リドルさんのお母様になりたい!
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
電話が鳴ったのは深夜だった。私がブロット塗れのマジカルペンをなんの感慨もなく見ている時、まるで呼んでいるかのようにそれは私の部屋に響いた。
直感的に、リドルさんだ、とわかった。それでも一応画面を見て名前を確認した。リドルさんだった。安心して泣きそうになった。私は震える手で電話を取り、この機を逃すまいと。
「も、もしもし!」
『……』
「リドルさん、リドルさん、大丈夫ですか!?」
『……』
「……お、お腹減ってないですか。甘いもの食べたくないですか。喉は渇いてないですか?どこか痛いところは無いですか?私に何か、何かできることはありませんか、リドルさん。なんでもいい」
『……フラン』
「はい!」
『……フラン』
その声が、あまりにも私を求めていたから、私は窓を開けて飛び立った。速く!速く!速く!!!私のかわいいリドルが、助けを求めている!助けを求めてくれている!なんと素晴らしいことだろう!
リドルさんの部屋の窓が開いていたから、そこに速度そのままで滑り込む。着地寸前になんとか減速して──部屋の隅に座る、虚な瞳をしたリドルさんを人間に戻り抱き締めた。
「リドル、リドル……よかったリドル、リドル……」
「……フラン」
私を見上げるリドルさんの瞳は、本当に疲れ切っていて、私は思わずキスをしてミルクを飲ませる。本能的な動きだった。
ごくごくと喉を鳴らすリドルさんの頬に水滴が流れる。誰だ、私のかわいいリドルを泣かせたのは、誰だ。
頬に少し赤みが出てきた頃、やっと目に少しだけ光が宿った。焦点が私に合っているのが見える。この人の大きな、かわいくてまるい瞳はとっても饒舌だ。
「……ふ」
リドルさんは壁に頭をもたれて、瞳を閉じる。頭痛でもしているのだろうか。額に手を当てて熱がないかを調べる。──無さそうだ。
家の中は奇妙なほど静まり返っていた。今のリドルさんに何があったか聞く気にならず、彼の隣に腰を下ろし彼を抱き締め、夜風で冷めた身体をあたためてや──っていると、視界の端で、視線が合った。
なんだ?と、私がゆっくり視線のあった方に首をやると──何か生えている──瞳が、こちらを向いたままの──
リドルさんが居るから、なんとか叫ぶのを堪えた。
「……お母様のお怒りに触れない様にしながら、ちゃんと、ちゃんと、法的に絶縁しようと、思って。それが、お互いの為だと」
リドルさんはまるで台本を読み上げるみたいに言う。
私は彼の身体を抱きしめる手に力を込めた。
「でも……その資料が見付かって、部屋の中を探られて、キミのくれた薔薇が見付かってしまって」
私はゆっくりと震える息を吐く。
「ボクがそれを返してくれと言うから、キミに貰った薔薇だと気付かれてしまって、揉み合いになって」
そして──と。リドルさんは続けようとするが、私は首を横に振った。
リドルさんのお母様の状態を見れば、何があったかは想像に容易かった。
薔薇を取り合いになり、リドルさんがバランスを崩したか棘に触ってしまったかして薔薇を離してしまい、薔薇の花弁がリドルさんのお母様の瞳と眼孔の隙間に勢い良く──
「……お母様は、痛いと叫んで、倒れて、そのまま」
リドルさんに罪悪感を抱かせない為に、またリドルさんが苦しまないように、一瞬で逝ける様していたから。
私は落ち着いてきた頭を認識しながら、一つ深呼吸をし、聞きたかったことを聞いた。
「……死後何日……ですか」
「……三日、だと思う、多分。朝が、三回来たから」
死体からは、明らかに今死んだという感じがしなかった。
母の死体と彼は、三日間、一つ屋根の下で。
「……さっき、やっと、携帯でキミに連絡することを思い付いて」
それまではずっと、ここで膝を抱えて、自らの母親と目を合わせていたのだろう。
「……リドルさん」
「……」
「あなたは十分頑張りました」
「……」
「もう、楽になったって良い」
本気で、そう思った。私が楽にしてやろうと口付ければ、彼はすぐにでも楽になれる。
「でも、もしも、あと少しだけ頑張る気力が、まだあるなら」
「……」
「お母様がお亡くなりにならなかった世界の私たちより、多くの人を助けませんか」
「……」
リドルさんは、疲れ切った瞳で、それでも微笑みを称えて。
「……いいね」
と言った。言ってくれた。
私は彼を抱き締めた。
もう離さない、私の、私だけの、かわいいひと。
お母様の恨めし気に見る前で、いっぱいいっぱいリドルさんとキスをした。
彼は現実から逃れたいのだろう、非常に積極的だった。とろんとした瞳のリドルさんと、彼のお母様の見る前で深い深いキスを繰り返して2人で汗ばむのは、最高の快楽だった。
彼の瞳にちゃんと光が入った頃、私はマジカルペンをチラと見て思わず笑った。ここへ来るまで、いや来てからもずっと魔法を使い通しだったと言うのに、寧ろ来る前よりブロットの量が少なくなっている。
「……どうしよう」
「……」
「ボクは……それでも親を……」
「……」
「ボクは罪人だ」
「そんなはずはない」
私はリドルさんのお母様を収納魔法でしまってしまう。リドルさんの目が見開かれた。
「……どこに隠したって、すぐに見付かってしまうよ」
「ともだちが居るんです」
「……それでも、償うべきだ」
「あなたに罪はない。……ああ!ああ!良いことを思い付いた!それを証明して差し上げます!」
私は彼を抱き、窓へ身を躍らせ、そのまま飛行魔法と隠蔽魔法を使って飛ぶ。リドルさんが自分で飛ぶから大丈夫だと首を振るので、彼の手を取って空中でダンスを踊った。
彼は最初はそんな気分じゃなかったみたいだったが、少しずつ私の心底楽しいと言った様子に絆されて、微笑みを見せる様になってくれた。
私は私の自宅の前にリドルさんと共に降り立ち、静かに扉を開け、リドルさんを私の部屋のクローゼットへ隠す。笑みが止まらない。
「エイダン、エイダン!」
私は父の部屋をノックもせずに開ける。
父は寝ていたのか目を擦ってベッドから起きてから、しかし嬉しそうに。
「……おやおや、そんなに慌ててどうしたんだい、フラマ」
「怖い夢を見たのよ。私が、私ではなくなってしまう夢を」
「ああ、可哀想なフラマ。今、寝かしつけてあげるからね」
「ありがとうエイダン……群れのみんなが居ないと怖いわ」
「僕が居るじゃないか」
私は私の部屋のソファに座る。クローゼットからよく見える位置だ。父は私にキスを落とした。
「フラマ……怯えているきみも可愛いよ」
父はそう言って私のズボンを脱がせる。当然こうなるだろうと思った。私がこの頃、母を演じる気力がないせいで父を避けてしまっていたから。
「あなた、寝かしつけてくれるんじゃなかったの」
「終わってからの方がすっきり眠れるだろう?お互いに」
「もう」
後はもう、身を任せているだけで勝手にやってくれる。私は時々クローゼットの方に視線をやったが、彼の気配を感じることはできなかった。
まるで儀式みたいなそれが、やっと終わって。少し熱が冷めて。
「ああフラマ……きみは本当に最高の女性だ」
「ふふふ、エイダンったら甘えたなんだから。ほら」
私は自らの唇を指す。彼は貪る様に私の唇に自らの唇を当て、愛を一滴残らずごくごくと飲み干そうとして。
目を見開いた。彼はソファの下に転がる。身体が痺れて動かないのだろう。
「フラマ……?フラマ、いたずらもいいけど、突然だとびっくりしてしまうよ」
「お父さん」
「フラマ……?お父さんがどうしたんだい?」
「エイダンお父さん、私の名前を呼んで」
「フラマ?フラマ、どうして電気を消したんだい」
「お父さん!あなたがつけた名前!呼んでよ!私の名前!!!気に入ってるんだから!!!かわいい名前!あなたがつけてくれた名前!!!」
「フラマ……」
その一言が、父の最後の一言だった。
静寂が訪れた。
私は父の腹をぽすんと蹴り、父の腹を抱いて、大泣きに泣いてやる。
「お父さん!お父さん!お父さん!ねえ!」
私がいくら呼んでも、彼はもうぴくりとも動かなかった。
彼は、もっと早く母の元へ行くべきだったのだと、そう思った。私を温めている時間があったら、もっと早く。
「最後に名前くらい呼んだって、良かったでしょ…」
フラン、と最後に呼んでくれたら、私は罪悪感を覚えられたのに。お父さんごめんなさいと、あなたに謝罪できたのに。
どうして父親を手にかけて、こんなに、今まで経験したことがないほど何かから解放されたような清々しい気持ちになっているんだ。
まるで私に良心がないみたいじゃないか。
「やっぱりお父さんは、私のお父さんになるべきじゃなかったんだよ」
私っていうか、私じゃなくてもダメだった気がするけど。
でも、そんなことを言ってももう遅いから、彼の額にそっと最後にキスをして。
クローゼットを開けた。
「ボクの、せいかい」
クローゼットの奥で膝を抱えたリドルさんは私にそう問うた。
「ただ今日が、私にとっての清算の日だっただけです」
唾液やら体液で塗れているから、近くに行くに留める。
「リドルさん、リドルさん、嬉しくないんですか?私たち、もう自由なんですよ。なんだってできるんですよ。なんだってしていいんですよ」
「……」
「ねえリドルさん、家族になりましょう。私たち、ふたりぼっち」
「……」
リドルさんは、黙っていた。
それならと、私は彼の前にぺたんと座る。
「疲れてしまいましたか?」
「……」
「それなら、もう、終わりにしてしまいましょう。あなたも私も、ちょっと頑張りすぎなくらい頑張った」
「……ボクたち、頑張った、よね」
「はい!すごく頑張った。本当に頑張りました」
リドルさんは微笑みを浮かべながら、しかし涙を流している。
「頑張った、のに」
「……」
「どこから、間違っていたの」
私はその答えを明確に持っていたから、眉を下げた。
眉を下げて。
「生まれる胎から……ですかね」
そう言った。
リドルさんが渇いたように笑った。私は声を殺して泣いた。
それでも、暫くしてリドルさんが私の頭にそっと手を置いて。
「次は、間違えないように、しないと」
と、そう言うから。
私は。
私は、まだ、頑張れると、思えた。
収納魔法で収納した中で、リドルさんのお母様とお父さんは唇を重ねてしまっていて、私はくすくす笑った。お似合いなんじゃない?
ハーツラビュル寮の、フラミンゴの先輩たちのところへリドルさんと一緒に降り立つと、皆さんは「赤い丸いあの子!久しぶりに見た!」「どこへ行ってたの?」と言っているので、私はリドルさんに笑みを向けた。
「リドルさん、ご心配なされていましたよ、皆さん」
「……ボクのことを言っているのはわかるよ……というか、まさか」
「解毒しないと。お姉様お兄様方が体調を崩したら嫌だもの」
私は折り重なっている身体に手を触れ、丁寧に、じっくり私の魔力を辿って解毒し、同時に群れのみんなの為に美味しくなあれと魔法をかける。数分でほの赤くなったそれを浮遊魔法で浮遊させ、風魔法でできるだけ小さく切り刻んで、フラミンゴさん達へ。
頑張って美味しくしたから、喜んでくれている。群れは祭りのような騒ぎで、取り合ってくれている。
「……」
リドルさんは気分が悪そうにしている。口直しにと口をつけて流し込んでやると、暫くして少しだけ顔色がましになってきた。
「吐きそうだったら、吐いた方がいいかもしれませんね」
「……キミは、どうして平気なんだい」
「あなたがいるから」
「……」
「1人じゃないから」
暫く群れを見守ってから、寮のシャワー室を借りて、私の部屋のベッドに2人で寝た。
ちゃんと眠たそうな様子のリドルさんの頭を撫でる。
「全部置き去りにして、今日はおやすみなさい」
リドルさんの寝顔は起きている時とは違いなんの憂いもない様子で、私はこの瞬間が一番長く続く方法を考えざるを得なかった。
翌日。
リドルさんも私も、酷い熱を出していた。私はまだ気力でなんとか動けるが、リドルさんの方は動けすらしない様子で。
頭痛が酷い。一歩進む度に脳が揺れるのがわかり、痛みを訴える。
「楽になっていいと、何回も言ったのに」
経口補水液を吸飲みに入れて虚な瞳をしたリドルさんに飲ませてやる。いつかのことを思い出して、自然と微笑みが浮かんだ。
水を欠かさなければ、人間は最低限、大丈夫だ。
リドルさんにキスをする。どうせ同じウイルスだから。
携帯をバッグから取り出すと、トレイ先輩からメッセージが届いていた。
〝リドル、そっちに居るのか?〟
リドルさんの部屋の窓が開いていたから気付いたのかもしれない。
〝はい〟
返信には、すぐに既読がついた。
〝会えるような状態か?〟
〝いいえ〟
〝お前は大丈夫か?〟
〝私は大丈夫です〟
〝そんな気がした〟
苦笑する。むしろ、リドルさんがいなかった学園での日々より、今の方が元気なくらいだ。
リドルさんが薄目を開けて、私の服の袖を摘んでいる。愛おしい。この子の為なら、私は大丈夫だ。
〝俺に何かできることは?〟
トレイさんは優しい。熱が出て湿っぽくなっているのもあり、涙が出そうだ。
〝もう少し経ってからできそうなので、その時にご連絡します〟
〝役立たずで悪かったな〟
私は微笑んで、携帯の画面を切る。大丈夫だ。時間はある。ゆっくり寝よう。私もリドルさんも、いっぱい頑張って、いっぱい疲れているから。
リドルさんの熱い、小さい身体を、ぐっと抱き締める。
これからどうしましょうかね、なんて考えているうちに、私は眠りに落ちた。
リドルさんはずっとベッドの上に横たわって、瞳を閉じるか開けるかをしていた。
経口補水液を吸飲みで与えて、胃に何も入れないよりはマシだろうと私の買い置いていたフルーツの入ったゼリーを食べさせてやった。リドルさんはじっとするのに忙しいというようにただただじっとしていて、ベッドのヘッドボードにもたれかけさせたリドルさんの口にスプーンでゼリーを入れる時、まるでお人形遊びをしているみたいだと思った。
話すことはいっぱいあったけれど、今じゃないから、ずっと私も頭を使う様なことは言わなかった。おやすみなさいとリドルさんを抱き締めて眠って、お水飲みましょうと経口補水液を与えて、何か胃に入れましょうねとゼリーを与えて、ゼリーが無くなったから行ってきます、すぐ帰ってきますと麓まで行ってちゃんと栄養の入ったゼリーを買って。
吸飲みを差し出すと飲んでくれる。スプーンを差し出すと口を開く。口にゼリーを入れてやると飲み下す。ミルクを与えてやるのも忘れない。けれどリドルさんは、自分から食べたいと言ったり飲みたいと言ったりはしてくれない。
生命維持に必要な部分まで、今は疲れ切っているのだと思った。休ませてあげようと思った。食事介助くらいなんでもない。かわいいリドルさんにそれができるなんて、役得なくらいだ。
「ずっとこのまま、リドルさんがおじいさんになるまで、なっても、私がお世話し続けてあげたっていいんですよ」
リドルさんを抱き締めながら私はそう呟いた。本心からだった。頬擦りをするけれど、リドルさんは虚空を見つめるばかりで反応してくれなかった。私は彼の丸い頭を撫でた。リドルさんがこのままなら寮は出ていかなくちゃいけないけれど、私がどうにかしようと思えば、リドルさん1人くらい食べさせてやれるんだ。
「ここ最近リドルさんと一緒に居られなかったから、今一緒にいられて、うれしいな」
リドルさんの身体の形を覚え切ってしまうくらいリドルさんを抱き締めることができて、嬉しかった。
「ずっとリドルさんと、こうやってのんびりしたいなって思ってたんです」
こうして何もかもから解放されて、2人きりでのんびりしたかった。
「こんなにホリデーって感じのホリデー、人生で初めてかも」
庭園から薔薇を取ってきて、ベッドサイドの机に飾った。リドルさんは何も言ってくれなかった。
リドルさんの胸に耳をつけると、生きている音がして、安心できる。時々、死んでいるんじゃないかと心配になるから。
一番元気だった頃のリドルさんを見ていた寮生たちに今のリドルさんを見せたら、どう思うんだろう。
彼らは、これをリドル寮長だって分かるのかしら。
きっとこんなリドルさん、誰も見たことがない。
知っているのは、自分だけだ。
幸せな気持ちのまま、満足するまで彼に口づける。
すごく良い気分なのに、涙が止まらない。
「リドルさん、すきですよ。すき」
リドルさんはどこを見ているのかわからない無表情のまま、ずっと腕の中にいてくれた。
「一生このまんまでも、いいんですからね」
彼を抱き締めて背中を撫でながら、自分に言い聞かせる。
彼をこんなにしたのは、自分だから。
もう、時間はあまり意味を持っていない。
「……リドル……フラン!」
瞳を開ける。視界も思考もぼやけていて、何がなんだかわからない。
リドルさんに手が伸びるので、反射的に彼を手から庇った。
やめて。
人間は、何かをごちゃごちゃ言った後にどこかへ行ってしまった。
安全を確かめるようにリドルさんに頬擦りをしていると、また人間がやってきて、何かを言っている。
何を言っているかがわからない。音は耳には入ってきているのだけれど、思考がぼやけているせいで、それが意味にならない。
またリドルさんの方へ手を伸ばそうとするので庇う。触らないで。
眠い。眠くて、目を細める。眠いから出て行ってほしい、と睨んでいると、出て行ってくれた。瞳を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。まだリドルさんの心臓からは音がする。嬉しくて涙が出てくる。これが止まった瞬間に、自分もどうにかしてそれを止めようと思った。止めたいと思った。
「……おはよう、フラン」
頭を撫でられて起きる。おはようございます、と思った。
「フランは、まだ眠いの?」
眠かった。気持ち良く二度寝が出来そうな感じだった。
「じゃあ、もう少し一緒に寝ようか」
そうですね、と彼の胸に顔を埋めた。
腕の中の暖かさに、何度勇気付けられただろうか。
「ブロットを身体に溜めすぎて、半ばオーバーブロットしていたみたいだったんだ。マジカルペンも目も真っ黒で、身体中から赤黒い羽根が出てて」
「……」
「そんな姿でも、リドルくんを守ってた。リドルくんにオレたちが触ろうとしたら、もう鬼の様な形相で威嚇してきて、ビビっちゃった」
「……そうか」
「どうしたら良いかわかんなくって、放っといて欲しいって全身でフランちゃんが言ってたから、取り敢えず注意は向けつつ放っておいたら……2人とも、元気そうになってて」
「……」
「リドルくんが、フランちゃんをオーバーブロットから引きずり戻したんじゃないかな」
瞳をゆっくりと開ける。ぼやけていて何も見えない──が、抱いている腰の位置から視界に映る赤いのがリドルさんの髪の毛だとわかったので、息を吐いてもう一度枕に顔を埋めた。
「……フラン、ずっと、ボクにユニーク魔法を」
「……そんだけ、心配してたんだよ」
「……」
「今は休ませてあげよう、って言いたいところだけど……どうしよっか」
「……フラン」
頭を撫でられている。はい、と、首で頷いて返事をした。
「理事長先生にボクら呼ばれているらしいよ」
久しぶりに、頭の中に何かが通った感じがした。
「……どして」
「いや、ボクが長期休学したからさ。本当はボクしか呼ばれていなかったのだけれど、キミも同席させたいと、ボクが言ったから」
「……りじちょが、きて」
「っ……ははは」「ははは!」
何故笑われたのかがわからない。ぎゅっと強く目を瞑る。
「そうだね……一度それで頼んでみて無理なら……ケイト、連絡頼めるかい」
「りょーかいっと。……でも、大丈夫そうでよかった。一時はどうなることかと思ったぁ」
「フランが頑張ってくれたお陰だよ」
頭を撫でられている。頭を撫でられながら眠れたら気持ちがいいだろうな、と思っていたら、ぐるんと意識が反転した。
「ふむ、ではローズハートくんの母君の所在については」
「ボクにも全く……絶縁を切り出した時、酷く激昂してボクを家から追い出したので、気が変わってボクを探しているのかもしれません」
「ふぅむ……」
私は目を開け、ゆっくりと呼吸をする。顎に手を当てている理事長がこちらに視線をくれているのを見て、びっと姿勢を正した。勢い良く背筋を正したせいで、脳が揺れるし軽い貧血を起こすし背が攣りそうになるし最悪だ。
「う゛ぅん……おはようございます、フランくん」
「あ……」
喉が、口が渇きすぎていて声が出ないと気付くや否やリドルさんが吸飲みを手渡してくれるので、それを使ってぐちゅぐちゅと口と喉を潤す。
「お……おはよう、ございます」
「体調の方は?」
「……まあ、マシです」
「それは何より。ローズハートくんからことの顛末を聞きました。フランくんが毎日ローズハートくんの家に行っていたのが功を奏して良かったですね」
「そうですね。フランが家から追い出されたボクを見付けてくれなければ、どうなっていたか」
「……毎日えーこら長い距離飛んで帰って隠蔽魔法まで使ってマジカルペン黒くして吐き気催してた甲斐があってよかったですよ」
「すまないね、フラン」
流れを自然に理解した。私がダウンしていたせいでリドルさんに嘘を考えさせてしまって申し訳がない、と思った。
あくびが止まらない。
「ローズハートくんの父君が絶縁の書類に署名をして出してくれたので、もうローズハートくんの母君がローズハートくんに手出しをすることは出来ませんよ」
「お父様がお母様とボクとの関係性を前から問題視してくれていて助かったよ」
「ぅぁくびが……止まらない」
部屋にくすくすと2人の軽い笑い声が響く。
「……本当に眠そうだね」
「ローズハートくん、ありがとう。ことの顛末が把握できましたので、もうフランくんも休んで結構」
「ふぁりがとうございま」
「ははは、凄いすごい。連続で三回出たよ」
「では失礼」
理事長が部屋から出て行った瞬間、私たちはどちらからともなく、しかし勢い良く、貪るように唇をつけた。
舌を絡めてもまた足りない。舌の側面を舌で擦りあって。
きもちがよくて思わず喉を鳴らす。
暫くして唇を離すと、リドルさんが肩を竦めながら笑った。
「……ふふふ、フランのあの様子じゃ、絶対に何かを隠しているとは思われなかったよ」
「……私は、そもそも何か悪いことをしたと思っていないので」
「……」
「あの結末が一番あの人たちの為だったと、本気でそう思っているので」
「それが、否定できないのが……」
「否定しなくていいんです。寧ろ、これからの人生は、それを肯定するための人生なんです」
「肯定するための……」
「あの人たちが居た未来より、絶対に立派になって、絶対に多くの人を助けてあげましょう。私たちの選択が正しかったんだと、そうするしかなかったんだと、必要悪……いや、悪ですらなかったと、証明するんです」
「……キミ、楽しそうだね」
「はい!だって今まで、頑張らされていたんですから。自分から頑張りたいなんて本気で思えたのも、頑張りたいことができたのも、はじめてなんです」
お父さんが生きていたら、私はいつまでも、ずっとお父さんのことを気にかけてしまっていたと思う。それこそ死ぬまで。
そんなことをしたって、満足を得られるのはお父さんだけだ。それなら、満足しているうちに終わらせてあげる選択は正しかっただろう。自己正当化だと言われたって、私のこの先何十年をあまりにも無意味なそれに費やしてしまっていたかを考えると、いっそ正当化した方がいいとすら思える。
「……ボクは、心の整理に、もう少し時間が掛かりそうだ」
「ええ。ゆっくりで、焦らなくて大丈夫」
「でも……不思議だな。もう、あんまりお母様の顔が、思い出せないんだ」
「リドルさん、いつもお母様の足下ばかり見ていたから」
「ああ、それは、たしかにそうかもしれない……」
私はあの女の恨めしげな目を思い出し、思わず満面の笑みを浮かべる。あの目を向けられている最中、私とリドルさんがキスしているのがそんなに恨めしいか。でもお前にはまだ足りない。どこからも居なくなってしまえ!リドルさんの記憶からも消えてしまえ!とずっと願っていた。願いながらキスをしていた。
せめて私だけは覚えておいてやろう、とにこにこする。あの女の無様な最後と言ったら!あの女の前でするキスの気持ちよかったことと言ったら!
私はお前を死んでも許さない。死んだ如きで許してたまるか。私のかわいいリドルさんからは忘れさせ、私はずっとずっとずっと覚えておいてやる。
「……ねえ、悪いことを、言ってもいいかい」
「なんですか?」
「キミがキミのお父上にすることを、途中から気付いていたのに、ボクは止める気になんてならなかったんだよ」
それは。
「むしろ、むしろ、それじゃ足りないとすら思ったんだ。キミがどれだけ、どれだけ……っ」
彼の美しい涙を袖で拭いてやる。
「どれだけ、苦しかったか、少しでも、わかったら、怒りしか」
「そう、そうなんです、そう」
言ってしまえば、この物語に悪人は1人も登場しない。
ただ、親子という関係性に慣れていなかったせいで、自他の境界を見誤ってしまった、会話のへたくそな、不器用な女の子と。
ただ、好きな女の子が好きで、それ以外に目が向けられなかった、深い愛を持ってしまっただけの男の子。
その2人だって、そうするしかなかったのだ。だから私たちも、そうするしかなかった。
「ね、リドルさん。私のお父さんが動かなくなった時、すっきりした?」
「したさ!愚かにも最後までキミのお母上の名前を呼んで逝ったことに、安堵すら覚えたよ。キミの名前を呼んでいたら、最後まで嫌いになりきれなかったから、嫌いになってもいいことに安心したし、すっきりしたよ」
「あはははは!リドルさん、だぁいすき」
私はぽろぽろと涙を溢しながらリドルさんに抱き付く。愛していた。それだけがあった。
「前はリドルさんのママになりたかったですけど、もう全然そう思わないです!」
「どうしてだい」
「だって私たちの関係、親子なんていうあっさーいうっすーい言葉じゃ言い表せない!言い表せてたまるか!って思うので」
「ははは、ははは、なるほどね」
私たちが〝薄い親子の縁〟だなんて言うとあまりにも大きな意味があるなと、私と彼は笑った。笑って、これからの幸福についての話を始めた。
私たちはあまりにも自由だった。
私たちの間に横たわる愛すら、例えようもなく自由だった。
私たちの旅の果てに私たちが私たちの愛になんと名前を付けようが、それが私たちの勝手であることの、なんと幸福なことだろうか!
直感的に、リドルさんだ、とわかった。それでも一応画面を見て名前を確認した。リドルさんだった。安心して泣きそうになった。私は震える手で電話を取り、この機を逃すまいと。
「も、もしもし!」
『……』
「リドルさん、リドルさん、大丈夫ですか!?」
『……』
「……お、お腹減ってないですか。甘いもの食べたくないですか。喉は渇いてないですか?どこか痛いところは無いですか?私に何か、何かできることはありませんか、リドルさん。なんでもいい」
『……フラン』
「はい!」
『……フラン』
その声が、あまりにも私を求めていたから、私は窓を開けて飛び立った。速く!速く!速く!!!私のかわいいリドルが、助けを求めている!助けを求めてくれている!なんと素晴らしいことだろう!
リドルさんの部屋の窓が開いていたから、そこに速度そのままで滑り込む。着地寸前になんとか減速して──部屋の隅に座る、虚な瞳をしたリドルさんを人間に戻り抱き締めた。
「リドル、リドル……よかったリドル、リドル……」
「……フラン」
私を見上げるリドルさんの瞳は、本当に疲れ切っていて、私は思わずキスをしてミルクを飲ませる。本能的な動きだった。
ごくごくと喉を鳴らすリドルさんの頬に水滴が流れる。誰だ、私のかわいいリドルを泣かせたのは、誰だ。
頬に少し赤みが出てきた頃、やっと目に少しだけ光が宿った。焦点が私に合っているのが見える。この人の大きな、かわいくてまるい瞳はとっても饒舌だ。
「……ふ」
リドルさんは壁に頭をもたれて、瞳を閉じる。頭痛でもしているのだろうか。額に手を当てて熱がないかを調べる。──無さそうだ。
家の中は奇妙なほど静まり返っていた。今のリドルさんに何があったか聞く気にならず、彼の隣に腰を下ろし彼を抱き締め、夜風で冷めた身体をあたためてや──っていると、視界の端で、視線が合った。
なんだ?と、私がゆっくり視線のあった方に首をやると──何か生えている──瞳が、こちらを向いたままの──
リドルさんが居るから、なんとか叫ぶのを堪えた。
「……お母様のお怒りに触れない様にしながら、ちゃんと、ちゃんと、法的に絶縁しようと、思って。それが、お互いの為だと」
リドルさんはまるで台本を読み上げるみたいに言う。
私は彼の身体を抱きしめる手に力を込めた。
「でも……その資料が見付かって、部屋の中を探られて、キミのくれた薔薇が見付かってしまって」
私はゆっくりと震える息を吐く。
「ボクがそれを返してくれと言うから、キミに貰った薔薇だと気付かれてしまって、揉み合いになって」
そして──と。リドルさんは続けようとするが、私は首を横に振った。
リドルさんのお母様の状態を見れば、何があったかは想像に容易かった。
薔薇を取り合いになり、リドルさんがバランスを崩したか棘に触ってしまったかして薔薇を離してしまい、薔薇の花弁がリドルさんのお母様の瞳と眼孔の隙間に勢い良く──
「……お母様は、痛いと叫んで、倒れて、そのまま」
リドルさんに罪悪感を抱かせない為に、またリドルさんが苦しまないように、一瞬で逝ける様していたから。
私は落ち着いてきた頭を認識しながら、一つ深呼吸をし、聞きたかったことを聞いた。
「……死後何日……ですか」
「……三日、だと思う、多分。朝が、三回来たから」
死体からは、明らかに今死んだという感じがしなかった。
母の死体と彼は、三日間、一つ屋根の下で。
「……さっき、やっと、携帯でキミに連絡することを思い付いて」
それまではずっと、ここで膝を抱えて、自らの母親と目を合わせていたのだろう。
「……リドルさん」
「……」
「あなたは十分頑張りました」
「……」
「もう、楽になったって良い」
本気で、そう思った。私が楽にしてやろうと口付ければ、彼はすぐにでも楽になれる。
「でも、もしも、あと少しだけ頑張る気力が、まだあるなら」
「……」
「お母様がお亡くなりにならなかった世界の私たちより、多くの人を助けませんか」
「……」
リドルさんは、疲れ切った瞳で、それでも微笑みを称えて。
「……いいね」
と言った。言ってくれた。
私は彼を抱き締めた。
もう離さない、私の、私だけの、かわいいひと。
お母様の恨めし気に見る前で、いっぱいいっぱいリドルさんとキスをした。
彼は現実から逃れたいのだろう、非常に積極的だった。とろんとした瞳のリドルさんと、彼のお母様の見る前で深い深いキスを繰り返して2人で汗ばむのは、最高の快楽だった。
彼の瞳にちゃんと光が入った頃、私はマジカルペンをチラと見て思わず笑った。ここへ来るまで、いや来てからもずっと魔法を使い通しだったと言うのに、寧ろ来る前よりブロットの量が少なくなっている。
「……どうしよう」
「……」
「ボクは……それでも親を……」
「……」
「ボクは罪人だ」
「そんなはずはない」
私はリドルさんのお母様を収納魔法でしまってしまう。リドルさんの目が見開かれた。
「……どこに隠したって、すぐに見付かってしまうよ」
「ともだちが居るんです」
「……それでも、償うべきだ」
「あなたに罪はない。……ああ!ああ!良いことを思い付いた!それを証明して差し上げます!」
私は彼を抱き、窓へ身を躍らせ、そのまま飛行魔法と隠蔽魔法を使って飛ぶ。リドルさんが自分で飛ぶから大丈夫だと首を振るので、彼の手を取って空中でダンスを踊った。
彼は最初はそんな気分じゃなかったみたいだったが、少しずつ私の心底楽しいと言った様子に絆されて、微笑みを見せる様になってくれた。
私は私の自宅の前にリドルさんと共に降り立ち、静かに扉を開け、リドルさんを私の部屋のクローゼットへ隠す。笑みが止まらない。
「エイダン、エイダン!」
私は父の部屋をノックもせずに開ける。
父は寝ていたのか目を擦ってベッドから起きてから、しかし嬉しそうに。
「……おやおや、そんなに慌ててどうしたんだい、フラマ」
「怖い夢を見たのよ。私が、私ではなくなってしまう夢を」
「ああ、可哀想なフラマ。今、寝かしつけてあげるからね」
「ありがとうエイダン……群れのみんなが居ないと怖いわ」
「僕が居るじゃないか」
私は私の部屋のソファに座る。クローゼットからよく見える位置だ。父は私にキスを落とした。
「フラマ……怯えているきみも可愛いよ」
父はそう言って私のズボンを脱がせる。当然こうなるだろうと思った。私がこの頃、母を演じる気力がないせいで父を避けてしまっていたから。
「あなた、寝かしつけてくれるんじゃなかったの」
「終わってからの方がすっきり眠れるだろう?お互いに」
「もう」
後はもう、身を任せているだけで勝手にやってくれる。私は時々クローゼットの方に視線をやったが、彼の気配を感じることはできなかった。
まるで儀式みたいなそれが、やっと終わって。少し熱が冷めて。
「ああフラマ……きみは本当に最高の女性だ」
「ふふふ、エイダンったら甘えたなんだから。ほら」
私は自らの唇を指す。彼は貪る様に私の唇に自らの唇を当て、愛を一滴残らずごくごくと飲み干そうとして。
目を見開いた。彼はソファの下に転がる。身体が痺れて動かないのだろう。
「フラマ……?フラマ、いたずらもいいけど、突然だとびっくりしてしまうよ」
「お父さん」
「フラマ……?お父さんがどうしたんだい?」
「エイダンお父さん、私の名前を呼んで」
「フラマ?フラマ、どうして電気を消したんだい」
「お父さん!あなたがつけた名前!呼んでよ!私の名前!!!気に入ってるんだから!!!かわいい名前!あなたがつけてくれた名前!!!」
「フラマ……」
その一言が、父の最後の一言だった。
静寂が訪れた。
私は父の腹をぽすんと蹴り、父の腹を抱いて、大泣きに泣いてやる。
「お父さん!お父さん!お父さん!ねえ!」
私がいくら呼んでも、彼はもうぴくりとも動かなかった。
彼は、もっと早く母の元へ行くべきだったのだと、そう思った。私を温めている時間があったら、もっと早く。
「最後に名前くらい呼んだって、良かったでしょ…」
フラン、と最後に呼んでくれたら、私は罪悪感を覚えられたのに。お父さんごめんなさいと、あなたに謝罪できたのに。
どうして父親を手にかけて、こんなに、今まで経験したことがないほど何かから解放されたような清々しい気持ちになっているんだ。
まるで私に良心がないみたいじゃないか。
「やっぱりお父さんは、私のお父さんになるべきじゃなかったんだよ」
私っていうか、私じゃなくてもダメだった気がするけど。
でも、そんなことを言ってももう遅いから、彼の額にそっと最後にキスをして。
クローゼットを開けた。
「ボクの、せいかい」
クローゼットの奥で膝を抱えたリドルさんは私にそう問うた。
「ただ今日が、私にとっての清算の日だっただけです」
唾液やら体液で塗れているから、近くに行くに留める。
「リドルさん、リドルさん、嬉しくないんですか?私たち、もう自由なんですよ。なんだってできるんですよ。なんだってしていいんですよ」
「……」
「ねえリドルさん、家族になりましょう。私たち、ふたりぼっち」
「……」
リドルさんは、黙っていた。
それならと、私は彼の前にぺたんと座る。
「疲れてしまいましたか?」
「……」
「それなら、もう、終わりにしてしまいましょう。あなたも私も、ちょっと頑張りすぎなくらい頑張った」
「……ボクたち、頑張った、よね」
「はい!すごく頑張った。本当に頑張りました」
リドルさんは微笑みを浮かべながら、しかし涙を流している。
「頑張った、のに」
「……」
「どこから、間違っていたの」
私はその答えを明確に持っていたから、眉を下げた。
眉を下げて。
「生まれる胎から……ですかね」
そう言った。
リドルさんが渇いたように笑った。私は声を殺して泣いた。
それでも、暫くしてリドルさんが私の頭にそっと手を置いて。
「次は、間違えないように、しないと」
と、そう言うから。
私は。
私は、まだ、頑張れると、思えた。
収納魔法で収納した中で、リドルさんのお母様とお父さんは唇を重ねてしまっていて、私はくすくす笑った。お似合いなんじゃない?
ハーツラビュル寮の、フラミンゴの先輩たちのところへリドルさんと一緒に降り立つと、皆さんは「赤い丸いあの子!久しぶりに見た!」「どこへ行ってたの?」と言っているので、私はリドルさんに笑みを向けた。
「リドルさん、ご心配なされていましたよ、皆さん」
「……ボクのことを言っているのはわかるよ……というか、まさか」
「解毒しないと。お姉様お兄様方が体調を崩したら嫌だもの」
私は折り重なっている身体に手を触れ、丁寧に、じっくり私の魔力を辿って解毒し、同時に群れのみんなの為に美味しくなあれと魔法をかける。数分でほの赤くなったそれを浮遊魔法で浮遊させ、風魔法でできるだけ小さく切り刻んで、フラミンゴさん達へ。
頑張って美味しくしたから、喜んでくれている。群れは祭りのような騒ぎで、取り合ってくれている。
「……」
リドルさんは気分が悪そうにしている。口直しにと口をつけて流し込んでやると、暫くして少しだけ顔色がましになってきた。
「吐きそうだったら、吐いた方がいいかもしれませんね」
「……キミは、どうして平気なんだい」
「あなたがいるから」
「……」
「1人じゃないから」
暫く群れを見守ってから、寮のシャワー室を借りて、私の部屋のベッドに2人で寝た。
ちゃんと眠たそうな様子のリドルさんの頭を撫でる。
「全部置き去りにして、今日はおやすみなさい」
リドルさんの寝顔は起きている時とは違いなんの憂いもない様子で、私はこの瞬間が一番長く続く方法を考えざるを得なかった。
翌日。
リドルさんも私も、酷い熱を出していた。私はまだ気力でなんとか動けるが、リドルさんの方は動けすらしない様子で。
頭痛が酷い。一歩進む度に脳が揺れるのがわかり、痛みを訴える。
「楽になっていいと、何回も言ったのに」
経口補水液を吸飲みに入れて虚な瞳をしたリドルさんに飲ませてやる。いつかのことを思い出して、自然と微笑みが浮かんだ。
水を欠かさなければ、人間は最低限、大丈夫だ。
リドルさんにキスをする。どうせ同じウイルスだから。
携帯をバッグから取り出すと、トレイ先輩からメッセージが届いていた。
〝リドル、そっちに居るのか?〟
リドルさんの部屋の窓が開いていたから気付いたのかもしれない。
〝はい〟
返信には、すぐに既読がついた。
〝会えるような状態か?〟
〝いいえ〟
〝お前は大丈夫か?〟
〝私は大丈夫です〟
〝そんな気がした〟
苦笑する。むしろ、リドルさんがいなかった学園での日々より、今の方が元気なくらいだ。
リドルさんが薄目を開けて、私の服の袖を摘んでいる。愛おしい。この子の為なら、私は大丈夫だ。
〝俺に何かできることは?〟
トレイさんは優しい。熱が出て湿っぽくなっているのもあり、涙が出そうだ。
〝もう少し経ってからできそうなので、その時にご連絡します〟
〝役立たずで悪かったな〟
私は微笑んで、携帯の画面を切る。大丈夫だ。時間はある。ゆっくり寝よう。私もリドルさんも、いっぱい頑張って、いっぱい疲れているから。
リドルさんの熱い、小さい身体を、ぐっと抱き締める。
これからどうしましょうかね、なんて考えているうちに、私は眠りに落ちた。
リドルさんはずっとベッドの上に横たわって、瞳を閉じるか開けるかをしていた。
経口補水液を吸飲みで与えて、胃に何も入れないよりはマシだろうと私の買い置いていたフルーツの入ったゼリーを食べさせてやった。リドルさんはじっとするのに忙しいというようにただただじっとしていて、ベッドのヘッドボードにもたれかけさせたリドルさんの口にスプーンでゼリーを入れる時、まるでお人形遊びをしているみたいだと思った。
話すことはいっぱいあったけれど、今じゃないから、ずっと私も頭を使う様なことは言わなかった。おやすみなさいとリドルさんを抱き締めて眠って、お水飲みましょうと経口補水液を与えて、何か胃に入れましょうねとゼリーを与えて、ゼリーが無くなったから行ってきます、すぐ帰ってきますと麓まで行ってちゃんと栄養の入ったゼリーを買って。
吸飲みを差し出すと飲んでくれる。スプーンを差し出すと口を開く。口にゼリーを入れてやると飲み下す。ミルクを与えてやるのも忘れない。けれどリドルさんは、自分から食べたいと言ったり飲みたいと言ったりはしてくれない。
生命維持に必要な部分まで、今は疲れ切っているのだと思った。休ませてあげようと思った。食事介助くらいなんでもない。かわいいリドルさんにそれができるなんて、役得なくらいだ。
「ずっとこのまま、リドルさんがおじいさんになるまで、なっても、私がお世話し続けてあげたっていいんですよ」
リドルさんを抱き締めながら私はそう呟いた。本心からだった。頬擦りをするけれど、リドルさんは虚空を見つめるばかりで反応してくれなかった。私は彼の丸い頭を撫でた。リドルさんがこのままなら寮は出ていかなくちゃいけないけれど、私がどうにかしようと思えば、リドルさん1人くらい食べさせてやれるんだ。
「ここ最近リドルさんと一緒に居られなかったから、今一緒にいられて、うれしいな」
リドルさんの身体の形を覚え切ってしまうくらいリドルさんを抱き締めることができて、嬉しかった。
「ずっとリドルさんと、こうやってのんびりしたいなって思ってたんです」
こうして何もかもから解放されて、2人きりでのんびりしたかった。
「こんなにホリデーって感じのホリデー、人生で初めてかも」
庭園から薔薇を取ってきて、ベッドサイドの机に飾った。リドルさんは何も言ってくれなかった。
リドルさんの胸に耳をつけると、生きている音がして、安心できる。時々、死んでいるんじゃないかと心配になるから。
一番元気だった頃のリドルさんを見ていた寮生たちに今のリドルさんを見せたら、どう思うんだろう。
彼らは、これをリドル寮長だって分かるのかしら。
きっとこんなリドルさん、誰も見たことがない。
知っているのは、自分だけだ。
幸せな気持ちのまま、満足するまで彼に口づける。
すごく良い気分なのに、涙が止まらない。
「リドルさん、すきですよ。すき」
リドルさんはどこを見ているのかわからない無表情のまま、ずっと腕の中にいてくれた。
「一生このまんまでも、いいんですからね」
彼を抱き締めて背中を撫でながら、自分に言い聞かせる。
彼をこんなにしたのは、自分だから。
もう、時間はあまり意味を持っていない。
「……リドル……フラン!」
瞳を開ける。視界も思考もぼやけていて、何がなんだかわからない。
リドルさんに手が伸びるので、反射的に彼を手から庇った。
やめて。
人間は、何かをごちゃごちゃ言った後にどこかへ行ってしまった。
安全を確かめるようにリドルさんに頬擦りをしていると、また人間がやってきて、何かを言っている。
何を言っているかがわからない。音は耳には入ってきているのだけれど、思考がぼやけているせいで、それが意味にならない。
またリドルさんの方へ手を伸ばそうとするので庇う。触らないで。
眠い。眠くて、目を細める。眠いから出て行ってほしい、と睨んでいると、出て行ってくれた。瞳を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。まだリドルさんの心臓からは音がする。嬉しくて涙が出てくる。これが止まった瞬間に、自分もどうにかしてそれを止めようと思った。止めたいと思った。
「……おはよう、フラン」
頭を撫でられて起きる。おはようございます、と思った。
「フランは、まだ眠いの?」
眠かった。気持ち良く二度寝が出来そうな感じだった。
「じゃあ、もう少し一緒に寝ようか」
そうですね、と彼の胸に顔を埋めた。
腕の中の暖かさに、何度勇気付けられただろうか。
「ブロットを身体に溜めすぎて、半ばオーバーブロットしていたみたいだったんだ。マジカルペンも目も真っ黒で、身体中から赤黒い羽根が出てて」
「……」
「そんな姿でも、リドルくんを守ってた。リドルくんにオレたちが触ろうとしたら、もう鬼の様な形相で威嚇してきて、ビビっちゃった」
「……そうか」
「どうしたら良いかわかんなくって、放っといて欲しいって全身でフランちゃんが言ってたから、取り敢えず注意は向けつつ放っておいたら……2人とも、元気そうになってて」
「……」
「リドルくんが、フランちゃんをオーバーブロットから引きずり戻したんじゃないかな」
瞳をゆっくりと開ける。ぼやけていて何も見えない──が、抱いている腰の位置から視界に映る赤いのがリドルさんの髪の毛だとわかったので、息を吐いてもう一度枕に顔を埋めた。
「……フラン、ずっと、ボクにユニーク魔法を」
「……そんだけ、心配してたんだよ」
「……」
「今は休ませてあげよう、って言いたいところだけど……どうしよっか」
「……フラン」
頭を撫でられている。はい、と、首で頷いて返事をした。
「理事長先生にボクら呼ばれているらしいよ」
久しぶりに、頭の中に何かが通った感じがした。
「……どして」
「いや、ボクが長期休学したからさ。本当はボクしか呼ばれていなかったのだけれど、キミも同席させたいと、ボクが言ったから」
「……りじちょが、きて」
「っ……ははは」「ははは!」
何故笑われたのかがわからない。ぎゅっと強く目を瞑る。
「そうだね……一度それで頼んでみて無理なら……ケイト、連絡頼めるかい」
「りょーかいっと。……でも、大丈夫そうでよかった。一時はどうなることかと思ったぁ」
「フランが頑張ってくれたお陰だよ」
頭を撫でられている。頭を撫でられながら眠れたら気持ちがいいだろうな、と思っていたら、ぐるんと意識が反転した。
「ふむ、ではローズハートくんの母君の所在については」
「ボクにも全く……絶縁を切り出した時、酷く激昂してボクを家から追い出したので、気が変わってボクを探しているのかもしれません」
「ふぅむ……」
私は目を開け、ゆっくりと呼吸をする。顎に手を当てている理事長がこちらに視線をくれているのを見て、びっと姿勢を正した。勢い良く背筋を正したせいで、脳が揺れるし軽い貧血を起こすし背が攣りそうになるし最悪だ。
「う゛ぅん……おはようございます、フランくん」
「あ……」
喉が、口が渇きすぎていて声が出ないと気付くや否やリドルさんが吸飲みを手渡してくれるので、それを使ってぐちゅぐちゅと口と喉を潤す。
「お……おはよう、ございます」
「体調の方は?」
「……まあ、マシです」
「それは何より。ローズハートくんからことの顛末を聞きました。フランくんが毎日ローズハートくんの家に行っていたのが功を奏して良かったですね」
「そうですね。フランが家から追い出されたボクを見付けてくれなければ、どうなっていたか」
「……毎日えーこら長い距離飛んで帰って隠蔽魔法まで使ってマジカルペン黒くして吐き気催してた甲斐があってよかったですよ」
「すまないね、フラン」
流れを自然に理解した。私がダウンしていたせいでリドルさんに嘘を考えさせてしまって申し訳がない、と思った。
あくびが止まらない。
「ローズハートくんの父君が絶縁の書類に署名をして出してくれたので、もうローズハートくんの母君がローズハートくんに手出しをすることは出来ませんよ」
「お父様がお母様とボクとの関係性を前から問題視してくれていて助かったよ」
「ぅぁくびが……止まらない」
部屋にくすくすと2人の軽い笑い声が響く。
「……本当に眠そうだね」
「ローズハートくん、ありがとう。ことの顛末が把握できましたので、もうフランくんも休んで結構」
「ふぁりがとうございま」
「ははは、凄いすごい。連続で三回出たよ」
「では失礼」
理事長が部屋から出て行った瞬間、私たちはどちらからともなく、しかし勢い良く、貪るように唇をつけた。
舌を絡めてもまた足りない。舌の側面を舌で擦りあって。
きもちがよくて思わず喉を鳴らす。
暫くして唇を離すと、リドルさんが肩を竦めながら笑った。
「……ふふふ、フランのあの様子じゃ、絶対に何かを隠しているとは思われなかったよ」
「……私は、そもそも何か悪いことをしたと思っていないので」
「……」
「あの結末が一番あの人たちの為だったと、本気でそう思っているので」
「それが、否定できないのが……」
「否定しなくていいんです。寧ろ、これからの人生は、それを肯定するための人生なんです」
「肯定するための……」
「あの人たちが居た未来より、絶対に立派になって、絶対に多くの人を助けてあげましょう。私たちの選択が正しかったんだと、そうするしかなかったんだと、必要悪……いや、悪ですらなかったと、証明するんです」
「……キミ、楽しそうだね」
「はい!だって今まで、頑張らされていたんですから。自分から頑張りたいなんて本気で思えたのも、頑張りたいことができたのも、はじめてなんです」
お父さんが生きていたら、私はいつまでも、ずっとお父さんのことを気にかけてしまっていたと思う。それこそ死ぬまで。
そんなことをしたって、満足を得られるのはお父さんだけだ。それなら、満足しているうちに終わらせてあげる選択は正しかっただろう。自己正当化だと言われたって、私のこの先何十年をあまりにも無意味なそれに費やしてしまっていたかを考えると、いっそ正当化した方がいいとすら思える。
「……ボクは、心の整理に、もう少し時間が掛かりそうだ」
「ええ。ゆっくりで、焦らなくて大丈夫」
「でも……不思議だな。もう、あんまりお母様の顔が、思い出せないんだ」
「リドルさん、いつもお母様の足下ばかり見ていたから」
「ああ、それは、たしかにそうかもしれない……」
私はあの女の恨めしげな目を思い出し、思わず満面の笑みを浮かべる。あの目を向けられている最中、私とリドルさんがキスしているのがそんなに恨めしいか。でもお前にはまだ足りない。どこからも居なくなってしまえ!リドルさんの記憶からも消えてしまえ!とずっと願っていた。願いながらキスをしていた。
せめて私だけは覚えておいてやろう、とにこにこする。あの女の無様な最後と言ったら!あの女の前でするキスの気持ちよかったことと言ったら!
私はお前を死んでも許さない。死んだ如きで許してたまるか。私のかわいいリドルさんからは忘れさせ、私はずっとずっとずっと覚えておいてやる。
「……ねえ、悪いことを、言ってもいいかい」
「なんですか?」
「キミがキミのお父上にすることを、途中から気付いていたのに、ボクは止める気になんてならなかったんだよ」
それは。
「むしろ、むしろ、それじゃ足りないとすら思ったんだ。キミがどれだけ、どれだけ……っ」
彼の美しい涙を袖で拭いてやる。
「どれだけ、苦しかったか、少しでも、わかったら、怒りしか」
「そう、そうなんです、そう」
言ってしまえば、この物語に悪人は1人も登場しない。
ただ、親子という関係性に慣れていなかったせいで、自他の境界を見誤ってしまった、会話のへたくそな、不器用な女の子と。
ただ、好きな女の子が好きで、それ以外に目が向けられなかった、深い愛を持ってしまっただけの男の子。
その2人だって、そうするしかなかったのだ。だから私たちも、そうするしかなかった。
「ね、リドルさん。私のお父さんが動かなくなった時、すっきりした?」
「したさ!愚かにも最後までキミのお母上の名前を呼んで逝ったことに、安堵すら覚えたよ。キミの名前を呼んでいたら、最後まで嫌いになりきれなかったから、嫌いになってもいいことに安心したし、すっきりしたよ」
「あはははは!リドルさん、だぁいすき」
私はぽろぽろと涙を溢しながらリドルさんに抱き付く。愛していた。それだけがあった。
「前はリドルさんのママになりたかったですけど、もう全然そう思わないです!」
「どうしてだい」
「だって私たちの関係、親子なんていうあっさーいうっすーい言葉じゃ言い表せない!言い表せてたまるか!って思うので」
「ははは、ははは、なるほどね」
私たちが〝薄い親子の縁〟だなんて言うとあまりにも大きな意味があるなと、私と彼は笑った。笑って、これからの幸福についての話を始めた。
私たちはあまりにも自由だった。
私たちの間に横たわる愛すら、例えようもなく自由だった。
私たちの旅の果てに私たちが私たちの愛になんと名前を付けようが、それが私たちの勝手であることの、なんと幸福なことだろうか!