洋琴抄
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ルイの家にはグランドピアノやその他楽器などが置かれている、まるでスクールの音楽室のような様相の防音のスタジオが存在する。
ルイの曲に使われている楽器の音声の殆ど全てがここで録音されたものである。ルイの楽曲はそれらを録音してPCに入れ、その他の楽器を入れてMIX、加工、必要であれば電子音やその他の楽器の音を入れて完成、といった具合である。ファンからすれば垂涎ものの部屋であろう。
自室にもう一台電子ピアノを置いて、獣人用のイヤホンをつけ、右手でピアノを弾きメロディーを確かめながら左手でマウス操作をして、背を丸めえらく静かに──しかしよくPCの画面を見るととんでもない素早い速度で──曲を作っている様子は、世間で想像されている、抽象化された天才の姿そのもので、初めて見た時は少し笑ってしまった。
外出する際にもパッドを持ち歩いているので、その場で作曲をする時すらあり──ヴィルと訪れたレストランに静かにかかっていた民族音楽をEDM風に魔改造してなんの前置きもなく唐突に──しかも無表情で!──流しはじめたり、ヴィルがマヨネーズを嫌うので「ヴィルさんにとってのマヨネーズの曲です」と無造作に呟き、マヨネーズのテレビCMのメロディーにどことなく似た音を使用し、しかし電子音や弦楽器のキーキー鳴る音を入れ、まるでホラー映画に使用されるもののように非常に恐ろしくなっている曲──を流したりして、才能の無駄遣いにも程があるわ、だなんて思いながらいつもひいひい言って許しを請うほど笑わせられてしまっていた。
ヴィルが笑っている時の後輩の表情は誇らしげで、それも非常に可愛らしくて、ああこの子のこんな姿知ってるのアタシだけだわ、と思うとほの暗いよろこびがあってしまった。それには以前から気付いており、だからこちらからもプライベートではあまり接触しないようにしていた。お互いの生活があるから、と。
「……」
防音室と言えど、隣の部屋に居れば少しは音が聞こえる。ルイがピアノを弾いて、メロディーを幾度も繰り返して繰り返して、音を増やして曲を作っていくのを、その隣の部屋──書庫──の椅子に座ってスマホを弄ったり台本やスケジュールを確認しながら聴くのが、ヴィル・シェーンハイトにとって、密かな癒しとなっていた。
MIX作業までは全てがその部屋で行われるから、曲がどんどん出来上がっていくのを感じるのは本当に聴いていて楽しいし、認めたくはないが人──もはやルイだけだが──恋しさもあり。
家に帰ってきて──自室かリビングに居ない時には、大抵そこの部屋で作曲をしているルイ。深夜を回っても気にせず続ける姿は、ヴィルが居てもそのまま暮らせているという証左で。迷惑になっていないようでよかったわと弱気な安堵が出た。
その部屋に居る時には直接声を掛ける気になどならないから、メッセージを送って夕飯を食べたかどうかを尋ねる。回答はいつも決まっている。食べていませんと。だからヴィルは今食べるか後で食べるかを訊いて夕食のデリバリーをとってやって、玄関に配達完了の報せが来ると外を確認し、配達員が去ったことを確認してから扉を開け──冷蔵庫の中かスタジオの前に置いておいてやるのだ。
「なにか観たいのありますか?」
リビングのソファーでテレビを観ながらパッドでメッセージやらスケジュールの確認をしつつだらけているルイの隣へ座ると、必ずそう問われた。そういう時のルイはB級かそれより辛うじて少し上かという映画を観ていることが多かった。その癖を知って、Z級を好む理由はわかったけれど、それでもどうしてA級は避けるのよ、と問い掛けた際に、「観ると疲れるので」という返答が返ってきたことは、よく覚えている。
良い映画を観ると疲れるのだ。登場人物に共感できて、感情が揺り動かされるから。だから、全く共感できないZ級やら、ところどころにノイズがあったりして首を傾げさせられるB級ではないと観ていられないというのは──なんというか、ルイがSNSを頑なにやろうとしないことだったり、テレビでニュースが映るとすぐにチャンネルを変えようとすることだったりにそのまま直結している気がして。
──時々なら、それもヴィルさんが勧めてくれるものなら、いいんですけど
ルイはそう言って。この子には、触れれば壊れてしまいそうな雰囲気がある。けれど、この子には芯がしっかりあって、思いの外強い。いや、思いの外どころじゃないわ。そんじょそこらの人間よりよほど強い。頑固といっても、多分差し支えがない。
全力で笑わせにくるところなんかは猫っぽくないわね、なんて思ったりもしたけど、ヴィルが一緒に住んでいても全く構わず一日中スタジオに篭り切りになるところや、鈍感に見えて、繊細で打たれ弱いように見えて、しかし頑固で強いところなんかは、やっぱり猫っぽいわねと。
目を真っ直ぐ見てくるところとかも、と考えて、少しだけ嫌になった。
「アンタ以外の人間、居なくなればいいのに」
そう、口から滑って、でも疲れていたから、滑ってしまったことを把握する以上のことが頭の中で起こらなかった。
「今日もお疲れ様です」
ルイはそう言った。本心から言っている声音だった。
だから。
「……疲れたわよ」
どんどん滑る。滑っていく。
本当に怖いのよ。わかってる?もう本当は家から出たくないくらいなのよ。それなのにアンタがああ言ったから、アタシは。
ぼたぼたぼたぼたと質量のある言葉を涙と一緒に落としていると、肩に尻尾がさらりと触れて。
しかしルイは何も言わずに、こちらの言葉を待っている。
けれど、別に本当は何も言いたいことなんてなかった。だから、そこで言葉が止まって、涙だけが止まらない。
「……今日放送のドラマ出てましたよね」
ヴィルさんしゃんとしてて、すごくかっこよかったです。あれ脚本がヴィルさんの為に、キャラが事件の捜査中に新人を庇って顔に怪我したって変わったんですね。ちょっとだけ調べてみたら、案の定ヴィルさんのおかげでそのキャラの人気まで一気に上がってファンアートとか同人グッズとか出てて。
「……」
塞がないで頂戴。呪わないで、それ以上、酷いことを言わないで。
そう思っているのに、ダメよ聞きなさい、ともう1人のアタシが言う。
しかしルイから続けて発された言葉は、まったく予想外のものだった。
「ヴィルさん主演の映画、私からやりたいですって言おうかどうか迷ってたくらいなんですけど、監督からお声掛けいただいて、私が劇伴やっていいって言っていただけて、それで今日ヴィルさんにそれ話すのすごい楽しみにしてて」
「えっ……、あ」
そういえば、監督からキミが主演なんだから周りもキミに近しい人にしたいと──以前、言われていたことを思い出す。
ネージュが友人役として、その他出演者に他の作品で共演したことのある顔馴染みばかりが決定したことに対して言っていたのだと思っていた。しかし、それだけではなかったのか、と。
「ヴィルさんと色々そのことについてお話したいので、ヴィルさんに近々どうにかお休み入れてくださいってマネージャーさんに頼んでおいたので、その時に一緒に色々考えてくれませんか」
「……、」
「脚本読んで私が作るところ、あなたに見ててほしいんです」
「……」
「あなたが主役だから。……あ、長時間になりそうなのでこのソファースタジオに持っていきますね」
ルイは見るからに浮かれている。しかし、アタシが疲れていることに対して確実に心配はしていて、でもそれを無視してくる。
アタシが今これ以上折れるのを防ぐ為に。現在の激務の中、アタシ側からスケジュールの変更を言うのが難しい心理状態なのすら察して、そっちから休みを入れてくれと。
「……この、」
続く言葉──形容詞が、出てこなくて溜め息を吐いた。なんなのよコイツ。もう、なんなのよコイツ。
コイツはなんなのよ!
「……楽しみじゃないですか、映画」
……楽しみだというより、恐怖が勝っていた。
アタシの怯えが、恐怖が、ヴィル・シェーンハイトとして居なければいけない状況の中で、しかし反射的に出てしまっていたとしたら──アタシは絶対にショックを受けるから。アタシしか気付かないレベルだったとしても、演じ切れていなかったと、絶対にショックを受けてしまうから。
けれど。
「……楽しみ、ね。たしかに。そうね」
ルイが作曲をしているところを──しかもアタシの為に!──間近で、ソファーで見ててよくて、口出しすら求められていて、しかも長時間って言うから、この子1曲作るの──色々擦り合わせがあるからまずはピアノスケッチだけだろうから尚更──速いから、1日に何曲も作ってくれるつもりなのねと。眼前で。
その日が心の底から楽しみなのは、確かにそうだった。
そしてそれが1番適切な場面で流れると考えたら、恐怖そのものでしかなかった映画の完成は、少しだけ、楽しみになるかも、しれない。
「ヴィルさんにつり合うような曲作り頑張らないと」
この悪魔。
そう言われたら、こっちだって。
もう。最悪。最悪よ。
最悪だと思うのに、自然と口角が上がる。まだ頑張りたいと思えることが、嬉しくて。ありがとう、ルイ。アンタみたいな悪魔が居てくれて本当に嬉しいわ。まだ、まだ美しく居られる。
涙は好きなだけ流させておいた。泣くのは、ストレス解消になってくれるから。