the Goblet of Fire
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「ライン、あと30分で授業が始まるわ」
友人の声が聞こえる。全身が暖かくて、ふわふわしたものに包まれている。なんて居心地が良いんだろう。ずっと、このままでいたい。こんなにも最高の場所は、きっと──
ベッドの中だ。ラインは目をバチっと開けた。サイドテーブルに置かれた時計が目に入ると、ぼんやりとしていた意識が一気に覚醒した。朝食は完全に食べ損ねたし、身支度も間に合うかどうか分からない。どうして、ルームメイト達は誰も起こしてくれなかったのだろう?ラインは勢いよく上体を起こし、信じられない思いで、こちらを覗き込む友人の顔を見つめた。
「まったく──」
ハーマイオニーは半ば呆れ、半ば同情するような表情を浮かべて、ラインの手にサンドウィッチを押し付けた。
「意地を張っていないで、昼食は大広間で食べるのよ」
ラインは友人の言葉に首を傾げたり頷いたりしながら、大急ぎでパジャマを脱ぎ捨てた。どうして、今日に限って寝坊してしまったのだろう?昨晩、会話のシミュレーションをしすぎただろうか?朝食の席でジョージに謝ろうと思っていたのに、タイミングを逃してしまった……
幸いにも、1限は魔法生物飼育学の授業だった。先週から3年生と一緒に授業を受け始めたこの科目は、すぐにラインのお気に入りになった。魔法動物達はどれも可愛かったし、何より、教えてくれる先生のことが大好きだったからだ。
「……何が気に障ったのか、さっぱり分からん。まるで別の生き物だ。男と女っちゅうんは」
レタス食い虫の喉に刻みレタスを押し込むラインを見守りながら、ハグリッドが苦々しげに言った。彼の事情は分からなかったけれど、彼が自分と同じ表情で溜め息をついていたので、ラインは深々と頷いた。
────
これを食べ終わったら、ジョージに話しかけよう。ラインはソーセージを齧りながら、覚悟を決めた。テーブルの奥に目を向けると、ガヤガヤと賑やかな集団の中に彼の姿が見えた。周りの会話には加わらず、何やら真剣な顔で手を動かしている。彼の手元に視線を移した途端、ラインはそこから目が離せなくなった。彼がパンケーキの上にたっぷりのフルーツと生クリームを盛り付けていたからだ。彼はそこへキャラメルソースもトッピングすることにしたらしく、テーブルの中央に置かれたソースポットへと手を伸ばした。とろりと垂れていく金色の液体とジョージの器用な手つきに見惚れながら、ラインはゴクリと唾を飲み込んだ。間違いない──あれが世界一のパンケーキだ。
「見て、美味しそうに出来た」
朗らかな声が聞こえた。振り向くと、ネビルがにっこりとしながら、フルーツと生クリームをてんこ盛りにしたパンケーキをこちらに差し出している。
「わあ──それも美味しそう」
「良ければ、半分食べてくれる?作りすぎちゃったんだ」
ラインはすぐさま頷いた。ネビルの気持ちがよく分かったからだ。あれもこれもとトッピングをするうちに、到底食べ切れない量のパンケーキが出来上がってしまうのだ。いそいそとパンケーキを切り分けるネビルを眺めながら、ラインは決意を新たにした。あのパンケーキを食べ終わったら、必ず、ジョージに話しかけよう──
しかし、ラインはたちまち、その決意を後悔することになった。パンケーキを半分も食べないうちに、誰かに連れられて廊下に出て行くジョージの姿が見えたからだ。慌ててテーブルの奥を見ると、先ほど彼が座っていた席には手付かずのパンケーキが取り残されている。フレッドがそれを見てギョッとした顔をしたが、すぐに、今朝のハーマイオニーと同じ表情になった。なんということだろう。また、謝るタイミングを逃してしまった。
────
ラインは大きな溜め息をつきながら、自習室の扉を開けた。まるで世界の終わりのような気分でも、課題の期限が延びることはないし、試験が免除されることもないからだ。とりあえず、さっき授業で習った呪文の復習をしよう……ラインは昼食の席でくすねてきた林檎を鞄から取り出すと、机の上に置いた。
「エンゴージオ、肥大せよ!」
呪文を唱えると、林檎は音もなく膨れ上がり、バスケットボールほどの大きさになった。微かに甘酸っぱい香りが漂ってくる──どうやら、呪文は成功したようだ。
「……美味しい」
一口齧ってみると、瑞々しい果汁が口いっぱいに広がった。食べ物を増やすことが出来るなんて、魔法って本当に便利だ。でも、ハーマイオニーが何か言っていたような気がする。増やせるけれど、生み出せない、みたいな……ガンプの法則だったかな……
ぼんやりと考え事をしながら林檎を齧っていると、小さなクモが足元を這っていることに気が付いた。もしかして、巣を張る場所を探しているのだろうか──ラインはクモの邪魔をしないように移動してから、林檎を机の上に戻した。
「レデュシオ、縮め!」
呪文を唱えると、見る見るうちに林檎は萎み、ゴルフボール程度の大きさになった。よし、成功だ。今日はまだ何も爆発させていないし、調子が良いな──
にんまりしながら林檎を口に放り込むと、足首のあたりにチクッとした痛みを感じた。ラインはローブを捲り上げて驚いた。なんと、クモに噛まれたのだ。これは人生で初めての経験だ。
足をバタバタとさせてクモを振り落としていると、どこからか大きな拍手が聞こえてきた。
「──お見事」
顔を上げると、色の白い男の子が扉から顔を覗かせていた。ラインは何回か目をパチパチさせたあと、彼に向けて微笑んだ。突然の登場には驚いたけれど、彼のことを知っていたからだ。
「中に入っても、構わないかな?」
その質問に頷くと、彼はローブを翻しながら教室の中に入ってきた。
「僕はアーニー・マクミラン。何回か話をしたことがあるんだけど──覚えてる?」
「もちろん」
ラインが即答したので、アーニーはにっこりした。彼は始業式の日にも話しかけてくれたし、何より、ダンスパーティーに誘ってくれた。少し気取ったところがあるけれど、良い人に違いない。
「僕がここに来たのは、君に聞きたいことがあったからなんだ。君……ウィーズリーと喧嘩でもしたの?」
直球な質問をされて、ラインは面食らってしまった。どうやら、彼は回りくどいことを好まない性格のようだ。
「……どうなんだろう?」
果たして、自分はジョージと喧嘩しているのだろうか?……彼とは意見が対立したわけでもないし、言い争ったわけでもないし……
「──マクミラン家は、聖28一族なんだ。君の一族と婚姻を結んだ先祖もいるよ」
ましてや、殴り合ったわけでもないし。今まで男の子とギクシャクしたことが無いから、喧嘩の定義がよく分からない。
「僕の長所はリーダーシップがあるところなんだ。だから、君を導いてあげられる──」
そういえば、今朝、ハーマイオニーにも同じことを聞かれた気がする。もしかして、ジョージも自分と喧嘩していると思っているのだろうか……
「そうだ、練習を手伝ってあげるよ」
「──え?」
「もう一度、肥大呪文をやってみよう。今度はちょっと難易度を上げて、そのクモに呪文をかけてみようか」
アーニーはそう言うと、ラインの足元を這っているクモを指差した。
「試験では生き物に呪文をかけるんだ。練習しておいた方がいい」
試験という言葉を聞いた途端、ラインの意識はシャキッとした。そうだった。学年末試験が2ヶ月後に迫ってきている。ぼんやりとしている場合ではない。それに、過去に同じ試験を受けたことがある人の言葉は参考になるはずだ。ラインは彼の厚意に甘えることにした。
「エンゴージオ、肥大せよ!」
ラインが呪文を唱えた瞬間、杖が不気味な震え方をした。たちまち、ラインは次に起こることを予感した。どんなことが起こり得るか、よく考えるべきだったのに──今日は立て続けに呪文が成功していたから、調子に乗っていたのだ……
あっという間に膨れ上がっていくクモを眺めながら、ラインは己の愚かさに呆れ果てた。
クモの大きさが1メートルを超えたあたりで、アーニーは我に返ったようだった。彼は勇ましい面持ちで杖を取り出すと、クモと対峙した。
「フィニートインカーテータム、呪文よ終われ!」
アーニーの杖先から炎が飛び出して、クモの身体を覆った。しかし、次の瞬間、炎はクモの身体に吸い込まれるようにして呆気なく消えてしまった。
「どうして、反対呪文が効かないんだ?」
アーニーが叫びながら飛び退いた。その間もクモの巨大化は止まらなかった。人間を丸呑み出来そうな顎と、毛むくじゃらの長い脚を見て、ラインはロンの気持ちを完全に理解した。これを可愛がるのは、ちょっと無理。やっぱり、ハグリッドはおかしい。
クモが小型自動車ほどの大きさになり、アクロマンチュラと化したところで、ようやく肥大呪文の効果は止まった。クモが大きくなったことにより、判明したことが2つある。1つ目は、クモの目は身体の正面だけでなく、横にも、後ろにもついているということ。2つ目は、その全ての目が自分を睨み付けているということ。最悪だ──
「ステューピファイ、麻痺せよ!」
アーニーの杖から赤い光線が飛び出し、クモの目に命中した。一瞬、クモは怯んだように見えた。しかし、呪文は真逆の効果を発揮した。クモはゆっくりと目を瞬かせたあと、猛スピードで走り出した。ラインは間一髪で机の下に滑り込み、クモの体当たりを避けた。心臓が飛び上がり、喉元で脈を打っているようだった。
「逃げろ!」
アーニーが叫んだ。ラインが机の下から飛び出した瞬間、今しがた自分がいた空間を長い脚が切り裂くのが見えた。
「どうしてなのか──分からないけど──そいつ──君を恨んでるみたいだ!」
アーニーは手当たり次第に椅子を引っ掴み、クモに向かって投げ付けながら言った。しかし、ラインには心当たりがあった。クモと目が合った瞬間、それは確信に変わった。
「私が──林檎を全部食べちゃったから、怒ってるんだわ!」
ラインは喚きながら床に転がり、クモの突進を避けた。直後、ドーンという音がした。慌てて振り向くと、長い脚がピクピクと痙攣しているのが見えた。クモが勢い余って壁に激突したようだ。石壁でなければ、間違いなく穴が空いていただろう──ラインは息を殺してクモの様子を見守った。しばらくすると、クモはピクリとも動かなくなった。まさか、死んでしまったのだろうか……なんということだ……あまりの後味の悪さに、ラインは天を仰いだ。
「やめろ!」
突如、アーニーが叫んだ。その声とともに、黒い影が視界を覆った。振り向くと、脚を振り上げるクモの姿が見えた。もう駄目だ──これは避けられない。ラインは目を瞑った。人生の最後に見る景色が毛むくじゃらなんて、最悪だ──
その時、何かに肩を突き飛ばされた。ラインはのけ反って床に倒れた。重いものが身体にのしかかってきて、誰かの呻き声が聞こえた。何が起きたのか分からず、ラインは目を開けた。たちまち、視界に赤色が飛び込んでくる。状況を理解した途端、ラインは自分に覆い被さっている人物の意図に気が付いた。
「──だめ!」
全力で胸を押し返したのに、彼はびくともしなかった。クモの脚が振り下ろされる度、ラインは間接的にその衝撃を感じた。彼が衝撃に表情を歪ませる度、ラインの身体ではなく、心がズタズタに引き裂かれた。クモが何度目かにその脚を振り上げた時、ラインは無我夢中で叫んだ。
「フィニートインカーターテム、呪文よ終われ!」
杖の先端から炎が吹き出して、毛むくじゃらの身体を覆い尽くした。次の瞬間、忽然とクモの姿が消えた。ラインは息を止めて、舞い立つ埃の中に目を凝らした──成功を確認するまで、安心することは出来ない。それから程なくして、小さなクモが床を這っているのを見つけると、一気に全身の力が抜けた。
「──ごめん」
最初に静寂を破ったのはジョージだった。彼は驚くほど俊敏に立ち上がり、ラインの上からサッと身体を退かした。ラインは床に伸びたまま、彼の一挙一動を観察した。どうやら、ひどい怪我をしているわけでは無さそうだ……クモの脚に鋏がついていなくて、本当に良かった。あれが本物のアクロマンチュラじゃなくて、本当に良かった。
「これで、分かっただろ?」
突然、ジョージが険しい表情になった。
「さっきも言ったけどさ──この子は今、それどころじゃないんだ。本当に大事に想ってるなら、邪魔なんてできないはずだ」
「……君の言う通りだ」
教室の隅から意気消沈したような声が聞こえてきて、ラインはアーニーの存在を思い出した。そうだった──自分のせいで、彼をとんでもないことに巻き込んでしまった。
「アーニー……本当にごめんなさい」
「いいんだ。君の気持ちは分かってた。話を聞いてくれてありがとう」
アーニーは沈んだ声で言うと、口角をヒクヒクとさせた。どうにか、無理やり笑顔を作ろうとしたようだった。教室を出て行く彼の背中が、教室に入ってきた時より一回り小さくなったように見えて、ラインはさらに申し訳ない気持ちになった。なんだか、会話も噛み合わなかった気がするし。
「大丈夫か?怪我してないか?」
振り向くと、ジョージがこちらをじっと見つめていた。
「うん──私は大丈夫。どこも痛くない」
「──それにしても、情け無いパンチだったな。ジニーの足元にも及ばないぜ」
彼のホッとしたような顔を見た途端、ラインの視界は急に滲み始めた。感情を堰き止めていた何かが外れてしまったようだった。あんな無茶なこと、彼にして欲しくなかった。自分が傷つくより、大切な人が傷つくのを見る方がずっと辛い。でも、ラインは泣かなかった。まだ、彼に言うべきことがあるからだ。
「あの──」
「君からプレゼントを貰って、調子に乗ってたんだ」
ジョージの方がほんの少しだけ、口を開くのが早かった。彼の表情はクモに攻撃されている時より、苦しそうに見えた。
「あんなことして、本当にごめん。嫌だったよな」
「ううん、違うの。ただ、悲しかっただけなの。冗談だって言われて──」
ラインは必死になった。昨日の夜に練習した台詞は全て飛んでしまったし、言葉の意味も考えられないまま話していた。でも、彼に勘違いだけはして欲しくなかった。
「──貴方にされて嫌なことなんて、1つもない」
しばらくの間、時が止まったようだった。驚いたように目を見開くジョージを見つめながら、ラインは自分が今、何を喋ったのか思い出そうとした。
その時、突然、ジョージがかがみ込んだ。彼はラインの足元から何かを摘み上げると、窓の外に向かって腕を振りかぶり、勢いよく放り投げた。
「あのクモ、また君を攻撃しようとしやがった」
「ありがとう……いつも助けてくれて」
「俺は紳士だからな。当然さ。またアクロマンチュラとやり合う時は呼んでくれよ」
ジョージは満足げにニヤリと笑った。完全にいつもの調子を取り戻した彼を見て、ラインはホッと胸を撫で下ろした。
「──林檎が好きなクモがいるなんて、私、初めて知った」
「あいつより、俺の方がずっと好きだぜ」
「そうなの?」
ラインが目を丸くすると、ジョージは可笑しそうに笑い始めた。事の重大性を全て忘れてしまったのかと思うほど、彼は上機嫌だった。ジョージが林檎を好きなことには気が付かなかったけれど──ラインは別のことに気が付いた。どうやら、自分達は仲直りに成功したみたいだ。
友人の声が聞こえる。全身が暖かくて、ふわふわしたものに包まれている。なんて居心地が良いんだろう。ずっと、このままでいたい。こんなにも最高の場所は、きっと──
ベッドの中だ。ラインは目をバチっと開けた。サイドテーブルに置かれた時計が目に入ると、ぼんやりとしていた意識が一気に覚醒した。朝食は完全に食べ損ねたし、身支度も間に合うかどうか分からない。どうして、ルームメイト達は誰も起こしてくれなかったのだろう?ラインは勢いよく上体を起こし、信じられない思いで、こちらを覗き込む友人の顔を見つめた。
「まったく──」
ハーマイオニーは半ば呆れ、半ば同情するような表情を浮かべて、ラインの手にサンドウィッチを押し付けた。
「意地を張っていないで、昼食は大広間で食べるのよ」
ラインは友人の言葉に首を傾げたり頷いたりしながら、大急ぎでパジャマを脱ぎ捨てた。どうして、今日に限って寝坊してしまったのだろう?昨晩、会話のシミュレーションをしすぎただろうか?朝食の席でジョージに謝ろうと思っていたのに、タイミングを逃してしまった……
幸いにも、1限は魔法生物飼育学の授業だった。先週から3年生と一緒に授業を受け始めたこの科目は、すぐにラインのお気に入りになった。魔法動物達はどれも可愛かったし、何より、教えてくれる先生のことが大好きだったからだ。
「……何が気に障ったのか、さっぱり分からん。まるで別の生き物だ。男と女っちゅうんは」
レタス食い虫の喉に刻みレタスを押し込むラインを見守りながら、ハグリッドが苦々しげに言った。彼の事情は分からなかったけれど、彼が自分と同じ表情で溜め息をついていたので、ラインは深々と頷いた。
────
これを食べ終わったら、ジョージに話しかけよう。ラインはソーセージを齧りながら、覚悟を決めた。テーブルの奥に目を向けると、ガヤガヤと賑やかな集団の中に彼の姿が見えた。周りの会話には加わらず、何やら真剣な顔で手を動かしている。彼の手元に視線を移した途端、ラインはそこから目が離せなくなった。彼がパンケーキの上にたっぷりのフルーツと生クリームを盛り付けていたからだ。彼はそこへキャラメルソースもトッピングすることにしたらしく、テーブルの中央に置かれたソースポットへと手を伸ばした。とろりと垂れていく金色の液体とジョージの器用な手つきに見惚れながら、ラインはゴクリと唾を飲み込んだ。間違いない──あれが世界一のパンケーキだ。
「見て、美味しそうに出来た」
朗らかな声が聞こえた。振り向くと、ネビルがにっこりとしながら、フルーツと生クリームをてんこ盛りにしたパンケーキをこちらに差し出している。
「わあ──それも美味しそう」
「良ければ、半分食べてくれる?作りすぎちゃったんだ」
ラインはすぐさま頷いた。ネビルの気持ちがよく分かったからだ。あれもこれもとトッピングをするうちに、到底食べ切れない量のパンケーキが出来上がってしまうのだ。いそいそとパンケーキを切り分けるネビルを眺めながら、ラインは決意を新たにした。あのパンケーキを食べ終わったら、必ず、ジョージに話しかけよう──
しかし、ラインはたちまち、その決意を後悔することになった。パンケーキを半分も食べないうちに、誰かに連れられて廊下に出て行くジョージの姿が見えたからだ。慌ててテーブルの奥を見ると、先ほど彼が座っていた席には手付かずのパンケーキが取り残されている。フレッドがそれを見てギョッとした顔をしたが、すぐに、今朝のハーマイオニーと同じ表情になった。なんということだろう。また、謝るタイミングを逃してしまった。
────
ラインは大きな溜め息をつきながら、自習室の扉を開けた。まるで世界の終わりのような気分でも、課題の期限が延びることはないし、試験が免除されることもないからだ。とりあえず、さっき授業で習った呪文の復習をしよう……ラインは昼食の席でくすねてきた林檎を鞄から取り出すと、机の上に置いた。
「エンゴージオ、肥大せよ!」
呪文を唱えると、林檎は音もなく膨れ上がり、バスケットボールほどの大きさになった。微かに甘酸っぱい香りが漂ってくる──どうやら、呪文は成功したようだ。
「……美味しい」
一口齧ってみると、瑞々しい果汁が口いっぱいに広がった。食べ物を増やすことが出来るなんて、魔法って本当に便利だ。でも、ハーマイオニーが何か言っていたような気がする。増やせるけれど、生み出せない、みたいな……ガンプの法則だったかな……
ぼんやりと考え事をしながら林檎を齧っていると、小さなクモが足元を這っていることに気が付いた。もしかして、巣を張る場所を探しているのだろうか──ラインはクモの邪魔をしないように移動してから、林檎を机の上に戻した。
「レデュシオ、縮め!」
呪文を唱えると、見る見るうちに林檎は萎み、ゴルフボール程度の大きさになった。よし、成功だ。今日はまだ何も爆発させていないし、調子が良いな──
にんまりしながら林檎を口に放り込むと、足首のあたりにチクッとした痛みを感じた。ラインはローブを捲り上げて驚いた。なんと、クモに噛まれたのだ。これは人生で初めての経験だ。
足をバタバタとさせてクモを振り落としていると、どこからか大きな拍手が聞こえてきた。
「──お見事」
顔を上げると、色の白い男の子が扉から顔を覗かせていた。ラインは何回か目をパチパチさせたあと、彼に向けて微笑んだ。突然の登場には驚いたけれど、彼のことを知っていたからだ。
「中に入っても、構わないかな?」
その質問に頷くと、彼はローブを翻しながら教室の中に入ってきた。
「僕はアーニー・マクミラン。何回か話をしたことがあるんだけど──覚えてる?」
「もちろん」
ラインが即答したので、アーニーはにっこりした。彼は始業式の日にも話しかけてくれたし、何より、ダンスパーティーに誘ってくれた。少し気取ったところがあるけれど、良い人に違いない。
「僕がここに来たのは、君に聞きたいことがあったからなんだ。君……ウィーズリーと喧嘩でもしたの?」
直球な質問をされて、ラインは面食らってしまった。どうやら、彼は回りくどいことを好まない性格のようだ。
「……どうなんだろう?」
果たして、自分はジョージと喧嘩しているのだろうか?……彼とは意見が対立したわけでもないし、言い争ったわけでもないし……
「──マクミラン家は、聖28一族なんだ。君の一族と婚姻を結んだ先祖もいるよ」
ましてや、殴り合ったわけでもないし。今まで男の子とギクシャクしたことが無いから、喧嘩の定義がよく分からない。
「僕の長所はリーダーシップがあるところなんだ。だから、君を導いてあげられる──」
そういえば、今朝、ハーマイオニーにも同じことを聞かれた気がする。もしかして、ジョージも自分と喧嘩していると思っているのだろうか……
「そうだ、練習を手伝ってあげるよ」
「──え?」
「もう一度、肥大呪文をやってみよう。今度はちょっと難易度を上げて、そのクモに呪文をかけてみようか」
アーニーはそう言うと、ラインの足元を這っているクモを指差した。
「試験では生き物に呪文をかけるんだ。練習しておいた方がいい」
試験という言葉を聞いた途端、ラインの意識はシャキッとした。そうだった。学年末試験が2ヶ月後に迫ってきている。ぼんやりとしている場合ではない。それに、過去に同じ試験を受けたことがある人の言葉は参考になるはずだ。ラインは彼の厚意に甘えることにした。
「エンゴージオ、肥大せよ!」
ラインが呪文を唱えた瞬間、杖が不気味な震え方をした。たちまち、ラインは次に起こることを予感した。どんなことが起こり得るか、よく考えるべきだったのに──今日は立て続けに呪文が成功していたから、調子に乗っていたのだ……
あっという間に膨れ上がっていくクモを眺めながら、ラインは己の愚かさに呆れ果てた。
クモの大きさが1メートルを超えたあたりで、アーニーは我に返ったようだった。彼は勇ましい面持ちで杖を取り出すと、クモと対峙した。
「フィニートインカーテータム、呪文よ終われ!」
アーニーの杖先から炎が飛び出して、クモの身体を覆った。しかし、次の瞬間、炎はクモの身体に吸い込まれるようにして呆気なく消えてしまった。
「どうして、反対呪文が効かないんだ?」
アーニーが叫びながら飛び退いた。その間もクモの巨大化は止まらなかった。人間を丸呑み出来そうな顎と、毛むくじゃらの長い脚を見て、ラインはロンの気持ちを完全に理解した。これを可愛がるのは、ちょっと無理。やっぱり、ハグリッドはおかしい。
クモが小型自動車ほどの大きさになり、アクロマンチュラと化したところで、ようやく肥大呪文の効果は止まった。クモが大きくなったことにより、判明したことが2つある。1つ目は、クモの目は身体の正面だけでなく、横にも、後ろにもついているということ。2つ目は、その全ての目が自分を睨み付けているということ。最悪だ──
「ステューピファイ、麻痺せよ!」
アーニーの杖から赤い光線が飛び出し、クモの目に命中した。一瞬、クモは怯んだように見えた。しかし、呪文は真逆の効果を発揮した。クモはゆっくりと目を瞬かせたあと、猛スピードで走り出した。ラインは間一髪で机の下に滑り込み、クモの体当たりを避けた。心臓が飛び上がり、喉元で脈を打っているようだった。
「逃げろ!」
アーニーが叫んだ。ラインが机の下から飛び出した瞬間、今しがた自分がいた空間を長い脚が切り裂くのが見えた。
「どうしてなのか──分からないけど──そいつ──君を恨んでるみたいだ!」
アーニーは手当たり次第に椅子を引っ掴み、クモに向かって投げ付けながら言った。しかし、ラインには心当たりがあった。クモと目が合った瞬間、それは確信に変わった。
「私が──林檎を全部食べちゃったから、怒ってるんだわ!」
ラインは喚きながら床に転がり、クモの突進を避けた。直後、ドーンという音がした。慌てて振り向くと、長い脚がピクピクと痙攣しているのが見えた。クモが勢い余って壁に激突したようだ。石壁でなければ、間違いなく穴が空いていただろう──ラインは息を殺してクモの様子を見守った。しばらくすると、クモはピクリとも動かなくなった。まさか、死んでしまったのだろうか……なんということだ……あまりの後味の悪さに、ラインは天を仰いだ。
「やめろ!」
突如、アーニーが叫んだ。その声とともに、黒い影が視界を覆った。振り向くと、脚を振り上げるクモの姿が見えた。もう駄目だ──これは避けられない。ラインは目を瞑った。人生の最後に見る景色が毛むくじゃらなんて、最悪だ──
その時、何かに肩を突き飛ばされた。ラインはのけ反って床に倒れた。重いものが身体にのしかかってきて、誰かの呻き声が聞こえた。何が起きたのか分からず、ラインは目を開けた。たちまち、視界に赤色が飛び込んでくる。状況を理解した途端、ラインは自分に覆い被さっている人物の意図に気が付いた。
「──だめ!」
全力で胸を押し返したのに、彼はびくともしなかった。クモの脚が振り下ろされる度、ラインは間接的にその衝撃を感じた。彼が衝撃に表情を歪ませる度、ラインの身体ではなく、心がズタズタに引き裂かれた。クモが何度目かにその脚を振り上げた時、ラインは無我夢中で叫んだ。
「フィニートインカーターテム、呪文よ終われ!」
杖の先端から炎が吹き出して、毛むくじゃらの身体を覆い尽くした。次の瞬間、忽然とクモの姿が消えた。ラインは息を止めて、舞い立つ埃の中に目を凝らした──成功を確認するまで、安心することは出来ない。それから程なくして、小さなクモが床を這っているのを見つけると、一気に全身の力が抜けた。
「──ごめん」
最初に静寂を破ったのはジョージだった。彼は驚くほど俊敏に立ち上がり、ラインの上からサッと身体を退かした。ラインは床に伸びたまま、彼の一挙一動を観察した。どうやら、ひどい怪我をしているわけでは無さそうだ……クモの脚に鋏がついていなくて、本当に良かった。あれが本物のアクロマンチュラじゃなくて、本当に良かった。
「これで、分かっただろ?」
突然、ジョージが険しい表情になった。
「さっきも言ったけどさ──この子は今、それどころじゃないんだ。本当に大事に想ってるなら、邪魔なんてできないはずだ」
「……君の言う通りだ」
教室の隅から意気消沈したような声が聞こえてきて、ラインはアーニーの存在を思い出した。そうだった──自分のせいで、彼をとんでもないことに巻き込んでしまった。
「アーニー……本当にごめんなさい」
「いいんだ。君の気持ちは分かってた。話を聞いてくれてありがとう」
アーニーは沈んだ声で言うと、口角をヒクヒクとさせた。どうにか、無理やり笑顔を作ろうとしたようだった。教室を出て行く彼の背中が、教室に入ってきた時より一回り小さくなったように見えて、ラインはさらに申し訳ない気持ちになった。なんだか、会話も噛み合わなかった気がするし。
「大丈夫か?怪我してないか?」
振り向くと、ジョージがこちらをじっと見つめていた。
「うん──私は大丈夫。どこも痛くない」
「──それにしても、情け無いパンチだったな。ジニーの足元にも及ばないぜ」
彼のホッとしたような顔を見た途端、ラインの視界は急に滲み始めた。感情を堰き止めていた何かが外れてしまったようだった。あんな無茶なこと、彼にして欲しくなかった。自分が傷つくより、大切な人が傷つくのを見る方がずっと辛い。でも、ラインは泣かなかった。まだ、彼に言うべきことがあるからだ。
「あの──」
「君からプレゼントを貰って、調子に乗ってたんだ」
ジョージの方がほんの少しだけ、口を開くのが早かった。彼の表情はクモに攻撃されている時より、苦しそうに見えた。
「あんなことして、本当にごめん。嫌だったよな」
「ううん、違うの。ただ、悲しかっただけなの。冗談だって言われて──」
ラインは必死になった。昨日の夜に練習した台詞は全て飛んでしまったし、言葉の意味も考えられないまま話していた。でも、彼に勘違いだけはして欲しくなかった。
「──貴方にされて嫌なことなんて、1つもない」
しばらくの間、時が止まったようだった。驚いたように目を見開くジョージを見つめながら、ラインは自分が今、何を喋ったのか思い出そうとした。
その時、突然、ジョージがかがみ込んだ。彼はラインの足元から何かを摘み上げると、窓の外に向かって腕を振りかぶり、勢いよく放り投げた。
「あのクモ、また君を攻撃しようとしやがった」
「ありがとう……いつも助けてくれて」
「俺は紳士だからな。当然さ。またアクロマンチュラとやり合う時は呼んでくれよ」
ジョージは満足げにニヤリと笑った。完全にいつもの調子を取り戻した彼を見て、ラインはホッと胸を撫で下ろした。
「──林檎が好きなクモがいるなんて、私、初めて知った」
「あいつより、俺の方がずっと好きだぜ」
「そうなの?」
ラインが目を丸くすると、ジョージは可笑しそうに笑い始めた。事の重大性を全て忘れてしまったのかと思うほど、彼は上機嫌だった。ジョージが林檎を好きなことには気が付かなかったけれど──ラインは別のことに気が付いた。どうやら、自分達は仲直りに成功したみたいだ。