1章

 翌日、晴馬はお兄さんと連絡を取ることができただろうかと思いながら、更衣室で首にスカーフを巻いた。いつもは簡単に結っているだけの髪も団子状にまとめていた。
 葬式の日は、香織里はずっと気を張っている。タイムスケジュール通りに進んでいるか、手配がきちんとできているか、何度確認しても本当にその通りになるかどうか不安で、ずっと緊張している。
 一歩のほうが、より全体が見えている。時折、ジャケットに装着していたインカムのマイクを口元に寄せて、スタッフたちに小声で指示を出していた。左耳にはイヤフォンをつけている。香織里にも連絡がきて、ホールに到着した業者に挨拶をしろと言われる。香織里は、納棺師や僧侶といった式に携わる人が見えても、すぐに声をかけられなかった。なんとか挨拶をし、簡単な打ち合わせをするものの、上手に伝えられたかどうか不安だった。火葬場の予約の時間があるため、読経の時間は必ず伝えなければならない。これを忘れずに伝えることができて、一つ安心はするものの、また次の不安がやってくる。葬式には多くの人が携わる。その一つ一つが、計画した通りになっているかどうか。答え合わせをしている感覚にもなる。
 式が進んでいる裏で、精進落しの料理が運ばれてきた。今回手配したのは、町内にある仕出し・会席料理店の虎鶴だった。
「こんにちは〜、お世話になります〜」
 間延びした挨拶をしたのは、香織里と同い年の虎鶴みのり。店主の娘である。白の割烹着に三角巾が眩しい。広い額を恥ずかしげもなく見せている。小柄で、くりっとした丸い目のせいで幼く見えるが、料理を抱えながらもてきぱきと動く姿は立派だった。
 みのりの明るい表情に、香織里はほっとする。
「ありがとうございます、いつものところに運んでください」
「はいはーい、あ、これ請求書です〜。今日は魚が美味しいってお父さん言っていましたから、楽しんでもらってくださーい」
 みのりの父、虎鶴吾郎は料理一筋の男だと聞いている。香織里は会ったことがない。いつも料理を運んでくるのは、みのりと、バイトの男性だったからだ。白のワゴン車から続々と料理が運び込まれ、会食の準備が進んでいく。
 ホールには会食ができる部屋があり、いつもそこで精進落しを食べてもらっていた。香織里が唯一、式中に一息つける時間だった。
 会場の様子を見ていると、部屋の隅に、また白いもやのようなものが見え、香織里は疲れから目がかすんでいるのだろうかと思いながらこする。
「香織里さん、ちょっと」
 一歩に肩を叩かれ、どきっとした。眠そうに見えたのだろうか。
「昨日の、晴馬さんが営業所に来ているらしいから、そっちをお願いできないか」
「え、私一人でですか?」
「話を聞くことくらい、香織里さんだけでもできるだろ。どこまで兄弟で話がまとまったか聞くだけでいいから」
 渋々、ホールから出て首に巻いていたスカーフを取る。
 『村上様』とラベルが貼られているファイルを持ち、晴馬の元に向かった。晴馬は昨日よりはさっぱりした顔をしていて、よく眠れたことが伺えた。服もよれよれのパーカーではなく、紺のセーターを着ており、昨日より若く見える。
「あ、昨日はありがとうございました」
 頭を下げた晴馬に、香織里もつられて頭を下げてしまう。
「いえ、とんでもないです。あの、それから、どうなりましたか?」
 ファイルからプランシートを取り出し、メモの準備をする。些細なことでも書き残しておくというのが一歩の教えである。会話の中から、故人がどんな人だったか、遺族がどう考えているかを探すのだ。それが式のプランに繋がるのだと教えられた。
「通夜はなしで、一日葬がいいという話になりました。兄は県外に住んでいるし、仕事が忙しくて……。全くしないのは寂しいから、親族だけで、小さくやろうって話になりました。兄には小さい子供がいるし、なるべくスムーズにできる、小さくて、簡単な葬式にしたいと思っています」
「そうなんですね。では、その方向で、こちらで大まかなプランを立てておきます。そのお子様は何歳くらいですか?」
「五歳です。短い時間ならじっとすることができるんですけど、やっぱり飽きると思うんです……兄の奥さんがそこを心配しているみたいで。預け先もないし」
「大丈夫ですよ、ホールには待合室がありますから、自由に使ってください」
 会食席の隣には、参列者がゆっくりできる待合室があった。火葬場に行かない人たちがくつろげるように、ソファーを置いている。お茶菓子を出して待ってもらうことも多かった。
「お父様のことを聞かせていただきたいのですが、いいですか?」
「父ですか。父は普通のサラリーマンでした。退職してゆっくりしていたんですけど、いつからか食欲がなくなってしまって。検査の結果、胃にがんが見つかったんです。僕も兄も、僅かな期待があるのなら治療したらいいと思って、父に頑張ってみようって言ったんです。母も数年前に別の病気で死んでるし、父も早く死にたいって言ってたんですが、でも僕らはそれは嫌で」
 そこで晴馬の言葉が詰まった。メモを取っていた香織里は、顔を上げる。
 晴馬はうつむき、膝の上で固く手を握りしめていた。
 息を吸い、止める。唇を噛み締め、涙がこぼれ出ないように耐えていた。涙が引いた後、溜めた息をゆっくりと吐き、再び話し出す。
「父は入院中、孫の顔が見たいって言ったんです。父は食べることが好きだったので、美味しいものが食べたいって……、家に帰りたいって言ったんです。でも、僕は、治ったらできるって言って励まして……本当は、父の望み通りにしてやったほうが良かったんじゃないかって、今なら思うんです……、治療も辛いものだったし……あ、すみません、父のことなのに、僕のことを話してました」
「大丈夫ですよ。お孫さんはお兄様のお子様のことですよね」
「あ、はい、そうです。陽向といいます。兄は家を出てからあまり帰ってこなくて、陽向と会う機会も少なかったんです。多分、義姉さんは、それを気にしているところがあって、陽向と一緒に参列するんだと思っています」
 話を聞きながら、香織里は自分の母を思い出した。
 式の時、母にもっといろんなことをしてやりたかったと、後悔したものだ。花嫁姿を見せられなかったこともそうだし、もっと手伝ってあげればよかったとか、もっと話を聞いてやればよかったとか、様々な後悔が押し寄せてきた。
 晴馬も同じなのだろう。父の望み通りにしてやれなかったことを後悔している。
 そのうちのどれかは、葬儀で叶えてあげたい。たった一度しかできない別れの儀式だ。
 メモを取ったあと、香織里は頷いた。
「分かりました。たくさんお話ししてくださってありがとうございます。また細かい打ち合わせをしたいと思うので、忙しいとは思うのですが、明日も来ていただけますか?」
「大丈夫です。すみません、よろしくお願いします」
 晴馬が帰ったあと、香織里はまた首にスカーフを巻いて式に戻った。
 式はトラブルもなく、無事終わった。片付けまで済ませ、パートやバイトのスタッフたちに解散を伝えたあと、そこでようやく一歩に声をかけられた。
「村上さん、どうだった」
 デスクの上に置きっぱなしだったファイルを一歩に渡す。
 晴馬から聞き取ったことを読んだ一歩は、少し意外そうな顔をしていた。
「よくここまで聞いたな」
「聞いたっていうか、晴馬さんが喋ってくれたんです。私は特に何も」
 一歩はプランシートをファイルにしまい、伸びをした。
「香織里さんのほうがこういうところは得意なのかもしれない。僕ではここまで深く引き出せないから」
「え、そんなことはないと思いますけど」
「僕から無理に質問をして聞き出していただけなんだ。相手が喋りたいと思える相手じゃないと喋ってくれない」
 これは褒められているのだろうか。大したことはしていないのに。香織里はちょっとだけ質問をしただけで、あとは晴馬が自然に喋ってくれただけだ。たまたま晴馬が喋ってくれる人だっただけではないかと香織里は思ったが、一歩としてはそうでもないようだった。
「これだけ分かれば、こっちもプランの元を作りやすくなって助かる。あとは明日にして、今日はもう終わりにしよう。お疲れ様」
「あ、はい。お疲れ様でした」
 一歩はもう少し仕事をして帰るようだ。自分も残った方がいいかと思ったが、一歩の溜息を増やすことになりそうだったのでやめた。
「すみません、お先に失礼します」
 机の中に押し込んでいたチョコを一歩のデスクに置き、営業所を後にする。
 運転中、一歩の機嫌がいつもより良かったのは、式中に大きなトラブルがなかったからだろうと結論付けた。
 帰宅途中、いつものスーパーに寄った。式を終えた日は、酒が飲みたくなる。父と一緒に飲もうと思って、ビールを二本カゴの中に入れた。
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