恋という言葉は似合わなくて

 高校生活最後の文化祭は、あまり楽しいものではなかった。
 まず、10月上旬の割に暑い。窓を開けても風はほとんど入ってこなくて、教室には人の熱気とヘアスプレーと絵の具みたいな匂いが混ざって漂っている。廊下から聞こえる呼び込みの声も、まだ始まっていないはずなのにやけに騒がしい。
 そして、クラスの模擬店が、執事&メイド喫茶だった。

「わざわざウィッグつけてまでメイド服なんて着たくなかった……」
「大丈夫だよ! しーちゃんめっちゃ可愛いから!」
 当日の朝、クラスメイトに借りた鏡で髪型を確認しながら落ち込む私を、なぎさん――執事役の私が着るはずだった燕尾服にペンキをこぼした張本人は、とにかく全力で褒め称えている。
 高峰さんと同じサイズの燕尾服の予備がありません、と衣装を担当してくれた美術部の人にペコペコと頭を下げられ、その代わりと言ってはなんですが黒髪ロングのウィッグとメイド服は余ってます、と得意げな顔で言われた結果の、ウィッグ+メイド服である。
 身長173センチの人が着る燕尾服はないのにメイド服が余っていた理由はよくわからないが、私に「絶対執事役似合う!」と言ってくれたなぎさんが「メイド服も絶対似合う!」と言ってきたので、仕方なく着ている。
 肩より長い、毛先だけ緩く巻かれた黒髪のウィッグ。白いフリルのついた黒いワンピース。普段なら選ばない薄桃色のリップ。
 見慣れたはずの自分の輪郭だけが浮いていて、借り物の衣装を着た誰かみたいだった。
 ほんとに1日この格好なのか、と辟易していると、後ろから明るい声が聞こえた。
「やっぱりしーちゃんってメイク映えする顔だよね!」
 このメイドを生み出したなぎさんである。
「しーちゃん、学校以外で会うときは絶対ボーイッシュなメイクしてるから見たことなかったけど、こうやって可愛い系のメイクしてもめっちゃいい。羨ましい」
「それは嬉しいけど、どう考えても君は人に『羨ましい』なんて言える顔立ちではないでしょ。メイクしなくても綺麗なわけだし」
「まあ、元が美人だからね。素材がいいの」
「それは事実」
 そして、ミスコン出るから調子乗ってるってのもあるよ、と自慢げになぎさんは言った。自慢することじゃないけど、ミスコンに出てみたいと呟いたなぎさんの背中を最終的に押したのは私だろうから、何も言わないことにする。
 ミスコンは、第50回の文化祭にして今回が初開催。テレビで見る度にこんなイベントに出たがるなんて余程の物好きだと思っていたが、なぎさんが出たがったら話は別だった。
 制服が似合うなぎさんが、いつもと違う服で体育館のステージに立つ。スポットライトを浴びて、誰よりも眩しい姿で。
 そんなものを想像するだけで、私の胸は勝手に躍る。
「ミスコンの時間、部活もクラスも模擬店のシフト外してもらったから。絶対観に行く」
「そんな無理して来なくていいよ? しーちゃん、こういうの興味ない人でしょ」
「なぎさんが出るのに観ないという選択肢はない」
「あ、ほんと? ありがとう」
 せっかくだからメイド服のまま張り切ってアピールしてくるよ、となぎさんは笑顔で言う。
 そして、なぎさんは座っていた椅子から立ち上がって、秋の陽気な日差しを背にくるりと1回転してみせた。カールアイロンで巻いた髪の毛と、白いフリルがついた黒いロングスカートがふわりと靡く。
「どう、可愛い?」
 お嬢様みたいにお淑やかな所作で椅子に座り、なぎさんが言った。黙って言葉を選ぼうとする私の顔を覗き込み、返事を急かす。
 顔が近い。見つめ合うのが恥ずかしくなる距離感だった。
「……めっちゃ綺麗」
 どうにか、少しだけ掠れた声で言った。けど、なぎさんは満足そうな顔をしない。
「『綺麗』でも嬉しいけどさ……。そこは『きゃー』とか言われたかった」
「……きゃー」
「いや、棒読みはやめよ!? 言えって言ったの私だけど!」
 私の適当な返事に怒ったような顔をしながら、結局なぎさんは笑う。
 そして、クラスメイトが私となぎさんを呼びに来た。なぎさんは教室内で接客をして、私は廊下で客を呼び込む役らしい。笑顔大事にしてね、特に高峰さん、と名指しで指導され、なんだか恥ずかしい。しーちゃん緊張したら真顔になっちゃうもんね、頑張ってね、と応援されたけど、なぎさんも昔から同じようなものだ。君こそ笑顔頑張って、と笑ってみせた。
 教室を出る前、私はなぎさんに言った。
「ミスコン、絶対観るから。で、馬鹿みたいに大きい声で『きゃー』って叫んでおくよ」
「……しーちゃん、最強のファンじゃん。うちのオタクなの?」
 なぎさんはまた笑う。否定する間もなく、文化祭が始まった。
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