洋琴抄
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帰ってきて玄関に倒れ込むアタシにルイがメイク落としシートを出して渡してくれるので、それでメイクを落とす。それで、お風呂はどうしますかって聞かれて、洗浄魔法でやるからいいわ、って以前だったら考えられないことを言うと、そのままひょいと持ち上げられてソファへ身体を置かれる。
お腹減ってないですか何が食べたいですかと聞いてくるからてきとうに答えて、ネクタイを緩めてボタンをいくつか開ける。
ああ、今日もなんとか帰ってこられた。と天井を眺めていると、ルイがソファ前のテーブルにリクエストしたものを置いておいてくれるからそれを食べて、動けるようにまで回復したら自室へ戻って洗浄魔法で身体を洗って、最低限のケアだけして、そのまま寝る。覚えなくちゃいけない台本とかがあったら、本来起きなくちゃいけない時間より少しはやめにアラームをセットして。それがここ最近のルーティン。
ルイに起きる時間を連絡しなくていいのは少しだけ驚いた。スタジオに居たりイヤホンをしてない限りアラームの音が聞こえるので、鳴ったらコーヒー淹れて持っていきます、と。
耳いいのね、とだけアタシは返した。そして言った通り、アラームが鳴ってアタシがベッドで上体を起こして眠気をどうにかしようとしていると、ちゃんとルイがコーヒーを持ってきてくれる。蒸らしとかやらないで淹れてる。下手くそ。と思ったけれど、当然文句は言わない。その分すぐに持ってきてくれたんだから、ありがたいわ。
「あなたは今日も綺麗ですよ」
疲れ切っているのを露わにしながら美味しくないコーヒーを飲んで顔を顰めているアタシに、ルイはそれでも嬉しそうにそんなことを言う。
思わず、鼻で笑ってしまった。どこがなのよ、どこが。
そもそもアンタ、綺麗か醜いかの概念も理解できていないで、てきとうなこと言ってるだけなんじゃないの?
なんて、思っても疲れているから声に出ないけれど。
「……」
でも、伝わってしまったみたいで、ルイは微笑みを俯かせるから。
あたたかいコーヒーの入ったマグカップであたためた手を、ルイの頭の上に置いてやって、残りのコーヒーを飲み干して溜め息を吐いた。
「……ありがとう」
「……」
「それしかないのよ、アンタには」
「……」
「本当よ。最近八つ当たりばかりして手間かけて、本当にごめんなさい」
「あなたのやっていることは八つ当たりではないですし、私はあなたの力に少しでもなれて、幸福です」
「……そう」
ならいいわ、と頭が勝手に発言の裏側を読もうとするのを、無理矢理止めて、言葉をそのまま受け取っておく。
「信じてください」
「……」
何について言っているのかしら、と溜め息を吐いて次の言葉を待つ。
「どうして信じてくれないんですか」
「なんの話?」
「あなたは綺麗です」
「……」
溜め息を吐く。頭を回したくなくて、眉を顰めた。
「……ごめんなさい」
「……」
「朝からこんな話して、すみません。忘れてください」
そう言ってルイは出て行った。
アンタからはホントに綺麗に見えてるのね。そう。
スマホを充電ケーブルから抜いて手に取りメッセージを確認する。ああ、どこが綺麗に見えているのか訊けばよかったわ、と、今更頭の片隅で思った。
アタシはやりきった。やりきったわ。
とりあえず、とりあえず3日は、休めるわ。
家に着いた時には寧ろ朝より元気になっていて、数日ぶりに玄関に倒れ込むなんてことなくそのままお風呂へ直行し、ゆっくりとバスタブに浸かる。
アタシが元気なのが嬉しいらしくて、ルイがスタジオの扉を開けっ放しにして──アタシに聴かせるため──ピアノを弾きはじめた音が聞こえる。学生時代に2人して気に入った映画の劇伴。扉を開けたまま弾くと近所迷惑になるかもしれない──それにもう夜よ──なんてこと、ルイが1番わかっているハズなのに。
今日帰ってきてからまだ1度も顔を合わせていないにも関わらず、そこまでコミュニケーションができる関係。アタシにそれがあってくれて本当によかった、って、らしくもなく思って、バスタブの中で微笑んでしまった。
なんであの時そのまま死なせてくれなかったのよ、とルイへ詰問してしまったことを思い出す。その時あの子は、ただ耳を下げて、ごめんなさいと言って。
ごめんなさいって言うなら最初からしないで頂戴よとアタシは吐き捨てた。その時にはじめて、ルイがぼたぼたと涙を溢していることに気づいた。それも、驚くほどの勢いで、目を大きく見開いたまま、歯を食い縛って。
ああ。そうなの、アンタ、わかってたのね。本当に、わかっててくれたのね、と、そこで気付けた。
冷静になった頭で、それならいいわよ、ごめんなさい。アタシが悪かったわ。そう言って撫でてやってもルイは泣き止む気配がなくて、ただ「ヴィルさんはなにも悪くないです」と単語単語で呼吸を挟みながら言った。
それに、あのまま死んでたら、アンタの言う通り美しくなかったわ。
だから、ありがたいって本当に思ってるの。……今のはただの八つ当たりよ。ごめんなさい。
そう言っても、ルイはごめんなさいと言うばっかりで話にならない。八つ当たりしておいて、呆れと苛立ちで溜め息が出たけれど、そんなにわかってくれてたのね、という安心感の方が勝った。
わかってくれてたなら、アンタも痛かったでしょうに。アタシを家から送り出す時、心配そうな顔を見せなかったのは役者ね。なんて撫でながら言ってあげたら、泣きながらこくこくこくこくと頷くので、こっちも泣きそうになってしまった。
撫でながら、この子の泣くとこはじめて見たわ、と思った。感動的な映画を流しても、叱りつけても、目を輝かせたり怯えたりはしたものの涙は流さない子だった。そんな子が自分の為にぼたぼた涙を流しているのは、幸福なことだと素直に思えて。
この家のどこにも鏡がないのは、きっとアタシが来てから取り外したんでしょうね、なんて。ありがとうルイ、大好きよ。とまた思う。スマホを鏡代わりにするしかなくて、全身鏡が欲しいとよくぼやくけれど、それを無視してくれてありがとう。アンタのこと愛してるわ。
ルイの弾く曲は全て聴き馴染みのある、あの映画に使われていたやつだわ、と思い当たるものだった。
ルイのピアノは、ずっと絶え間なく続いていてくれた。だから、まるで隣に居る時みたいに安心して、せっかく伴奏付きのバスシーンなんだから、とバスタブへ入浴剤を入れて、最近手を抜いていた髪のケアも、ちゃんと、しっかりと丁寧に時間を掛けて。
うっとりと溜め息を吐く。こんな日、久しぶり。ちょっと夜更かししてもいいわ、と思う元気があることが嬉しくて笑みが漏れた。
お風呂から出て、身体を拭いてオイルを馴染ませて髪を乾かして、バスローブ姿でパックをしたままスタジオへ行き、ルイへ後ろから抱きついた。ころころ笑うルイが可愛くって抱きしめながら頭を撫でると、ルイの演奏に更に肩が入って。
ああ。すてき。すてき。大好きよ、ルイ。揺れる尻尾もどこもかしこもかわいいわねアンタ、と愛でていると、チャイムが鳴ったのでルイは演奏を止め、慌てて玄関へ走って行った。
耳を立てていると、案の定近所の人にお叱りを受けている。相手もルイのピアノの上手さに注意がしづらいらしく、〝とても素敵な演奏なんですが明日朝が早いもので……〟と絞り出すように言っているのが面白くって面白くって、必死に笑う声を抑え、ずれたパックをなおした。