洋琴抄
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手に取ることができたものは、いつか必ず手から零れ落ちて行く。
だから、いつか必ず訪れる、何かを所持したことに対しての罰を受ける日を、手に取ったそれを眺めて幸せだなと思いながら、ただじっと待つのだ。
しかし、しかし。
その罰を受けた後に、それでも手にしたことは無駄ではなかったと胸を張れたら、それはどれだけ素敵なことだろう。
ねえ、ヴィルさん、と。もう動かない彼の頭を撫で続けて、少しずつ体温がなくなっていく身体を、幾度も幾度もなぞって。
はやく死ななきゃ、と思うのに、体が動かない。撫でる手は止まらないのに、足に力が入らなくて、動く気にならない。はやくしないと朝になって、ヴィルさんの迎えが来てしまうのに。
「できた、でしょうか」
ヴィルさんの人生。すごく美しい出来だと思います。お力添えをさせていただけて嬉しかったです。ありがとうございました。
あなたのようなスターにお力添えできたことを、光栄に思います。あなたの存在は、これでもう、未来永劫輝きです。
全部持っていけましたか、と。仮初めでも、実体がなくても、それでも、喪失感のまま終わらせることはしたくなかった。胸を張って、これでいいと、自らの描いてきたキャンバスを見て満足して、美しい、完成だと言ってほしいと。
どうせ全部失うんだから、失うまでの過程は美しく在りたかったし、在らせてあげたかった。
「……」
私が殺せなかったモルモットって、殺しておけばよかったんでしょうか。動物実験を経て死ぬよりは多分、麻酔してちゃんと眠ったまま死なせてあげた方が、かなりマシだったに違いありません。でも、その子が使われなくたって、どうせ別のところから違うモルモットを持って動物実験をするだけで、そうしたら、どうするのが正解だったんでしょう。
私には、私にはわからないんです。
私には何もわからない。何もわからなかったから、何にも触れたくなかった。何を選んでも間違えてしまう気がしたから、選べるような選択肢を増やしたくなかった。道が一つしかなかったら、間違えずに済むから。
その選択も多分、思いっきり間違ってたんですけど。
「……」
美は。表現できたと思います。世界中に、多分。私を含めた世界は、最後まであなたを美しかったと思うに違いありません。あなたも最期に笑ってくれたから、それでいいのかなって。私にはそれしかわかりませんから。
いいえ。あなたが笑顔の裏に何を隠していたのかもわかっていないので、いいとは思えないし、これもどこかで間違ってた気がするんですけど。
「……、」
ヴィルさんから死ぬことを提案してくれて、安心した。私は多分、私にそれを許せなかった。いや、許せなかったとかじゃない。私にはなんの選択もできないから、したくないから、その選択もできなかった。
それでも、もう喋ってもらえないのが、構ってもらえないのが寂しくて、一瞬──こんなにヴィルさんが居なくて寂しがってるんだから、キスでもしたら生き返ってくれるんじゃないかな、と思って唇を近づけかけたけど、本当に生き返ってしまっても、もう一度苦しませる羽目になるだけなので、やめておいた。
心から嫌いな相手と一緒の部屋で死のうとは思わないだろうから、私はヴィルさんを撫でる手を止めて、ヴィルさんから手を離し、そこを去った。
ヴィルさんにこの寂しい思いをさせなかったのは、多分正解だったんだろうと思えて、少しだけ口に笑みを浮かべられて、よかった。
あなたと出会えて幸せだったって思えて、よかった。
あなたの隠していた全部を受け取って、それを持ったまま死ねることは、嬉しいことです。
そんな大役を任せてくれてありがとうございます。
でも、本当は、2人で観た映画の続編が配信されるのが来週だったから、それを一緒に観たかったんですけどね、なんて思ってしまって首を振った。そうしたら来月に出るあの監督の新作も気になるし、来年の舞台だって気になってきてしまうから。
「……あ」
ヴィルさんに、生まれてきてくれてありがとうございましたって言うのを忘れていたことに気付いて、溜め息を吐く。口に自分への呆れの笑みが浮かんだ。本当に間違えてばかりだ。
あなたに生きる選択肢を与えられなくてごめんなさい。
ヴィルさんは、私の世界のぜんぶでした。
私がヴィルさんの、世界のぜんぶになれていたら、こんな結末にはならなくって済んだ。だって、私はずっと繰り返し繰り返しあなたは綺麗だって本心から言っていたのに、あなたがあなたを醜いと思う気持ちの方が、あなたの中では重みがあったんですよね。
だから、私が私を信頼させてあげられなかったせいです。私が、あなたにそれほど好かれていなかったから。私に、魅力がなかったから。世界のぜんぶに勝るほどの魅力なんて、求めるだけ変だと思うけれど、あなたにはあったから。あなたは私の世界のぜんぶでした。なのに。
死なせてあげるしかなくてごめんなさい。
大好きでした。
だから、強いて言うとするなら。私は間違うのはここで終わりで、この後は何も間違えなくていいっていうのが、正解かもしれません。
ありがとうございました。本当に。何もかもダメな私を、それでも側に置いてくれて。幸せな未来を幾度も提示してくれて、何も選べない私の代わりに、私を幸せにしてくれて。
あなたのおかげで、私は、私だけは本当に、心から、幸せでした。これだけは断言できるから。
本当に、ありがとうございました。