3章

 ここのコンセプトの一つ、あいメモリーの居心地のよさを感じてもらうためのイベントにしたい。
 花はたくさんある。園子が選んだものだ。普段、家に飾っていても違和感がないものを置いている。
 立ち寄った葬儀屋にあった、苗木や花のブースを思い出す。この花を全面に出してもいいのではないだろうか。料理はその後でもいい。
 開店前に、香織里は一度、店内を見渡した。
 今日は入荷したばかりのアジサイ、スイートピー、ラナンキュラスが綺麗に咲いている。
 園子は主役にはなれないと言っていた。だが、園子の選んだ花は主役になってもよかった。
 それに、もしかしたらおてんとちゃんと関わりのある人も花を必要としているかもしれない。おてんとちゃんのことを忘れていなければ。
 供養の際に花を手向けることだってある。香織里も母のために花を買うことはよくあった。母も薔薇が好きだった。理由は簡単で、父からプロポーズされた時に贈られたからだった。父も母の命日には必ず薔薇を買ってくる。 
 花を見て、この店内の雰囲気を感じてもらいたい。あいメモリーの居心地の良さがつまったカフェだ。
 だが、それだけでは、花屋とやっていることが同じだ。葬儀屋らしいことも取り入れたい。
 墓石展示会、仏具セール……、すぐに思いつくのはそのあたりだ。だが、それをするとなると、あいメモリー全体を動かすことになってしまう。
 平次はなんでもしたらいいと言ってくれている。ありがたいことだが、会社全体を動かすとなると、いい加減な案は提案できない。
 営業、仏具ショップの店員、お墓ディレクターといった人たちとは、仕事の話を少しだけする程度だ。繋がりが太いのは中心的役割を担っている葬儀コーディネーターの一歩の方である。香織里の力はまだまだ小さい。
 考え込んでいると、とっくに開店時間が過ぎていたのか、早紀が玄関前にあった看板を『OPEN』に変えて入ってきた。
「おはようございます〜。香織里さん、休んでるのかと思っちゃいましたよ」
「あ、ごめんね。ありがとう。考え事してて」
 エプロンをつけて花の手入れを始めた早紀の様子は、オープンした時と変わらない。一つ一つの仕事を丁寧にしてくれている。
「早紀ちゃん。ずっとお客来てないけど、暇じゃない?」
「暇だなんてそんな。カフェで働くのが夢だったし、できたてのカフェってなんだかこれからって感じがしていいじゃないですか。香織里さんのメニュー開発のお手伝いもできて嬉しいし」
 床に落ちた花びらを箒で集めながら早紀は笑った。
「私、友達にSNSでずっと来てねって言ってるんですけどね。遊びに行きたい、とは言ってくれてるんです。でも決定的な何かが足りなくて……。あ、そうだ。香織里さん。店内の写真、撮ってアップしてもいいですか?」
「ちょ、ちょっと待って。それ、私だけじゃ決められないから」
 早紀には使っているSNSサービスを見せてもらった。
 写真投稿サービスの一つだった。早紀がフォローしている中には、カフェが運営しているアカウントもあり、店の様子やメニューの様子が写真でアップされている。それも定期的に。
 香織里は使っていないサービスだったから分からなかった。
 愛翔も何度か香織里の作った料理を写真に撮っていたが、もしかしたらこういうSNSに投稿していたのかもしれない。
「料理の写真って、すっごく反応されるんですよ。ほら」
 早紀の作った夕飯を見せてくれる。新婚ということだけあって、とても豪華な食卓だった。特に目を引いたのは大皿に盛り付けられた鰹のたたきだ。写真の下には様々なスタンプが押されている。
「これ、どうしたの?」
「特売だった刺し身をそれっぽく並べただけですよ。反応されると嬉しくなっちゃうんですよね。見栄えがいいと、夫ももりもり食べてくれるし。スマホの機能を使ってちょっと編集すればもっと見栄えがよくなります」
 早紀がスワイプしていると、虎鶴のアカウントも見つけた。
 ローストビーフの写真だ。『柔らかくてジューシーなローストビーフです。低温でじっくりじっくり火を通しました。ご賞味ください!』という文章が添えられている。文章の最後にはみのりの名前があった。このアカウントはみのりが担当しているらしい。
「仕事中にスマホ?」
 香織里と早紀の間に割って入ったのは、一歩だった。手にはあのノートがある。
 一歩も早紀のスマホを覗き込んだ。
「ああ、これ。僕は投稿はしてないけど、いいよな。お菓子の情報集めるのに使ってる」
「え、福原さんってカフェ巡りとか行くんですか? 意外……」
「まあ、うん。え、何、この店のこと、それに投稿するの?」
「したいなって思っているところ。早紀ちゃんが教えてくれたんだけど、一歩くんも情報収集で使っているなら、する価値はあるかもしれない」
 試しに、パフェを一つ用意して、香織里のスマホで写真を撮った。
 角度は早紀と一歩から教えてもらう。パフェの写真を撮り慣れている一歩の指示した画角が一番よかった。今日のフルーツは真っ白な桃だった。真っ赤な薔薇が桃の白い肌の上で映えている。
「ああ、いいじゃん。香織里さんのパフェらしくて」
 一人で満足げにしている一歩を見た早紀は、香織里にこっそり聞いてきた。
「福原さんって甘いの好きなんですか?」
「あ、うん。このカフェの第一提案者は一歩くんなんだ」
 意外〜、と呟いたところで、別の葬儀コーディネーターが店に来た。今日はこれから一件打ち合わせが入っている。早紀はメニュー表を持って仕事に戻った。店はしばらく、早紀に任せておいてもよさそうだ。
 一歩と香織里は、今撮った写真を持って平次の元に向かった。
 スマホを受け取った平次は、へえ、と興味深そうに見ていた。
「ネットが熱いとは聞いているけど。いいね、これ。出す時にチェックしたいから、投稿前に僕に同じ内容のメール送ってちょうだい」
「ありがとうございます。カフェだけではなく、ショップなどの情報も出せると思います。店によってアカウントを分けることも可能ですが、とりあえず、カフェのアカウントで作成してみます。あと社長、僕と東条から、もう一つ提案があるのですが」
 東条、と名を連ねられて、香織里は驚いた。
 一歩がノートを開く。そのページはおてんとちゃん用のページだった。香織里はそのページをみてどきっとした。
『香織里さんに任せる』
 そう大きく書かれていたのだ。
「あいメモリーでイベントをしたいです。墓石展示会、ガーデン見学会、名目はなんでもいいです。あいメモリーを知ってもらえる機会を作れないでしょうか」
 一歩が肘で香織里を突っついてくる。考えていることをそのまま言え。目が訴えてきた。何も考えていないわけではないだろう。香織里さんが言い出したんだから。一歩が言いたいことが伝わってくる。
 香織里は両手を握り合わせ、口を開く。
「あ、あの。せっかく花屋との連携がとれて、お花をたくさん置くようになったので、お花のイベントもしたいんです。それで、カフェに入ってもらって、雰囲気を知ってほしいなって。まだ具体的には考えていないんですが……」
 語尾がだんだん弱くなる。中身は何もない。
 平次は腕を組み、背もたれに体を預けた。
「そうだねえ。ガーデンのこともあるし、あいメモリーの花のイメージは大きくしたいよねえ。園子さんたちフラワーデザイナーのセンスの良さも光る部分だし。春になってこれからガーデンもどんどん綺麗になると思うし。樹木葬始めたばかりでどうにかしないとなとは思ってたんだよ」
 頬を手のひらで擦りながら、平次はうーん、と考え込んだ。
 開けている窓から、心地よい風が吹き込んでくる。窓の外を見た平次はうん、と頷いた。
「本館ホールで盛大に花イベントをしよう。花をいっぱい並べるんだ。並べ方や種類はフラワーデザイナーたちに任せよう。ついでに仏具、墓石展示、ガーデン見学会。うちのバスも出そう。全部やろう。香織里さん、何かテイクアウトのもの、作れる?」
「あっ、はい。カレーをテイクアウト用に準備することはできます」
「あと冷たいのも欲しいなあ。パフェで使ってるアイスとか」
「それも大丈夫だと思います」
「じゃ、やろう。提案ありがとね。ちょっと企画するからね、また詳細は伝えるよ」
 社長室から出ても、まだ香織里は信じられなかった。
 こんなにすんなり物事が動き始めるとは思っていなかったからだ。自分が思っていたものよりも大事になりそうだった。
「か、一歩くん……、これで良かったのかな……」
「社長ってさ。新しいもの大好きだからさ。面白そうな顔してたじゃん。うまくいくよ」
 営業所の前で一歩はにっと笑って言った。
「テイクアウト用の特別なアイス、僕も楽しみにしてるから」
 じゃ、と言って営業所に入っていった一歩を見送った香織里は、空を見上げ、笑ってしまった。日は高く登っている。眩しい。
 カフェに戻ると、おてんとちゃんが迎えてくれた。香織里の頬を突っついてくる。
 自分でも感じていた。いい表情をしているはずだと。

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