記憶の彼方のカケラ



 まだ、私が地元で暮らしていたころの話です。

 私にはある一人の友人がおりまして、仮にAと呼称しますが、そいつはたいそう変わった奴でした。

 所謂人間嫌いで、獣、もっと言うなら鹿とか猪とか、多くの人が良く知ってるであろう、野生に生きる動物への憧れが強い人でした。

 常々Aという人間は、次に、獣になるために、人の命を生きているという考えを崩さずにおりました。

 Aというやつがどれだけ変わっているかは、例えば、人が人を貴ぶとか、人が人を思いあうとか、そういった感情に、どうやら嫌悪を示しているようで、人とか言う面倒な生き物の、面倒な感情が尊いわけがないだろう、というのがAの言い分でした。

 特に、人の感情を、最近の漫画にありがちな英雄譚とか、人間と怪物との勧善懲悪というものが大嫌いで、そのせいで、その作品そのものが苦手になってしまうほどでした。

 おまけに、Aは俗にいう芸術家気質の人間であったのか、何時だって、暇さえあれば山とかに入り浸り、何やら獣か植物かをスケッチしていたものです。

 Aのスケッチを見せてもらったことが、前に一度だけありましたが、私に、は何やらよく分からんと思うほかない、黒い何か、鉛筆かシャーペンで描かれたであろう何かしか、描かれてませんでした。

 つまりは、結局のところ、私はAの世界を、ずっとずっと、理解はできなかったのです。

 まあ、そんなんだからAという奴は、自然と人が離れていって、偶々Aの思想を拒絶しなかった(けっして理解できたわけではありませんが)私以外に、仲良しが居ないわけになります。

 母親とか、同年代の人とか、果ては近所の人のいいおじさんですら、Aという人に自分から近づこうとは、年が経つにつれて、全くと言って無くなっていったのです。

 特に母親なんかは、Aの事をことさら気味悪がって、いつも、お前は変態だよ、とか、おおいやだ気狂いが居るよ、とか言って、Aの事を、いじめているようにも見えました。

 ある日から、Aは近所にある山、それというのも、私たちの地元は結構な田舎で、所謂生産牧場とか農地とかが大部分を占めていて、コンビニなんかは類似店舗が数キロ先というのもさして珍しい場所ではありませんでした。

 そういった田舎は人との噂が直ぐに広がり、隠し事ができないとか、そういう密な関りがあると思われがちですが、私たちの所は決してそうではありません。

 そういう、しっかり目の田舎ではなく、郊外をもっと田舎風味にした田舎なのです。
 まあ、山とか、河とか、直ぐ近くにあるのは確かですけれど。

 話しを戻しますと、Aはある日から山、それもたった一つの山をずっと見ていることが多くなりました。

 山と言っても、昔話の世界のように、どーんと山が一つ突っ立ってるわけではなく、山脈に連なるいくつかの内一つ(それは山脈の中で一番背高だったので、私にも気付けたのですが)を、Aはいつも見ていたようでした。

 私は、どうしていつも同じ山を見つめているのかを訪ねると、Aは、獣になるのだとか、いつかっていつだよとか、私にも分からない、要領を得ないというか、悪い言い方をすれば、気の狂ってしまったことを返すのみでした。

 それから幾許かたったいつかの日の晩に、Aの母が、昨夜のAは何処かへ行ったらしく、朝になっても帰ってこないことを私に告げました。

どうにも、あの山にすぐ行くよ、獣になりにすぐ行くよ、と言い残したきり、行方知れずだというのです。

 携帯で連絡しようにもAは身一つで出ていったらしく、その内帰るだろうとほっておいたら、まさか一日経っても帰らないとは思わなかった、ああ、もっと話を聞いてあげればよかった、とかAの母親が言ってるのを聞いていましたが、私は、そんなに後悔するぐらいなら、とっとと実行したらよかったのに、と思い、それをAの母親に言いました。

 Aの母親は益々泣きました、私はなぜ彼女が泣いたのか、訳が分かりませんでした。

 警察は、自主的に出ていったので家出だろうと処理し、普段、世間で囃される話題らしい話題もない、この片田舎の何処かで起こった、Aの恐らく事件性のない失踪は、大きなニュースになることもなく、その内地元の誰も、勿論Aの母親も話すことをしなくなり、皆忘れてしまったようでした。

 今でもAは見つかっていません。
 多分、いつも見つめていたあの山で、獣としての生をのびのび生きてるか、さもなくば誰かに食われたんかと思います。

 Aの母親が私の元にやってきたその日は、街灯の無い田舎の夜によくありがちな、満点の星空の日の事でした。
 道端にいた狸の目が、金色に光って見えた狸の目が、私たちを射抜いているように見えました。


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