それでもあなたの痛みが美味しい
でも、なんでか。
ごめんなさいと一つ胸の中に置いて、ぼくはアズールさんを視線でベッドへ誘う。アズールさんが眉を顰めるので、違う違うと顔の前で手を振る。
行為も悪くないけれど、彼の価値観からすると、もっと劇的な初夜を求めている筈だから。
先でいいのだ。まだ沢山ある、先で。
「添い寝をしましょう」
眠気がもうあるのか、それとも人肌をもっと感じたい気分なのか、アズールさんはとても素直にぼくに従った。アズールさんがぼくに背中を向けて横たわるのを見て、ぼくはアズールさんに後ろからやわく抱きつき毛布を肩まで上げる。
「おやすみなさい」
「……おやすみなさい」
彼の心なしか震える声がベッドの中に響く。
彼の心拍数は普段より上がっている。きっと、彼の頬は今、朱に染まっているのだろう。
求められているのを感じて、ぼくはそっと上体を起こし、彼の頬にキスをした。
「おやすみなさいのキスです」
「……子供じゃないんですよ」
「ではぼくは子供なので、していただけますか?」
アズールさんは流石に躊躇した後、溜め息を吐いてぼくの頬へ唇を落としてくれる。
「はやく寝なさい」
「体温のないアズールさんも素敵でしたが、体温のあるアズールさんも本当に素敵ですね」
「体温のないおまえに存在価値はないですけどね」
「そんなことを言わないで、人魚化薬をぼくにくださいよ。ぼく、アズールさんになら絞られてもいいですから」
「……それは良い。体温がなくなってもおまえには価値があることの証左になる」
習慣はいつだって怪物だ。ぼくはきっとこれを、死ぬまで続けるんだと思う。
あなたの喜ぶことを永遠にやり続けると決まっていて、ごめんなさい。
そして。
ぼくに嫌われることに怯え続ける、何も気付かない愚かなあなたを愛おしく思う気持ちは、多分本物ですよ。
彼の痛みはいつも可愛らしくて、とっても美味しい。
ずっと側で見ていたくなるほどに。
いつか、人間のぼくの体温がなくなった時──ぼくが死んだ時アズールさんがどうするかを考えて、にこにこしてしまった。
可哀想なアズールさん。もうあなたがぼく無しでは上手く生きられないことを知っていますよ。
「アズールさん」
「はやく寝なさいと」
「見てください」
アズールさんの眼前に、あんまり見ていて気持ちのいい見た目ではないであろう手首を晒す。
傷跡はもう全部一年ほど前のものだけれど。
「これ、ぼく普段はシールで隠してるんですけど」
アズールさんがぼくのことを信用できないと言うから、ぼくの弱点を見せてあげます。なんて言ってそれを見せてみる。
「……イカ焼きみたいですね」
「はははは!」
彼の予想外の言葉に、ぼくは本気で笑ってしまう。
「いいですね、ぼくがイカさんで、あなたはタコさんで、丁度いい」
「おまえの身体を傷付ける権利はもうおまえには無いのですからね」
「そうですね。ぼくはアズールさんのものですので」
アズールさんはぼくの腕を掴み、手首にがじがじと歯を立てる。単純にその行為だけでも気持ちいいのに、ぼく自身がぼくに与えた自傷行為跡に嫉妬して上書きしているのか、と気付き最高にぞくぞくしてしまう。
「……僕もおまえなのですから、僕で良いでしょう」
「はい。やって欲しい時にはお願いしますね」
「そうしてください。僕もそうします」
アズールさんにも自傷行為の経験があるのだろう。それをぼくに任せてもらえるとなると、なんというか、すごく幸せだ。
彼を愛している、と強く思う。
彼に愛されている、と強く思う。
「おまえと恋人になるのは嫌なのですが」
「どうしてですか」
「一度おまえと恋人になると、おまえと恋人でなくなったときに、以前の……今の様に、扱ってくれなくなりそうで」
なるほど、と思う。確かに、今現在のぼくとアズールさんは恋人ではないが、恋人同然の行為をしていて。
それをずっと続けて欲しいとなると、それはなんだか、告白よりも深い意味を持ってくる。
「なら、結婚しますか?アズールさん」
アズールさんはぼくの「明日の朝ごはんはパンで良いですか」と言った調子の問い掛けに、しかしちゃんとぼくの言葉を理解し息を詰めてくれる。
「……結論を急ぐには、早すぎるでしょう」
「色々ともう決まりきっている気もしますけど」
「……結婚については卒業まで保留しますが」
はあ、とアズールさんはぼくの手に熱い吐息をかける。恐らく無意識なのだろうが、感情の昂ぶりが見え見えだ。
「僕のこの先におまえが居ないことが、もう想像できない」
「ぼくもです。ぼくもアズールさんが居ない未来が想像出来ません」
愛おしくて、彼の熱い耳の後ろにキスを落とす。
一緒にいて幸せで嬉しいだなんて、それ以上のことはないのに、アズールさんはそれに色々計算式を見ようとする。そこが彼の愛おしい部分でもあるのだけれど。
「おまえを愛しています」
そう言うとアズールさんはぼくの傷跡でがさがさの手首にキスをして、ぼくにはそれが酷く神聖な行為に見えた。
嬉しい、と思う。本心からだ。アズールさんが心の中で誰よりも何よりも求めていたものを与え続けられてよかった、と強く思う。彼の傷を癒すことが出来て、彼が愛をぼくに与えられる様になるくらいどぷどぷに愛を注げて、本当に嬉しかった。
それに、こちらの顔を覗き込む癖があるのに、顔を合わせていない時の方がよほど素直なのが、なんともアズールさんらしい。
「ぼくも、愛しています。アズールさんのことを」
ぼくもアズールさんの耳の後ろにキスを落としながらそう囁く。
アズールさんが誰よりも愛を求めていたから、アズールさんに誰よりも愛を注いであげてよかった、と、そう強く思う。
きっと彼はぼくが彼を一番に選んだ理由がそうだと知ったら、絶望するのだろう。だからぼくは、墓場までこれを持っていくつもりで居る。
これが真実の愛でなくてなんと言うのだろう!