洋琴抄
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「ヴィル、あなた最近、妙に尖っているというか……」
「いいわ、アデラ。その話は後にして頂戴」
「……わかったわ。次の現場、台本の最終確認は必要?」
「要らないわ。当然、全部とっくに頭に入れてあるもの」
「……そう」
以前と全く同じことをしているだけなのにも関わらず、マネージャーはどこか何か言葉を隠し持っている様子を見せるので、アタシはぬるいミネラルウォーターのキャップを開けて一口だけ飲み下した。
(……ああ、今日はルイがリビングに居てくれるといいのだけれど)
気付けばそれだけが、楽しみになってきていた。笑えるわね、と自分を嗤おうとして、それに失敗する。書庫でこっそり楽器を弾いているのを聴くのも落ち着くけれど、リビングのソファで寝転び、テレビを観ながら──タブレットで作曲していたり、メッセージを送っていたりするルイの隣は、息のしやすさに驚くほど落ち着く。
それに、同じものを一緒に観て、演技や脚本や演出に2人でヤジを飛ばしながら──ちゃんと成長する為にやることをやるのが、とっても大切な時間で。
アタシはついこの前、パックとか化粧水とか乳液とか、毎日やらなきゃ気が済まないようになっていた顔のケアに──これやる意味あるのかしら、いや、どう考えたってないじゃないの、と気付いてしまった。
どうせ顔の半分の方に気をとられてこっち大して見てないのよ。知ってる。
今までは隅から隅まで気を遣う必要があったけれど、でも今は注目を惹くこれがあるから、残った半分なんて全然見られていないわよね。
やらなくってもいいかしら。
やってたって、バカみたいだものね。
そう思って、バスルームから出た後、特に何もつけずに──髪を乾かして、ソファへ寝そべるルイの居るリビングへ行き、空いている部分へ座って一緒にテレビを眺めて、乾燥しているのがわかる自分の肌に虚無感が湧いて、内容が頭に入ってこないテレビを眺めていた。
するとルイが、気付けば顔の斜め下に、至近距離で顔を近づけているものだから、驚いて肩を揺らした。
「……な、なに」
「……においが違うんです。変えましたか?化粧水とか」
「……、」
なにもつけていないからだわ、と、すぐにわかった。
でも、それを正直にいうのは、躊躇われて。
「……ええ。変えたわ」
「……そうなんですか」
ふい、とルイはテレビへ視線を戻す。何故だかわからないけれど、どくんどくんと心臓がうるさいような気がする。
「……私、いつものヴィルさんのにおいのほうが好きかもです」
なんでも、なんでもない様子でそう言うルイ。何を考えているの。ねえ、怖いわ。あなたの考えていることがわからないの。あなたどこまでわかってるの?ねえ、本当は顔がわからないフリしてるだけなんじゃないの、と一瞬思って、それだけは絶対にありえないわと否定した。
だって、どんな役者だって、事前にアタシの顔を知ってたって、目を逸らしたり、逆にじっと見すぎて不自然だったり。本当に、それでも、この子だけだったのよ。不自然じゃなかったのは。いつもと全く同じだったのは。
「……」
座っていられなくて、立った。洗面所に行って、ここ2年ほど、事件の前から──愛用している化粧水と乳液を、いつもみたいに塗りなおす。
本当は髪を乾かす前の方が水分が奪われてなくてよかったのよ。ああでも、涙が止まらないからそれでいいかしら、なんて、バカみたい。
ねえ。ルイ。好きよ。大好き。
あなたの底がわからないわ。どこまで考えているのかしら。いいえ、でも、きっとアタシが思ってる以上にアンタ色々考えてたのね、ずっと。
ヒトっていうのは、本当に優しく居ようと思ったら、神経を張り巡らせてたくさん色々考えなくちゃいけないんだから。特に今のアタシみたいな生き物には、いつもなら呼吸と同時に流して気にも留めなかった無神経が刺さって痛くて痛くて、顔を引っ掻いて掻き毟ってぐちゃぐちゃにしちゃいたくなるの。それをずっとずっとずっと我慢してるのは辛いのよ。
でも、そんなアタシにもアンタはずっと普通だった。無神経が刺さらないのって、本当に気を遣ってなきゃできないのよ。違和感もなかったから、前からずっとそうだったんだわ。もっとはやく気付くべきだったわね。もしかして、気付かせなかったのも優しさだったの?すごいわねアンタ。役者向いてるわよ。
なんて。別にルイは演じているつもりもないんでしょうから、向いてるもなにもないでしょうけど。
目頭を抑えて涙を止める。思わず溜め息を吐く。もう一回顔をぬるま湯で洗って、いつものようにちゃんとケアをした。
リビングへ戻ると、ルイは冷蔵庫を探っていた。何か持ってくるつもりなのだろうと知らない女優と俳優の熱烈な、しかしどこか不自然なキスを眺めていると、ルイはぶどうを持ってソファへ戻ってきた。
「シャインマスカット、貰っちゃったんです。すっごいおいしい。ヴィルさんもどうぞ」
「……いただくわ」
普段なら食べない時間だけれど、一つくらいならいいかしら、果物だし。と口へ運ぶと、思いの外それが美味しいものだから目を見開いた。
すると美味しかった反応だったのに気付いたルイが嬉しそうに。
「レコード会社の社員だけナイショで貰ってたのを見ちゃったので、社員の謝意マスカット……」
「……は?え?もう一回言って頂戴。よく聞こえなかったわ」
「ご、ごめんなさい……なんにも言ってないです」
恥ずかしいのかなにかを堪えている様子のルイ。
ばかな子。本当にばかな子。ああ、アタシったらなんでまた泣きそうになってるの。泣くほど酷かったのね、今のジョーク。
上を向いて、呆れているフリを装って涙が溢れる前に止めて、ぶどうをもう一粒だけ口へ運ぶ。
「……おいしいわね。社員の謝意マスカット」
「やー!……何も言ってなかったことにしますかっと」
「ふふ」
最高にくだらないし何も面白くないのに、思わず笑ってしまって悔しい。ルイを見やると、いつものあのどこか誇らしげな表情に、してやったりという感情を混ぜたルイが居て。
思わず首を掴んで頭頂部へ手のひらをぐりぐり押し付けてやった。ルイがアタシの手の中で、けらけら笑いながら謝罪している。
こんなにかわいい子、どうしたらいいのかしら。本当にかわいくて仕方ないのよ。
「……はやく家に帰りたい」
「……ルイと上手く行っているみたいで何よりだけれど」
「あ、……今の口に出てたかしら。出てなかったわよね?」
「ええ。何も聞こえなかったわ」
アデラは微笑んで、頷く。わかってるじゃないのと首を竦めて、次の現場のことへ思考を移した。