記憶の彼方のカケラ
私は獣である。
私の周りに最も多くある二本脚で歩く、日毎に毛皮の変わる奇妙な獣どもからは、私は猫であるということを幼いころに知った。
私は己が猫と呼ばれる獣であると知ったころ、恐らくは親だろう、自分よりずっと大きな猫と、兄弟だろう小さな毛玉のような猫と一緒に暮らしていた。
そのころにはまだ、私に名は無かった。
私たちの元には二本脚がいくつかいて、それらは私たちの為に食事を用意し、毛並みを整え、手慰みの玩具を捧げ、私はその対価として爪を差し出す。
二本脚らはそれをとても喜んでいるようだった。
ある日、鬣の長く、一つ纏めにした二本脚が私たちの元に訪れた。
長い鬣の二本脚は、私たちの元に一番長く居た二本脚となにがしかを話し、そのうち私を網戸の付いた籠ーこれはキャリーというらしいーに詰め込む。
親猫がギャーだとかシャーだとか、容量の得ない悲しみを表したが、二本脚に抑えられ、終ぞ私を閉じ込める網戸には届かなかった。
そうして、私は自分の事を飼い主とかお母さんだとかいう二本脚と一緒に暮らすことになった。
始め、飼い主の家だとかいう場所は酷く殺風景だった。
私は激怒した。
何故に私を慰める玩具がないのか、何故に私の食欲を満たす食事はこんなにもまずい。
寝床はどこだ、私は家のどこで眠ればいいのだ。
御不浄がなければ用を足せないではないかこの愚か者、そんなことすらわからんか。
嗚呼厭だ、こんな事なら死してでもあの場に留まればよかったと、酷く後悔していた。
その事を飼い主は悟ったのか、ある日急に大量の玩具を家に持ち込んだ。
私がその玩具のいくつかにすぐさま夢中になった。
今でも共に寝床へと向かい、その玩具たちと寝るのだよ。
それぐらい、私は喜んだのだ。
腹を空かせると飼い主が用意する食事も、ある日を境に劇的に変化した。
私はその旨い食事にいつも舌鼓を打ち、全く残すことなく完食することが当然となるほどに旨かった。
腹が膨れて暫くすると、生き物は当然出すものを出す。
飼い主が私のその生理的欲求の為に用意した御不浄は素晴らしいものだ。
視たまえこれを、屋根がある、塀がある、扉がある。
私ほどになると全てを上品にこなしたいために、このように覆いがある御不浄は大変好ましい。
こやつなかなか分かっているではないか。
夜になると、何時頃かに用意されていたふかふかの丸い寝床にうずまり眠る。
この寝床が中々心地よい。
嘗ての親猫の腹を思い出すようで、ついつい寝床相手に甘えてしまうのだ。
飼い主はその様子を見てなにがしかを言うと私の横腹に手を当て笑う。
私はそのことを全く気にしなかった。
兄弟は腹に触られることが苦手だったがね。
この頃には家とはとてもいい場所であるのだと私は思い、日々の暮らしの安定を対価に、飼い主に爪や抜けた毛、髭を提供した。
そんなもののどこに何の価値があるかだなんて、私にはとんとわからんが、飼い主はそれらを貰うたび喜んでいた。
この心地よい家には、時々飼い主の友達だという二本脚が訪れた。
飼い主は友達を皆違う名前で呼んだので、きっと飼い主の呼んだ名前の後ろに友達が付くのだろう。
友達は私を見ると喜んだ。
そして、私に何通りもの名前を付けた。
そう、私にはたった一つの特別な名前と、何通りものあだ名がある。
飼い主以外は私の事をいつもねこちゃーんとか、かわいーとか、いいこだねーとか、かしこいでちゅねーとかそう呼ぶ。
しかし、飼い主だけはいつも私の事を特別な名前で呼んだ。
どうして飼い主が何通りものあだ名で、終生私を呼ばなかったのかは、理解できないままだったがね。
私は時々、窓と呼ばれる透明な板の向こうから見える空を見る。
空を見ると、様々な考えが私の頭に訪れる。
そして最後には決まってこういうことを考えるのだ。
私は死ぬ。
飼い主よりも早く死ぬ。
私が死んだその時には、きっとあの空の彼方へ行く。
密かに私の抱える、鳥という生き物になりたい心を慰めるために、私は猫のまま空へ行く。
そして、何十年もの時がたったら、私よりも大きい癖に愚鈍で、不器用な飼い主を出迎えよう。
共に、猫のまま、二本脚のまま、鳥のように空を飛ぶ。
その時初めて、私だけの心が、私と飼い主だけの心に変わりゆくのだ。
しかし、私は、この考えが、何故頭に訪れるのか、どうして私は鳥に憧れたのか、きっとわかる日は来ないのだ。
何故なら、私は獣であるから。
二本脚が猫と呼ぶ、翼の無い獣なのだから。
