the Goblet of Fire
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「アバダ ケダブラ!」
暗く静まり返った教室に、ムーディ先生の声が響き渡った。緑の閃光が空間を切り裂いた瞬間、目の前で逃げ惑っていたクモが仰向けにひっくり返った。
「痛みを感じる暇も無い」
ムーディ先生の声が遥か彼方で聞こえる気がした。ラインは初めて死の呪文を目の当たりにして、身体の全ての感覚が麻痺したかのように感じていた。
「反対呪文は存在しない。この呪文を受けて生き残った者は2名のみ」
魔法の義眼と普通の目が、どちらもラインを見据えている。母もこんな風に死の音を聞いて、緑の閃光を見たのだろうか……ラインは視界がじわりと滲むのを感じたが、奥歯を噛みしめて、涙が零れ落ちないように堪えた。先日ムーディ先生に"臆病者"呼ばわりされたことを根に持ち、彼の授業中には泣かないと心に決めていたからだ。そんなラインの決意を知ってか知らずか、今日の個人授業はいつも以上に強烈だった。
「……母親という生き物は理解出来ない」
ムーディ先生がボソッと呟いた。その一瞬、彼の顔が別人のように見えた。ラインは自分の見たものを確かめようと目を瞬かせたが、次の瞬間にはいつも通りの険しい顔がこちらを見据えていた。
「この呪いの裏には、強大な魔力と明確な殺意が必要だ。つまり──お前なら習得出来る可能性がある」
何か……聞き間違えただろうか?ラインはムーディ先生の言った言葉を頭の中で反芻して、その意味を理解しようと努めた。微動だにしないラインを横目に、ムーディ先生は机の引き出しを開けて次のクモを取り出した。クモは机の上に解き放たれると、まるで何かを察知したかのように、机の端へ向けて必死に走り出した。
「よし、やってみろ」
ラインは絶句した。どうして、そんな事を言うのだろう?この呪いに母を殺された自分の心情を、彼に慮って欲しいとは思わない。しかし仮にも教師が、このような指導をするだろうか──
「綺麗事だけでは勝てん」
ムーディ先生が追い討ちをかけるように言った。ラインは信じられない思いで、目の前の男を見つめた。
「私……その呪文は使いたくありません」
震えた声を絞り出すと、ムーディ先生の顔から表情が消えた。何の感情も感じられないその顔を見て、彼が正気を失っているという噂がラインの頭をよぎった。
「あの扉の向こうに──赤毛の小僧がいる。お前が出てくるのを待っているな」
突然、魔法の義眼がぐるりと回り、廊下に続く扉を見据えた。不吉な予感に、ラインは全身から血の気が引いていくのが分かった。辺りの気温が急激に下がり、氷点下になったかのように感じた。
「もし、指示に従わなければ──小僧を痛め付けると言ったら、お前はこの呪文を使うのか?」
思ったより、足はスムーズに動いた。ラインは扉の前に立ちはだかり、ムーディ先生の目を真正面から見据えた。
「使いません。彼もそれを望まないから」
どちらが先に目を逸らすか、勝負をしているようだった。こちらを見つめる男の目は狂気じみていたが、その奥にチラチラと別の色が見えるような気がして、ラインは訳が分からなくなった。1分ほど経った頃だろうか──もっと長いように感じられたが──ムーディ先生はフンと馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、ラインから顔を背けた。
「次回は1週間後の15時からだ。盾の呪文を教える」
ラインはしばらく、その場から動けずにいた。しかしムーディ先生が出て行けというような仕草をしたので、ぎこちなく扉を開き、逃げるように教室を出た。心臓がいつもの倍の速さで動いている。動揺しながら暗い廊下を見回すと、石像の陰に座り込む赤毛が見えた。
「ジョージ、迎えに来てくれたのね……」
ラインはその言葉を言い切る前に、違和感に気が付いた。顔を上げて、ニヤリと笑ったその人の表情を見て、違和感は確信に変わった──彼はフレッドだ。
「ご期待に沿えなかったようで」
「ごめんなさい……でも、どうして貴方がここに?」
「なんでも、ピーチクパーチク鳴くキャラメルパイより、俺の方が"使える"らしいぜ」
フレッドは意味ありげに笑うと、床に散らばった羊皮紙をかき集めだした。その時何かの価格表のようなものがチラリと見えて、ラインは彼らの将来の夢を思い出した。
「つまり、君を迎えに来たってことさ。よし帰るぞ」
「──うん、ありがとう」
ラインは情報を処理し切れない頭を抱えて、フレッドに促されるまま歩き出した。
「君をストーカーしてる奴がいるんだって?」
「そうなの。でも──」
「姿が見えない?」
その問いにおずおずと頷くと、フレッドはニヤッと笑った。
「君の事、狂ってるなんて思わないさ。あいつなんて、今日こそストーカー野郎の面を暴くって息巻いてたぜ──」
驚きのあまり、足が動かなくなった。自分を迎えに来てくれたのが、フレッドである理由が分かった。ジョージが"なんとかしてやる"と言っていたのは、ウエストサイズのことではなかったようだ。
「そんなこと──絶対にやめてもらわなきゃ!」
「大丈夫だって。俺らにとっちゃ、このくらい朝飯前だ」
ラインは例のおぞましい気配を思い出して、背筋が冷たくなった。もしジョージに何かあったら、後悔してもしきれない。何かあるなら、自分の方が100倍ましだ。
「ジョージがどこにいるか、分かる?」
「さあな」
フレッドは大袈裟に肩をすくめてみせた。
「心配するなよ。俺が君の肩でも抱けば、あいつはたちまちすっ飛んで来るさ」
すぐに駆け付けられるくらいの範囲に、ジョージは居るということだろう。ほんの少しだけ気が緩んだその時、今しがた歩いてきた廊下の向こうから、石を打つような音が聞こえてきた。その音は壁に反響して、妙に存在感を持って響いた。ラインは息を止めて、音のした方へ目を凝らした。何故だか、廊下に灯る松明の明るさが一段暗くなった気がする。
「よし──かかったな」
フレッドはそう言うと、立ちすくむラインの腕を掴み、ずんずんと歩き出した。彼は脇目も振らず、ただひたすらに前へ進んで行く。
「待って──こっちに抜け道があるの」
「今日は使わない。あえて追わせるんだ」
ラインは腕を引かれるままに、足を進めるほかなかった。いつのまにか、逃げ場の無い長い直線の廊下を歩いていた。自分のでもフレッドのでもない、衣擦れの音が聞こえる気がする。おまけに、その音はじわじわとこちらへ近づいて来ている。
「野郎……距離を詰めてきやがった」
そう呟いたフレッドの横顔にはいつもの余裕が無いように見えて、ラインの頭は恐怖で埋め尽くされた──もし、攻撃されたらどうしよう?ムーディ先生が、盾の呪文を今日教えてくれていれば良かったのに──
とうとう、フレッドは走り出した。ラインはローブに手を突っ込み、杖を取り出した。大した呪文は使えないけれど、無いよりはましだろう──
突き当たりの角を曲がると、目の前に階段が立ちはだかった。フレッドが1段目に足を踏み出そうとした、その時──足元の床が震えて、目の前の階段がゆっくりと動き出した。それを見てラインは絶望した。階段の動きが止まるのを待っていたら、確実に追い付かれてしまうからだ。
「計画変更だ、ライン、飛び込め!」
フレッドはそう叫ぶと、踊り場に飾られたタペストリーをめくり上げた。そこには、人間が1人通れるくらいの大きさの穴が開いていた。中は真っ暗だが、微かに暖かい空気が流れ出している──ラインはぎゅっと目を瞑り、その中へ飛び込んだ。途端に、全身に激しい重力がかかる。すぐに上下が分からなくなった。ラインはただ引力に身を任せて、漆黒の闇を進むほかなかった──突如として、視界が開けた。フワッと内臓が浮くのを感じたあと、固い床に全身が打ち付けられる。
「凄いだろ?先週見つけたんだ。地図にも載ってない」
その声に顔を上げると、フレッドが立ち上がるところだった。彼は未だに地面にのびているラインを見て笑ったが、すぐに腕を取って立たせてくれた。急いで周りを見回すと、見慣れた景色が広がっている。
「難点は頭から着地させたがるところだな。でも、ほら──すぐそこにグリフィンドール寮だ」
「助かった……ありがとう」
ラインは大きく息を吐き出した。辺りは静寂に包まれている。例のおぞましい気配は、流石に追って来られなかったようだ。
「なかなかスリリングだったぜ」
フレッドはそう言うと、ソファにどかっと腰を下ろした。見上げると、壁の時計の針は23時を指している。談話室には他に人影が無く、暖炉の火は今にも消えてしまいそうだった。ラインは居ても立ってもいられず、扉の前を行ったり来たりしていた。
「私、やっぱり──」
「駄目だ」
フレッドはラインが言い終えるのを待たず、きっぱりと首を振った。初めて見た彼の厳しい表情は、ラインの気勢を削ぐのに充分な効果を発揮した。
「心配しなくていい。あいつはすぐに帰って来るさ」
その言葉通り、それから1分も経たないうちに、扉の向こうでドカドカと大きな足音が聞こえた。何やら言い争うような声も聞こえる。フレッドがポケットの中でこっそりと杖を握ったのを、ラインは見逃さなかった。
「──夜中に何度も起こされる、私の気持ちも考えてちょうだい!」
バンッと勢いよく談話室の扉が開き、太ったレディの怒った声が聞こえてきた。そして、その後すぐに──同じくらい憤慨した様子のジョージが姿を現した。
「計画が全部おじゃんになっちまった!階段の手前で、ムーディとバッタリだ!おまけに、罰則──」
考える前に体が動くとは、こういうことを言うのだろう──ラインを抱き止めた反動で、ジョージは後ろによろめいた。広い背中に手を回して、彼がそこに居ることを確かめると、ラインは身体から力が抜けていくのを感じた。
「──ごめんな、勝手なことして」
しばらくすると、ジョージがぽつりと呟いた。ラインは彼のシャツに顔を埋めて、小さく首を振ることしか出来なかった。本当は、危ないことをしないでと怒りたかったし、無事で良かったと泣きじゃくりたかったけれど、ジョージがラインの為に行動してくれたことを知っていたからだ。
「いいぞ……俺の事は気にしないで、続けてくれ」
ふいに、ソファから愉しげな声が聞こえてきた。ラインはハッとして正気を取り戻し、急いで身体をジョージから引き剥がした。
「フレッド──全部、貴方のおかげよ。本当にありがとう」
フレッドは尊大に頷きながらそれを聞いていたが、ラインが喋り終わると、ニヤッと笑って両手を広げた。
「俺には、ハグ無しかい?」
フレッドの顔面に、ジョージの投げ付けたクッションが命中した。大袈裟に呻きながら絨毯に転がるフレッドを見て、ラインは久しぶりに口角を上げた。
結局その晩も、ラインは悪夢にうなされることになった。目を閉じると、瞼の裏に緑の閃光が浮かんでくる。でも──目を開ければ、そこには自分のことを想ってくれる人達がいる。彼等がいる限り、自分が道を踏み外すことはないだろう──ラインはそう確信していた。
暗く静まり返った教室に、ムーディ先生の声が響き渡った。緑の閃光が空間を切り裂いた瞬間、目の前で逃げ惑っていたクモが仰向けにひっくり返った。
「痛みを感じる暇も無い」
ムーディ先生の声が遥か彼方で聞こえる気がした。ラインは初めて死の呪文を目の当たりにして、身体の全ての感覚が麻痺したかのように感じていた。
「反対呪文は存在しない。この呪文を受けて生き残った者は2名のみ」
魔法の義眼と普通の目が、どちらもラインを見据えている。母もこんな風に死の音を聞いて、緑の閃光を見たのだろうか……ラインは視界がじわりと滲むのを感じたが、奥歯を噛みしめて、涙が零れ落ちないように堪えた。先日ムーディ先生に"臆病者"呼ばわりされたことを根に持ち、彼の授業中には泣かないと心に決めていたからだ。そんなラインの決意を知ってか知らずか、今日の個人授業はいつも以上に強烈だった。
「……母親という生き物は理解出来ない」
ムーディ先生がボソッと呟いた。その一瞬、彼の顔が別人のように見えた。ラインは自分の見たものを確かめようと目を瞬かせたが、次の瞬間にはいつも通りの険しい顔がこちらを見据えていた。
「この呪いの裏には、強大な魔力と明確な殺意が必要だ。つまり──お前なら習得出来る可能性がある」
何か……聞き間違えただろうか?ラインはムーディ先生の言った言葉を頭の中で反芻して、その意味を理解しようと努めた。微動だにしないラインを横目に、ムーディ先生は机の引き出しを開けて次のクモを取り出した。クモは机の上に解き放たれると、まるで何かを察知したかのように、机の端へ向けて必死に走り出した。
「よし、やってみろ」
ラインは絶句した。どうして、そんな事を言うのだろう?この呪いに母を殺された自分の心情を、彼に慮って欲しいとは思わない。しかし仮にも教師が、このような指導をするだろうか──
「綺麗事だけでは勝てん」
ムーディ先生が追い討ちをかけるように言った。ラインは信じられない思いで、目の前の男を見つめた。
「私……その呪文は使いたくありません」
震えた声を絞り出すと、ムーディ先生の顔から表情が消えた。何の感情も感じられないその顔を見て、彼が正気を失っているという噂がラインの頭をよぎった。
「あの扉の向こうに──赤毛の小僧がいる。お前が出てくるのを待っているな」
突然、魔法の義眼がぐるりと回り、廊下に続く扉を見据えた。不吉な予感に、ラインは全身から血の気が引いていくのが分かった。辺りの気温が急激に下がり、氷点下になったかのように感じた。
「もし、指示に従わなければ──小僧を痛め付けると言ったら、お前はこの呪文を使うのか?」
思ったより、足はスムーズに動いた。ラインは扉の前に立ちはだかり、ムーディ先生の目を真正面から見据えた。
「使いません。彼もそれを望まないから」
どちらが先に目を逸らすか、勝負をしているようだった。こちらを見つめる男の目は狂気じみていたが、その奥にチラチラと別の色が見えるような気がして、ラインは訳が分からなくなった。1分ほど経った頃だろうか──もっと長いように感じられたが──ムーディ先生はフンと馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、ラインから顔を背けた。
「次回は1週間後の15時からだ。盾の呪文を教える」
ラインはしばらく、その場から動けずにいた。しかしムーディ先生が出て行けというような仕草をしたので、ぎこちなく扉を開き、逃げるように教室を出た。心臓がいつもの倍の速さで動いている。動揺しながら暗い廊下を見回すと、石像の陰に座り込む赤毛が見えた。
「ジョージ、迎えに来てくれたのね……」
ラインはその言葉を言い切る前に、違和感に気が付いた。顔を上げて、ニヤリと笑ったその人の表情を見て、違和感は確信に変わった──彼はフレッドだ。
「ご期待に沿えなかったようで」
「ごめんなさい……でも、どうして貴方がここに?」
「なんでも、ピーチクパーチク鳴くキャラメルパイより、俺の方が"使える"らしいぜ」
フレッドは意味ありげに笑うと、床に散らばった羊皮紙をかき集めだした。その時何かの価格表のようなものがチラリと見えて、ラインは彼らの将来の夢を思い出した。
「つまり、君を迎えに来たってことさ。よし帰るぞ」
「──うん、ありがとう」
ラインは情報を処理し切れない頭を抱えて、フレッドに促されるまま歩き出した。
「君をストーカーしてる奴がいるんだって?」
「そうなの。でも──」
「姿が見えない?」
その問いにおずおずと頷くと、フレッドはニヤッと笑った。
「君の事、狂ってるなんて思わないさ。あいつなんて、今日こそストーカー野郎の面を暴くって息巻いてたぜ──」
驚きのあまり、足が動かなくなった。自分を迎えに来てくれたのが、フレッドである理由が分かった。ジョージが"なんとかしてやる"と言っていたのは、ウエストサイズのことではなかったようだ。
「そんなこと──絶対にやめてもらわなきゃ!」
「大丈夫だって。俺らにとっちゃ、このくらい朝飯前だ」
ラインは例のおぞましい気配を思い出して、背筋が冷たくなった。もしジョージに何かあったら、後悔してもしきれない。何かあるなら、自分の方が100倍ましだ。
「ジョージがどこにいるか、分かる?」
「さあな」
フレッドは大袈裟に肩をすくめてみせた。
「心配するなよ。俺が君の肩でも抱けば、あいつはたちまちすっ飛んで来るさ」
すぐに駆け付けられるくらいの範囲に、ジョージは居るということだろう。ほんの少しだけ気が緩んだその時、今しがた歩いてきた廊下の向こうから、石を打つような音が聞こえてきた。その音は壁に反響して、妙に存在感を持って響いた。ラインは息を止めて、音のした方へ目を凝らした。何故だか、廊下に灯る松明の明るさが一段暗くなった気がする。
「よし──かかったな」
フレッドはそう言うと、立ちすくむラインの腕を掴み、ずんずんと歩き出した。彼は脇目も振らず、ただひたすらに前へ進んで行く。
「待って──こっちに抜け道があるの」
「今日は使わない。あえて追わせるんだ」
ラインは腕を引かれるままに、足を進めるほかなかった。いつのまにか、逃げ場の無い長い直線の廊下を歩いていた。自分のでもフレッドのでもない、衣擦れの音が聞こえる気がする。おまけに、その音はじわじわとこちらへ近づいて来ている。
「野郎……距離を詰めてきやがった」
そう呟いたフレッドの横顔にはいつもの余裕が無いように見えて、ラインの頭は恐怖で埋め尽くされた──もし、攻撃されたらどうしよう?ムーディ先生が、盾の呪文を今日教えてくれていれば良かったのに──
とうとう、フレッドは走り出した。ラインはローブに手を突っ込み、杖を取り出した。大した呪文は使えないけれど、無いよりはましだろう──
突き当たりの角を曲がると、目の前に階段が立ちはだかった。フレッドが1段目に足を踏み出そうとした、その時──足元の床が震えて、目の前の階段がゆっくりと動き出した。それを見てラインは絶望した。階段の動きが止まるのを待っていたら、確実に追い付かれてしまうからだ。
「計画変更だ、ライン、飛び込め!」
フレッドはそう叫ぶと、踊り場に飾られたタペストリーをめくり上げた。そこには、人間が1人通れるくらいの大きさの穴が開いていた。中は真っ暗だが、微かに暖かい空気が流れ出している──ラインはぎゅっと目を瞑り、その中へ飛び込んだ。途端に、全身に激しい重力がかかる。すぐに上下が分からなくなった。ラインはただ引力に身を任せて、漆黒の闇を進むほかなかった──突如として、視界が開けた。フワッと内臓が浮くのを感じたあと、固い床に全身が打ち付けられる。
「凄いだろ?先週見つけたんだ。地図にも載ってない」
その声に顔を上げると、フレッドが立ち上がるところだった。彼は未だに地面にのびているラインを見て笑ったが、すぐに腕を取って立たせてくれた。急いで周りを見回すと、見慣れた景色が広がっている。
「難点は頭から着地させたがるところだな。でも、ほら──すぐそこにグリフィンドール寮だ」
「助かった……ありがとう」
ラインは大きく息を吐き出した。辺りは静寂に包まれている。例のおぞましい気配は、流石に追って来られなかったようだ。
「なかなかスリリングだったぜ」
フレッドはそう言うと、ソファにどかっと腰を下ろした。見上げると、壁の時計の針は23時を指している。談話室には他に人影が無く、暖炉の火は今にも消えてしまいそうだった。ラインは居ても立ってもいられず、扉の前を行ったり来たりしていた。
「私、やっぱり──」
「駄目だ」
フレッドはラインが言い終えるのを待たず、きっぱりと首を振った。初めて見た彼の厳しい表情は、ラインの気勢を削ぐのに充分な効果を発揮した。
「心配しなくていい。あいつはすぐに帰って来るさ」
その言葉通り、それから1分も経たないうちに、扉の向こうでドカドカと大きな足音が聞こえた。何やら言い争うような声も聞こえる。フレッドがポケットの中でこっそりと杖を握ったのを、ラインは見逃さなかった。
「──夜中に何度も起こされる、私の気持ちも考えてちょうだい!」
バンッと勢いよく談話室の扉が開き、太ったレディの怒った声が聞こえてきた。そして、その後すぐに──同じくらい憤慨した様子のジョージが姿を現した。
「計画が全部おじゃんになっちまった!階段の手前で、ムーディとバッタリだ!おまけに、罰則──」
考える前に体が動くとは、こういうことを言うのだろう──ラインを抱き止めた反動で、ジョージは後ろによろめいた。広い背中に手を回して、彼がそこに居ることを確かめると、ラインは身体から力が抜けていくのを感じた。
「──ごめんな、勝手なことして」
しばらくすると、ジョージがぽつりと呟いた。ラインは彼のシャツに顔を埋めて、小さく首を振ることしか出来なかった。本当は、危ないことをしないでと怒りたかったし、無事で良かったと泣きじゃくりたかったけれど、ジョージがラインの為に行動してくれたことを知っていたからだ。
「いいぞ……俺の事は気にしないで、続けてくれ」
ふいに、ソファから愉しげな声が聞こえてきた。ラインはハッとして正気を取り戻し、急いで身体をジョージから引き剥がした。
「フレッド──全部、貴方のおかげよ。本当にありがとう」
フレッドは尊大に頷きながらそれを聞いていたが、ラインが喋り終わると、ニヤッと笑って両手を広げた。
「俺には、ハグ無しかい?」
フレッドの顔面に、ジョージの投げ付けたクッションが命中した。大袈裟に呻きながら絨毯に転がるフレッドを見て、ラインは久しぶりに口角を上げた。
結局その晩も、ラインは悪夢にうなされることになった。目を閉じると、瞼の裏に緑の閃光が浮かんでくる。でも──目を開ければ、そこには自分のことを想ってくれる人達がいる。彼等がいる限り、自分が道を踏み外すことはないだろう──ラインはそう確信していた。