the Goblet of Fire
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カーテンの隙間からオレンジ色の朝日が差し込み始めた頃、ラインはパチリと目を開けた。入念に歯磨きをした後、ルームメイト達を起こさないようにそっと鏡台の前に座る。まだ薄暗い寝室で、鏡の中からこちらを見つめる自分の顔はこれ以上ないほどに真剣だった。しばらくすると部屋のどこかからクスクスという笑い声が聞こえてきて、鏡台の上に明かりが灯った。それは身嗜みを整えるのに最適な明るさだった。周囲を見回すと、ラベンダーのベッドの天蓋が揺れているのが見える。彼女にありがとうとジェスチャーを送ると、再びクスクス笑いが聞こえた後、しつこい寝癖がするんと真っ直ぐになった。嬉しい、今日は大盤振る舞いだ。
なんとか身支度を整えて談話室に降りると、ちょうど男子寮から出てきた友人と鉢合わせた。
「おはようハリー……じゃなかった、ミスター道徳」
「おはよう、君までやめてよ」
ラインがからかうと、ハリーは恥ずかしそうに笑った。彼は1週間前、無事に第2の課題を突破した。結局、水の中で呼吸する方法を彼に教えたのは、屋敷しもべ妖精のドビーだった。キャラメルパイの件も然り、ラインはドビーには頭が上がらないと感じていた。
「そのスカート、僕初めて見たな。よく似合ってるよ」
ハリーはそう言うと、仕返しとばかりにニヤついた。全くこれだから、勘のいい人間は……
「ありがとう。貴方もこれからホグズミードに行くの?」
「うん。向こうで人に会う予定なんだ」
ハリーはなんだか嬉しそうな顔をしていた。その表情を見て、ラインは彼が会う予定の人物が気になった。もしかして女の子だろうか?
「じゃあ楽しんでね、デート。また夕食の時に会おう」
ハリーはそう言うと、赤面しているラインをその場に残して、そそくさと談話室を出て行ってしまった──なんという奴だ。やっぱり今日会う相手を聞いてやれば良かった。ラインは少々ぷりぷりしながら廊下へ出た。彼には新しいスカートを下ろしたことだけでなく、ジョージに対する気持ちさえも見透かされていそうで恥ずかしい。ところでハリーは"デート"なんて言っていたけれど、ジョージはどう思っているんだろうか──そんな事に気を取られながら歩いていると、突如、頭の上から氷水を浴びせられたような感覚があった。ラインはギョッとして立ち止まり、まだ心臓が動いているかを確かめた。
「おや、これは失礼──大切な予定の前に」
ほとんど首なしニックはそう言うと、すーっと壁の中へ消えていった。ゴーストに突っ込むのは初めての経験だ。でも顔の火照りも治まったし、ちょうど良かったかもしれない。ところで彼は最後、何と言ったかな──ラインは今朝からの出来事を振り返り、1つの可能性に辿り着いた。もしかすると、自分は"分かりやすい"のかもしれない──
────
「わぁ──とっても素敵ね、まるで」
「おとぎ話に出てきそうだろ?」
ジョージは苦笑しながらラインの言葉を引き取った。
「この店、君は好きそうだと思って」
「本当、すごく気に入った。連れて来てくれてありがとう」
マダム・パディフットの喫茶店は通りに面する大きな窓が特徴的で、店内には甘いケーキと紅茶の香りが充満していた。ピンク色の壁とレースに囲まれて、ジョージはいつもより肩を窄めているように見える。
「もう少しだけ待っていてくれる?苺のショートケーキかミルクレープで悩んでいるの」
「俺もちょうど、その2つで悩んでたところだ。気が合うな、シェアしようぜ」
その言葉を聞いて、ラインはパッと顔を上げた。
「いいの?ありがとう!貴方のそういうところ、本当に素敵……」
「おいおい、随分と現金だな」
彼はさもおかしそうに笑った後、ケーキと紅茶のセットを注文した。ラインはフリフリのエプロンを着たウェイトレスを見送りながら、あることに気が付いた。この喫茶店のお客さん達は男女2人組ばかりだ。どうしてだろう──その理由を探ろうと店内を見回すと、斜め向かいの席に座る若い男女が互いに手を握り合い、今にも唇をくっつけそうな雰囲気であることに気が付いた。決定的な瞬間を目撃しないよう、素早く目を逸らす。
なんだかジョージの顔を見るのが恥ずかしくなってしまったラインは、窓の外に目を向けた。すると、通りの奥に良く知る3人の姿を見つけた──あれ、確かハリーは誰かと会うんじゃなかったっけ?それに、彼の鞄から飛び出している茶色いものはなんだろう?ラインがそれに目を凝らしていると、3人の姿はだんだんとこちらに近づいて来た。大変だ──今ここで窓越しに鉢合わせてしまうのはなんだか恥ずかしい。そうだ、カーテンの陰に隠れてやり過ごそう──しかしラインが椅子を引こうとした瞬間、突然、手が温かいものに包まれた。
「君の爪……ニフラーに持ってかれちまいそうだな」
テーブルの上でラインの手を握りながら、ジョージがぽつりと言った。
「マニキュアを塗ったの」
空っぽになった頭をなんとか回転させて、言葉を絞り出す。彼に握られている手がジンジンと熱を持ち始めた。手に汗をかいている気がする。それに、こんなに近くで見つめられるなら、もっと爪の形を綺麗に整えてくれば良かった──ラインが己の不始末を後悔していた時、突然、どこからかジトッとした視線を感じた。顔を上げると、窓の外にこちらを見下ろすロンの姿が見えた。彼を後ろに引っ張ろうとするハーマイオニーを、ハリーがニヤニヤしながら見ている。ジョージはそれを見て小さく溜め息をつくと、そっとラインの手を離した。
「──な・ん・だ・よ・?」
ジョージが窓の外に向けて大きく口を動かした。
「い・も・う・と・?」
ロンの唇はそう動いたように見えた。どういう意味だろう──しかし次の瞬間、目の前に美味しそうなケーキが運ばれてきたので、ラインは全ての思考を放棄した。ジョージが手で追い払うような仕草をすると、ロンは渋々とハーマイオニーに引き摺られていった。彼等の去り際にハリーの鞄から飛び出しているものがチラリと見えて、ラインは目を疑った。あれはどう見ても──骨付き肉だ。ラインはハリーがホグズミードに骨付き肉を持って来た理由を推察しようとしたが、目の前の誘惑に打ち勝てず、その問題は一旦置いておくことにした。
メルヘンチックな空間でたっぷりの生クリームを味わっていると、ホグワーツやムーディ先生が随分と遠くのことのように感じられた。それに何と言っても、目の前の彼と今日を一緒に過ごせることが嬉しかった。ラインはしばらく自身の幸運を噛みしめていたが、ふと、ジョージの口数がいつもより少ないことに気が付いた。もしかして彼はつまらないのだろうか──なんだか不安な気持ちになり、ケーキから顔を上げる。すると目の前にこちらを見つめる彼の顔があった。その目が今までに見たことのないような眼光を放っていたので、ラインは驚いた。彼も突然ぶつかった視線に驚いたようで、数秒間の沈黙が流れる。
「──本当は、シュークリームも食いたいんだろ」
やっと、ジョージが口を開いた。
「うん──ううん、ダイエット中だもの」
葛藤するラインを見て、ジョージはおかしそうに笑った。その顔が見慣れた顔だったので、ラインはほっと胸を撫で下ろした。
ーーーー
「私、ここに住みたい」
「──言うと思った」
目を輝かせるラインの隣で、ジョージがくつくつと笑っている。店内のどこにいても、カラフルでジューシーなスイーツが目に飛び込んでくる。ラインにとって、ハニーデュークスは噂に違わぬ夢の国だった。
「どれも美味しそうで迷っちゃう──あ、これは買うわ。前に貰って、美味しかったから──」
「へぇ、誰に貰ったんだい?」
「ハーマイオニーよ。わぁ、見て、爆発ボンボンですって。貴方の十八番ね」
壁に沿ってぐるりと並んだ棚には、様々な種類のキャンディが陳列されている。それらに夢中になるあまり、ジョージの袖口をギュッと掴んでいることに気がついたのは、嘲笑うような声が聞こえてからだった。
「──今日はウィーズリーがお相手なのね。この間はディゴリーに絡み付いてたのに」
「さすが、手が広いじゃないか。誰にでもチャンスがあると思わせてくれるよな」
その言葉の意味を理解したラインは、ジョージの袖口をパッと離した。浮ついていた気持ちが一気に沈みこんでいく。冷静になって周りを見渡してみると、店内はホグワーツの生徒で溢れかえっていた。そのうち何人かの視線はこちらに向けられていて、それが好意的なものではないこともすぐに分かった。どうやら彼らは日刊予言者新聞に書かれたことを信じているようだ。それにしても、数ヶ月前に掲載された記事がこれほど長いあいだ話題性を保つなんて凄いことだ。きっとリータ・スキータの実力は本物なのだろう。残念なことに、彼女の倫理観は"コガネムシ"程度のようだけれど──
「──おい」
突然、隣から唸るような声が聞こえてきて、ラインの身体はビクッと跳ねた。
「勘違いするなよ。お前みたいな臍がひん曲がってる奴に、チャンスなんてある訳ないだろ」
怒りと苛立ちを含んだ声で、ジョージがそう言った。彼に睨み付けられた男の子は、眉をピクピクとさせて睨み返していたが、先程よりも身体が縮こまっているように見えた。
「この子が何も言い返してこないからって、好き勝手言いやがって──ふざけるなよ」
それを聞いて、目の奥がツンとするのを感じた。彼の言う通り、これまでラインは悪口を言う人達に言い返したことがなかった。彼らに対する最善の対応は、反応をしないことだと思っていたからだ。でも、本当はずっと怒りたかった。ジョージが自分の代わりに怒ってくれて嬉しかった。
────
「さっきのこと、気にするなよ。あいつらは鼻くそ味みたいなもんだ──全くもって、価値がない」
ジョージは紙袋から百味ビーンズを持ち上げると、顔を顰めてみせた。先程の一件で頭の冷えたラインは、ハニーデュークスでの購入品をどうにか紙袋1つ分に収めることが出来た。
「ふふ、ありがとう」
ラインは笑ってみせたが、気分は落ち込んだままだった。先日の授業でムーディ先生に言われたことを思い出したからだ。彼はラインのことを「敵に立ち向かう気概が無い臆病者」と評した。自分でもその通りだと思う。自分はいつも、誰かに庇って貰ってばかりだ。このままではきっと、いざという時にも、誰かを盾にしてしまう── そんな最悪の想像をしていた時、突然、額を弾かれる感覚があった。
「頭ん中が騒がしそうだな」
顔を上げると、目の前に苦笑するジョージの顔があった。
「よし、少し静かなところに行くか」
彼はそう言うと、ラインの手を取り歩き出した。たちまちラインの意識は繋がれた右手ばかりに集中し始めた。大きさも体温も、何もかもが自分とは違う。彼のゴツゴツした手には豆のようなものもある。クィディッチの練習で出来たものだろうか……そんな事を考えていると、手から熱が伝導したかのように顔が熱くなった。
「いいかい」
突然、頭上から降ってきた真面目な声に驚く。
「君は少々、警戒心が足りないぞ」
彼らしからぬその言葉に、ラインは混乱した。油断大敵!ということだろうか?ジョージまでもがムーディ先生のようなことを言い始めたら、世も末だ──
「静かなところに行こうなんて言う男に、のこのこ付いて来るもんじゃない」
ラインはその言葉の意図を汲み取ろうと、ジョージの顔を見つめた。すると彼の奥に見える景色が、先程とは様変わりしていることに気が付いた。今、自分達が立っている場所は森の中のようだった。辺りには鬱蒼とした木々が立ち並んでおり、人影は見当たらない。ラインは周囲を見回して思わず息を呑んだ。森の外れにそびえ立つ建物が目に飛び込んできたからだ。
「それ見ろ、叫びの屋敷だ」
その建物は一目見ただけで、長い間、人の手入れが無いと分かる外観をしていた。いびつな形の窓にはベニヤ板が打ち付けられていて、中の様子を伺うことは出来そうにない。まるで幽霊屋敷のようだった。思わず繋いでいた手をギュッと握り締めると、ジョージは堪え切れなかったように吹き出した。ラインは頬を膨らませて彼に抗議した。
「ごめんよ、ちょいと意地が悪かったな」
彼はそう言って謝ったが、口元がまだ笑っていた。
「──ううん。貴方は優しい」
ラインがそう言うと、ジョージは意表をつかれたような顔をした。
「今日だって、私に気晴らしをさせるために連れ出してくれたんでしょう?」
「最近の君はスネイプとどっこいどっこいだったからな」
ジョージはそう言って笑うと、適当な切り株の上に腰を下ろした。ラインも真似して隣に座ったが、視界に叫びの屋敷が入るのが気になった。
「なんてことないさ。ただの古ぼけた屋敷だ」
ジョージが考えを見透かしたようにそう言ったので、ラインは自分が"分かりやすい"ことを認めざるを得なくなった。しかしあの建物がただの古ぼけた屋敷だと教えられたところで、不気味であることに変わりはない。彼はそんなラインの恐怖心までも見透かしているのか、目的地に着いたにも関わらず、まだ手を握ってくれていた。その暖かさに、ラインはなんだか甘えてしまいたくなった。
「最近ね……よく眠れないの」
「うん、知ってるぜ」
「──たまにね、全部放り出して、逃げちゃいたいって思うの。何にも知らなかった頃に戻りたい」
我ながら、とんでもなく無責任な発言だと思う。こんなに甘えたことを言えるのは彼の前だけだった。しばらくすると、彼は何やらポケットを探り始めた。ラインが自分の頬を伝う冷たい雫に気が付いたのは、目の前に小綺麗なハンカチを差し出されてからだった。
「ごめんなさい、ありがとう──」
しかしラインがハンカチを受け取ろうと手を伸ばした途端、ジョージはそれをポケットに仕舞ってしまった。すると次の瞬間、背中を引き寄せられる感覚があり、視界一面にウールの生地が広がった。
「一度、ハンカチになってみたかったんだ」
彼の胸に頭を預けて、ラインはちょっぴり笑った。規則的な心臓の音が聞こえてくる。暖炉のような匂いがする。この腕の中が、世界一安全な場所のような気がする。その暖かさに包まれて、少し気分が落ち着いてきた頃、ジョージがふと呟いた。
「そんなに太ったようには思わないけどな……あー、ここらへんか?」
突如、腰の辺りにモゾモゾとした動きを感じて、ラインは声にならない悲鳴を上げた。彼のゴツゴツとした手がセーターの中に侵入して、ウエストを確かめるように撫でている。ラインは口をパクパクさせながら彼に抗議した。
「──やっぱり貴方、優しくない!」
前言撤回だ。そして彼の言う通り、自分には警戒心が足りないようだ。ラインはかつてないほどニヤついているジョージを思い切り睨み付けた。彼はそれを見てひとしきり笑った後、ラインの頭をポンと撫でた。
「──何とかしてやるからな」
その優しい声色に、ラインの表情筋はいとも簡単に緩んでしまった。もしかすると、次の鳥にはダイエットを応援する機能が付いているのかもしれない──そんな想像をして、ラインは小さく笑った。
なんとか身支度を整えて談話室に降りると、ちょうど男子寮から出てきた友人と鉢合わせた。
「おはようハリー……じゃなかった、ミスター道徳」
「おはよう、君までやめてよ」
ラインがからかうと、ハリーは恥ずかしそうに笑った。彼は1週間前、無事に第2の課題を突破した。結局、水の中で呼吸する方法を彼に教えたのは、屋敷しもべ妖精のドビーだった。キャラメルパイの件も然り、ラインはドビーには頭が上がらないと感じていた。
「そのスカート、僕初めて見たな。よく似合ってるよ」
ハリーはそう言うと、仕返しとばかりにニヤついた。全くこれだから、勘のいい人間は……
「ありがとう。貴方もこれからホグズミードに行くの?」
「うん。向こうで人に会う予定なんだ」
ハリーはなんだか嬉しそうな顔をしていた。その表情を見て、ラインは彼が会う予定の人物が気になった。もしかして女の子だろうか?
「じゃあ楽しんでね、デート。また夕食の時に会おう」
ハリーはそう言うと、赤面しているラインをその場に残して、そそくさと談話室を出て行ってしまった──なんという奴だ。やっぱり今日会う相手を聞いてやれば良かった。ラインは少々ぷりぷりしながら廊下へ出た。彼には新しいスカートを下ろしたことだけでなく、ジョージに対する気持ちさえも見透かされていそうで恥ずかしい。ところでハリーは"デート"なんて言っていたけれど、ジョージはどう思っているんだろうか──そんな事に気を取られながら歩いていると、突如、頭の上から氷水を浴びせられたような感覚があった。ラインはギョッとして立ち止まり、まだ心臓が動いているかを確かめた。
「おや、これは失礼──大切な予定の前に」
ほとんど首なしニックはそう言うと、すーっと壁の中へ消えていった。ゴーストに突っ込むのは初めての経験だ。でも顔の火照りも治まったし、ちょうど良かったかもしれない。ところで彼は最後、何と言ったかな──ラインは今朝からの出来事を振り返り、1つの可能性に辿り着いた。もしかすると、自分は"分かりやすい"のかもしれない──
────
「わぁ──とっても素敵ね、まるで」
「おとぎ話に出てきそうだろ?」
ジョージは苦笑しながらラインの言葉を引き取った。
「この店、君は好きそうだと思って」
「本当、すごく気に入った。連れて来てくれてありがとう」
マダム・パディフットの喫茶店は通りに面する大きな窓が特徴的で、店内には甘いケーキと紅茶の香りが充満していた。ピンク色の壁とレースに囲まれて、ジョージはいつもより肩を窄めているように見える。
「もう少しだけ待っていてくれる?苺のショートケーキかミルクレープで悩んでいるの」
「俺もちょうど、その2つで悩んでたところだ。気が合うな、シェアしようぜ」
その言葉を聞いて、ラインはパッと顔を上げた。
「いいの?ありがとう!貴方のそういうところ、本当に素敵……」
「おいおい、随分と現金だな」
彼はさもおかしそうに笑った後、ケーキと紅茶のセットを注文した。ラインはフリフリのエプロンを着たウェイトレスを見送りながら、あることに気が付いた。この喫茶店のお客さん達は男女2人組ばかりだ。どうしてだろう──その理由を探ろうと店内を見回すと、斜め向かいの席に座る若い男女が互いに手を握り合い、今にも唇をくっつけそうな雰囲気であることに気が付いた。決定的な瞬間を目撃しないよう、素早く目を逸らす。
なんだかジョージの顔を見るのが恥ずかしくなってしまったラインは、窓の外に目を向けた。すると、通りの奥に良く知る3人の姿を見つけた──あれ、確かハリーは誰かと会うんじゃなかったっけ?それに、彼の鞄から飛び出している茶色いものはなんだろう?ラインがそれに目を凝らしていると、3人の姿はだんだんとこちらに近づいて来た。大変だ──今ここで窓越しに鉢合わせてしまうのはなんだか恥ずかしい。そうだ、カーテンの陰に隠れてやり過ごそう──しかしラインが椅子を引こうとした瞬間、突然、手が温かいものに包まれた。
「君の爪……ニフラーに持ってかれちまいそうだな」
テーブルの上でラインの手を握りながら、ジョージがぽつりと言った。
「マニキュアを塗ったの」
空っぽになった頭をなんとか回転させて、言葉を絞り出す。彼に握られている手がジンジンと熱を持ち始めた。手に汗をかいている気がする。それに、こんなに近くで見つめられるなら、もっと爪の形を綺麗に整えてくれば良かった──ラインが己の不始末を後悔していた時、突然、どこからかジトッとした視線を感じた。顔を上げると、窓の外にこちらを見下ろすロンの姿が見えた。彼を後ろに引っ張ろうとするハーマイオニーを、ハリーがニヤニヤしながら見ている。ジョージはそれを見て小さく溜め息をつくと、そっとラインの手を離した。
「──な・ん・だ・よ・?」
ジョージが窓の外に向けて大きく口を動かした。
「い・も・う・と・?」
ロンの唇はそう動いたように見えた。どういう意味だろう──しかし次の瞬間、目の前に美味しそうなケーキが運ばれてきたので、ラインは全ての思考を放棄した。ジョージが手で追い払うような仕草をすると、ロンは渋々とハーマイオニーに引き摺られていった。彼等の去り際にハリーの鞄から飛び出しているものがチラリと見えて、ラインは目を疑った。あれはどう見ても──骨付き肉だ。ラインはハリーがホグズミードに骨付き肉を持って来た理由を推察しようとしたが、目の前の誘惑に打ち勝てず、その問題は一旦置いておくことにした。
メルヘンチックな空間でたっぷりの生クリームを味わっていると、ホグワーツやムーディ先生が随分と遠くのことのように感じられた。それに何と言っても、目の前の彼と今日を一緒に過ごせることが嬉しかった。ラインはしばらく自身の幸運を噛みしめていたが、ふと、ジョージの口数がいつもより少ないことに気が付いた。もしかして彼はつまらないのだろうか──なんだか不安な気持ちになり、ケーキから顔を上げる。すると目の前にこちらを見つめる彼の顔があった。その目が今までに見たことのないような眼光を放っていたので、ラインは驚いた。彼も突然ぶつかった視線に驚いたようで、数秒間の沈黙が流れる。
「──本当は、シュークリームも食いたいんだろ」
やっと、ジョージが口を開いた。
「うん──ううん、ダイエット中だもの」
葛藤するラインを見て、ジョージはおかしそうに笑った。その顔が見慣れた顔だったので、ラインはほっと胸を撫で下ろした。
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「私、ここに住みたい」
「──言うと思った」
目を輝かせるラインの隣で、ジョージがくつくつと笑っている。店内のどこにいても、カラフルでジューシーなスイーツが目に飛び込んでくる。ラインにとって、ハニーデュークスは噂に違わぬ夢の国だった。
「どれも美味しそうで迷っちゃう──あ、これは買うわ。前に貰って、美味しかったから──」
「へぇ、誰に貰ったんだい?」
「ハーマイオニーよ。わぁ、見て、爆発ボンボンですって。貴方の十八番ね」
壁に沿ってぐるりと並んだ棚には、様々な種類のキャンディが陳列されている。それらに夢中になるあまり、ジョージの袖口をギュッと掴んでいることに気がついたのは、嘲笑うような声が聞こえてからだった。
「──今日はウィーズリーがお相手なのね。この間はディゴリーに絡み付いてたのに」
「さすが、手が広いじゃないか。誰にでもチャンスがあると思わせてくれるよな」
その言葉の意味を理解したラインは、ジョージの袖口をパッと離した。浮ついていた気持ちが一気に沈みこんでいく。冷静になって周りを見渡してみると、店内はホグワーツの生徒で溢れかえっていた。そのうち何人かの視線はこちらに向けられていて、それが好意的なものではないこともすぐに分かった。どうやら彼らは日刊予言者新聞に書かれたことを信じているようだ。それにしても、数ヶ月前に掲載された記事がこれほど長いあいだ話題性を保つなんて凄いことだ。きっとリータ・スキータの実力は本物なのだろう。残念なことに、彼女の倫理観は"コガネムシ"程度のようだけれど──
「──おい」
突然、隣から唸るような声が聞こえてきて、ラインの身体はビクッと跳ねた。
「勘違いするなよ。お前みたいな臍がひん曲がってる奴に、チャンスなんてある訳ないだろ」
怒りと苛立ちを含んだ声で、ジョージがそう言った。彼に睨み付けられた男の子は、眉をピクピクとさせて睨み返していたが、先程よりも身体が縮こまっているように見えた。
「この子が何も言い返してこないからって、好き勝手言いやがって──ふざけるなよ」
それを聞いて、目の奥がツンとするのを感じた。彼の言う通り、これまでラインは悪口を言う人達に言い返したことがなかった。彼らに対する最善の対応は、反応をしないことだと思っていたからだ。でも、本当はずっと怒りたかった。ジョージが自分の代わりに怒ってくれて嬉しかった。
────
「さっきのこと、気にするなよ。あいつらは鼻くそ味みたいなもんだ──全くもって、価値がない」
ジョージは紙袋から百味ビーンズを持ち上げると、顔を顰めてみせた。先程の一件で頭の冷えたラインは、ハニーデュークスでの購入品をどうにか紙袋1つ分に収めることが出来た。
「ふふ、ありがとう」
ラインは笑ってみせたが、気分は落ち込んだままだった。先日の授業でムーディ先生に言われたことを思い出したからだ。彼はラインのことを「敵に立ち向かう気概が無い臆病者」と評した。自分でもその通りだと思う。自分はいつも、誰かに庇って貰ってばかりだ。このままではきっと、いざという時にも、誰かを盾にしてしまう── そんな最悪の想像をしていた時、突然、額を弾かれる感覚があった。
「頭ん中が騒がしそうだな」
顔を上げると、目の前に苦笑するジョージの顔があった。
「よし、少し静かなところに行くか」
彼はそう言うと、ラインの手を取り歩き出した。たちまちラインの意識は繋がれた右手ばかりに集中し始めた。大きさも体温も、何もかもが自分とは違う。彼のゴツゴツした手には豆のようなものもある。クィディッチの練習で出来たものだろうか……そんな事を考えていると、手から熱が伝導したかのように顔が熱くなった。
「いいかい」
突然、頭上から降ってきた真面目な声に驚く。
「君は少々、警戒心が足りないぞ」
彼らしからぬその言葉に、ラインは混乱した。油断大敵!ということだろうか?ジョージまでもがムーディ先生のようなことを言い始めたら、世も末だ──
「静かなところに行こうなんて言う男に、のこのこ付いて来るもんじゃない」
ラインはその言葉の意図を汲み取ろうと、ジョージの顔を見つめた。すると彼の奥に見える景色が、先程とは様変わりしていることに気が付いた。今、自分達が立っている場所は森の中のようだった。辺りには鬱蒼とした木々が立ち並んでおり、人影は見当たらない。ラインは周囲を見回して思わず息を呑んだ。森の外れにそびえ立つ建物が目に飛び込んできたからだ。
「それ見ろ、叫びの屋敷だ」
その建物は一目見ただけで、長い間、人の手入れが無いと分かる外観をしていた。いびつな形の窓にはベニヤ板が打ち付けられていて、中の様子を伺うことは出来そうにない。まるで幽霊屋敷のようだった。思わず繋いでいた手をギュッと握り締めると、ジョージは堪え切れなかったように吹き出した。ラインは頬を膨らませて彼に抗議した。
「ごめんよ、ちょいと意地が悪かったな」
彼はそう言って謝ったが、口元がまだ笑っていた。
「──ううん。貴方は優しい」
ラインがそう言うと、ジョージは意表をつかれたような顔をした。
「今日だって、私に気晴らしをさせるために連れ出してくれたんでしょう?」
「最近の君はスネイプとどっこいどっこいだったからな」
ジョージはそう言って笑うと、適当な切り株の上に腰を下ろした。ラインも真似して隣に座ったが、視界に叫びの屋敷が入るのが気になった。
「なんてことないさ。ただの古ぼけた屋敷だ」
ジョージが考えを見透かしたようにそう言ったので、ラインは自分が"分かりやすい"ことを認めざるを得なくなった。しかしあの建物がただの古ぼけた屋敷だと教えられたところで、不気味であることに変わりはない。彼はそんなラインの恐怖心までも見透かしているのか、目的地に着いたにも関わらず、まだ手を握ってくれていた。その暖かさに、ラインはなんだか甘えてしまいたくなった。
「最近ね……よく眠れないの」
「うん、知ってるぜ」
「──たまにね、全部放り出して、逃げちゃいたいって思うの。何にも知らなかった頃に戻りたい」
我ながら、とんでもなく無責任な発言だと思う。こんなに甘えたことを言えるのは彼の前だけだった。しばらくすると、彼は何やらポケットを探り始めた。ラインが自分の頬を伝う冷たい雫に気が付いたのは、目の前に小綺麗なハンカチを差し出されてからだった。
「ごめんなさい、ありがとう──」
しかしラインがハンカチを受け取ろうと手を伸ばした途端、ジョージはそれをポケットに仕舞ってしまった。すると次の瞬間、背中を引き寄せられる感覚があり、視界一面にウールの生地が広がった。
「一度、ハンカチになってみたかったんだ」
彼の胸に頭を預けて、ラインはちょっぴり笑った。規則的な心臓の音が聞こえてくる。暖炉のような匂いがする。この腕の中が、世界一安全な場所のような気がする。その暖かさに包まれて、少し気分が落ち着いてきた頃、ジョージがふと呟いた。
「そんなに太ったようには思わないけどな……あー、ここらへんか?」
突如、腰の辺りにモゾモゾとした動きを感じて、ラインは声にならない悲鳴を上げた。彼のゴツゴツとした手がセーターの中に侵入して、ウエストを確かめるように撫でている。ラインは口をパクパクさせながら彼に抗議した。
「──やっぱり貴方、優しくない!」
前言撤回だ。そして彼の言う通り、自分には警戒心が足りないようだ。ラインはかつてないほどニヤついているジョージを思い切り睨み付けた。彼はそれを見てひとしきり笑った後、ラインの頭をポンと撫でた。
「──何とかしてやるからな」
その優しい声色に、ラインの表情筋はいとも簡単に緩んでしまった。もしかすると、次の鳥にはダイエットを応援する機能が付いているのかもしれない──そんな想像をして、ラインは小さく笑った。