the Goblet of Fire
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「油断大敵!初手の一振りで殺されるぞ!」
ラインは冷たい床に転がり、自身に怒鳴る義眼の男を見上げていた。
現状はこの有様だが、最近なんとなく魔力を制御する感覚を掴めてきたように思う。まず心を落ち着けて対象に集中する事。次に成功のイメージをはっきりと思い描く事。さらに大きな魔力が自分に従うと信じる事──これが一番難しい。しかし先生方の熱心な指導の甲斐あり、以前のように手当たり次第に物を爆発させる事は少なくなっていた。そして先日、ついに対人呪文の練習許可が下りたのである。
今日は初めて闇の魔術に対する防衛術の個人授業を受ける予定だった。しかし教室に足を踏み入れた途端、ムーディ先生はラインに杖を突き付けた──挨拶にしては随分と乱暴である。
「立て!命が惜しければ、今すぐに!」
その鬼気迫る様子になんとか自我を取り戻し、気力を振り絞って立ち上がる。ついさっき全力でタップダンスを踊ったラインの両足は、普段使わないところの筋肉を小刻みに震わせていた。
「インペリオ!服従せよ!」
またもや鋭い呪文が飛んでくる──わぁ、なんだか頭がフワフワとして気持ちが良い。辛い事も悩み事も全部忘れてしまった、ずっとこのままでいたい──漠然とした快感が頭の中に霧をかけているようだった。最高に素晴らしい気分を味わっていると、足が勝手に動き出したことに気が付く。ラインはそのまま壁際に辿り着き、流れるような動きで窓を開けた。
──燃やせ、あの木を燃やせ
ムーディ先生の声が頭の中に響く。そうだ、燃やさねばならない。校庭のあの木を──窓から杖を突き出して狙いを定めていると、木の下に見覚えのある姿を見つけた。赤毛の少女が幹に寄りかかり、兄達の雪合戦を眺めている。
──木を燃やす?とんでもない、ジニーがいるのよ
突如、頭のどこかでもう一つの声が言った。もやもやとした霧が少しずつ薄くなる。
──燃やせ!いますぐだ!
その声が聞こえた次の瞬間、全身に激痛が走った。頭が割れそうに痛い。杖が床を転がる音に目を開けると、視界一面に天井が広がっていた。どうやら呪文を唱える寸前に壁を蹴り、そのまま思い切り後ろに倒れたようだ。
「よーし、それでいい」
ムーディ先生が杖を振ると、頭の中の霞は完全に晴れた。頭の痛みは倍になった。ラインはしばらく床に転がったまま、涙で滲むランプの光を眺めていた。きらきらとして綺麗だ──それを見ていると、半月型の眼鏡の奥に覗く、きらきらとしたブルーの瞳を思い出した。
初めて彼に会ったのは昨年の初夏、まだマグルの学校に通っていた頃だった。身の回りで起こる不可解な出来事に慄いていたある日、父と住む家のインターホンが鳴った。ラインは玄関ポーチに立つ彼の姿を見た瞬間、"向こう"の人だと確信した。周囲と比べて明らかに異質だった。彼もそれを隠そうとしていなかったように思う。父が慌ててリビングに招き入れると、彼はしばらく楽しそうにキルトの壁掛けを眺めていた。そして入学準備品リストをラインに手渡すと、穏やかな口調で穏やかではない話を始めたのだった。
「このことが世に知れ渡れば、君は再び"危険"に晒されるじゃろう。身を守るための術を学ばなければならない──」
当時はその言葉の意味を半分も理解していなかった──
「だが、敵は容赦しない!」
突然聞こえた罵声により、ラインの意識は現在に引き戻された。心臓が1拍飛ばした気がする。
「服従の呪文に抵抗出来たところで、次は人質を取られ、お前もろとも拷問される!爪を剥ぎ取られ、皮膚を切り裂かれ──」
おそらく目の前の男もあの時のダンブルドア先生と同じ話をしている。具体的に教えてくれる分、彼の方が幾分か親切だろう。
"危険"という言葉には色々な意味が含まれている。闇の帝王にとって、大きな魔力を持つ魔法使いは邪魔な存在だ。しかし角度を改めて考えれば、非常に魅力的な存在でもあるのだ。もし服従させられたり、彼に従わざるを得ない状況に陥ったら──?自らの手で誰かを傷付けるようなことになれば、それはラインにとって死ぬよりも悪いことだった。
────
「ねぇ、ライン?聞こえてる?」
「──え?」
肩を叩かれて、ようやく自分が話しかけられていることに気が付く。
「貴方、昨日から様子がおかしいわ」
顔を上げると、心配そうに顔を覗き込んでくるハーマイオニーと目が合った。いつのまにか談話室の人影はまばらになっている。魔法薬学のレポートは先程から1ページも進んでいない。手に持っていたはずのキャラメルパイは膝の上に落ち、足元の絨毯に生地がパラパラと散らばっていた。
「ちょっと寝不足なだけ、いつも通りよ」
「ムーディー先生の授業はどうだったの?」
確信を持った響きだった。お手上げだ。この聡い友人に隠し事をするなんて端から無理な話なのだ。
「──45分間、ずっと?」
個人授業の一部始終を聞いたハーマイオニーは、信じられないといった様子で聞き返した。
「本当なの?」
「そうよ、でも──」
「マクゴナガル先生に報告するべきだわ」
ハーマイオニーはラインの言葉を遮り、まるでそれが決定事項であるかのように言い切った。
「授業の域を超えているもの──45分間も服従の呪文をかけ続けるなんて」
ラインはソファから腰を浮かせかけた友人の腕を引っ掴み、必死に頭を巡らせた。もしマクゴナガル先生にこのことを報告すれば、ムーディー先生は授業内容をもっと易しいものに変更するかもしれない。でもそれは自分にとって良い事なのだろうか?もしそれが原因で後悔するような結末になったら──
「でも私、今ここで頑張らないといけないの。だって──貴方の爪を剥がされたくないから」
それを聞くとハーマイオニーはついに立ち上がり、探るようにラインの目を見つめた。まるで正気かどうかを確かめようとしているようだった。なんだか涙が出そうになる。ハーマイオニーは大きく息を吸ってから吐き出すと、まるで子供に言い聞かせるような口ぶりで話し始めた。
「ライン、頑張りたいと思うのは素晴らしい事よ。でもね、せめて休憩を挟まないと──」
「例のあの人も休憩をくれるの?」
思わず口を衝いて出てしまった反論に、彼女は知らない人を見るような目でラインを見つめた。悲しい。そんな目で見ないで欲しい。
「ハーマイオニーの言う通りだ。君、少し休んだ方が良いよ」
突然聞こえた声に振り向くと、いつの間にかロンが背もたれに肘をついてこちらを見下ろしていた。頭の中で「油断大敵!」という怒鳴り声がした──彼は最近、クリスマスの失態を取り戻すのに躍起になっている。ラインは机の上の羊皮紙をくるくると丸めると立ち上がった。
「どこに行くの?」
「ムーディ先生の部屋」
「もう20時だぜ?」
友人達は何か恐ろしいものを見るような目でこちらを見つめたあと、互いに顔を見合わせた。なんだか急に疎外感を感じたラインは、2人の視線から逃げるように談話室を後にした。
――――
「次は3日後の同じ時間!鍛錬あるのみ!」
重い扉を押して廊下へ出る。頭は朦朧とするし、全身がひどく痛い。おまけに右手は8ビートを刻んでいる。今日の個人授業も服従の呪文に抵抗する訓練だった。終盤、ムーディー先生はラインを本気で服従させようとしていたと思う。歴戦の闇払いの気迫を思い出して身震いする。熱心に指導してくれるのは有り難いけれど、彼は少々この呪文にこだわりすぎではないだろうか──?
最後に時計を見た時、時刻は既に21時を回っていた。満身創痍の身体を引きずって歩いていると、廊下の向こうから別の足音が聞こえてくる。生徒達はもう寮に戻っている時間だし、監督生の見回りも終わっているはず──
「── ライン?」
曲がり角から現れた姿を見た途端、安心して身体の力が抜けた。しかし彼はラインの姿を見ると、ぎょっとしたような顔になった。
「来て、医務室へ行こう」
「え──大丈夫よ、何ともないわ」
ハリーはのライン腕を掴み、来た道を戻ろうと引っ張った。しかしこちらは一刻も早くベッドに潜り込みたいのだ。足を踏ん張って抵抗する。
「君、気が付いてないの?その──顔が血だらけってことに」
言われてみれば右頬が痛い気がする。冷やりと感じる箇所を触ると、手が赤く染まった。そういえば、エアードラムの演奏に抵抗した時、頬を机の角に引っ掛けた気がする。
「大丈夫よ、寝室にハナハッカのエキスがあるから。それにこのくらいはよくある事なの」
ハンカチを取り出して頬の血をポンポンと拭き取ると、ハリーは痛そうに顔を顰めた。しかしラインが寮へ向かって歩き出すと、観念したように後ろを付いて来た。
「もしかして、ムーディの個人授業?」
彼はラインの右手を見ながらそう言った。
「そう、妖女シスターズに加入するためにね──貴方は?」
「実は図書室に行ってたんだ。金の卵の謎がまだ解けてなくて」
ハーマイオニーには内緒ね──とハリーが苦笑したのを見て、ラインは恥ずかしい気持ちになった。自分の事に精一杯で、彼が1ヶ月後に第2の課題を控えていることをすっかり忘れていた。決して、自分だけが大変な思いをしている訳ではないのだ。
「私──何も手伝えなくてごめんなさい」
「いいんだ。僕達、自分が死なないようにするだけで精一杯だよ」
彼だって余裕は無いだろうに、ラインに罪悪感を持たせないよう気遣ってくれている。それに比べて自分ときたら──最後に見た友人の顔を思い出すと、心がチクチクと痛んだ。
「ところで──ずっと聞こうと思ってたんだけど、それ、何?」
「この子ね……分からないのよ。今朝からずっと付いて来るの。でも害は無いわ、キャラメルパイをくれるし」
ハリーが訝しげな顔で指差したラインの頭上には、折り紙で作られた鳥のようなものがパタパタと飛んでいた。鳥の脚にはバスケットがぶら下がっていて、そこには山盛りのキャラメルパイが入っている。ハリーはしばらくの間しげしげとそれを眺めると、おもむろにバスケットの中に手を伸ばした。
「──いたっ!」
ハリーの手がキャラメルパイに触れた瞬間、急降下した鳥が頭頂部を鋭く一突きした。彼は何が起きたのか分からないといったように辺りを見回したが、頭上で威嚇するようにホバリングしている鳥を見つけると納得したようだった。
「ひどいな、1つくらいくれたって良いじゃないか」
そう言いながら頭をさする友人を見て思わず笑ってしまう。久しぶりに表情筋を緩めると、強張っていた気持ちがほぐれていくのを感じる。ラインはバスケットからキャラメルパイを取り出し、優しい友人に差し出した。
ラインは冷たい床に転がり、自身に怒鳴る義眼の男を見上げていた。
現状はこの有様だが、最近なんとなく魔力を制御する感覚を掴めてきたように思う。まず心を落ち着けて対象に集中する事。次に成功のイメージをはっきりと思い描く事。さらに大きな魔力が自分に従うと信じる事──これが一番難しい。しかし先生方の熱心な指導の甲斐あり、以前のように手当たり次第に物を爆発させる事は少なくなっていた。そして先日、ついに対人呪文の練習許可が下りたのである。
今日は初めて闇の魔術に対する防衛術の個人授業を受ける予定だった。しかし教室に足を踏み入れた途端、ムーディ先生はラインに杖を突き付けた──挨拶にしては随分と乱暴である。
「立て!命が惜しければ、今すぐに!」
その鬼気迫る様子になんとか自我を取り戻し、気力を振り絞って立ち上がる。ついさっき全力でタップダンスを踊ったラインの両足は、普段使わないところの筋肉を小刻みに震わせていた。
「インペリオ!服従せよ!」
またもや鋭い呪文が飛んでくる──わぁ、なんだか頭がフワフワとして気持ちが良い。辛い事も悩み事も全部忘れてしまった、ずっとこのままでいたい──漠然とした快感が頭の中に霧をかけているようだった。最高に素晴らしい気分を味わっていると、足が勝手に動き出したことに気が付く。ラインはそのまま壁際に辿り着き、流れるような動きで窓を開けた。
──燃やせ、あの木を燃やせ
ムーディ先生の声が頭の中に響く。そうだ、燃やさねばならない。校庭のあの木を──窓から杖を突き出して狙いを定めていると、木の下に見覚えのある姿を見つけた。赤毛の少女が幹に寄りかかり、兄達の雪合戦を眺めている。
──木を燃やす?とんでもない、ジニーがいるのよ
突如、頭のどこかでもう一つの声が言った。もやもやとした霧が少しずつ薄くなる。
──燃やせ!いますぐだ!
その声が聞こえた次の瞬間、全身に激痛が走った。頭が割れそうに痛い。杖が床を転がる音に目を開けると、視界一面に天井が広がっていた。どうやら呪文を唱える寸前に壁を蹴り、そのまま思い切り後ろに倒れたようだ。
「よーし、それでいい」
ムーディ先生が杖を振ると、頭の中の霞は完全に晴れた。頭の痛みは倍になった。ラインはしばらく床に転がったまま、涙で滲むランプの光を眺めていた。きらきらとして綺麗だ──それを見ていると、半月型の眼鏡の奥に覗く、きらきらとしたブルーの瞳を思い出した。
初めて彼に会ったのは昨年の初夏、まだマグルの学校に通っていた頃だった。身の回りで起こる不可解な出来事に慄いていたある日、父と住む家のインターホンが鳴った。ラインは玄関ポーチに立つ彼の姿を見た瞬間、"向こう"の人だと確信した。周囲と比べて明らかに異質だった。彼もそれを隠そうとしていなかったように思う。父が慌ててリビングに招き入れると、彼はしばらく楽しそうにキルトの壁掛けを眺めていた。そして入学準備品リストをラインに手渡すと、穏やかな口調で穏やかではない話を始めたのだった。
「このことが世に知れ渡れば、君は再び"危険"に晒されるじゃろう。身を守るための術を学ばなければならない──」
当時はその言葉の意味を半分も理解していなかった──
「だが、敵は容赦しない!」
突然聞こえた罵声により、ラインの意識は現在に引き戻された。心臓が1拍飛ばした気がする。
「服従の呪文に抵抗出来たところで、次は人質を取られ、お前もろとも拷問される!爪を剥ぎ取られ、皮膚を切り裂かれ──」
おそらく目の前の男もあの時のダンブルドア先生と同じ話をしている。具体的に教えてくれる分、彼の方が幾分か親切だろう。
"危険"という言葉には色々な意味が含まれている。闇の帝王にとって、大きな魔力を持つ魔法使いは邪魔な存在だ。しかし角度を改めて考えれば、非常に魅力的な存在でもあるのだ。もし服従させられたり、彼に従わざるを得ない状況に陥ったら──?自らの手で誰かを傷付けるようなことになれば、それはラインにとって死ぬよりも悪いことだった。
────
「ねぇ、ライン?聞こえてる?」
「──え?」
肩を叩かれて、ようやく自分が話しかけられていることに気が付く。
「貴方、昨日から様子がおかしいわ」
顔を上げると、心配そうに顔を覗き込んでくるハーマイオニーと目が合った。いつのまにか談話室の人影はまばらになっている。魔法薬学のレポートは先程から1ページも進んでいない。手に持っていたはずのキャラメルパイは膝の上に落ち、足元の絨毯に生地がパラパラと散らばっていた。
「ちょっと寝不足なだけ、いつも通りよ」
「ムーディー先生の授業はどうだったの?」
確信を持った響きだった。お手上げだ。この聡い友人に隠し事をするなんて端から無理な話なのだ。
「──45分間、ずっと?」
個人授業の一部始終を聞いたハーマイオニーは、信じられないといった様子で聞き返した。
「本当なの?」
「そうよ、でも──」
「マクゴナガル先生に報告するべきだわ」
ハーマイオニーはラインの言葉を遮り、まるでそれが決定事項であるかのように言い切った。
「授業の域を超えているもの──45分間も服従の呪文をかけ続けるなんて」
ラインはソファから腰を浮かせかけた友人の腕を引っ掴み、必死に頭を巡らせた。もしマクゴナガル先生にこのことを報告すれば、ムーディー先生は授業内容をもっと易しいものに変更するかもしれない。でもそれは自分にとって良い事なのだろうか?もしそれが原因で後悔するような結末になったら──
「でも私、今ここで頑張らないといけないの。だって──貴方の爪を剥がされたくないから」
それを聞くとハーマイオニーはついに立ち上がり、探るようにラインの目を見つめた。まるで正気かどうかを確かめようとしているようだった。なんだか涙が出そうになる。ハーマイオニーは大きく息を吸ってから吐き出すと、まるで子供に言い聞かせるような口ぶりで話し始めた。
「ライン、頑張りたいと思うのは素晴らしい事よ。でもね、せめて休憩を挟まないと──」
「例のあの人も休憩をくれるの?」
思わず口を衝いて出てしまった反論に、彼女は知らない人を見るような目でラインを見つめた。悲しい。そんな目で見ないで欲しい。
「ハーマイオニーの言う通りだ。君、少し休んだ方が良いよ」
突然聞こえた声に振り向くと、いつの間にかロンが背もたれに肘をついてこちらを見下ろしていた。頭の中で「油断大敵!」という怒鳴り声がした──彼は最近、クリスマスの失態を取り戻すのに躍起になっている。ラインは机の上の羊皮紙をくるくると丸めると立ち上がった。
「どこに行くの?」
「ムーディ先生の部屋」
「もう20時だぜ?」
友人達は何か恐ろしいものを見るような目でこちらを見つめたあと、互いに顔を見合わせた。なんだか急に疎外感を感じたラインは、2人の視線から逃げるように談話室を後にした。
――――
「次は3日後の同じ時間!鍛錬あるのみ!」
重い扉を押して廊下へ出る。頭は朦朧とするし、全身がひどく痛い。おまけに右手は8ビートを刻んでいる。今日の個人授業も服従の呪文に抵抗する訓練だった。終盤、ムーディー先生はラインを本気で服従させようとしていたと思う。歴戦の闇払いの気迫を思い出して身震いする。熱心に指導してくれるのは有り難いけれど、彼は少々この呪文にこだわりすぎではないだろうか──?
最後に時計を見た時、時刻は既に21時を回っていた。満身創痍の身体を引きずって歩いていると、廊下の向こうから別の足音が聞こえてくる。生徒達はもう寮に戻っている時間だし、監督生の見回りも終わっているはず──
「── ライン?」
曲がり角から現れた姿を見た途端、安心して身体の力が抜けた。しかし彼はラインの姿を見ると、ぎょっとしたような顔になった。
「来て、医務室へ行こう」
「え──大丈夫よ、何ともないわ」
ハリーはのライン腕を掴み、来た道を戻ろうと引っ張った。しかしこちらは一刻も早くベッドに潜り込みたいのだ。足を踏ん張って抵抗する。
「君、気が付いてないの?その──顔が血だらけってことに」
言われてみれば右頬が痛い気がする。冷やりと感じる箇所を触ると、手が赤く染まった。そういえば、エアードラムの演奏に抵抗した時、頬を机の角に引っ掛けた気がする。
「大丈夫よ、寝室にハナハッカのエキスがあるから。それにこのくらいはよくある事なの」
ハンカチを取り出して頬の血をポンポンと拭き取ると、ハリーは痛そうに顔を顰めた。しかしラインが寮へ向かって歩き出すと、観念したように後ろを付いて来た。
「もしかして、ムーディの個人授業?」
彼はラインの右手を見ながらそう言った。
「そう、妖女シスターズに加入するためにね──貴方は?」
「実は図書室に行ってたんだ。金の卵の謎がまだ解けてなくて」
ハーマイオニーには内緒ね──とハリーが苦笑したのを見て、ラインは恥ずかしい気持ちになった。自分の事に精一杯で、彼が1ヶ月後に第2の課題を控えていることをすっかり忘れていた。決して、自分だけが大変な思いをしている訳ではないのだ。
「私──何も手伝えなくてごめんなさい」
「いいんだ。僕達、自分が死なないようにするだけで精一杯だよ」
彼だって余裕は無いだろうに、ラインに罪悪感を持たせないよう気遣ってくれている。それに比べて自分ときたら──最後に見た友人の顔を思い出すと、心がチクチクと痛んだ。
「ところで──ずっと聞こうと思ってたんだけど、それ、何?」
「この子ね……分からないのよ。今朝からずっと付いて来るの。でも害は無いわ、キャラメルパイをくれるし」
ハリーが訝しげな顔で指差したラインの頭上には、折り紙で作られた鳥のようなものがパタパタと飛んでいた。鳥の脚にはバスケットがぶら下がっていて、そこには山盛りのキャラメルパイが入っている。ハリーはしばらくの間しげしげとそれを眺めると、おもむろにバスケットの中に手を伸ばした。
「──いたっ!」
ハリーの手がキャラメルパイに触れた瞬間、急降下した鳥が頭頂部を鋭く一突きした。彼は何が起きたのか分からないといったように辺りを見回したが、頭上で威嚇するようにホバリングしている鳥を見つけると納得したようだった。
「ひどいな、1つくらいくれたって良いじゃないか」
そう言いながら頭をさする友人を見て思わず笑ってしまう。久しぶりに表情筋を緩めると、強張っていた気持ちがほぐれていくのを感じる。ラインはバスケットからキャラメルパイを取り出し、優しい友人に差し出した。