【DC】FELICITE
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学校から帰って来ると俺の居候先である毛利探偵事務所の下にある喫茶ポアロの店内を外から見ることが出来る
この日、帰宅後の予定が何も無かった俺は何の気無しに窓からポアロの店内を覗くとアイドルタイムなのかお客さんはおらず、買い出しか休みなのか梓さんの姿もなかった
安室さんは1人でサイフォンの手入れをしており、チャンスだとばかりにランドセルを背負ったままポアロのドアを引く
カランコロン
ポアロのドアベルが鳴る
その音に合わせて顔を上げた安室さんはいつもの営業スマイルを貼り付けて「やぁコナンくん、いらっしゃい」と言った
「安室さん、こんにちは。僕喉渇いちゃった~」
そう言いながらカウンターにある高いスツールによいしょと腰を下ろしランドセルを店の奥側、右横のスツールへ置く
長居する気満々の体勢だ
「寄り道とは感心しないね」
その様子を見た安室さんは軽く溜息を吐いてグラスに水を注ぎ俺の前に置いた
「ご注文は?」
「僕オレンジジュース!」
「オレンジジュースですね、お待ちください」
母さん譲りの演技力を発揮して小学校1年生らしい受け答えをした俺に、ニッコリと営業スマイルを貼り付けた安室さん
互いに腹の内を隠したまま、互いを観察し合ってる様子は我ながら狐と狸の化かし合いのようだなと思う
安室さんに聞きたいことがあったから2人きりになれる今がチャンスだと思ったけど、いつもなら色々トークを繰り広げてくれる安室さんが今は何かを察しているのだろう、無言でオレンジジュースの準備をしている
俺はそれを頬杖をついて見ていた
店内は穏やかに流れるジャズBGMとオレンジジュースを用意している音だけで外の喧噪が嘘のようだ
「お待たせしました、オレンジジュースです」
紙のコースターを敷いた上にストローの刺さったオレンジジュースのグラスが目の前に置かれた
俺はお礼を言って一口飲む
スッキリしてるのにコックリしていて爽やかな甘みと味に深みを出す少しの酸味があるオレンジジュースは、マスターの知人のミカン農家さん自家製のものを仕入れていると聞いている
ポアロはコーヒーもこだわっているが、実はオレンジジュースにもかなりのこだわりがあり、よそでこの美味しいオレンジジュースを飲むことは難しい
元太たちもここのオレンジジュースが好きで、よそに行ったらクリームソーダだ、コーラだ言ってるのにポアロではオレンジジュース一択だ
「ねぇ、安室さんってさ…」
カランとオレンジジュースに入ってる氷が崩れグラスに当たる
「何だい?コナンくん」
「前に言ってたあやお姉さんと夫婦って本当に本当?」
「聞かれるとは思ってたけど相変わらず君は直球だね」
俺にオレンジジュースを出した後、サイフォンのお手入れを再開していた安室さんの手が止まり俺を見てゆるりと微笑む
ここポアロは安室さんの活動領域内なので盗聴器などの心配は不要だ
そして誰もいないとなれば、俺の知る限り余所に情報の漏れない最も安心できる空間だからこそこの言葉を発することが出来る
安室さんは警察庁警備局警備企画課、通称公安『ゼロ』の一員で現在黒の組織に潜入している潜入捜査官だ
安室という名前も仮の名前だし、自分の話はほとんどしない人だ
そんな安室さんから先日、あやお姉さんが安室さんの奥さん…降谷あやさんだとカミングアウトされてから俺はずっと本当かどうか確認したくて悶々としていた
「本当に本当だよ」
「でもあやお姉さんは今まで常連さんの1人にしか見えなかったよ?」
「あやも僕も大人だからね、誤魔化すのは上手なんだ」
上手というレベルではないと思う
俺は探偵として常に周りをよく見ているという自負がある
安室さんは元々ポーカーフェイスが上手だし公安だから安室さんから気が付けなくても、一般人であるあやお姉さんからも気が付かなかったとなると探偵の沽券に関わる
安室さんは敵では無いが俺の周りでは不用意な発言が許されない1人だ
俺や灰原が幼児化していることがいつ露見するか分からないし、知られるわけにはいかないからこそ常に注意深く見ていたつもりである
オレンジジュースをズズズッと啜り、次に発する言葉を慎重に選ぶ
「誤魔化すというレベルじゃなかったと思うけど…」
「コナンくんは先日のあやの言葉を信じられないということだね?あやと僕が口裏を合わせていると思ってるのかな?」
「…!そう…とは言わないけど…」
「本人に直接聞いてみるかい?」
安室さんがそう言った直後、ポアロのドアベルが鳴る
反射的に俺が振り向くとその勢いに少し驚いた様子のあやお姉さんがそこにいた
「あやさんいらっしゃい」
「こんにちは、安室さん」
俺に夫婦だと知らせた後だと言うのに、店員とお客さんの姿勢を崩さない2人
前に会った時、あやお姉さんは安室さんのことを”透さん”と呼んでいたのに今日はいつも通り”安室さん”になっているし、安室さんは呼び捨てではなく”あやさん”と呼んでいる
窓際のいつものボックス席へ行こうとしていたあやお姉さんに安室さんが声をかけた
「あやさん、今日はたまに気分を変えてカウンターはいかがですか?」
「…そうですね。コナンくんとお話しながら安室さんのお仕事されてるところを間近で見るのは良い気分転換になるかもしれませんね」
ニコリと微笑み、あやお姉さんは俺の左横のスツールを引いて腰を下ろし俺の反対側のスツールにバッグを置く
安室さんはグラスに入った水をあやお姉さんの前に置き、アルコールランプに火を付けて水の入ったフラスコを火にかける
そしてコーヒー豆を入れた漏斗をフラスコに斜めに差し込んだ
これらの動作は滞りなく滑らかにこなされ洗練されている
この人は警察より喫茶店のマスターの方が似合っているんじゃないかと錯覚するほどだ
普段から常連さんで注文内容がいつも一緒な人に対して安室さんは特に注文を取らない
ポアロの常連さんたちもそれを知っているのでいつものメニューと違うものを注文する時には声を掛けるけどそうじゃなければ常連さんたちは特に注文せず挨拶のみで席に座るのだ
この様子を見ていても極々普通の店員と常連だ
俺の眉間にシワが寄る
俺にカミングアウトして隠す必要がなくなったのだからちょっとは夫婦らしく見せても良いんじゃ無いだろうか?
あやお姉さんはいつも通り電子ペーパータブレットを取り出して画面を表示させる
俺はそれとなくそれを覗き込んだ
今まで常連の1人だからとノーマークだったあやお姉さんの横に座ることはなかったのであやお姉さんが何を読んでいたか気にしたことがなかったのだ
もしあやお姉さんが読んでいるのがシャーロックホームズなら一緒に話をして盛り上がりたいところだ
シャーロックホームズは1行読むだけでどのシリーズのどの部分か分かるほど俺は何度も何度も読み込んでいる、俗に言うシャーロキアンだ
しかし画面に表示されていたのは登場人物の名前と台詞の羅列、状況説明であるト書きだった
所謂台本と呼ばれるものである
「お待たせしました」
カチャン
カップとソーサーが当たる音がしてコーヒーがあやお姉さんの前に置かれる
「ありがとうございます」
あやお姉さんはタブレットから顔を上げ、タブレットを背面を上にして置いてコーヒーに口を付ける
「あやさん、コナンくんがあなたに聞きたいことがあるそうですよ」
「…え?私にですか?安室さんにじゃなく?」
「えぇ、あなたにです」
小首を傾げたあやお姉さんに安室さんがこちらを一瞥する
その視線につられたのかあやお姉さんも俺を見た
突然俺に振られたことにより焦った俺はオレンジジュースをゴクンと飲み込む
冷たいオレンジジュースは少し氷が溶けてしまっていて最初の一口目よりほんの少しだけ薄い
「私に聞きたいことってなぁに?コナンくん」
「あ…えっと…」
咄嗟のことに言葉を淀ませてしまった俺を優しい目で待っていてくれるあやお姉さん
後から安室さんから聞き出そうとしてもあやお姉さんに聞くよう促されたから話してくれないだろうことは容易に想像がつく
「あやお姉さんは本当に安室さんの奥さんなの?」
意を決し本当は安室さんに聞こうと思っていた話の深意に切り込んだ
あやお姉さんは一瞬の逡巡の後、肯首した
「そうよ?なぁに?疑ってる感じ?」
「…だって…今の2人を見ててもただの店員さんと常連さんみたいだよ?」
「それは嬉しいわ。事情を知ってるコナンくんから見てそう見えるということは私たちの繋がりは他の人なら及び付かない話になるでしょう?」
「…そうなると思うよ。僕は2人が夫婦と聞かされた今でもやっぱり信じられないんだ」
「本当に本当よ?どうしたら信じて貰えるのかな?」
小首を傾げたあやお姉さんに安室さんが柔らかい笑みを浮べ見守っている
この場はあやお姉さんに任せると言うことのだろう、安室さんは口を開く様子も無く中断していたサイフォンのお手入れを再開していた
耳だけはこちらに全力で傾けているようだが…
「あやお姉さんと安室さんはどうやって知り合ったの?」
「安室さんとは子どもの頃からの幼なじみなの」
「そっか。高校卒業した日に結婚ってお互いの両親は良く納得してくれたね?」
そう問いかけると、あやお姉さんは急に目を伏せた
もしかして聞いてはいけないことだったのだろうか
俺は少し焦って質問を変えようと口を開きかけた時、あやお姉さんが俺の方に向き直り口を開いた
「安室さんも私もね、親がいないの。私には兄が2人いるからその兄たちの同意は貰ったわ。上の兄は成人していたから兄の職場の同僚さんにもお願いして婚姻届の証人になって貰ったのよね…」
最後は独り言のように言ったあやお姉さんは俺を見ているようで俺よりももっと遠くを見ているのか、俺を見てるはずなのに目が合いそうで合わない
あやお姉さんは懐かしいような、切ないような色を千草色の瞳に一瞬宿らせたがそれをすぐ覆い隠しコーヒーを口にした
カチャンとカップとソーサーが触れる音がする
安室さんとあやお姉さんは本当に夫婦だと言うことは今の答えとあやお姉さんの様子で分かった
本当はあやお姉さんの身分証明を見せて貰うまでは納得できないと思っていたのだが、俺の中であやお姉さんの話と態度でストンと事実だと認めることが出来たのだ
「後は何を知りたいのかな?名探偵さん」
ふんわり微笑んだあやお姉さんに、夫婦だと納得できた俺は今の内容とは全然違うことを質問することにした
それはもう一つ、さっきのタブレットを覗いて疑問に感じたことだった
「あやお姉さんの職業って何?」
安室さんとの話を聞かれると思っていたのだろう、あやお姉さんはキョトンと呆気にとられた顔をして俺を見る
ちょっとつり上がったアーモンド形の目でこちらを見つめるその無防備な顔は年上の女性に言うのは違うかもしれないけど可愛い
美人という言葉より可愛いという言葉の方ががよく似合う
「私の職業?」
「うん!いつもあやお姉さんはポアロに来たらタブレットで何か読んでるじゃない?それにお店に来る日は平日だったり休日だったり時間もバラバラだし何のお仕事なのかなって僕気になっちゃって」
母さん譲りの演技力を再度発揮させて小学校1年生らしい受け答えをする俺に安室さんが笑いを押し殺しているのが目の端に入った
そんな安室さんを胡乱げな目でチラ見したあやお姉さんはうつむき、小さく息を吐く
少しの間があり、そして意を決したのか顔を上げて俺の目を真っ直ぐに見て言った
「私の仕事は声のお仕事よ」
あやお姉さんの声は落ち着いて聞いてて癒やされるし、聞きやすい話し方をする人だとは思っていたがそれはそういう仕事だったからなのか
「声優さん?」
「声優もやってるけど、メインはラジオパーソナリティとナレーション。声優の方は洋画の吹替をしてるわ」
言われて思い返してみると以前おっちゃんの運転する車で出かけた時に流れていたラジオのパーソナリティの声はあやお姉さんに似ていた気がする
おっちゃんはそのパーソナリティの声が好きで普段から事務所にいてもラジオを良くかけている
今まで何度もラジオやあやお姉さんの声を聞いていたのに全く繋がらなかった
電波を通すと普段聞いてる声と多少変わってしまうせいで今まで気が付かなかったのだろう
「あやお姉さん、もしかして夕衣さんってパーソナリティ?」
「知ってるの?」
「うん、毛利のおじさんが”米花221”ってラジオ番組好きで良く聞いてるよ!先週は沖野ヨーコちゃんがゲストだったよね!」
「そうなの。ヨーコちゃん映画の告知で番組に来てくれたのよね。そういえば毛利さんヨーコちゃんのファンだったものね」
「確かに毛利のおじさんはヨーコちゃんが大好きだけど、パーソナリティの夕衣さんの声と人柄が好きって言ってたよ?」
そう言うとあやお姉さんは「嬉しい」と頬を染める
手放しに褒められ恥ずかしいのかもしれない
「ねぇ、ポアロに安室さんがいるのによく来る理由って聞いていい?」
「ラジオの収録スタジオがここの近くで通りすがりにこのお店があるから…というのと、ここのコーヒーが好きなのと…」
そう言ってコーヒーに口を付けるあやお姉さん
話に続きがありそうなので俺は黙ってその所作を見守っていた
「あまり帰ってこない旦那さんをコッソリ眺めるため…かしらね」
一呼吸置いて俺にウインクをしながらそう言うあやお姉さん
この夫婦、何故にウインクをしながら話をするのだろう、案外似たもの夫婦なのかもしれない
ゴッホゴッホとカウンターの向こうで安室さんが咳き込んでいる
高みの見物を決め込んでいたら不意に自分の話題で突き落とされたからだろうか
「安室さん、アイスコーヒーお願いしますね」
「は…い」
ニッコリと効果音がしそうな笑顔をあやお姉さんは安室さんに向け、また俺に視線を戻す
安室さんがちょっと焦ってるように見える様子は珍しかった
「洋画吹替のキャストは誰をやってるの?有名な人とか担当してる?」
ちょっとミーハー心が出た俺は知ってる海外俳優の吹替であやお姉さんと似てる声を思い返しつつ聞いてみる
「ちょい役が多いけど、有名な女優さんだとMs.クリス・ヴィンヤードの声を担当してるわ」
!!!
ゴッホゴッホと今度は俺が咳き込んだ
まさかベルモットの日本吹替声優があやお姉さんだとは思わなかった
組織の幹部の1人であるベルモットのイメージが強く、クリス・ヴィンヤードの出演作品を避けていたので全然気付かなかった
安室さんを見ると眉を下げて困ったような笑顔を浮かべているのでこのことは当然知っているのだろう
「お待たせしました」
紙のコースターを敷いた上にストローの刺さったアイスコーヒーのグラスがあやお姉さんの前に置かれる
カランと涼しげな氷の音がした
「そんなメディアに露出する職業で大丈夫なの?…その…色々と…」
咳が治まった俺は新たに浮かんだ疑問をちょっと聞きにくいなと思いながらもあやお姉さんに投げかけた
職務を全うしている安室さんのことだから家族と言えど自分の仕事の話はしていないだろう
ベルモットの日本語吹替をあやお姉さんがやってるならばベルモットはあやお姉さんの存在を知っていることになるだろうと思う
危ない綱渡りをしているんじゃ無いだろうか、この夫婦
俺が聞いた内容にちょっと不思議そうな顔をしたあやお姉さんだったが少し思案した後、何やら合点がいったようで答えてくれる
「コナンくんは本当に色々知ってるのね。でも大丈夫だと思うよ?夕衣という名前で仕事してるし、メディアには一切顔を出してないし、プライベートは非公開だから。ね?」
同意を求めるように最後は安室さんに向かって同意を求めるあやお姉さんに安室さんは頷く
「そうだね。声だけだからね。今後も絶対にメディアに顔を露出せずプライベートを公開しならば…ね。あやは個人事務所だからあや自身が全てを管理してるし、他に詳しく知ってる人もいないから降谷だと知られることもないよ。他にこのことを知ってるのはあやの下の兄くらいだね。だから…ココでの話もココだけの秘密でよろしくね」
揃ってウインクしながら人差し指を唇の前に持ってきて内緒ポーズをする2人はやっぱり似たもの夫婦なのかもしれない
確かに以前ラジオパーソナリティをしている夕衣さんの声を聞いて俺はスマホで夕衣というパーソナリティを検索したことがあるが夕衣という名前とナレーションを含む担当番組と声優業の演じた役柄や俳優名以外の情報はKiwiを見ても一つも出てこなかった
安室さんがその辺りの情報統制を抜かるとは思えない
安室さんのあやお姉さんへ向ける穏やかな顔は普段他の人に向けられることは無い
本当にあやお姉さん大切に思っているのだろうと思わせるには充分だった
普段見せたことのない柔和な笑みを浮かべた安室さんとあやお姉さんの視線が絡み合ってどちらともなくクスリと笑う
その様子を見てやっぱり似たもの夫婦なんだなと、すっかり薄くなったオレンジジュースを飲み下しながら俺は思った
この日、帰宅後の予定が何も無かった俺は何の気無しに窓からポアロの店内を覗くとアイドルタイムなのかお客さんはおらず、買い出しか休みなのか梓さんの姿もなかった
安室さんは1人でサイフォンの手入れをしており、チャンスだとばかりにランドセルを背負ったままポアロのドアを引く
カランコロン
ポアロのドアベルが鳴る
その音に合わせて顔を上げた安室さんはいつもの営業スマイルを貼り付けて「やぁコナンくん、いらっしゃい」と言った
「安室さん、こんにちは。僕喉渇いちゃった~」
そう言いながらカウンターにある高いスツールによいしょと腰を下ろしランドセルを店の奥側、右横のスツールへ置く
長居する気満々の体勢だ
「寄り道とは感心しないね」
その様子を見た安室さんは軽く溜息を吐いてグラスに水を注ぎ俺の前に置いた
「ご注文は?」
「僕オレンジジュース!」
「オレンジジュースですね、お待ちください」
母さん譲りの演技力を発揮して小学校1年生らしい受け答えをした俺に、ニッコリと営業スマイルを貼り付けた安室さん
互いに腹の内を隠したまま、互いを観察し合ってる様子は我ながら狐と狸の化かし合いのようだなと思う
安室さんに聞きたいことがあったから2人きりになれる今がチャンスだと思ったけど、いつもなら色々トークを繰り広げてくれる安室さんが今は何かを察しているのだろう、無言でオレンジジュースの準備をしている
俺はそれを頬杖をついて見ていた
店内は穏やかに流れるジャズBGMとオレンジジュースを用意している音だけで外の喧噪が嘘のようだ
「お待たせしました、オレンジジュースです」
紙のコースターを敷いた上にストローの刺さったオレンジジュースのグラスが目の前に置かれた
俺はお礼を言って一口飲む
スッキリしてるのにコックリしていて爽やかな甘みと味に深みを出す少しの酸味があるオレンジジュースは、マスターの知人のミカン農家さん自家製のものを仕入れていると聞いている
ポアロはコーヒーもこだわっているが、実はオレンジジュースにもかなりのこだわりがあり、よそでこの美味しいオレンジジュースを飲むことは難しい
元太たちもここのオレンジジュースが好きで、よそに行ったらクリームソーダだ、コーラだ言ってるのにポアロではオレンジジュース一択だ
「ねぇ、安室さんってさ…」
カランとオレンジジュースに入ってる氷が崩れグラスに当たる
「何だい?コナンくん」
「前に言ってたあやお姉さんと夫婦って本当に本当?」
「聞かれるとは思ってたけど相変わらず君は直球だね」
俺にオレンジジュースを出した後、サイフォンのお手入れを再開していた安室さんの手が止まり俺を見てゆるりと微笑む
ここポアロは安室さんの活動領域内なので盗聴器などの心配は不要だ
そして誰もいないとなれば、俺の知る限り余所に情報の漏れない最も安心できる空間だからこそこの言葉を発することが出来る
安室さんは警察庁警備局警備企画課、通称公安『ゼロ』の一員で現在黒の組織に潜入している潜入捜査官だ
安室という名前も仮の名前だし、自分の話はほとんどしない人だ
そんな安室さんから先日、あやお姉さんが安室さんの奥さん…降谷あやさんだとカミングアウトされてから俺はずっと本当かどうか確認したくて悶々としていた
「本当に本当だよ」
「でもあやお姉さんは今まで常連さんの1人にしか見えなかったよ?」
「あやも僕も大人だからね、誤魔化すのは上手なんだ」
上手というレベルではないと思う
俺は探偵として常に周りをよく見ているという自負がある
安室さんは元々ポーカーフェイスが上手だし公安だから安室さんから気が付けなくても、一般人であるあやお姉さんからも気が付かなかったとなると探偵の沽券に関わる
安室さんは敵では無いが俺の周りでは不用意な発言が許されない1人だ
俺や灰原が幼児化していることがいつ露見するか分からないし、知られるわけにはいかないからこそ常に注意深く見ていたつもりである
オレンジジュースをズズズッと啜り、次に発する言葉を慎重に選ぶ
「誤魔化すというレベルじゃなかったと思うけど…」
「コナンくんは先日のあやの言葉を信じられないということだね?あやと僕が口裏を合わせていると思ってるのかな?」
「…!そう…とは言わないけど…」
「本人に直接聞いてみるかい?」
安室さんがそう言った直後、ポアロのドアベルが鳴る
反射的に俺が振り向くとその勢いに少し驚いた様子のあやお姉さんがそこにいた
「あやさんいらっしゃい」
「こんにちは、安室さん」
俺に夫婦だと知らせた後だと言うのに、店員とお客さんの姿勢を崩さない2人
前に会った時、あやお姉さんは安室さんのことを”透さん”と呼んでいたのに今日はいつも通り”安室さん”になっているし、安室さんは呼び捨てではなく”あやさん”と呼んでいる
窓際のいつものボックス席へ行こうとしていたあやお姉さんに安室さんが声をかけた
「あやさん、今日はたまに気分を変えてカウンターはいかがですか?」
「…そうですね。コナンくんとお話しながら安室さんのお仕事されてるところを間近で見るのは良い気分転換になるかもしれませんね」
ニコリと微笑み、あやお姉さんは俺の左横のスツールを引いて腰を下ろし俺の反対側のスツールにバッグを置く
安室さんはグラスに入った水をあやお姉さんの前に置き、アルコールランプに火を付けて水の入ったフラスコを火にかける
そしてコーヒー豆を入れた漏斗をフラスコに斜めに差し込んだ
これらの動作は滞りなく滑らかにこなされ洗練されている
この人は警察より喫茶店のマスターの方が似合っているんじゃないかと錯覚するほどだ
普段から常連さんで注文内容がいつも一緒な人に対して安室さんは特に注文を取らない
ポアロの常連さんたちもそれを知っているのでいつものメニューと違うものを注文する時には声を掛けるけどそうじゃなければ常連さんたちは特に注文せず挨拶のみで席に座るのだ
この様子を見ていても極々普通の店員と常連だ
俺の眉間にシワが寄る
俺にカミングアウトして隠す必要がなくなったのだからちょっとは夫婦らしく見せても良いんじゃ無いだろうか?
あやお姉さんはいつも通り電子ペーパータブレットを取り出して画面を表示させる
俺はそれとなくそれを覗き込んだ
今まで常連の1人だからとノーマークだったあやお姉さんの横に座ることはなかったのであやお姉さんが何を読んでいたか気にしたことがなかったのだ
もしあやお姉さんが読んでいるのがシャーロックホームズなら一緒に話をして盛り上がりたいところだ
シャーロックホームズは1行読むだけでどのシリーズのどの部分か分かるほど俺は何度も何度も読み込んでいる、俗に言うシャーロキアンだ
しかし画面に表示されていたのは登場人物の名前と台詞の羅列、状況説明であるト書きだった
所謂台本と呼ばれるものである
「お待たせしました」
カチャン
カップとソーサーが当たる音がしてコーヒーがあやお姉さんの前に置かれる
「ありがとうございます」
あやお姉さんはタブレットから顔を上げ、タブレットを背面を上にして置いてコーヒーに口を付ける
「あやさん、コナンくんがあなたに聞きたいことがあるそうですよ」
「…え?私にですか?安室さんにじゃなく?」
「えぇ、あなたにです」
小首を傾げたあやお姉さんに安室さんがこちらを一瞥する
その視線につられたのかあやお姉さんも俺を見た
突然俺に振られたことにより焦った俺はオレンジジュースをゴクンと飲み込む
冷たいオレンジジュースは少し氷が溶けてしまっていて最初の一口目よりほんの少しだけ薄い
「私に聞きたいことってなぁに?コナンくん」
「あ…えっと…」
咄嗟のことに言葉を淀ませてしまった俺を優しい目で待っていてくれるあやお姉さん
後から安室さんから聞き出そうとしてもあやお姉さんに聞くよう促されたから話してくれないだろうことは容易に想像がつく
「あやお姉さんは本当に安室さんの奥さんなの?」
意を決し本当は安室さんに聞こうと思っていた話の深意に切り込んだ
あやお姉さんは一瞬の逡巡の後、肯首した
「そうよ?なぁに?疑ってる感じ?」
「…だって…今の2人を見ててもただの店員さんと常連さんみたいだよ?」
「それは嬉しいわ。事情を知ってるコナンくんから見てそう見えるということは私たちの繋がりは他の人なら及び付かない話になるでしょう?」
「…そうなると思うよ。僕は2人が夫婦と聞かされた今でもやっぱり信じられないんだ」
「本当に本当よ?どうしたら信じて貰えるのかな?」
小首を傾げたあやお姉さんに安室さんが柔らかい笑みを浮べ見守っている
この場はあやお姉さんに任せると言うことのだろう、安室さんは口を開く様子も無く中断していたサイフォンのお手入れを再開していた
耳だけはこちらに全力で傾けているようだが…
「あやお姉さんと安室さんはどうやって知り合ったの?」
「安室さんとは子どもの頃からの幼なじみなの」
「そっか。高校卒業した日に結婚ってお互いの両親は良く納得してくれたね?」
そう問いかけると、あやお姉さんは急に目を伏せた
もしかして聞いてはいけないことだったのだろうか
俺は少し焦って質問を変えようと口を開きかけた時、あやお姉さんが俺の方に向き直り口を開いた
「安室さんも私もね、親がいないの。私には兄が2人いるからその兄たちの同意は貰ったわ。上の兄は成人していたから兄の職場の同僚さんにもお願いして婚姻届の証人になって貰ったのよね…」
最後は独り言のように言ったあやお姉さんは俺を見ているようで俺よりももっと遠くを見ているのか、俺を見てるはずなのに目が合いそうで合わない
あやお姉さんは懐かしいような、切ないような色を千草色の瞳に一瞬宿らせたがそれをすぐ覆い隠しコーヒーを口にした
カチャンとカップとソーサーが触れる音がする
安室さんとあやお姉さんは本当に夫婦だと言うことは今の答えとあやお姉さんの様子で分かった
本当はあやお姉さんの身分証明を見せて貰うまでは納得できないと思っていたのだが、俺の中であやお姉さんの話と態度でストンと事実だと認めることが出来たのだ
「後は何を知りたいのかな?名探偵さん」
ふんわり微笑んだあやお姉さんに、夫婦だと納得できた俺は今の内容とは全然違うことを質問することにした
それはもう一つ、さっきのタブレットを覗いて疑問に感じたことだった
「あやお姉さんの職業って何?」
安室さんとの話を聞かれると思っていたのだろう、あやお姉さんはキョトンと呆気にとられた顔をして俺を見る
ちょっとつり上がったアーモンド形の目でこちらを見つめるその無防備な顔は年上の女性に言うのは違うかもしれないけど可愛い
美人という言葉より可愛いという言葉の方ががよく似合う
「私の職業?」
「うん!いつもあやお姉さんはポアロに来たらタブレットで何か読んでるじゃない?それにお店に来る日は平日だったり休日だったり時間もバラバラだし何のお仕事なのかなって僕気になっちゃって」
母さん譲りの演技力を再度発揮させて小学校1年生らしい受け答えをする俺に安室さんが笑いを押し殺しているのが目の端に入った
そんな安室さんを胡乱げな目でチラ見したあやお姉さんはうつむき、小さく息を吐く
少しの間があり、そして意を決したのか顔を上げて俺の目を真っ直ぐに見て言った
「私の仕事は声のお仕事よ」
あやお姉さんの声は落ち着いて聞いてて癒やされるし、聞きやすい話し方をする人だとは思っていたがそれはそういう仕事だったからなのか
「声優さん?」
「声優もやってるけど、メインはラジオパーソナリティとナレーション。声優の方は洋画の吹替をしてるわ」
言われて思い返してみると以前おっちゃんの運転する車で出かけた時に流れていたラジオのパーソナリティの声はあやお姉さんに似ていた気がする
おっちゃんはそのパーソナリティの声が好きで普段から事務所にいてもラジオを良くかけている
今まで何度もラジオやあやお姉さんの声を聞いていたのに全く繋がらなかった
電波を通すと普段聞いてる声と多少変わってしまうせいで今まで気が付かなかったのだろう
「あやお姉さん、もしかして夕衣さんってパーソナリティ?」
「知ってるの?」
「うん、毛利のおじさんが”米花221”ってラジオ番組好きで良く聞いてるよ!先週は沖野ヨーコちゃんがゲストだったよね!」
「そうなの。ヨーコちゃん映画の告知で番組に来てくれたのよね。そういえば毛利さんヨーコちゃんのファンだったものね」
「確かに毛利のおじさんはヨーコちゃんが大好きだけど、パーソナリティの夕衣さんの声と人柄が好きって言ってたよ?」
そう言うとあやお姉さんは「嬉しい」と頬を染める
手放しに褒められ恥ずかしいのかもしれない
「ねぇ、ポアロに安室さんがいるのによく来る理由って聞いていい?」
「ラジオの収録スタジオがここの近くで通りすがりにこのお店があるから…というのと、ここのコーヒーが好きなのと…」
そう言ってコーヒーに口を付けるあやお姉さん
話に続きがありそうなので俺は黙ってその所作を見守っていた
「あまり帰ってこない旦那さんをコッソリ眺めるため…かしらね」
一呼吸置いて俺にウインクをしながらそう言うあやお姉さん
この夫婦、何故にウインクをしながら話をするのだろう、案外似たもの夫婦なのかもしれない
ゴッホゴッホとカウンターの向こうで安室さんが咳き込んでいる
高みの見物を決め込んでいたら不意に自分の話題で突き落とされたからだろうか
「安室さん、アイスコーヒーお願いしますね」
「は…い」
ニッコリと効果音がしそうな笑顔をあやお姉さんは安室さんに向け、また俺に視線を戻す
安室さんがちょっと焦ってるように見える様子は珍しかった
「洋画吹替のキャストは誰をやってるの?有名な人とか担当してる?」
ちょっとミーハー心が出た俺は知ってる海外俳優の吹替であやお姉さんと似てる声を思い返しつつ聞いてみる
「ちょい役が多いけど、有名な女優さんだとMs.クリス・ヴィンヤードの声を担当してるわ」
!!!
ゴッホゴッホと今度は俺が咳き込んだ
まさかベルモットの日本吹替声優があやお姉さんだとは思わなかった
組織の幹部の1人であるベルモットのイメージが強く、クリス・ヴィンヤードの出演作品を避けていたので全然気付かなかった
安室さんを見ると眉を下げて困ったような笑顔を浮かべているのでこのことは当然知っているのだろう
「お待たせしました」
紙のコースターを敷いた上にストローの刺さったアイスコーヒーのグラスがあやお姉さんの前に置かれる
カランと涼しげな氷の音がした
「そんなメディアに露出する職業で大丈夫なの?…その…色々と…」
咳が治まった俺は新たに浮かんだ疑問をちょっと聞きにくいなと思いながらもあやお姉さんに投げかけた
職務を全うしている安室さんのことだから家族と言えど自分の仕事の話はしていないだろう
ベルモットの日本語吹替をあやお姉さんがやってるならばベルモットはあやお姉さんの存在を知っていることになるだろうと思う
危ない綱渡りをしているんじゃ無いだろうか、この夫婦
俺が聞いた内容にちょっと不思議そうな顔をしたあやお姉さんだったが少し思案した後、何やら合点がいったようで答えてくれる
「コナンくんは本当に色々知ってるのね。でも大丈夫だと思うよ?夕衣という名前で仕事してるし、メディアには一切顔を出してないし、プライベートは非公開だから。ね?」
同意を求めるように最後は安室さんに向かって同意を求めるあやお姉さんに安室さんは頷く
「そうだね。声だけだからね。今後も絶対にメディアに顔を露出せずプライベートを公開しならば…ね。あやは個人事務所だからあや自身が全てを管理してるし、他に詳しく知ってる人もいないから降谷だと知られることもないよ。他にこのことを知ってるのはあやの下の兄くらいだね。だから…ココでの話もココだけの秘密でよろしくね」
揃ってウインクしながら人差し指を唇の前に持ってきて内緒ポーズをする2人はやっぱり似たもの夫婦なのかもしれない
確かに以前ラジオパーソナリティをしている夕衣さんの声を聞いて俺はスマホで夕衣というパーソナリティを検索したことがあるが夕衣という名前とナレーションを含む担当番組と声優業の演じた役柄や俳優名以外の情報はKiwiを見ても一つも出てこなかった
安室さんがその辺りの情報統制を抜かるとは思えない
安室さんのあやお姉さんへ向ける穏やかな顔は普段他の人に向けられることは無い
本当にあやお姉さん大切に思っているのだろうと思わせるには充分だった
普段見せたことのない柔和な笑みを浮かべた安室さんとあやお姉さんの視線が絡み合ってどちらともなくクスリと笑う
その様子を見てやっぱり似たもの夫婦なんだなと、すっかり薄くなったオレンジジュースを飲み下しながら俺は思った