このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

リドルさんのお母様になりたい!

夢小説設定

この小説の夢小説設定
夢主の名前です。デフォルトだとフランになります。





勉強会の1日前。リドルさんはやけに上機嫌だった。

リドルさんリドルさんと話しかけたときの「なんだい?」という美しい声も柔らかいし、微笑みだってふわふわとしていて、思わずぎゅっと抱き締めたくなるような雰囲気を纏っているものだから。


「リドルさん、今日の夜、お部屋行っても良いですか」

「……ん、うーん……放課後、ボクもキミに用事があったから好都合なのだけれど、ボクの部屋は今少し作業が立て込んでいて……」

「私のお部屋に来ていただくのでも良いのですが」

「ああ、それなら構わないよ。どうしたんだい」

「私、今日一日中、リドルさんとハグしたいなって考えてたんですよ」

「……キミが今日ボクと会話している最中ずっとそれを考えていたかと思うと、いっそよく耐えたと言いたくなってくるね」

「ふふ、よく耐えたでしょう?ぎゅーしましょう」

「……いいよ、今日の夜。あまり遅くならないようにするから、待っていて」


リドルさんの、全てを許すような優しい表情にぎゅうっと胸が締め付けられる。愛おしい。愛おしすぎる。

上機嫌の理由はわからないけれど、彼の方も私に用事がある上で上機嫌なのだから、とりあえず悪くはない要件なのだろう。楽しみだ。

目の前のリドルさんの肩に触れ──、触れた瞬間、まずい、今ハグしようとしていた、と気付いた。

リドルさんは私の表情の変化で全てを察したのだろう、口の前に手をやって笑う。


「っ……ふふ、ははは。キミは面白いね」

「だめだなぁ、リドルさんのこと大好きだから、ベタベタしたくなっちゃいます」

「仕方ないひとだよ、本当に」


じゃあまた夜にね、と言って、次の授業へ角を曲がって行ってしまったリドルさんの背中はしゃんとしていて、とっても綺麗で、でも小さくって、格好良くて可愛くって、なんとも愛おしかった。










こんこんこんこん、と待ち望んでいた音が部屋に響く。私は背筋をしゃんと正した。


「リドル・ローズハートだ。開けて良いかな、フラン?」

「はい、どうぞ」


リドルさんは数秒の合間を開けて扉を開いて、後ろ手に扉を閉める。私は椅子から立ち上がり、リドルさんの方へ歩き、そっとハグをした。リドルさんも私の背に手を回してそれを受け入れてくれるので、ぎゅうと胸が締め付けられる。


「ふふ、そんなに渇いていたのかい」

「自分でも不思議なくらい、あなたに触れたくて仕方がなかった」

「……ひと段落したら、ボクの用事も済まさせておくれ」


そう言ってリドルさんはくつくつと笑いながら私の背中に、こつんとなにかの角を当てる。


「え、……なん、なんですか?」

「はい、これ。キミへの贈り物だよ」


リボンで作った花が端についているお洒落な箱を、手を自分の側に戻したリドルさんは持っていて。

少し恥ずかしげに、不安げに、しかし得意げに私に渡す。


「気に入って貰えると良いのだけれど」


私は反射的にそれを受け取ってから、蹲ってしまいたい衝動に駆られる。

神さま、ちょっと待ってください。私はキャパオーバーです。


「……ふふ、まだ開けてもいないのに、真っ赤じゃないか」


リドルさんは私の頬に視線をやって、楽しそうに笑う。恥ずかしくなってしまって片手で髪の毛を使い、顔を隠した。


「……開けるの勿体ないですね」

「開けておくれ、キミの反応が見たい」


リドルさんの視線はあまりにもまっすぐ私の瞳を見つめていて、ああ、見られている、と感じた。

この人は今、〝私〟を見ている。私を通して私の母親を見ているのではなく、またあの時の様に彼の母親を見ている訳でもなく、あまりにもそのままの、私を見つめている。

こんなに気持ちがいいのか、と思った。好きな人に自分をそのまま見てもらえることは。ましてや、自分のあげたプレゼントを貰った時の反応をそんなに注意深く見るなんて、あまりにもリドルさんの瞳が、私の心に近すぎると思った。

心をそのまま覗かれている私は、彼にはやく私の喜んでいるところを見せてあげたくて、震える手で包み紙のセロファンを剥がし、包み紙を畳んで小脇に抱え、箱を開けた。


ふわりと、甘い薔薇の香りがした。


箱の中には瓶と、もう一つ箱があって。

手にすっぽり収まるくらいのサイズの瓶を手に取って中を見ると、薔薇の花びらの表面に砂糖が浮いている──薔薇の砂糖漬けだった。


「キミ、紅茶が好きだと、ケイトに聞いていたから」

「……」

「ボクが部屋で個人的に育てている食用の薔薇の砂糖漬けだよ。砂糖の代わりに紅茶に入れると、中で咲いて綺麗だよ。トレイにも一応手順なんかは確認して、味見もしてあるから……大丈夫なはずだ」

「……素敵です、ありがとうございます、本当に」

「まあこちらは添え物というか……そっちの箱も開けてみておくれ」


リドルさんに促されるまま、ベッドに箱本体を置いて、中に入っていた小さな箱を開けると。

ハートと薔薇のアクセサリーのついた赤と黒のチョーカーが、入っていた。

数日一緒に暮らして、そろそろ見慣れたデザインのそれが、箱に入っていた。


「一応、着けて貰えるかな。サイズも、大丈夫だとは思うのだけれど」

「……はい」


リドルさんがマジカルペンを軽く握って魔法で出来ていたチョーカーを消すので、数日ぶりになにもついていない、いっそ違和感すら訴える首にチョーカーを添えると、後ろで留めるタイプであるが故にリドルさんが手伝ってくれようとするので、私はベッドへ彼に背を向けて座り、髪の毛が邪魔にならないよう集めて前へ持って行った。


「……留まったよ。キツくないかな」

「大丈夫です。なんにもつけてないのと変わらないくらいです」

「それはよかった」


リドルさんは姿勢を正して、腕を組んで、何故か言い訳をするみたいに。


「……結局のところ、外から魔法を使えない状態だと思われるようにすればいいだけだし、魔法を使えないのは不便だろうし、それにキミ、デザインを気に入ってくれたみたいだったから、魔法を作る時に設計した外見と同じチョーカーを用意して」

「……」

「それで、初めてのプレゼントがチョーカーというのはちょっとどうかと思ったから、薔薇の砂糖漬けを作ってみたのだけれど」

「……」

「……どう、だろうか」


リドルさんは肩を竦めて、照れ臭そうに。

そんな彼の子どもみたいな表情を見て、私は、今死んでしまいたいと思った。それと同時に、最上級の喜びをそんな言葉にしか表現できない自分を心底恨んだ。


「とっても素敵、です」

「!……よかった」

「……紅茶、今淹れても良いですか」

「ああ、もちろん大丈夫だよ」


リドルさんに手で椅子を勧め、私も対面する形で椅子に座り。

解禁された魔法でティーポットの中に水を入れ、70度くらいまで温めて、茶葉を入れて、ゆるくティーポットを回して。

瓶を開け、入れてあった小さなトングで一つ砂糖漬けの薔薇をそっとティーカップに入れ、ティーカップに紅茶を優しく注ぐと。

砂糖が紅茶の中に揺れる陽炎を作り、ふわり、春が来たかのように、薔薇がそっと花開いた。


「……綺麗」


まるで譫言のような声だ、と自分で思った。

ティーカップを二、三揺らし、陽炎をカップ全体に広げてから、そっと口をつけた。

鼻に抜ける薔薇はあまく気品のある香りで、舌に残る微妙な甘さは砂糖のものなのか、残り香なのか。

ほうっと一つ息を吐いた。


「……美味しいです、すごく」

「……良かった」


リドルさんの安心したような、リラックスし切った微笑みに、それが混じる声に。

もう一口軽く紅茶を口に含んで。


リドルさんの唇へ唇を付けた。


リドルさんの顎へ手をやり上にあげると、ごく、とリドルさんが反射的に口内のものを飲み下すのがわかる。

そっと、唇を離した。


「美味しいでしょう?」

「ああ、……」


リドルさんが赤くなるのを待たずに、再度唇を付け、そっと離す。ちゅ、とリップ音がした。リドルさんの手はまだ自らの膝にあるままだ。

私は、私は、ポケットの中のマジカルペンを指でなぞって。

もう一度リドルさんへ唇をつけ、今度はリドルさんへ、私の真っ赤な愛を。

リドルさんの口の端から垂れる真っ赤な雫へ口をつけて吸い、再度リドルさんへ唇を合わせる。ねえ、溢さないで。


ごく、という音が静かな部屋に、致命的に響いた。


リドルさんが真っ赤になって目を見開く。やっと、状況を理解したらしい。

しかし、私のしたいことはもう終わっていた。

リドルさんの肩を抱いて、彼の頭を優しく撫でる。頬に、首にキスを落とすと、尚も赤くなる。

しかし緊張している様子はあまりない。恐らく、私の魔法のおかげだ。


「……愛してます、リドルさん」

「……」

「だいすき」


リドルさんは、リドルさんの肩についている私の肩へ、手を回してくれた。

言葉は要らなかった。

私が彼の頭を撫でる手を止めると、とろんとした瞳がこちらを向いて、私は少しだけ驚いた。彼のそんな瞳を見るのは初めてだった。──いや、似たような瞳は見たことがあるけれど、ここまでリラックスし切った顔は見たことがなかった。


「……」


リドルさんはもうなにも考えられない様子でとろとろと私の肩に回した手に力を入れたり、私の髪に触れたりして甘えている。

ぎゅうううと胸が引き絞られるように痛んだ。愛おしい!愛おしい、愛おしい、愛おしい。守らないと。この子を。私が。


「リドル」

「ん?」

「私のかわいいリドル」

「ん……」


私が頭を撫でてやると、息を吐いて本当に気持ちよさそうにする。リラックスし切った彼は、こうなるのか、と衝撃だった。自分を愛している存在しか居ないと確実に判断出来る状況での彼は、こんな。

勝った、と思った。おい、私のリドルを長い間いじめてた女。お前は子供に子供らしいことをさせることも出来なかったんだろう。お前こそ、子供からやり直せばいい。いっそ、私がお前のママになってやろうか?なんて嗤いが出た。


「……満足したかい」

「……もう少しだけ、だめですか」

「……いいよ」


いいよと言った彼が私の袖を摘む。彼としてもまだ一緒に居たいと、そう思っていると判断していいのだろうか。


「このまま一緒に寝たいな、リドルさんと」

「……だめだよ、見付かったら」

「朝早く起こしますから、このまま一緒に寝ましょうよ」

「……」

「ね、リドルさん」


「……服は」


その言葉に、私は歓喜を覚えた。あのリドルさんが、私に今、流されようとしている。


「私のパジャマがあります」

「……サイズが」

「大丈夫ですよ。運動したりする訳じゃないんですから」


そう言いながら箪笥からパジャマを出し、リドルさんのブレザーとシャツを丁寧に脱がせて、上から着せる。ブレザーとシャツはハンガーへ綺麗に掛けておいた。下は流石に自分でやりたいだろうと膝にパジャマを置くと、大人しく着替え始める。

私も手早くパジャマに着替えて、足の丈も腕の丈も余っている、そして余っている袖をぷらぷらさせている世界でいちばん可愛いリドルさんの手を取り、ベッドへ誘った。


肩まで布団をかけてやると、リドルさんはふうと安心したような吐息を出す。


「おやすみなさい、ゆっくり眠れますように」

「うん……」


リドルさんは私の胸の中で、頭を撫でられながら眠りに就いた。

そんなことが、できてしまった。

できてしまった。


(これ、もしかしてとんでもない魔法だったりしないのかな……)


私は電気を消し、リドルさんの頭を撫でながら一人考えたが、自分の中に達成感があることの他はなにもわからなかった。










メイクを落としていないし、落としたところをリドルさんに見られるのも嫌だし、リドルさんの可愛い寝顔をずっと見ていたいしリドルさんの丸い頭と小さな肩をずっと撫でていたいしで、私は結局一睡もしなかった。

朝日が出て暫くして、私はリドルさんの額に一つ静かに唇を落としてベッドから降り、軽くシャワーを浴びて髪を乾かしてメイクをして、制服のシャツとスラックスだけを着て紅茶を淹れる。

リドルさんに貰った薔薇を入れるかどうか迷うが、いつまでも勿体ぶって使わなさすぎるとリドルさんに口に合わなかったのではと誤解される気がしたので、朝から素敵な気分になる免罪符を得た。


薔薇の上に紅茶を注ぐ。薔薇は喜ぶみたいにふわりと花を咲かせて、蕾の中に隠されていた甘い砂糖と薔薇の香りを紅茶に溶かして、美味しくしてくれる。


(……本当に、素敵な贈り物)


しかもリドルさんは自分が育てていた食用薔薇だと言った。それを甘い甘い砂糖漬けにして私にくれるなんて、いっそ花束を貰うよりよほど情熱的だと思った。

ベッドに腰掛け、リドルさんの甘やかな、天使みたいな寝顔を見つめる。呼吸する、空気を吸って吐いて息をする胸の動きに、朝日がカーテン越しに薄く差し込む。まつげのゆるやかなカーブが、いつも張っているその背筋のたわみが、小さな手が、愛以外なんにも知らないみたいな唇が、その一つ一つが、全てが、幸せになって欲しいと、私に心からそう思わせるものだから。


(彼が幸せになるためには私になにができるかしら)


やっぱり、リドルさんが縛られているものからリドルさんを引き摺り出してあげることが必要だと思った。

そしてその上で、引き摺り出さなかった時と同じような人生を自分で選択することが重要だと思った。

魔法が使えるから、どこかから出された命令を一月に二、三請け負ってその報酬でゆっくり細々と生活することも出来るだろうが、リドルさんがその生活に劣等感や罪悪感を感じないとは思えない。

というかいっそ今突然二人でNRCを出て行ったところで私が仕事をすればリドルさんと自分くらいなら養える。魔法の力はそれだけ貴重で、私だって優秀な魔法士の括りには入るのだから。

私がお仕事から帰ってきて、リドルさんがおかえりと言ってくれることを考えると素敵な気分になる。リドルさんの為に頑張りたいと思うが、リドルさんはきっと養われてくれない。というより、養われることに酷くストレスを感じるタイプ──私と同じ──だろうから、ただの妄想なのだけれど。

その上リドルさんは魔法医術士にならなかったら、そのことを一生引き摺る気がした。

私にできることは、あんまりないけれど。

リドルさんのまるい頭を撫でる。この中には私の全部よりきっといっぱい詰まっている。でも、この子に愛情以外なにが必要だったのだと、そう問い質したい気持ちに駆られる。

こんなに、こんなにかわいいのに、どうしてあんな、なんでもしますから愛してくださいお願いしますという愛に飢え切った痛々しすぎる表情を、発言をする子にしてしまったのだろう。どうしてそんなことが出来たのだろう。

それだけが本当に、いくら考えてもわからなかった。


「愛してますよ」


りどる、と口の中で転がす。飴玉のような、ガラス玉のような響きだ。繊細な、純粋な、綺麗な、まるい。



「幸せに、幸せになって、ね」



ただ、希うのはそれだけだった。



どうして私はこの子のママじゃないんだろうと思った。

どうして私はこの子の家族じゃないんだろうと思った。

どうしたら私はこの子を幸せにしてあげられるのだろうか。

どうしたらあなたの進もうとしている茨の道を先導して、せめてあなたが傷付かないようにしてあげられるのだろうか。


そんなことを考えながら、ほの赤い、まるいかわいい愛おしい頬を撫でる。

所詮他人の自分では、彼の人生の責任をとってあげることができないのが歯痒い。

彼の絶対の味方になってあげたかった。

彼のママになってあげたかった。






「……キミは」


びっくりした。椅子に座って微睡んでしまっていたみたいで、リドルさんの声にはっと目を覚ます。


「……あ、はい。おはようございます、リドルさん」

「……」


リドルさんは、こちらをしっかり見ている。

しっかり見ていて、何か言いたげな様子だ。余計なことを言って彼の思考を邪魔することを考えて、自らの口にぬるくなってしまった紅茶を向ける。


「……知っているよ、キミのことを」

「……」


酷く言い辛そうな、苦しそうな様子でリドルさんが口を開く。何のことを言っているのかわからない。しかし、彼がこちらの反応をとても気にしている気がして、軽率に何か言う気にもなれなかった。


「……こっちに、来てよ」


リドルさんの言葉に、弾かれたように私は立ち上がりカップを置き、ベッドの方へ行く。リドルさんの手を両手で握った。


「……わかって、おくれ」


泣きそうな声だった。

わかってあげたかった。しかし、しかし私にはわからないのだ、さっぱり。わかってあげたいのに。


「……ボク、言葉にするのがすごく苦手だ」

「大丈夫ですよ、いつまででも待ちますから、ゆっくりで」

「……いや、苦手なんじゃないんだ。言葉にするのを恐れてるだけなんだよ。形にして、吐いたら、それは確定させないといけないから」

「真面目ですね。……大丈夫、私しか聞いていません。少しくらい嘘を吐いたって、その場の勢いで言葉を吐いたって、心にないことを言ったって、リドルさんが撤回すると言ったら撤回させてあげます」

「キミを愛している」


リドルさんの声は、絞り出すように苦しげだった。

しかし言った後に、何か肩の荷が降りたかのようにリドルさんは息を吐き、さっと頰に血を通わせる。


「……私のユニーク魔法のせいも、あるかもしれませんね」

「……そうだね、否定は、しないよ」


その言葉に、堪らない気持ちになった。〝わかってくれていた!〟魔法の効果をわかっていて、影響を受けているかもしれないとわかっていて、それでも、愛していると!

抜けてから冷静になってから言うって判断をしてもよかったのに!それでも、怖くても、確信を持って。確信を持てたから!

涙が出そうになった。ちょっと出た。


「……心の底から、嬉しいです」


リドルさんの頬へ唇を落とす。


「私もリドルさんを愛しています」

「……」

「一方的な愛情は負担になるので、リドルさんが私と居て嫌ではないか、いつも気になっていて」

「……」

「よかった、嬉しい。近くにいて、こうして触れて、良いんですね」


にこにこがとまらない。触れられるのが嫌ではないか、ずっと怖かったから。でも、その怖さより、彼に一緒にいることを、彼の味方だということをわからせてやらないといけない、という使命感の方が強かったから。

そしてそれは、言葉だけでは不十分な気がしたから。


「……フラン

「はい」


俯いた彼の顔は見えなかったが、水滴が落ちるのは見えた。


「一緒に、いて、どこにも、いかないで」


ぎゅうう、と、胸が苦しくなる。喉の奥に何かが詰まっているみたいだ。息ができない。苦しい。苦しい。

呼吸ができないまま、彼を抱き締める。少しだけマシになった。息が吸える。けど、酷く震える。

苦しい。すごく、苦しい。

私のシャツの裾を恐る恐る掴んで手繰り寄せる彼の手が、本当に苦しい。

どうして、嬉しいのに。嬉しいはずなのに。こんなに。


「キミの、気持ちが、わかったんだ」


呼吸ができていないから、あんまり頭が回らない。少し待って欲しい。


「ねえ、もう一回、あれをやってほしい」


シャツの襟を摘まれる。涙の跡のある彼の顔はほの赤い。

長いまつ毛がそっと下に向き、近くに来て、唇に唇をとん、と重ねられた。しかしすぐに不満げに離されて。


「……はやく」


何を強請られているかなんて、頭を使わなくたってわかるのだ。






「聞いたんだよ、ケイトに、トレイにも、キミの話を」


はあはあと息を継ぎながら、まだ口に残るそれをごくりと飲み下してリドルさんは言った。


「キミのことを聞きながら、キミの話をしながら、ケイトとトレイと、キミに贈り物を作ったんだ」


リドルさんが胸を私に押し付けて尚も強請るので、スラックスのポケットの中のマジカルペンをぎゅうと握りながら彼に口をつけ、与えてやる。

喉の音があまりにも愛おしい。


「っ……ふ、少しでもキミの役に立ちたいと……喜ばせたいと、思った」


リドルさんは私の胸に頭をぐりぐりと押し付けて甘える。私はマジカルペンから手を離して、リドルさんの肩と頭を抱いた。


「キミの望む通りに振る舞いたいと思った」


彼は言葉を続ける。辿々しく、しかし、しっかりと。積もった雪に残る足跡のように。


「ボクはキミのお母様なんて知らないんだ」

「……」

「ボクはキミを、キミをちゃんと見ているよ」


苦しい。

事なかれ主義の彼が、言ったのを私に知られるとわかっていて、口止めをわざわざしていたのに、そのことを話した。

絶対に良い方向に転じると思ったから。彼に利益なんてないのに。


「だから、ちゃんとわかってほしいんだ」


リドルさんの瞳が。綺麗な瞳が私を見ている。彼の瞳に、私が映っている。


「キミも、キミ自身を、ちゃんと見て」



嫌。






「ボクのお母様は、もう、居るんだよ。だから、キミは、キミで居てよ」


────





「捨ててくださいよ」


吐き捨てるような声が出た。リドルさんの肩がびくりと震える。ごめんなさいと彼の後頭部を撫でるが、私は。


「ねえ、わかってください。あなたのお母様は、あなたのことを愛してなどいないのですよ。それなら、その席にそんな人を置く必要なんてない。その席は、もっと、リドルさんが自分を好きになれるような人を置く場所です」


その人のことを考えるだけで、その人からいでた自らを考えるだけで自分を肯定できるような、尊敬できる人を置く場所です。


「子どもの親に対する盲目的な愛情は、子どもが自分を誘拐した誘拐犯に愛情を抱くのと同じ構図なんですよ。酷いことをされたって、その人にしか頼れないから、心が自分を守ろうとして、気に入られるように振る舞うように。あなたが母親に対して向けているそれは、防御反応でしかないんですよ」


私はそれに気付けた。気付けて、あれだけ必死に父に気に入られようとしていた日々が、どれほど罪深いものだったかを知った。父は大罪人だった。あなたのお母さんも私の父と同じ大罪人だ。


大罪人をその席に置くべきじゃない。


だから、私は悪いことをしていません。良い子にしていたでしょう?今まで、生まれてこのかた、ずっとそれが欲しくって頑張ってきたんです。だから、


その席を。




「……そうだったとしても、お母様は、お母様だから」



彼の諦めたような、微笑み混じりの優しい優しい声音の美しいこと!

どうして、どうして、どうして、許されているの。そいつを許せているのはどうして。ねえ、ねえ。どうしてそんな無償の愛を、そいつに向けることができているの?

あなたのお母様は悪いことをしました!
わたしのお父様も悪いことをしました!

だから、だから、ねえ。憎むべきでしょう。
どうして。
どうしてあなたはもう許せているのですか。



「ずるいよー!」

「!」



「リドルさん!ひとりにしないでください!置いていかないで!」



羨ましい。妬ましい。憎らしい。眩しい。羨ましい!羨ましい!!羨ましい!!!

私もお父さんを許してあげたかった!憎みたくなんてなかった!だってお父さんのことを大嫌いになるには、お父さんと一緒に育てて、一緒に食べたトマトは美味しすぎたし、お父さんが美味しいと思ったものを必ず私に一口くれようとする癖も愛おしすぎた。

お父さんが悪い人じゃないことなんて知ってた。お父さんは、ただ一人の人を愛しすぎてしまっただけで、ただの可哀想な、置いてけぼりの一匹だった。

お父さんのスーツにアイロンをかける。お父さんの為に料理を作る。お父さんの為にお風呂を沸かす。お父さんの愚痴を聞いて慰める。お父さんはお酒を飲むと母親の名前で私を呼んでキスをした。苦ではなかった。頼られて、甘えられて嬉しかったくらいだった。全然大丈夫だった。本当に大丈夫だった。子どもに大人の役割を求めた父を愚かだと知っていた。でも、父だって寂しかったのだ。私だって寂しかった!

全部わかっていた。全部わかっていたから、私はお母さんになりたかった。私はお母さんが欲しかった。父も私じゃなくてお母さんが欲しかった。だから、私はお母さんになりたかった。

お父さんが私をお母さんとして扱おうとするから、子供じみた振る舞いを自分に許せなかった。お父さんのことを名前で呼んでいたけど、心の中ではずっとお父さんと呼んでいた。それは〝私〟を守る為の、必死の抵抗だった。

子供であることを自分に許せなかった。でもお母さんが欲しかった。お母さんなんてどこにも居なかった。材料は似てるのがあった。もう少しちゃんとしたのが欲しかったけど、でもそれしかなかったから、私は私でお母さんを作った。でもあんまり良い出来じゃなかったから、ちゃんとお母さんになりたかった。それで全部解決する筈だった。

愚かな父親を許せなかった。何も知らないまま私を置いて逝った母親を許せなかった。どうして許せないのだろうと不思議だった。誰も悪い人なんて居ないのに、それを知っているのに、私は父のことも母のことも許せなかった。

そこで、気付いてしまった。だって、私が〝私〟を許せていないのに、それを生み出した人間を許せる筈がなかった。

だから、いつかは、いつかは自分も許してあげたかった。今はまだ難しいけれど、時が経てば、私がもっと色々な人を知って、色々なことを見たら。大人になったら、許せるはずだった。だって大人って、そういう生き物でしょう?許すのが、大人なんだから。

リドルさん、リドル。私たちは一緒だと思っていたのに。ねえ、だから、私があなたのお母さんになって、嬉しいでしょ?ずっと欲しかったんだから。あなたに大人として扱われたら、大人になれる気がするの。だからまだ置いていかないで。だって一回も愛されたことがないから、大人になんてなれるはずがないのに。

私は私のお母さんになれなかったけど、あなたのお母さんになれたら、私はちゃんとお母さんになれるから、だから。


リドルさんだけ大人にならないで。


いかないで。まだ許さないで。ひとりにしないで。





「馬鹿だよ、キミは」


リドルさんは、私のことを見ていた。

あの、優しい、優しすぎる表情で。


「居るじゃないか、ここに」

「……」

「一緒にいるから」

「りどる」

「一緒にいておくれ」


苦しい。

苦しい。苦しい。どうして。どうしてこんなに苦しいのだろう。苦しくなりたくない。もう優しいことを言わないでください。大好き、リドルさん。大好き。


「キミが、ボクに自分を重ねていることには、気付いていたよ」

「……どうして」

「だって、欲しいときに欲しいことを、言ってくれるから」


それは、あまりにも。


「キミも欲しかったんだろうと、すぐにわかった」

「……」

「だから、キミの欲しいものをあげたくなったんだよ、ボクは」


でも、と彼は続ける。

頭が回らない。


「キミが欲しいのは、もっと分解してみれば、単純なものだっただろう」

「……」

「キミに注がれたものが、教えてくれたんだよ」

「……」

「ねえ、ちゃんと言ってよ」

「……」

「答えはもうさっき提示したんだから、怖くないだろう」


ね、と私の頭を撫でる手は、小さい。

小さいのが、本当に苦しかった。

私よりずっと小さいのに、この人は。どうして。


「嫌だ」

「……どうして?」

「それは、あなたの背中に、もっと重い荷物を載せる行為でしょう」


あなたの小さな背中に、どれほどの重さのものがあるか私は知らない。計り知れない。考えるだけで恐ろしい。

私はそれを増やしたくなんて、絶対になかった。だから、関係性を結ぶなら、私が持ってあげられる、守ってあげられるような立場になりたかった。


「……キミは、ボクのことを誤解しているよ」


リドルさんは、そう言いながらも自分のことを考えてくれて嬉しいと顔で言っている。


「持ちたくて持っているんだよ、全部」

「捨てる選択肢がないだけだ」

「捨てない覚悟がある、と言ってほしいね、ボクのことが好きなら」


……その言い方は、ずるかった。


「……ねえ、本当に持ちたいんですか、こんなもの」

「ボクの方が言いたかったんだよ、そんなこと。キミに初めて言われた時に」

「あなたは魅力的だ」

「キミも魅力的だ」


喉が詰まる。

見ている。リドルさんが、私を見ている。ちゃんと、私を見ているのに、そんなことを言わないでほしい。そんなの、信じられない。怖い。けれど、それ以上に私はリドルさんを信じていてしまっていたから。

理解せざるを得なかった。


「……ぁぃ、して、……います」

「そっちは何度も聞いたよ」


言えなくて言葉を逃すと、ちゃんとそれを叱ってくれる。

手が震える。息が震える。怖い。大丈夫だとわかっているのに、この言葉を言うのはこんなにも怖い。


「……ああ、ボクが言っていないから、言えないのかな」

「……え、」

「キミに愛されたいよ、ボクは。今愛されているのを知っている。これがずっと続いて欲しいと思う。その為に努力したいと思う」

「……愛して、いますよ」


じんわりと胸が暖かくなる。必要とされることの、なんと素晴らしいことだろう。自分はここにいていいと思えることの、なんて素敵なことだろう。

彼にもその感覚をあげたいと思えた。


「うん。……ほら、大丈夫。すまないね、ボクが簡単に言えたのは、キミの……愛……情、表現が、多かったからだね。ボクはまだ少ないから、それは不安だろう」

「どこが!」


あれだけ愛情たっぷりの目を私に向けておいて、あれだけ愛情たっぷりの言葉を吐いて贈り物まで作って、どの口が言っているのだろうと思った。私はそこまで馬鹿じゃないと、腹が立った。


「愛されたいですよ!あなたに!ずっと愛されたかった!自分にそこまでの価値があると思えませんけど」

「キミが思わなくたって、ボクが思っているから」

「……」

「これはキミが教えたことなんだよ」

「……裏切らないようにします」

「うん、お互いに、そうするべきだ」


私たち、やっぱり似た者同士だったんですかね、と思った。

彼もそれを思っていることを、信じていた。


9/17ページ
スキ