のゴングが鳴り響いた。
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