洋琴抄
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「パパにすら、大丈夫って嘘吐いちゃったわ」
「……」
やはりダッドはなんとなく気付いてしまったみたいで、休むという選択肢もあるということだけは忘れないように、と言ってくれた。
でも、休んだところでなんの解決になるのかしら。いいえ。一度でも足を止めたら、きっと二度と走れなくなるわ。眠ったら朝になってしまうのが恐ろしくて眠れない日が続き、眠剤まで処方されはじめた。
眠剤の残る身体をカフェインで無理矢理起こさせて、アタシは今日も走った。
明日も……?
「……いつまでやればいいの」
ずっと前から疑問に思っていたけれど、聞いたって意味がないから聞かなかった。なんとなく、自分の限界がどこにあるのかわかる。それに達したら、アタシはきっと動けなくなって、あとは野となれ山となれで、時間だけは無情に進んでいく。
心理的なもので休養なんて、絶対に公表したくないし、そう思われたくもない。絶対に、それだけは嫌よ。でも、どうしたらいいの?あとどのくらい頑張れば許されるのかしら。もう、もう嫌なの。外に出たくないの。誰にも会いたくないの。
アタシはそうルイに泣きついた。今日楽屋前の通路ですれ違った──アタシの方を凝視していた──アイドルの幾人かのうちの1人が、アタシと距離が離れるのを待ってから「ヤバ……」と呟いていたのが耳に届いてしまった。
いいえ。この顔で表舞台に立ってるんだから、そんな声なんて毎日絶えることなく常に耳に入ってきているのよ。だからいい加減、慣れてもいいはずでしょ?それなのに、慣れる気配がないどころか、日に日に痛くなってきているような気がするの。
いいえ、もしかしたらあのアイドルの子たち、アタシのファンで、ヴィル・シェーンハイトを見たことで驚いてそう言っただけかもしれないわ。顔のことより、アタシという個人に驚いたのよ。
……そう思おうとしても、何故かできないの。
アンタの言うタフなアタシはどこに行っちゃったのよ。撮影で最高のパフォーマンスができて、監督にも褒められて当たり前でしょって返して肩を竦めて得意になっても、鏡を見たらそこに居るのは醜悪で気持ちの悪い爛れた顔をしたアタシなの。
なんであんな言動がこの顔でできたの?って、その度にショックを受けるのよ。演技に夢中になって自分の顔のことを忘れていられる時間は幸福よ。でも、鏡に映った自分を見て、その顔でよくそんな演技してられるわね、って、自分がとても恥ずかしく思えてしまうの。
顔のことを忘れて演技に没頭していた醜いアタシがただただ恥ずかしくて、どうして?アタシは頑張ったのに、どうしてそんなこと思われなくちゃいけないの?嫌、嫌よ。そんなこと思いたくない。
帰ってくるなりソファに寝転んでいたルイの腰へ抱きついたアタシを、ルイは何も言わずに撫でてくれるので──そのまま大泣きしてしまった。
ルイの腕の中でゆっくり呼吸をしていると、頭がぼうっとしているのを感じる。泣き疲れちゃったって、子どもみたい。それとも、ルイがぬくいからなのかしら。
「……、3ヶ月」
ルイが呟く。復帰してからの、活動期間。
それだけしか経ってなかったの?って、絶望すら覚える。もう、数年は休まず耐えてきた気がするのに、それだけ?
「……ヴィルさん、近々纏まった休みあるのご存知ですか」
「知ってるわよ自分のスケジュールくらい……むしろなんでアンタが知ってるのよ」
「ヴィルさんのマネージャーさんが、教えてくださいって言ったら教えてくれて……、なので、3日でしたっけ?その3日、いっぱい休みましょう」
「……」
「SNSの更新はマネージャーさんがやっておいてくれるらしいので、インターネットからも離れて」
「……それで?」
3日休んだらまた頑張りましょうって、酷いことを言ってくると思った。だから、ルイの腹に頭を押し付けてやったのに。
「3日休んで、それでももう無理だってなったら、芸能活動辞めちゃいましょう」
「……、え?」
それは。
それは、予想外の言葉だった。思わずルイの顔を直接見やる。
「どうして?アタシが辞めたら……」
「3ヶ月頑張って、あなた自身が顔に全く左右されていないと世間に発表はできましたので。……その上で、でも、世間の対応に疲れてしまったとしたら、それはあなたではなく世間が悪いので」
「……そんなの」
「……今はいいです。休んでから、決めましょう」
ルイの手が頭を撫でてくる。いつだったかしら、最初にこの子に撫でられたの。いつだったか忘れちゃったわ。でも、結構最近まで恐る恐る触れてきていたのに、今はもう躊躇いすらない。
アタシ、多分アタシが思ってる以上にこの子に甘えてるんだわ、と思うけれど。それくらいの権利、あっていいでしょ。こんなに頑張らされて。もう。
ルイはずっとただ何も言わずに頭を撫でてくれていた。ダッドを思い出して安心する。
〝ヴィルは本当に世界一素敵で、強い子だね〟
ダッド。ダッド。愛してるわ。
だから、どうか、ずっとそう思っていてほしいの。
きっと吐き出したってあなたは優しく受け止めてくれる。けど、アタシはダッドの中でも綺麗で在りたいのよ。
見上げるとルイは、少しだけ嬉しそうな表情をしていて。
「……アタシが、アンタにだけこんな姿を見せてるのが、嬉しいの?」
「……というよりは、ヴィルさんが、吐き出せる相手が居てよかったって、思います」
「……そう」
ぎゅっと瞼を閉じる。「あのヴィルさんが私の前でだけ弱っているのがかわいくて堪らないです」って言ってくれたら、もっと思う存分泣けたし──弱いところを見せられた気がするのに、ルイはそうは言ってくれなかった。
「……アタシは、アンタの中でも、まだ綺麗?」
「ええ。勿論。あなたがどれだけ頑張っているか知っています。本当にあなたは綺麗です」
当たり前よ。本当に、どれだけ頑張っているか!どれだけ気を張っているか!知ってる訳ないでしょアンタが!人の顔どころか自分の顔もわからないくせに!
なんて、少し思ったけれど、撫でる手が優しいので、一つ息を吐くとどうでもよくなった。
「……綺麗なら、いいのよ」
「はい。あと数日頑張ったらお休みなので……そうしたら活動を終了させることも考えられますので、あと数日だけ。無論私にできることは協力しますので」
「……朝4時にアタシの部屋にコーヒー淹れて持ってきてくれるの?」
「いいですよ。明日からそうしますね」
少しは狼狽えることを予想していたのに、ルイはそんな様子も全くなく頷いた。そういえばこの子昼夜逆転してるから、4時くらいまで起きてることちょくちょくあるし、よく考えたら大したお願いじゃなかったわね、と溜め息を吐く。
それでも、それは素直にありがたいから。
「……ありがと」
「……いいえ。数日も、もう耐えられないのであれば、今からマネージャーさんに私が電話しますが」
「……、いいわ。やるわよ。やる」
溜め息を吐く。芸能活動を辞めるどうこうの話の前にこの話を出されていたら、きっとアタシは頷いていた。
ああ、もう頭が回らないわ。あと数日、数日だけ頑張る。できる。できるわ。数日なら。1週間もないくらい。それなら、できるから。頑張るわ。そのあとはもう、今は知らない。