3章

 帰って、押入れの中にあるダンボールを開けた。
 中には、新聞やこの地域の広報誌が入っている。ゴミはここにまとめておいて、廃品回収に出すと決めていたのだが、父の腰が悪くなってから放置していた。過去三年くらいは遡れるようになっていた。いい加減捨てるべきだったが、捨てていなくて良かったとこの時ばかりは思った。
 広報誌の裏面には『一歳になりました』というコーナーがあり、この地域に住んでいる子供の写真が載っている。
 順序がバラバラにならないように上から取っていき、広報誌の裏を確認する。
 桔梗に関連する名を持つ子がいないかどうかを確認したかった。もしかしたらおてんとちゃんと同じ顔の子もいるかもしれない。期待はできないが、試してみる価値はあった。
「香織里、何やってんだ。風呂は?」
「あ、ごめん、お父さん。先に入ってて。私、あとでいいから」
「お、そうか。じゃあ先入るな」
 父を見送ってから、香織里は再度広報誌の確認作業を始めた。
 一月、一月、順番に遡っていく。二年と十ヶ月遡った時だった。香織里の手が止まった。
「室町梗花ちゃん……、おてんとちゃんだ……」
 カメラに向かって笑いかけているその子の顔は、おてんとちゃん本人だった。
 香織里ははっとして、今度は新聞をめくりはじめる。
 香織里の家が取っていた新聞は、地方新聞だ。おくやみの情報も載っている。一日一日、新聞をめくり、おくやみの中に「室町」がないか確認をしていった。
 だが、何日遡っても、おくやみがない。
「葬儀をしていない……のかな……」
 もちろん、すべてのおくやみがこの新聞に載るとは限らない。可能性のうちの一つである。
 生まれて一年だ。これからどんどん大きくなって、親も成長を楽しみにしていたはずなのに――。
 香織里は新聞を片付け、梗花の顔が載っていた広報誌を鞄の中に入れた。
 園子なら何か知っているかもしれない。地域のことならなんでも知っている園子なら。
 父から呼ばれて、ようやく香織里は立ち上がった。足がしびれてしまっている。日付が変わる一歩手前だった。
 翌日、仕込みを終えてすぐに営業所に向かった。一歩も呼ぶ。
「この子です。何か知りませんか」
 広報誌を受け取った園子は、ちょっと待ってねと言って、こめかみをぐりぐりと押し始めた。数年前のことだ。思い出すのに時間がかかる。
「よく見つけたな」
「この地域の子で、一歳なら、もしかしたらって思った。おてんとちゃん……じゃなかった、梗花ちゃんがキキョウのカードを指差してくれたのもヒントだったし」
 そうしていると、園子が「あっ」と大きな声で叫んだ。
「これ、ちょっとしたニュースになったやつよ。遺棄罪で捕まってたはず。覚えてる、覚えてる。テレビで顔も見たわ。この平和な町でそんなことがあるんだって思ったもの。えっとねえ。待って。ネットニュースでも出てたと思うから」
 園子が見せてくれたニュース記事には、逮捕となった母親の名前があった。室町美奈子。当時二十五歳。父親の名はなく、母子家庭だったのかもしれない。文章だけの記事で、写真はなかった。園子は写真がないことに、残念だと呟いていた。
 梗花はおもちゃの誤飲により死亡したと書かれていた。その他詳しいことは書かれていない。
「――お見送りができていないということだな」
「そう、だね……」
 二日目は、重い気持ちで始まった。
 名前は分かったが、顔は分からない。今、何をしているのだろう。どこにいるのだろう。
 考えを巡らせていると、早紀に心配されてしまった。昼のピークが過ぎたあと、気持ちを落ち着けるためにカウンターでコーヒーを飲んでいた時だった。
 カフェのドアが開き、一人の女性が静かに入ってくる。
 注文をするわけではなく、店内の花をじっと見ている。うろうろと歩き回り、そして何も買わずに出ていった。
 その女性は、三日目になっても同じことをした。
 イベントが終わり、社内のお疲れムードが高まる中、香織里は店に来て、花だけ見て帰る女性のことを気にしていた。
 それから数日、その女性は少しだけ花を見ては、帰っていくのを繰り返していた。早紀は「なんかちょっと不気味じゃないですか?」と言ってくる。梗花は女性とは距離を取っていたため、関わりがあるのかないのか、判断することができなかった。
 香織里は園子をカフェに連れてきて、女性の様子を見せた。
 その女性の顔を見た瞬間、園子は香織里に頷いた。室町美奈子、本人だと。
 来てくれたのだ。梗花の母親が。お見送りすべき人が。
 美奈子は今日もカフェから黙って出ていこうとする。香織里は慌てて追いかけた。
「あのっ、えっと、室町美奈子さん……ですよね……、突然ごめんなさい」
 美奈子は驚いて、香織里に握られた手を振りほどこうとする。引き止めなければ。何が何でも。
 焦りの中で、やっと言えたのは、この一言だった。
「美奈子さん、お見送りをする人がいるんですよね。お見送り、しませんか」

10/12ページ
スキ