洋琴抄
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一晩なんの心配もなくぐっすり眠ってみると、身体の疲れは驚くほどなくなっていた。ここ数日、アタシぶっ倒れるんじゃないかしらと心配するほど身体が重かったのがまるで嘘みたい。少し肩凝りがあるくらいで、身体はとっても軽い。身体的な疲労は最初っから微塵もなくって──それはそうよ、ずっと前からこの生活、いいえ、学生時代なんか今よりよほど多忙な生活をしていたのだもの!──精神的な疲労が身体に出ていただけだったらしい。呆れて顔を手で覆い首を振った。
とりあえず冷静になって考えてみると、今ここで活動を辞めるなんて絶対にありえない!と思える。思えてよかったわ。本当に疲労って怖い。辞めるとしたって、今だけは絶対にありえない。だって、アタシ主演の映画、まだ撮り終わってないわ!絶対に嫌!
慌てて脚本を読み返す。最初に見た時も思ったけれど──その時も疲れていたのね、今ほど感動していなかった。最高の出来なの!
今までアタシが悪役として演じた全ての役の平均値をとったかのような──というか、実際そうなのだろうけれど──設定の、口調やら性格はアタシをそのまま模してる主人公が、〝普通のハッピーエンド〟からこぼれ落ちた、〝普通のハッピーエンド〟では救われなかった人へ、アンタたちだって救われなさい!と、1人1人の背中を叩くような、とっても皮肉なダークヒーローもの。
この作品は、今までのアタシの演じてきた全ての──悪役を、主人公にすらしてしまう。アタシは最後まで舞台に立っていたかった。でも悪役ではそれができなかった──いいえ、この悪役は描写されていないだけで、このハッピーエンドからこぼれ落ちた人たちの前でまだ美しく立っているわ。そっちにカメラを向けないのはどうして!?──なんて、思わせてくれる、最高の作品。
ずっと最後までアタシは舞台に立っていたの。主人公たちが大団円している時にアタシが居なかったのは、カメラマンが、ライト係がそちらを映したかったからってだけ。カメラマンの好みよ。
アタシはまだこの時、映っていないだけで──ちゃんと舞台に立っていたんだから。ああ、カメラマン、センス無くって可哀想ね。1番大切なところ映し逃してるわよ──なんて、今までのアタシの全ての作品に皮肉を言う、最高のダークヒーローものなの。
絶対に、絶対にこれだけは完成させたいと思っていたのに、アタシは何を考えていたの。自分でも驚くわ。
人間、疲れすぎると本当に視野が狭くなるわね。冷静になってみるとあの時のアタシがおかしかったことがわかるけれど、でもとりあえず、あそこで目の前にわかりやすくニンジンをぶら下げて、なんとかここまで止まらず走らせてくれたルイには感謝してもしきれない。
あそこで止まっていたら、今頃になって──それこそ自分の舌を噛み切ってやりたいほど後悔していただろうから。
公開までは、あと──どれくらい?半年?1年?
「……それまでは血吐いても、活動頻度減らしても頑張るわ。頑張らせて」
「〜〜!!!」
ルイは、ぱああと顔を明るくして、毛と尻尾を逆立てて喜んでいる。心配かけたわね、もう大丈夫よ、と背中をとんとんと指で叩くと、アタシを掻き抱いて戯れてくるので、たまらない気持ちになった。
「アンタの曲も本当に最っ高なのに……絶対に、絶対にこれだけは撮る、撮りたいわ、撮らせてちょうだい」
ルイは、アタシが2年前に出演し、大ヒットしたドラマ及びその映画の劇伴を担当していた。無論その時のアタシは悪役だった。けれど大ヒットしたから、ルイの劇伴が耳に残ってないって人は少ない。
ルイは──自分が作った曲であるのをいいことに──使っている楽器も一式取り替えて、構成も変えて、挟まっているメロディーが同じ気がする、というレベルだけれど──その作品に使用されている中でも特に印象的な一曲の──雰囲気だけを上手に残した曲を、劇伴として作り上げた。
この前、アタシと一緒に。
このレベルだったら知らんぷりしていれば絶対権利的にも大丈夫だとアタシもマネージャーも太鼓判を押していたのに、ルイは一応レコード会社と前作の監督に連絡を入れて頭を下げて許可をとったと言っていた。
「そうは言いませんでしたが、早い話、踏み台にしてしまっていいですか、すみません、と」
オマージュですリスペクトですと監督には言っておきましたが、踏み台ですよ、とどこか自慢げに断言してしまったルイに、アタシは膝を叩いて大笑いした。踏み台。踏み台!あんなに大ヒットした作品とその曲を踏み台って!素敵。アンタ自分の曲だからって!アタシのこと好きすぎよ。
アタシの映画を撮ってくれる監督もそこまでは予想していなかったみたいで、ルイから送られてきた曲を聴いて、驚きながら大笑いしていた。メロディーが同じ部分なんてほんの少ししかないのに、雰囲気だけを残すのがとにかく上手。そりゃあ自分で作った曲なのだから当たり前なのかもしれないけれど。
脚本にもアタシが口を出していいと言われたから、思いっ切り出して完成させた──アタシの、ヴィル・シェーンハイトの、最高の映画なの。これだけは、これだけは撮りたいの。演りたいの。
「ありがとうルイ。アンタのお陰で今日まで頑張れたわ。……絶対に、この作品だけは撮りたいから、協力してちょうだい。アタシも、八つ当たりは控えるようにするわ」
「いいえ、いいえ。いいんです。当たってください。少しでも楽になれるなら。少しでも、あなたが舞台の上に立っている時間が伸びるなら」
ああ、アンタ、舞台の上に立っているアタシが好きだったのね、と合点した。いえ、もしかしたら、アタシが「最後まで舞台の上に立っていたい」と吐露しているから、そう言ったのかもしれないけれど。
「……休みの間は2人で脚本読み込んで、理解の深度と解像度を上げましょう」
「はい!」
ルイが本当に嬉しそうに頷く。よく考えたら〝3日休んでから活動を辞めるかどうか決めましょう〟って、この子一体全体どの立場から言ってたのよ。でもそれを違和感なくそのまま受け取って、この3日で辞めるかどうか決めないと、と考えていたアタシも疲れすぎよ!と、溜め息が出た。
でも、その提案のおかげで、アタシは走っていられたから。
すごい子。本当に。感謝しかないわ。
「きっとこれからも、アタシはこんな感じで限界に近い日を迎えるから」
「はい」
「アンタはアタシを上手に動かして。アンタのやり方だったら、動けそうだから」
「はい」
「これだけは、撮りたいの」
「……、わかりました」
ルイは頷いて、しっかりとそう言った。しっかりと、頷いてくれた。いちばん辛い役割を任せてごめんなさい、と涙が出そうになるけれど、ルイからしてみれば1番辛いのはアタシなんだろうから、言わない。
代わりに、大好きよ、とだけ呟いた。私もですよ、とぱち、ぱちと瞬いて信頼の瞳を向けてくるルイが愛おしくて、髪を、ぐしゃぐしゃに掻き回してやった。