リドルさんのお母様になりたい!
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錬金術の授業は、楽しい時と楽しくない時の差が激しい。
「おやおや、これはこれは。今日のペアはフランさんでしたか。優秀な方で何よりです」
「あはは、私よりよほど優秀な方にそう言われるとなんだか嫌味にすら感じますよ」
「うふふ、ご冗談を。前回のテスト総合点、三点差で僕の負けでした!泣いてハンカチを噛んでいたと言うのに!」
「経営者をやりながらそれですからねえ……私はただ机に齧り付いて、それでもリドルさんには負けているのですから、なんというか……」
「褒めるのが上手でいらっしゃいますねえ」
今日は楽しくない日かしら、と頭の片隅で思う。
絶対に私のことを見下している癖にわざと自分より上に上げようとする仕草がいつも気に食わない、同じクラスのアズールさん。
故郷に人外が少なかったせいで、獣人や人魚と言った種族にはなんとなく親近感を覚えていたが、結局どの種族も同じなのだな、と微かに落胆を覚えたのは彼の言動を見たからだった。
「リドルさんと最近仲が宜しいようで」
「ああ、はい。そうですね」
「ハーツラビュル二大頭脳なのですから、手を組めば宜しいのにと前々から思っておりました。来年はハーツラビュルの副寮長は間違いなくあなたでしょうし、ねぇ?」
「あ、あははは……」
こう言う風に過剰に褒められるのが心の底から苦手なのだけれど、人の話を遮るのも同じくらい苦手なものだから苦笑するほかない。
早く終わってくれ。
「ところで、寮生活で何かお悩みなどはございませんか?」
ほら来た。
ああ、来ると思った。と言うか、来るのを知っていた。この彼は、悩みがある人間を見抜くのが非常に巧いから、ペアになった時点で来るものだろうと薄っすら考えていた。
私を褒めて口を軽くしようとしたのは悪手だったと言わざるを得ない。打算的な人魚に褒めようとして褒められたって、何が狙いだ以外の感想はないのだ。
しかし、彼は──使える。使えてしまうから、困るのだ。
「以前差し上げた、性別の転換薬はまだ使用されていないのですか?」
「いやぁ、期限が1日となると、お守りにしかなりませんからね」
「保存が効く製法で作って良かったです。以前もご提案しましたが……そろそろ如何です?永続的なものは未だ難しいですが、コンスタントに僕が提供する変身薬を飲み続ければ、ずっと女性で居られますよ」
ああ、何度聞いても本当に魅力的だ。
卒業まで考えられるからと、だらだらと決断を先延ばしにしているけれど。しかしこの身体のまま卒業まで過ごすと考えると、それすらもなかなか絶望的に感じる。
「……対価は、変わらずですか?」
「はい。あなたのユニーク魔法を。……あなたのユニーク魔法の利便性が他生徒にまで知れ渡ってしまったのは、少し残念でしたがねえ」
破格だとは思う。少なくとも私には、どんな手を使っても性別の転換薬をコンスタントに作ってずっと女性で居続けることはできない。私のユニーク魔法にそこまでの価値があるとの計算は、彼の見聞の広さと交流の広さから弾き出されたもので、たったひとりの私からすれば飛び付いていい契約だった。
でも、自らの母親と非常に似た性質の──練度は足りないけれど──ユニーク魔法を捨てると言うのは、私にとって、母親を捨てるのと同義で。
よよよ、と彼は泣き真似をして見せる。
哀れみを覚えなければ精神ですら優位性を保てず、自分の心を守れないからかもしれないけれど。
「勿論、以前差し上げた魔法薬をお使いいただいた後にご契約していただければ良いのですが」
「……酷い人だ。一度変わってしまえば、戻るのが恐ろしくなるに決まっている」
「いえいえ、僕はそんなつもりはなく、ただ試供品をお使いいただいた後に、納得づくでご購入いただけると、こちらとしてもホワイトな商売ができて気分が良いと」
「……でも、そろそろ、本気で、考えてみます」
私は彼に笑顔を向ける。
「おお、ご検討いただけるのですか?それは何よりです!性別違和はお辛いでしょう、僕たちの様に魔法薬で自由に変えられる選択肢も無ければ、その身体は窮屈で窮屈で仕方がないだろうと心配していました」
「……」
「僕たちは自分の意思で人間を選んだのに、それでも不便で苛立ちますからね。それが自分の意思でないとなれば、まして戻れないとなれば、どれほどお辛かったか……」
私は褒められるのも苦手だが、打算的に同情されるのも苦手らしい。今はじめて知った。
いや、彼の心では全く思っていない感じが、全ての言動になんとなく苦手さを感じさせているのかもしれないが。特定の言動が苦手というより、アズールさんが苦手という方が近いかもしれない。
「……おやおや、本気で言っていると思われていない様子ですね」
「あはは」
「僕は本気であなたを心配しているのですよ。酷いです、ションボリ」
……うーん、やはり苦手だ。
哀れみながら見下すのは、私も苦手な相手にやるから人のことを言えないけれど。
母は、所謂ファムファタールだった、と父はよく語って聞かせた。歌って踊って、その場に居る全員の目を惹き付けながら美しい足を伸ばして羽のような髪を揺らして、しかし今にも消えそうな表情をするような。
誰もが彼女に夢中になって、しかし近寄ると火傷では済まない怪我をして帰ってきた、と言った。
「よくある異種婚姻譚ですよ。フラミンゴの鳥人と、人間の」
「……」
「人間の世界で言う婚姻関係とは、違いますけど」
彼女の頭が悪ければまだ話ははっきりしていた。しかし彼女はどこまでも神に愛されていた。夕焼けの草原の辺境に生まれて、10代の半ばにやっと都会に出て、まともな教育を受け始め、しかし同世代の誰より優秀で、器用で優しくて美しくて、しかし時折見せる儚げな微笑みが、誰もを虜にして。
彼女は誰にでも愛された。だから、自らを与えるかの様に、誰とでも関係を持った。父もその一人だった。
当然、彼女が習慣で産んだ卵のうちのいくつかは、無精卵ではなかった。しかし彼女はその可能性に思い至らなかったのか、自宅のゴミ箱にそれを割りもせず放置していたから。
母に心から恋していた父は、それをいくつか盗んだ。
それから1週間もしないうちに、母は死んだ。呪いだった。複数の力の強い魔法士に同時に呪われて、骨までどろどろに溶けていたと聞いた。
そして、もう居ない母
父との血の繋がりは、調べていない。
「父も、今はもう引退していますが当時はそれなりに優秀な魔法士だったので、母への余波で私にも薄く掛かっていた呪いを必死に解呪してくれて。ミドルスクールまでは本当に過保護で、先生に呆れられるくらいで」
しかし私が成長するにつれて少しずつ、違和感は膨らんでいったらしかった。性格が違う。喋り方が違う。体つきだって違う。よく似ていた声すら、似ても似つかなくなった。身長は父さえも越えそうだった。父がふとした瞬間に自分の愛する女性と、私の差を感じて虚しくなっているのを知っていた。
父が本当に、可哀想だった。
私は彼を癒してやりたかった。
彼を癒せるのは母だけだった。
母ではなくてすみません。これ以上成長したくない。男になりたくない。頑張りますから。頑張るから、お父さんも私をゴミ箱へ捨てるのはやめて。今度こそ、一人になっちゃうから。拾ったんだから捨てないで。
頑張りますから。頑張れますから。
ごめんなさい。
捨てないで。
「でも、聞いてくださいマダム。私って、自分で思ってるよりすごく強くて」
「どうしたの?」
「私、お父さんのこと大嫌いになれたんです」
だから、父と距離を取る為に寮に入って、父に対する復讐として、男子校を選んで。
NRCに決めたと言った時の父の顔は、今思い出しても笑える。
「……で、なんにもなくなっちゃった」
NRCに入った当初は、長年行われてきた尊厳の陵辱に対する復讐が出来たと、私は今やっと〝私〟を生きていると、とても清々しい気持ちだったけれど。
ふと考えてみると、言うほど私にはやりたい事がなかった。
またもっと冷静になってみると、生きる必要があるほど〝私〟なんてものは無かった。
まだ、見たこともない自らの母親を必死に模している方が、有意義な気さえした。
「でも、私の父親は間違っていたんです。絶対に。それは間違い無いんです」
だから、リドルさんを見た時、〝これだ〟と思ったのだろう。
だから、私が教えてあげようと思った。きっと、真実のキスで目が覚めるように、私が本当の愛を与えてあげれば、リドルさんも自らの母親をちゃんと客観視した結果、きちんと嫌いになってくれると思った。
私が単に、一人で寂しいだけだったのかもしれないけれど。
「一人だったら迷子だけど、二人だったらデートでしょう」
私は親の敷いたレールを外れたところでやりたい事がなかったけれど、それはきっと一人だったからだと思った。
きっと二人なら、どちらかが悲しんでいる時に肩を抱いてやりたいと思うし、安心させてやりたいと思うし、そうすれば自ずとやりたいことが見えてくると、そう思った。
「私に愛情があって本当に良かった」
「素晴らしい!愛情があって良かった!」
「ええ、愛情があって良かった。マダムにも、愛情があって良かった」
私の言ったことの9割は理解していないであろうマダムがばたばたと羽ばたいて、それでも自分が褒められたのに気付いて大きく拍手をするみたいにしてくれるものだからにこにこしてしまう。
ポムフィオーレとハーツラビュルに適性があった私が、ハーツラビュルを選んだ決定打、それはこの当番の存在だったりして。
……自分でも、母親に執着しすぎていると思う。
いいです。雁字搦めのまま生きる決心は、ついているんです。この事については。
雁字搦めだったところで、それが苦しくないなら、それは抱擁って表現していいはずだから。そう、私は信じているから。
抱擁が毒になる場合だってあるけれど──と、そこまで考え、意図的に思考を止めた。
こんこんこんこん、とリドルさんの部屋をノックする。もう外が暗いので、扉越しに灯りが漏れているのがわかる。
「フランです。リドル寮長、いらっしゃいますか」
沈黙が流れる。居留守を使うつもりだろうか。
まだ昨日のことが尾を引いているなら、使わせてあげてもいいけれど。
「……居るよ、フラン。入って良い」
しかしリドルさんはそんなことはせず、ちゃんと中に入る許可までくれる。
声で緊張しているのがわかるのに。そんなところが愛おしいのだ。
「……失礼します」
そう一言置いて扉を開け、後ろ手に扉を閉める。
リドルさんは勉強机に向かっていた。
「用はなんだい、フラン」
「今日一日、私のことを避けていらっしゃっていたので、お会いしてくださるか不安で、ありがとうございます」
「……」
「いえ、良いのですよ……要件は三つで……そうですね、簡単に解決しそうなのが、次の勉強会はいつにしますか?予定がなければ明日でいいですか?というものです」
「……ああ、明日で良いよ。で、あと二つはなんだい」
「そちらも同じような要件なのですけれど、こんなに頻繁に開くのなら、予定がない限り隔日開催、と言う風にしませんか?というご相談です」
「……ふむ、良いかもしれないね。授業についていけていない生徒に対して、常に掬い上げの門戸を開いておくと言うのは、とても良い」
「やった。じゃあそう皆さんにお知らせしておきますね。それで、最後の一つなのですけれど、これも勉強会関連で」
「ああ、それもかい」
リドルさんはほんの少しだけ安心したような表情をする。最後に重い話をされるか、またおかしな雰囲気にされるかを予測していたのだろう。
「私今まで、勉強会の際に振る舞う紅茶に薄く魔法をかけていたんですが、……だから勉強会に参加する寮生の数が減らなかったのだと思いますが、どうしましょう?という……」
「えっ!魔法……キミのユニーク魔法か。かけていたのかい。道理で1人より集中できると思った……」
「あら、本当に薄くしか掛けていなかったので変化を感じるレベルですらないと思っていたのですが、リドルさんはお気づきになられていたのですね」
「ああ。大人数で勉強をするなんて、一人で勉強するより集中出来ないに決まっているから、寮生の勉強に対する意欲や進度を見る時間でしかないと思っていた……のだけれど、別に一人でやるのと変わらない……いや、休憩の時間を挟もうと思うことすらなく長時間集中出来るから、不思議に思っていたんだ」
「……うーん、どうしましょう?やっぱり、私の魔法があった方が良いですよね」
「……そうだね、勉強会の時だけボクが外しても良いけれど」
「他寮の人間にごちゃごちゃ言われるのが嫌なんですよね。オクタヴィネル寮生なんかは、ラウンジで働いている賃金の代わりに対策ノートを貰ったりしているのだから、こちらのしていることも勉強会に参加する対価だ、で最低限筋は通せると思いますが、公にすれば不興は買うと思いますので」
「……キミの魔法は、本当に集中力を高めるだけなのかい?」
「はい。ですので、あの紅茶を飲んでゲームをしても本を読んでも、いつもより楽しいし集中できると思いますよ。結局、勉強に向かう姿勢ありきの魔法です」
「……そうかい」
何故か釈然としない表情をしているリドルさん。本当にそうなのだけれど。
「……うん、わかったよ。考えておく。それとすまないのだけれど、次の勉強会の開催は三日後にしてくれ」
「……何かお考えがあるのですね。わかりました。そう周知させておきます」
「ああ、頼むよ」
そう言ってリドルさんは薄く微笑むので、私も微笑み返し。
「では失礼致しました。また明日」
「また明日」
彼の微笑んだ顔から放たれたその返事でお腹の少し膨れた私は、まだちょっかいを掛けたい気持ちを抑えることに成功し、そのままリドルさんの部屋を去った。
(……うーん)
私は自室に戻り、アズールさんから貰った性別の転換薬の入った小瓶を指で弄ぶ。
(別に、女の子になった時に望んだ外見じゃなかったとしても、それは全然関係ないし……)
例えば性別を変えても今と身長が変わらなくて、胸だって無くって、殆ど外見が変わらなかったとしても、それはがっかりにはがっかりだけど、そうだったとしても私は絶対に女性を選ぶ。
(……でも、対価がユニーク魔法かぁ)
やはりそこがネックだった。
私の今現在使用している、ユニーク魔法と〝されている〟魔法は、私のユニーク魔法の角を切り取って、見栄えを良くしたものだ。
ユニーク魔法の発動と同時にその魔法の角を切り取って見栄えを良くする工程までやっているから、魔力のロスがすごく多くて、肝心のユニーク魔法にあまり出力を回せず、本来の濃さに比べれば全然薄くしか出せないのだけれど。
(本来の方、一回好きな人に使ってみたかったな)
口移しで真っ赤な愛情を与える、私のユニーク魔法は、フラミンゴの習性と母のユニーク魔法を、ロマンチックに模したものだ。
どうせ魔法士になるだろうと昔からマジカルペンを持たされていた私が、父の留守中に魔法の本を読みながら試行錯誤して発現させた、私のユニーク魔法。
マジカルペンを我が子に模してキスをして。だんだん本当に我が子のように思えてきた時に、口から真っ赤な液体が出てきた。あの時の驚きと歓喜は昨日のことのように思い出せる。私は本能的に、それが血液などではなく愛そのものだと理解っていた。
当時6歳だった私が、母親に一番憧れていた頃の私が、いつか我が子に口移しで愛を与えられることを心から喜んでいた。
当然、私にはどちらが欠けてもいけない。〝私〟が成り立たない。
けれど、どちらが欠けた方がマシかと問うのなら。
(近いうちに、リドルさんに相談してみようかな……いや、しない方がいいや)
リドルさんに相談しても、リドルさんを無駄に困らせるだけだ。
結局彼は私の意思を尊重する事しかできないだろうし、するならケイトくんの方が適任だろう。
(トレイさんは……怖いけど、相談したらもしかすると的確なこと言ってくれそうだな……)
二人とも当たり障りのないことだけを言う気もするけれど、相談してもあまり重く捉えず、気に病まなそうなのが良い。
〝ケイトくん、トレイさんとケイトくんに近いうち悩みを相談したいんだけど、だめかな〟
ケイトくんのDMにメッセージを送る。
すぐにケイトくんがメッセージを打っている表示が出るが、そのうちそれは消え、10分ほど経ってから返ってきた。
〝おけおけー、明日の放課後会議室借りたからそこで!トレイくんも大丈夫だってー〟
〝えっ〟
会議室をわざわざ借りた、と言うケイトくんの言葉に少しだけ焦る。そんなことをしなくてもいいのに。いや有難いのだけれど。というか10分でトレイさんと学校に両方連絡したのか。
〝ケイトくん、もしかして私のこと好き?〟
〝え、嫌い〟
即答だったので、思わずくすくすと笑ってしまう。
〝私はケイトくんめっちゃ好き〟
〝ごめんね……気持ちは嬉しいんだけど〟
〝そう言う意味じゃないから振られた感じにしないで〟
私は何をすればケイトくんへの恩返しが出来るかを考えながら、スマホの画面を切り、寝る体制に入った。
「それで、人生の先輩方に一応相談しておくのが良い気がしまして」
「……」「……」
「客観的、また率直な意見を私は欲しているので、忌憚なくアドバイスまたはご質問いただけると嬉しいのですが」
せっかく会議室を借りるまでしてくれたのだからと、授業の合間に作った簡易的な資料を二人に渡した。余計な部分は省いて、私の望みとアズールさんの言った対価と、これからの話を。
「……じゃあめっちゃ率直なんだけどいい?」
「いいよー」
「ここ男子校だけど、学校どうすんの」
「学校側に問題にされるまでは黙ってて、バレて問題になったら退学しようかなって」
「えー……」
「退学した後どうするんだ?」
「私魔法そこそこ出来ますし、どうせどこかが拾ってくれるだろうと」
「うーん、どこかは拾うだろうが……フランお前意外となんというか、度胸があるというか……」
二人とも難しい表情だ。
「……でも絶対、悪目立ちはすると思う」
ケイトくんの真剣な表情から放たれる、真剣な言葉。ちゃんと考えてくれているんだなと嬉しい。
「オンボロ寮の監督生ちゃんのお陰で少しは紛れるだろうけど、……それでも、絶対、フランちゃんが嫌な目に遭う事が、一回は起きると思う」
「そうだね」
私は頷き肯定する。そのくらい理解っている。
女の子になってから傷付いたところで、自分の身体を見る度に怖気の立つ〝今よりはマシ〟と言う判断だった。
腕に伝う血管が気持ち悪くて長袖しか着られない。外では鏡をしょっちゅう確認しなければ気が済まないのに、メイクしていない状態の自分を見るとあまりにも〝男〟でゾッとするから、シャワーを浴びた後は誰にも会えない。どうしても会わなければいけないなら、目許だけでももう一度メイクをして、マスクをつけないと。
髭を剃るのが一番の苦痛だった。何度鏡を叩き壊しそうになったか。何度叩き割った鏡で、剃刀で、首を掻き切ることを想像したか。
「まーでもけーくんは正直大賛成!ユニーク魔法使えなくても不便だなってくらいだろうけど、フランちゃんがフランちゃんで居続けるには、このままじゃ無理だろうなって思ってたし」
「……ケイトがここまで言うの、珍しいな」
「一年の頃から付き合ってんだもん〜!フランちゃん、フランちゃんって呼ぶのを自然に受け入れてくれるまでにも半年くらい掛かったんだよ?なんか呼ばれるたんび申し訳なさそーな顔しててさ、オレもキツいっての」
「あはは……ありがとうね、ケイトくん」
「けーくんのキャラ的にさん付けしたら変だしさー、大変だったよー」
トレイさんが私の方を精査するような視線で見てくるので、思わず目を逸らす。
すると、トレイさんは一つ息を吐いて。
「……まあ、何というか、お前が色々考えすぎてることは知ってたしな」
「……」
「幸せになれよ、ちゃんと」
突然、そんな。
突然、そんなことを言わないでほしい。
「あー!トレイくんが泣かした!この腹黒メガネ!ドS!良いとこだけ持ってく!甘やかし上手!上級生の鏡〜!」
「……最後の方おかしくないか?」
顔を伏せて隠しているところ、ケイトくんが隣に移動してきてハンカチを差し出して来てくれるものだから、思わず彼の首に手を回して抱き締める。
「ごめんね、ごめんねケイトくん、ありがとう」
「何にも謝ることないのになーに謝ってんだろーね。オレたちの後輩はみんな一癖も二癖もある……ってか癖しかないって感じぃ」
よしよしと髪の毛越しに肩を叩かれて慰められる。どうしてみんな、こんなに優しくしてくれるのだろう。どうして。
「はい、お悩み相談で泣いちゃったかわいい後輩とツーショット♪」
「ん」
促されるままケイトくんのスマホのインカメへ視線とピースをやると、トレイさんが呆れたように笑う。ケイトくんのいいね稼ぎに使えるのならいくらでも使って欲しいという気持ちと、今の行動すらも私の罪悪感を減らす為の行動だったのではないかという疑惑が同時にあって、どちらにせよ、私は一つ鼻を啜って泣き止んだ。
目がブスになるからあまり泣きたくないのだけれど、涙腺はどうやって鍛えたら良いんだろうか。
「……本当にありがとう、私が女の子になったら、おふたりにだったら、したいことなんでもさせてあげますから」
善意100%からなる言葉だったのに、二人は衝撃を受けた顔で固まる。
沈黙が流れる。
「……あ、すみません、あの……元々がこれって知ってると、やっぱりしんどいですよね」
「……いや、危ないなぁ!?危ないねぇトレイくん!?」
「いや、本当に……危ないぞお前!」
「危ない……?」
「ちょ……っとぉ!どうしようこの……この感じ!この感じ……嫌だなぁ!オレすごい嫌な予感してきちゃった」
「……おいフラン、本当に気を付けろよ?」
「何に……?」
会話がなんというか、抽象的だ。何に気を付けろと言われているのだろうか。
「フランちゃん、そのまんまでも全然可愛いからね」
「はは、ありがとう」
「いや、伝わってないやこれ」
女性になりたい私を一応フォローしておくかのように〝そのままでも全然可愛い〟とケイトくんが言うからありがとうと返しておくと、何か伝わっていないとケイトくんが言うので、釈然としない会話に肩を竦める。
ケイトくんが私を離して頭を抱えるので、何をやらかしたのかと目を逸らす。
「あ、もしかして男子校で女子一人になった私が男と……何というか、とても遊ぶ女性になったらどうしようって思われてます?」
「あ、伝わるんだ」
「いやぁ、でも……やっぱり元々これですよ?無理じゃないですか?そんな、なんというか、変な人はなかなか……」
「伝わってないぞ、ケイト」
「いや、いやマジで、……あの、子供できちゃったって言って学校辞めるのだけは辞めて」
お願い、とケイトくんに手を合わせられて面食らう。
そんな可能性を微塵も考えていなかった。
というか私は女の子になったら卵生なのだろうか、胎生なのだろうか。そこからわからない。
生まれた我が子を抱くところからは詳細に考えていたけれど、その前となると考えたことすらなかった。
「……というか、そう言った行為に誘われ……いや、無いと思いますけど、もし、酔狂な方が居て、したい、と、誘われたとしたら、……?断る理由特に無くないですか……?」
「やばいやばいやばいやばい」「まずい」
何故かトレイさんとケイトくんは椅子から立ち上がり、二人揃って私の肩を掴んで揺さぶる。
首がガクガクする。
「じ、自分が卵生か胎生かわかんないですけど、卵生だったら卵をちゃんと処理すればいいだけですし、胎生だったら避妊をしっかりすれば」
「……ちょ、ちょっと待って、もしかしてフランちゃん、男に興味ある?」
「え……?いや、……全然……?」
「いやそんな気がしたんだよ、そう言う感じだったらなんとなくわかるからさ。ならなんでそんな……」
「いや、……別に、……自分がいっぱい持ってるものを誰かが欲しがってるなら、あげた方がいいじゃないですか」
また沈黙が流れる。
数秒の後、ノブレスオブリージュじゃないんだぞ、とトレイさんが顔に汗を浮かべて言う。
具体的に何故いけないのかを言ってほしいと思うけれど。
「……ちょっとこれは、リドルにどうにかして貰うのが一番じゃないか?」
「あ、その手あったか、トレイくんあったまいーい!マジ尊敬。でもリドルくん病まないかな?てかリドルくん今暇かな」
リドルさんの命令だったら私がそのまま素直に聞き入れると思ったのか、スマホを手の上で回しながらケイトくんが言う。やると決めた時に行動が速いのは、彼の大きな長所なのだろうな、と思った。
「いや、リドルはしっかりしているよ。……こう言うところでは。今は……どうだろうな」
「リドルさんは昨日私が勉強会に誘ったのを断ったので恐らく何かやっている事があると思います……でもどうせリドルさんにも事前報告とだけはする予定だったので、都合が良いですね。……どうしましょう、ユニーク魔法を使えなくなるとなると、最低限次回のテストの直前までは、持ったままで居ないと」
女性になる、と言う方針がきっちり決まったにも関わらずそれを暫く我慢しなければいけないのが、なんだかそわそわする。はやくしたい。
「頼むから終わった後にしてくれ。騒ぎが起こってテストに集中できん」
「あ、じゃあ終わった後で……」
「はー、でも、なんか良かったね、フランちゃん。ずっと気にしてたもんね」
「……っ……はい!」
ケイトくんがにぱーっと間の抜けた表情をしながらすごく優しいことを言うので、心がぎゅっとなってしまった。
特に何か持ち物がある訳じゃないから、これだけして貰っても何もあげられないけれど、それでも、女性の身体を私が手に入れたら、それを使わせてあげることは出来る。それを彼らがしたいなら、私はそれをさせてあげたい。
そう思うことに、一体全体何の瑕疵があるのだろうかと、そう考えて。
母が〝そう言う女性〟だったことを思い出し、私が母と無意識のうちに同じ様な性質を持っていたことに気付き、少しだけ安心した。
私の中にはまだ、母は生きていた。