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それでもあなたの痛みが美味しい



帰ってすぐ、アズールさんは風呂に入った。しかしいつまで経ってもシャワーの音すらしないから、心配になってノックをする。

返答がないので無礼を承知で風呂場の扉を開けると、アズールさんは人間への変身を解いて、元の姿でバスタブに浸かっていた。

なんとなく違和感を覚えバスタブに手を入れると、中に入っている水は酷く冷たくて。


「……風邪をひいてしまいませんか」


種族が違う。杞憂だとは思いつつも、心配になって問い掛ける。返事はない。

もしかしてアズールさんは、これまでも嫌なことがあった日に一人でこうしていたりしたのだろうか。

そんな想像が頭の中に広がって、ぼくは思わず水の入ったバスタブの中に服のまま片足を入れて、そのままゆっくり、ゆっくりともう一本の足を入れて、またゆっくりとしゃがみながら、アズールさんへ手を伸ばす。


「触れても火傷しませんか」


返答のないのを肯定だと考えて、氷のように冷たいアズールさんを前から抱きしめて、自分の体温を分け与えるように意識する。アズールさんの体温としてはこれが正常なのかもしれないが、ぼくがいると言うことをわからせてやりたかった。

水の中に、アズールさんの身体に、ぼくの体温がとけて行く。歯がうるさくガチガチとなるのを食い縛る形で抑えて、尚も強くアズールさんを抱き締める。

するとにわかにアズールさんが触手を伸ばして、ぼくの身体を抱きしめ返してくれた。

驚きのあまり言葉を失っていると。


「……このままここに拘束してやって、低体温で殺してやりましょうか」


なんてことを言うのでぼくは笑ってしまう。


「ぼくがそれをいやがらないこと、わかってるでしょ」

「呂律回ってないですよ」

「ぼくはあなたのみかたです」


首にまわされていた触手を掴み幾度も幾度も無数にキスを落とす。


「ぼくが醜い姿でも?なんの才能もなくても?そんなのありえない」

「ぼくは鶏や豚や牛にはじまる家畜だけではなく魚や虫などの味方でもあるんですよ。醜い?才能がない?その程度の些末な問題で味方しない理由には絶対になり得ません」

「守ってくれますか」

「はい、ぼくが守ります。本当は牛や豚の代わりにぼくが苦痛を請け負いたいと思ってるのですよ。物理的にできないからやっていないだけです。そしてそれは恐らく家畜より身近なアズールさんに対しては、不十分かもしれませんがきっとぼくはできます。そしてぼくは、絶対にそれをします。感情の問題ではなく、そこは思想の問題です。なのでぼくは迷いすらしません」

「いやです、どうして、どうしてあなた、ぼくともっとはやくに出会ってくれなかったんですか」


絶句した。

だって、それは、あまりにも悲しい愛の告白だったからだ。


「ごめんなさいアズールさん。あなたを美しく有能にさせてしまってごめんなさい。頑張らないと虐められる状況にあなたを放置していてごめんなさい」

「もっと謝罪してください」

「頑張らないとひどいことをされたんですよね。だから頑張って強くなったのですよね。そんなところにぼくが来て、頑張らなくてもひどいことをされない権利があると主張して嫌だったでしょう。でも、それでも配慮してくださってありがとうございました。あなたは慈悲深い海の王です。陸の王にもなってくだされば今よりきっと世の中は優しく美しく素敵ですね」

「謝罪しろと言っているのです」

「今まで助けられなくて申し訳ありません、二度としません。ずっとあなたの側にいて、あなたがいじめられる時に盾になります。ならせてください。愛しています」


そっと彼に頬擦りをする。頬は水の外にあるからなのか、心なしか下半身より冷たくない。


「盾にはならないでください」

「どうしてでしょう」

「あなた、僕のことを食べた時に〝一緒になろう〟と仰っていました。一緒になることが愛だと」

「……はい……?」

「一緒になって盾になって、二人ともにダメージが入って。そんなの馬鹿みたいだ」


ああ。

ここでぼくは、身体がとろけていくのを感じた。きっとこのバスタブの中に、ぼくとアズールさんがとけて、どろどろになって、一緒になって、痛みも喜びも悲しみも共有して。


「おまえは僕の為に泣けるのですね」

「えっ……泣いているの気付かれていたのですか」

「逆に気付いていないと思っていたのが驚きです」


アズールさんは触手を左右に振って、それを視線で追うのを繰り返している。


「おまえが泣いた時、僕はおまえを心配してしまったんですよ。僕が被害者だと言うのに」

「愛されていますね、ぼく」

「そうなのかもしれません」


ぼくは尚も強く彼を抱き締める。

彼の悲しみを一緒に悲しみたかった。彼の喜びを一緒に喜びたかった。


「それで、何の契約をするのですか。どうせ僕の気を逸らす為に口から出るに任せたのでしょうが、言い逃れさせませんよ」

「……もし、アズールさんが嫌ではないのでしたらなのですが、……」

「おや、本当にあったのですね」


意外そうに彼は眉を上げる。


「……ぼくを、食べていただきたくて。……無論、お嫌ならよいのです。対価は何でも支払います」


それは、ぼくなりの最上級の愛の告白だった。

それを受け入れる意味をアズールさんは、わかっている筈だ。それなのに。


「あむ」


アズールさんはいとも簡単に、ぼくの提案からほとんど間すら開けずぼくの肩に歯を立てた。サインすらしていなかった、のに。

タコさんは噛む力が強いと聞いていた通りで、ぼくの肩からは簡単に血が出た。

何度も何度も歯を立てられる痛みに反射的に身体をビクつかせながら、それでもアズールさんが可愛らしくて快楽を感じていると、アズールさんはぱっと口を離し、一言。


「美味しくないです」


正直、ちょっとショックだった。


「……それは、アズールさんほどの美食家でしたらそうですよね。すみません、粗雑なものを口に入れさせてしまって」


ぼくが身を引いて距離を取ろうとすると、アズールさんに強く抱き締められそれを止められる。

そして尚も肩に噛み付かれ血を吸われ、ぼくはぞくぞくと腰を震わせる。

彼に全てを任せていると、ぼくの口の中に彼の触手の先端が入った。ぼくは彼が何をさせようとしているのかわかっていた。だから、躊躇なくがっと触手に歯を立て表面を削った。すると彼の背は痛みにびくりと震え、ぼくの肩に尚も深く歯を立ててくる。

あなたを大切にしたいと、あなたを苦痛から守りたいとぼくは心から思っていたのに、いや今も間違いなく思っているのに、それでもあなたの痛みが美味しい。

それはもはや、自傷行為で、自慰行為で、また同時に愛情表現でしかなかった。


「……少し、癖になるかもしれません」


アズールさんのその言葉が引き金だった。アズールさんと意識が同じところにおちていくのを感じる。思考がとろとろしている。ぼくが愛されているのを感じる。同じになる。所属される。所属する。同じになる。

僕はぼくの触手を僕の口の中に入れて、噛み付いて先端を噛みちぎる。なんだかドロドロしたものが出てくるからそれに吸い付く。美味しい。
ぼくは僕の肩に噛み付き、軽く肉を抉り血を舐め傷口に吸い付きを繰り返し繰り返し、やがて皮膚の一部分を剥がし取って、咀嚼してしまう。美味しい。

もうこれ以上、言葉は要らなかった。ぼくたちは、完全に愛し合っていたからだ。

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