それでもあなたの痛みが美味しい
ぼくは結局口だけで、彼に何も出来なかった。
ただ、レオナ先輩がユニーク魔法の詠唱をした瞬間、ぼくは片手でアズールさんの肩を抱いて、もう片方の手で彼の頭を固定して無理矢理自分の方へ彼の顔を寄せ、直視させないようにだけした。
ぼくが直接努力した訳でもないのに、涙が出そうだ。
「やめなさいッ!契約書は、僕の契約書は!」
「アズールさん、ぼくと契約してください。欲しいものがあるんです」
その場に居る全員が、それまでずっと黙って大人しくアズールさんに侍っていたぼくが突然暴挙に出たのを次は何が起こるのかと展開を待っている。
「後にしなさいッ!僕の、僕の大切な──」
「駄目です。今すぐ欲しいんです。契約して下さらないと離しません」
「いい加減にしろ!おまえは!」
「アズールさん、いいです、見なくていいですから」
ぼくがアズールさんにそう言うと、俄に激しかった抵抗が止まる。
「あなたは今も誰より美しい」
がり、と腕に爪を立てられる。
「だからっ……」
耐えられなかった。
ぼたぼたと彼の肩の上で涙を垂らしている姿なんて誰にも見られたくなかったが、特筆して彼には見られたくなかったから、彼以外の人間に泣き顔を晒す羽目になっていて堪らなく恥ずかしい。
努力したのは彼だ。だから、それを無にされて泣く権利は彼だけにある、筈なのに。
本当に耐えられなかった。
「もう一回最初からやりましょう。今度はぼくも精力的に手伝いますから、一人でやるよりはやいですよ」
「……もう、全てがパァだ」
「ここにありますよ、あなたのものが」
そう言って強く彼を抱き締めると、尚も腕に爪を立てられる。
「何の契約を……おまえは望んでいるのですか」
「流石に恥ずかしいので皆さんが見ていらっしゃるここでは言えません。帰りましょう。帰って、自室でお茶でも飲みながらゆっくりと話しましょう。疲れたでしょう、アズールさんも」
永遠とも思える沈黙の後、彼が小さく頷く。
だからぼくは、彼を抱いていた力を抜いて、彼の手をそっと取って握る。
未だに溢れそうになる涙をなんとか我慢して、何ともない顔を作って。
「お先に」
その場に居る全員に一言だけ捨て置いて、アズールさんを引き摺る様にして帰路につく。
帰路では、新しく手に入れた茶葉が美味しいとか、花壇で野生の狸の家族を見たとか、楽しくて面白い話だけをぼくは語った。